番外編 モニタ〇ング! ~ばれるか、ばれないか~(前編)

「もうすぐナロウィーンですね……」


 家族三人で夕食を取っていると、ぽつりとステラが呟いた。




 長閑な街に移住して、三人で穏やかな暮らしを始めてから一年ほどが経った頃だった。


「ナロウィーン? 王都で開催される平民のための祭りのことですか?」

「あぁ、僕達貴族には縁がない催しものだったから詳しくは知らないけれど、確かに時期としてはもうすぐだね」


 ナロウィーン。先程ルークが言った通り平民のための祭りだ。皆が仮装をして王都中を練り歩くという、全く持って目的が理解できない催しものだ。貴族社会では馬鹿馬鹿しく低俗なものとされているが、一部の物好きな貴族は身分を隠してその祭りに参加しているらしい。僕達は一度も足を運んだことは無いけれど、今になってその話題を持ち出すということは……成程。


「ステラ、もしかして祭りに参加してみたいのかな?」

「えっ、そ、そういうわけではないのですが!」


 ステラは慌てたように首を振るが、その横でルークが口を開く。


「いいのではないですか? あれからもう一年以上も経ったのですから、さすがに殺戮侯爵のことなど皆忘れていますよ」

「で、ですがルークお兄様、祭りは王都で開催されるのですよ? 私達が王都に行くわけには……」


 悲しそうに俯くステラに、僕はにっこりと微笑む。


「ナロウィーンは仮装して参加するんだろう?」


 僕は瞳に期待を滲ませ始めるステラに頷いて見せた。


「仮装すれば、ばれないよ」


 ……多分。




 そして、ついにこの日がやってきた。ナロウィーン祭りが開催される王都に、僕達三人は見事帰還を果たしたのだ。


「すごい人だね」

「こんなに賑わっている王都は初めて見ますね、お兄様」


 僕が辺りを見渡しながら呟けば、僕の隣を歩いている巨大ひよこの中からステラの声が返ってきた。そう、巨大ひよこの中から。


 ステラが着ている着ぐるみは、東方の国々の炭水化物を網羅した、この国一のベストセラー本である『東方澱粉録』の表紙を飾っているひよこだ。このひよこは湯を注いでたった三分で完成する奇跡の麺『チッキーンラーメン』の販売促進のために考案された由緒正しいキャラクターである。彼女がこの仮装をするに至った経緯は、実に単純だ。まず、ステラはこの世の誰よりも愛らしく可憐かつ麗しい女性である。つまり彼女の美貌は如何なる仮装をもってしても隠すことが出来ないと僕は判断した。そこで僕達は深い考察を重ねに重ね、何日にもわたる家族会議の末、全身を覆う着ぐるみで仮装するという案に至ったのである。その着ぐるみが巨大ひよこを模したものになったことについての説明は必要あるまい。この国を代表するキャラクターと言えば、この『チッキーンラーメン』のひよこか、跳躍力に優れた梨汁びっちょーん妖精の二択なのだから。


 その後の展開は早かった。僕達が姿を消す際に持ち出していた侯爵家と伯爵家の資金を惜しみなく使い、国一番の職人に着ぐるみを作るよう依頼したのだ。こうして彼女の全身は着ぐるみで覆われ、ステラの面影は消えた。まさにただの巨大ひよこである。


「すごい人ですが、歩きやすいですね、お兄様」

「皆が僕達を避けて歩いているからね」


 僕の仮装はステラのように目立ったものではない。ただ丸い点が数個開けられた面をかぶり、手に斧を持っているだけだ。言わずともわかるだろうが、この仮装はこの国の義務教育で必ず教わる、十三日の日曜日に西の大陸より黒き船で来航した、斧を携えた伝説の侵略者『ジェイソーンズ』を模したものだ。日曜日に侵略しに来たものだから休日出勤を強いられた騎士の悲劇は涙なしでは語れない。


「……やっぱり、僕の格好に皆引いているのかな」


 ステラより目立たないとはいえ、斧を持った仮装はまずかったのだろうか。『殺戮侯爵』である僕にぴったりだと思ったのだが。しかし、ひよこステラは背後を振り返った。


「いえ、どちらかというとオスカーお兄様ではなく、避けられているのは……」


 僕も後ろを振りむく。

 そこには、髭付き鼻眼鏡がいた。順に説明させてもらおう。


 ルークは破壊的な美貌を誇る美青年である。彼は血筋的には侯爵令息なのだから、当然であろう。

 彼の目立ちすぎる美貌を隠すための仮装として真っ先に思いついたのが、ステラ同様着ぐるみを着てもらうことだった。よって梨汁びっちょーん妖精の着ぐるみを特注で作ってもらい、それで王都に行こうとしたのだが、ここで想定外の問題が起こってしまった。巨大ひよこと巨大妖精の二匹を乗せることが出来る大きさの馬車がなかったのだ。


 僕達は焦った。これでは王都に行けない。どうすればいいのだろう。今からスリムな着ぐるみを製作している時間はない。もはやこれまでか。僕達が深い絶望に突き落とされたその時だった。救いの手が差し伸べられたのは。


