第25話 ウロボロス計画


       ◇


 ジルが戯曲シナリオを発動し、街中からイスカンダル軍の兵が消えた直後。

 アルカとベルは政庁を目指して大通りから少し逸れた道を走っていく途中、二人は偶然にイスカンダルとアリストテレスの像が建つ広場へと出る。

 そこでベルはふと立ち止まった。


「ベル、どうしました?」

「アルカ。やはりなれには話しておく」

「なんですか急に改まって……」


 敵兵達が消えた今、アルカ達が敵に見つかる危険性は著しく低下している。だからこそベルは、この瞬間に話をしておくべきだと判断した。


「今回の敵に、おれはずっと違和感を感じていた。その正体にようやく思い当たったのだ」


 これからの作戦にも関わるかもしれない話とあって、アルカも表情を硬くする。


「イスカンダリアを襲った者達からは〈ソロモンの鍵の気配が感じられなかった〉。おそらくだが、このシナリオ異界も鍵によるものではないと思う」

「ありえませんよ……ソロモンの鍵を使わずにシナリオ異界を作ろうと思ったら、それこそ国家規模の権力が必要になります。〈エーテルを徴税する装置〉を使って、大人数から少しずつ長い時間を掛けてエーテルを集めないといけないって師匠は言ってました」

「これはおれの想像だが、もしかしたら〈敵は初めからイスカンダリアの中にいた〉のではないか?」


 もしソロモンの鍵を使わずしてイスカンダリアにシナリオ異界を作り出すとしたら、常識的に考えればイスカンダリアの人間を除いて他にないだろう。


「そんな……でも一体誰が……?」



 同時刻。大灯台内部の天文台。


「……兄さまだったんですね。この事件の首謀者は」


 ステラは修道服の一団に連れられ、クラウディオスが空けた司令用の椅子に座る人物の前へと引き出される。そこにいたのはハルモニア。ステラにとっては血の繋がらない兄であり、時期双角王と目されていた人物である。


「ステラ。お前が無事でよかった」



 ハルモニア直属の兵はジルの戯曲シナリオを免れ、各階層を占拠している。

 彼らが無事なのは、魔女がシナリオ異界へと引き摺り込む対象として〈目の前の二人と街中の登場者キャラクターのみ〉を指定していたからだ。シナリオ異界に一般市民が巻き込まれ、死亡するのを防ぐ為である。

 ハルモニアの兵達は、イスカンダリアの市民によって結成された彼の私兵だった。総勢約二百五十名。一個中隊規模。いずれも戦闘用のシナリオで武装した精鋭部隊だ。

 大灯台内の天文学者達は第一階層に集められ、人質として軟禁状態にされていた。


「貴方達……どうしてこんな事を……!」


 眼鏡を掛けた天文学者の女性が、私兵の顔を見て呻く。彼らは皆、かつて大灯台に所属していた天文学者ばかりであったからだ。

 その中の一人が群衆の奥から、彼女のもとへと歩いてくる。


「お久しぶりですね、室長。私達が演じているのは、この世界の命運を賭けた壮大なシナリオなのです。手荒な真似をして申し訳ありませんが、ここで大人しくしていてもらいますよ」


 ワインレッドの髪と眼鏡の男――二代目双角王と共に死んだ筈のオルガノンが、かつての上司に挨拶をした。


「ご安心ください。誰の命にも危害は加えませんよ。それどころか我々の〈ウロボロス計画〉が完遂された暁には、エヌマエリス全土の人間に〈永遠の幸福〉が約束されるのです」



 天文台ではステラが数名の私兵に見張られながら、先程まで兄が座っていた椅子に座らされている。周囲の機器では私兵達がなんらかの操作を行なっており、大灯台の機能は最早完全に掌握されたと言ってよい。

 彼らに指示を出していたハルモニアは、用が済んだのかステラの下へ戻ってきた。


「乱暴な真似をして悪かったナ。のせいで悠長にもしてられないンだ」


 普段の穏やかな口調で話す兄に対し、ステラは失望と敵意を込めた眼差しを向ける。


「兄さま、どうしてこのような事をしているのです。クーデターなんて起こさなくても、兄さまならいずれ王になれた筈なのに」

「それは違う。オレは王の座が欲しい訳じゃねェ。全てはこの国を守る為に必要な事なンだ」

「王都を滅茶苦茶にしておいて、何が国の為ですか!」


 感情的に叫ぶ弟に、ハルモニアは少し沈痛な顔をする。


「お前の言う通り、王としては失格だろうナ。それでもオレは、お前とこの世界の人間達を守る為ならなンだってする。王族の肩書きだけじゃ何も守れないンだ。ジジイだって結局、何一つ守れなかったじゃねェか」

