第31話 苦労なんかさせへんもん!

 「で、どうすんの?」

 おさめ駅の、まだあたらしい改札を抜けてすぐのところで、朱実あけみ亜緒依あおいは向かい合っている。

 あのあと、ひな先生はもう一杯お茶を入れてくれた。

 三人でそのお茶を飲んでから、二人はひな子先生の家を出た。

 先生は、お土産に、いっしょに飲んだ紅茶の缶を一つずつくれた。

 いったいいくつお土産を持って帰ったんだろうと思う。

 でも、たぶん、あの重かったのは、お土産なんかよりも、楽譜とか、そのほか、音楽を勉強するのに役に立ついろんなものだったのだろう。

 駅に着いた時間は六時半だった。夏ならばまだ明るいはずの時間なのに、もう完全に夜だ。

 新しい駅は、長い蛍光灯が灯っていて白くて明るい。でも、何かきれいすぎて安っぽい感じもする。

 「どうすんの、て、何が?」

 亜緒依がきょとんとして聞き返す。

 朱実が言う。

 「だから、亜緒依が自分の家に帰るんかどうかいうこと」

 「ま、帰るよ」

 亜緒依はさばさばと言った。

 「酒臭い、どよぉんとした空気が漂うとるやろうけど、それでもあれがわたしのスイート・ホームやからな」

 そうか。

 スイート・ホームなのか。

 「そうやね」

 朱実はそう言って、軽く頷いた。

 家なんて、普通にあるもので、スイート・ホームなんて、それは歌にしかないものやと思っていたけれど、それも違うのかも知れない。

 「それより、朱実は、正月にはこうくんと会うの?」

 「うん。たぶん、五日か六日にな。三日までは店が忙しいはずやし、四日はその反動で伸びてるやろうから、ま、あの性格考えたら、六日ぐらいと違う?」

 「さすが、相手の性格、よう押さえてるなぁ」

 亜緒依が感心したように言う。

 「あんたといっしょになったら、紘くんも苦労するやろ」

 「苦労なんかさせへんもん!」

 思わずそう答えて、亜緒依の意地悪な笑いに朱実は気がつく。

 また小さい罠にかかったと思う。

 紘くんに苦労させるかさせないかというのは、朱実が紘くんと「いっしょになったら」という前提の話で――。

 それで「苦労なんかさせへんもん」と答えるということは、朱実は、当然、紘くんと「いっしょになる」ということを認めたことになる。

 でも、どうなんやろうな、と思う。

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