 『徹夜で宴会とかやってられないよなー』とぼやきながら通りがかった酒臭い通行人。その手に握られた、宴会御用達鼻髭付き眼鏡。それもただの眼鏡ではない。瓶底ぐるぐる眼鏡である。その下には最低価格に挑戦したのかと思える程出来の悪い大きな鼻がぶら下がっており、さらにその下には水平方向に二十センチ程の細長いひげが伸びている。おまけに、髭の先はくるんと丸まっている。僕達の視線はそれに釘付けとなり――――僕達は走り出した。希望に向かって駆け出した。あれならば、ルークの美貌を台無しにできる。あれさえあれば、王都に行ける。それは希望だった。髭付き鼻眼鏡が、金銀財宝いかなる宝石よりも輝いて見えた。


 こうして僕達は宴会帰りの酔っ払いに追いついて、鼻眼鏡を手に入れた。心優しい通行人は、頭頂に一本だけ毛髪が生えた光り輝くかつらも譲ってくれた。さらには、サスペンダー付きの半ズボンも付けてくれた。こんなにも貰えないと言う僕達に、『この格好で一発芸をさせられた俺の黒歴史抹殺のためにも、是非君達に貰って欲しいんだ』と親指を立てて笑ってくれた。こうして彼の勝負服はルークの手に渡り、僕達は無事王都に辿り着いたのだった。


 以上の経緯を経て、変質者三人が爆誕した。




 僕達は様々な屋台を覗きながらゆっくりと町を練り歩く。周りの人達の仮装は猫耳カチューシャを付けるだけとかシーツを頭から被るだけだとかささやかなものだったから、僕達はかなり注目を浴びていた。けれど僕は特に気にならなかった。人の目を気にしていたら、殺戮侯爵などやっていられなかったからね。


「あぁ、どれも美味しそうですね!」

「この一年で平民の食べ物も慣れたからね」

「良い匂いですね……」


 ふと、ルークがある屋台の前で足を止めた。そこで売られていたのは、大きな骨付き肉だった。貴族の食卓には決して並ぶことがないであろう食べ物だったけれど、僕達の目を引くには十分すぎるほどの存在感を放っていた。僕達三人はその屋台の前で足を止め、顔を見合わせる。僕達の間に、言葉など必要なかった。




 骨付き肉の良い匂いを振りまきながら、王都の混雑した道を三人で歩いた。肉は巨大で値段もそこそこしため購入している人は少なく、周りの人は羨ましそうに骨付き肉を持っているルークを見ていた。勿論、羨望の眼差しを送る人々よりも異質なものを見る人々の方が圧倒的に多かったが。とにかく、僕達は巨大骨付き肉を食べながらのんびりと祭りを楽しんでいた。


 ――――しかし、ついにその時がやってくる。無慈悲にも試練が僕達を襲ったのだった。




「あれは……!」


 前から体を揺らしながら歩いてきた男に、僕は仮面の下で目を見開いた。


 その男は僕よりも若いが、僕の一回りも二回りも大きな体を持っていた。でっぷりとした腹に、肉に埋もれた細い目。しかし何故か、憎めない愛嬌がある。彼は最早仮装することを放棄していたため、一目見ただけで彼だと分かってしまった。そう、直接的な関わりはなかったが、僕は彼のことをよく知っている。


 ランベール伯爵の孫、トム・ランベール。別名、『全てを呑み込む男』。


 彼は社交界に新たな概念を持ち込んだ革新的人物だった。社交界とはその名の通り貴族が集まって社会交流する場のことだ。時にワインを飲み交わし、時に食事をつまみ、時にダンスを踊る。しかし、彼にとっては違う。彼だけは全く別の視点を持っていたのだ。


 彼は社交界のことをこう呼んだ。


 ――――『食べ放題』と。


 彼の手にかかれば、社交界会場は無償で食事が提供される食堂と化す。煌びやかな装飾も、高名な演奏家による音楽も、ドレスを纏った麗しい女性達も、彼にとっては道端に転がる小石のように無価値なものでしかない。全ての男性から麗しの君と呼ばれる社交界随一の美女であるメアリー伯爵令嬢にダンスに誘われた時でさえ、彼は決して食べることをやめなかった。彼は会場に出された全ての食べ物を食らうのだ。とある天体物理学者が『ブラックホールとはトム・ランベールの如くあらゆるものを呑み込む天体のことである』と解説したことが、トムの胃の吸収力を如実に表しているだろう。


 そんな彼がこの祭りに参加しているということは、彼は貴族であれば目にする機会もない平民の屋台の料理を食べに来たに違いない。彼はその目的を隠す様子もなかった。仮装すらせず、その両腕に大量の料理だけを抱えていたのだ。


 爵位が近い関係で僕とトムは直接話しをしたこともあるため、僕と彼は互いに顔を認識している。だが僕達は仮装をしているから、すれ違ってもきっと気付かれることは無いだろう。