「さっきから守る守るって……兄さまは僕達を何から守ろうとしてるんですか!」


 興奮に息を荒げるステラを、獣姫は冷静に見つめる。


「決まってるだろ。オレ達のオヤジを殺した海からだよ」


 海の向こうで死んだ父。ステラが船乗りを嫌うようになったきっかけが、再び星角の心に小さな棘となって食い込む。


「忘れた訳じゃないだろ。オレに従っている天文学者達も、海の向こうで大切な人を失った奴らばかりだ。……海の向こうに出れば、死ンだ後も永遠に現世を彷徨い続ける。ソロモンの鍵に囚われた哀れな王達みたいにナ」


 ステラに取り憑いたカール十二世の悲惨な結末。星角は海の向こうの美しい光景と同時に、その恐ろしさも目にしている。流星王の〈故郷に帰りたい〉という悲痛な願いも。


「オレのウロボロス計画が成功すれば、この世界の人間達の魂は全て〈大地と一つになる〉。それはイスカンダルの燈でも切れない、強力な結び付きだ」

「魂が大地と一つに……? そうしたら何が起こるんですか」

「大地はイスカンダルによって封印された竜の魂が眠る骸だ。つまりは〈この世界の魂全体が竜の魂と結び付いて一つになる〉。世界は竜がえがくシナリオとなり、全ての人間達はその登場者キャラクターになるんだ。そうすれば今までと変わらない生活を送りながら、〈誰もが永遠の命を手に入れられる〉」


 かつてイスカンダルが己の魂を矢とし、大地に封印した竜を解き放つ。それがウロボロス計画。


「この世界を統べる王は無力な人間じゃなく、竜であるべきだ。竜が治める世界でなら、人々はもう大切な人を失わずに済む。オレやお前のような思いをする子供が現れる事もなくなる」


 ハルモニアの語った理想は、間違いなくステラとこの世界の人々の幸福を願ってのものだった。それを責める言葉を星角は持ち合わせていない。

 ステラはこの時初めて、王としての理想を持たない自分を恥じた。王としての責務を兄に押し付け、世界を良くする為のシナリオをえがいてこなかった自分が、王としての責務を説くなどなんたるお門違いか。


「……兄さま。どうすれば計画は完遂されるのですか」

「今までに集めた鍵と大灯台の力を使って〈最後の鍵〉を探し出す。ウロボロス計画の実行には、七十二個あるソロモンの鍵を全て揃える必要があるンだ。ソロモンの鍵は本来、〈神殿の建築〉に用いる道具。王の招来やシナリオ異界を構築する力はその副産物に過ぎねェ」


〈悪魔王〉ソロモンの伝説。エヌマエリスに古くから伝わる御伽噺だ。

 今はなきエヌマエリスの亡国で王に選ばれたソロモンは、錬金術キミアの力で七十二体の〈悪魔〉を錬成して神殿を築かせた。

 神殿とは〈地上に神が生まれ、住まう場所〉の事だ。そして竜とは地上に住まう神である。ソロモンはかつてエヌマエリスの創世に使われたとされる〈母なる竜、ティアマト〉の封印を解き、自らがその伴侶となって世界を手に入れようとしたのだという。

 その野望を断ったのがイスカンダル。竜殺しの英雄である。


「〈七十二の鍵を使ってこの世界全体を神殿化〉した後に、〈ティアマトを封印しているイスカンダルの残滓を取り除く〉。そうする事でティアマトは封印から解き放たれ、ウロボロス計画は発動する」


 聡明なステラはここで思い当たる。アリストテレスがプトレマイオス家に〈ソロモンの鍵を見つけて収容せよ〉という任務を残したのは、再びソロモンのような悪しき者が竜の力を解き放つのを防ぐ為なのだと。


「竜の力を手にすれば、世界というシナリオを書き換えるのも望むがままだ。その力を使って、オレが皆の願いを叶える理想の双角王を錬成する。……この手で偽善の双角王イスカンダルを殺してナ」


 星角は最早声を出せなかった。ただ一つ心残りなのは、友人であるアルカの夢を潰す結果になる事だ。だがそれも多くの人々の幸福と天秤に掛ければ、必要な犠牲なのかもしれない。それに竜の力があれば、アルカの夢だって別の形で叶えられる希望があるのだから。