 僕はそう高を括っていたのだが……しかし僕は重大な見落としをしていたことに気が付いてしまった。


 そう、ルークの手に握られた、食べかけの骨付き肉。


 その存在に――――。




 僕達の命運を握るであろうその存在を思い出したときには、トムは腹の肉を揺らしながら僕達のすぐそばまで接近していたのだった。




 時間がない。僕はすぐさま背後にいるルークに小さく叫んだ。


「ルーク、今すぐその肉を全て食べるんだ!」

「この量をどう食べきれというのですか、兄上」


 ルークは困ったように言うが、今はそれどころではない。かつて伯爵令嬢であったステラもあの男の存在に気が付いたようだった。


「ルークお兄様、今すぐそのお肉を隠してください!」

「この大きさの肉をどう隠せというのですか、ステラ」

「彼がこの骨付き肉に注目しないはずがないのです! そして彼は間違いなく私達にその肉をどこで手に入れたのか尋ねてくる……私達の正体がばれてしまうのは最早時間の問題なのです!」


 小声ながらも鋭い声で指摘するひよこステラに、鼻眼鏡ルークは雷に打たれたように硬直した。


「そんなまさか、この骨付き肉が俺達の命運を握っているというのですか!」

「まずい、あの男がやってくる……!」


 僕は背筋を震わせた。頬一杯に食べ物を詰め込み咀嚼しながら幸福そうに巨体を揺らすトムは、確実に僕達との距離を縮めていた。僕達が冷静さを失う中、貪欲に食事を求めるその男の足取りが止まることは決してない。


「駄目だ、もう時間がない!」


 この一年で僕の危機意識は鈍ってしまったらしい。あぁ、気づくのが遅かった。しかし骨付き肉を購入してしまったことを悔やむ時間はもう残っていなかった。今僕がすべきことは過去を振り返ることではない。より良い未来のために足掻くことだけが、僕達に残された唯一の道であり希望だった。


「よし、あくまで平然と通り過ぎよう。まるで空気のように存在感を消すんだ」

「このひよこでどう存在感を消せるというのですか、お兄様」

「この鼻眼鏡でどう存在感を消せるというのですか、兄上」


 僕もジェイソーンズの仮装をしていることを少し後悔した。


 けれど思い出すんだ。かつて僕が送っていた、あの狂気に満ちた日々を――――。




 母から身を隠し、ルークとステラが待つ屋根裏部屋へと向かったあの日々を。誰にもばれてはならない、両親にも、屋敷中にいる使用人達にもばれてはならないと息を潜めていた、かつての日々を!


 僕は自らの存在感を消すことで、確かに屋根裏部屋へ辿り着くことができたのだ。勿論あの時の僕は骨付き肉を持ってはいなかった。巨大ひよこも連れていなかったし、鼻眼鏡だってしていなかった。しかし、十五年もの長い年月で培われた経験は、必ず僕の糧となっているはず。己を信じるんだ、オスカー・シェーファー!


 結局僕達は骨付き肉を隠すことなく、堂々とトムとすれ違うことに決めたのだった。




 そしてついにきたる運命の時。


 激しく鼓動する心臓の音が外に聞こえていないものかと焦りながらも、僕はそれを一切表情に出すことなく悠々と歩みを進める。貴族たるもの、表情を取り繕うのはお手の物である。平民となった今でも、それは変わらない。


 ステラは自らの大きな体で、骨付き肉を持ったルークを隠すように前を歩いていた。その堂々たる足取りはかつて屋根裏部屋で泣いていた少女の面影など一切感じさせない。あの時の傷ついた小さな彼女はもうどこにもいないのだ。ここにいるのは、その身で鼻眼鏡を庇う、立派に成長した一匹の巨大ひよこだ。


 僕達とトムの距離は近づいてゆく。少しずつ、少しずつ、その距離は縮んでゆく。僕達の正体は決して知られてはならない。


 想像を絶する緊張の中、僕はごくりと喉を鳴らした。


 ばれるのか、それとも、ばれないのか――――!


 トムの視線がルークへと向かった。如何なる獣よりも発達したその嗅覚が、食欲を刺激する骨付き肉の匂いを捕らえてしまったのだ。ひよこステラの巨体に隠されていたとしても必ず獲物を見つけ出すトムの鋭さには、もはや脱帽するしかなかった。


 もはやこれまでか。僕達が自らの運命を悟った、その時だった。


「大食い大会の開催だ! 飛び入り参加も大歓迎!」


 ――――あぁ、それは天が遣わした使徒の声に違いがなかった。


 トムはその重々しい巨体からは考え付かない程の速さでその首を横にねじった。そこには大きな旗をぱたぱたと振って客を呼んでいる平民の男がいる。その旗には『大食い大会! 参加費無料!』の文字が。トムに選択肢などなかった。彼の視線が大食い大会会場に釘付けになっているその隙に、僕達はすっとその横を通り過ぎる。


 そして目にもとまらぬ速さで大食い大会会場へと吸い込まれていくトムを見送り、僕とルーク、ステラの三人は笑みを浮かべて互いの健闘を讃え合った。


 僕達はこうして試練を乗り越えたのだった。しかし、僕達は予想だにしていなかった。本日最大級の危機がもう間近に迫っていたことを――――。

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