 階下から上がってきた私兵が天文台に入ってくる。


「ハルモニア様。七十一のソロモンの鍵を全て収容完了しました。〈【ソロモンの指輪】の錬成〉をいつでも始められます」

「よし。始めろ」


 機器が作動すると、大灯台頂上部の大鏡から巨大な錬成円が天へと広がっていく。それは本来七十二の文言によって綴られる一つの円環であり、今は最後の一か所だけが欠けていた。

 空を覆う巨大な錬成円からは紅蓮に汚染されたおどろおどろしいエーテルが流れ出し、地上へと降り注ぐ。


「シナリオ異界内で反応を確認。ソロモンの指輪に最後の鍵が共鳴しています」

「大鏡で現場を確認できるか?」

「……捉えました。映像を出力します」


 宙にエーテルで光学スクリーンが展開され、大鏡の捉えた映像が映し出される。

 それは腹を抱えて道の真ん中で蹲るベルの姿だった。そばではアルカが必死に声を掛け、彼の意識を保とうとしている。

 信じられない光景に、ステラは一瞬呼吸が止まった。


「……チッ。まさかあのガキが最後の鍵だったとはナ」

 ――ハルモニアもばつが悪そうに舌打ちをする。

「一個小隊を向かわせて確保しろ。紫の方には手を出すなよ」


 その言葉に思わず星角は立ち上がった。


「兄さま。ベルをどうするおつもりですか」

。そうしないと鍵を回収できないからナ」

 ――はっきりと宣言しながらも、脳内では弟の心痛を慮って説得の言葉を選ぶ。

「あれは生きた人間じゃない。ソロモンの生み出した悪魔に囚われた哀れな魂なンだ。それを解放してやるのは、ケメトの地に生きる人間として正しい行いだろう」


 少し苦しげではあるが、やむなく命を奪うには上出来な理屈と言えるだろう。事実アルカとベルはステラを救う為に、同じ理屈で流星王の命を奪ったのだ。

 幼い彼には最早、正義とはなんなのかを判別する余裕が残されていなかった。


「駄目だ……それだけは……!」

 

 口を衝いた言葉に星角は自分でも驚く。ただ、その意味が何かは自覚している。これはただの自分勝手な我儘だ。

 為すべき正義が無いのなら、友を守るという自己満足の悪を為そう。万人の幸福である筈の永遠の命。歓迎すべき安寧を踏み躙る、醜い怪物となろう。

 例え自分がこの世界に迎合されざる存在へと成り果てようとも。


 ――その思いが、イスカンダルの燈を宿す。


 ステラの身体から立ち昇る黄金の炎に、周囲の私兵達は主への危険を察知する。


「このッ――」


 直ぐそばでステラを見張っていた二人が錬丹術タニツで身体を駆動し、星角を押さえつけようとした刹那。

 黄金の炎の内より現れた強靭な双腕が、彼らの顎を叩き砕いた。


「ガッハハハ! こいつは面白いものが見れたのであーる。甘ったれるばかりのつまらぬ弱輩かと思っていたが、中々どうして王の器ではないか!」


 立ち昇るは白亜に艶めく大熊の毛皮。顔に着けた黄金の仮面は金細工の施された青い牙に飾られ、獲物を食らわんとする熊そのものだ。そして筋骨隆々とした肉体は、この世のいかなる獣をも殴り殺さんばかりに太く逞しい。

 ソロモンの鍵から解き放たれ彷徨う霊へと戻った筈の流星王が、再びステラの背後で腕を組み不敵に破顔する。


「流星王……! どうしてここに!」

「肉体を失った後、貴様をどうにかして呪ってやろうと付き纏っておったのである。そうしたら、貴様が急にイスカンダルの寵愛を受けおったではないか。であれば、我輩の力を貸してやらん事もないと思ってな」

 ――そう告げて、カール十二世は頭上からステラへと顔を迫らせる。

「我輩と契約せよ。力を貸してやる代わりに、ウロボロス計画とやらを阻止して我輩の世界征服を手伝えい!」


「――ふざけンナッ!」


 ハルモニアが絶叫し、拳を振り上げてカール十二世へと飛び掛かる。だが流星王は其方に視線すら向けず、自分に向けられた拳を片手で受け止めた。

 風属性を駆使した驚異の探知能力。そして最強の戦闘民族とも張り合う無双の剛力。味方に付ければこれ程頼もしい男もいない。


「いいだろう。僕を救ってくれた友達の為なら、残りの人生全てをお前の家臣として捧げてやる。代わりに僕を、今宵限りの暴君にする力を寄越せ!」

「その意気や良し! 我輩が小童に最低の王道を教えてやろう!」


 カール十二世は嵐の如く腕を振り回し、獣姫の巨体を宙へと放り投げた。

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