2 家政婦の昔話

 広大な敷地内には、大切なものを収蔵しておく土蔵の他に納屋がある。

 古びた納屋には、庭や花壇の手入れをするための道具が仕舞われていた。熊手、竹ぼうきに大きなチリトリ、剪定鋏、鎌、スコップ、一輪車、積みあげられた園芸用の土や肥料。細々こまごまとした物が入った木箱まで探したけれど、残念ながら目当ての物は見つからない。

 代わりに興味深いものを見つけた。油紙に包まれていた手帳だ。裏表紙に「白井小次郎」とある。この手帳の持ち主が、ミノル君の話に出てきた「コジロウ」かもしれない。他人の手帳を勝手に読むのは気が引けるけれど、ここにミノル君を救うための手がかりがあるかもと思い、ポケットにしまった。


 大木の元へ戻ると、ミノル君は木の枝で地面に落書きをしていた。私が声をかけると、立ちあがり笑顔で迎えてくれる。

「おかえり、おねえさん!」

「……、ごめんね。材料になりそうなもの見つけられなかったよ」

「ふらここ、作れないの……?」

 ミノル君は残念そうに言葉をこぼすと、そのまま霞のように消えてしまった。名前を呼んでも庭中を探しても、結局見つけることができず日が暮れる。



 その日の夜、私はシズヱさんの部屋を訪れた。この家に長く務める家政婦なら幽霊にまつわる話や昔のことも知っているかもしれないと考えたからだ。

 シズヱさんは書きこんでいた帳簿をパタンと閉じて、私に向き合う。「もしかしてホラーやオカルトに興味がおありで?」と聞かれ、私は「まあ、そんなとこ」と適当に誤魔化した。まさか、幽霊が見えるだなんて言えるはずもない。

「なにぶん古い家ですからねぇ、そういう話はいくつかありますよ。例えば、あたしが住まわせていただいてるこの部屋ですけどね、昔、使用人が首吊り自殺をしたらしいですよ。その使用人が化けて出るとか、出ないとか」

 私はおそるおそる部屋を見回してしまった。質素な欄間らんまと、その下に渡された横木。何も見えやしないというのに、この普通の光景すら空恐ろしく思えてくる。

「この仕事、給料や待遇はいいのに、そのせいで辞めてしまう方がいたそうで。あたしは霊感とか全然ないので気にならないんですけどね」

 シズヱさんはあっけらかんと笑う。私は、人死にが出た部屋で平然と寝泊まりをして働く彼女の度胸に畏怖の念を抱いた。

「ほ、他には?」

「深夜に門戸を叩く女の幽霊、というのもあります。何度も何度も、しつこく押しかけてくるそうで。でも戸を開けると誰もいないんですよ。女の幽霊はか細い声で何か求めているらしいですが、あたしは聞いたことがないので何とも言えませんね」

 それからもシズヱさんの話は続いた。段数の変わる階段、夜中ひとりでに動き出す武者人形、窓につく手形、林へ誘う声、写真立てのポルターガイスト。ミノル君に関係があるのか、ないのかもわからない。

 私は、率直に聞いてみることにした。

「子どもの幽霊とかは?」

 心当たりがないのか、シズヱさんは少し考えこみ、ややあって閃く。

「そういえば、秋一しゅういちさんにも同じこと聞かれましたね」

「志穂ちゃんのお父さんが?」

 子どもの幽霊がミノル君とは限らない。けれども、二年前に亡くなった伯父も、ミノル君と何らかの関わりを持っていた可能性がある?

 食い気味に「他にも何か聞いてない?」と尋ねると、シズヱさんは少し圧されながら「他には、特になにも」と言う。そして思い出すように視線を斜めに彷徨わせると、「でも……」と続けた。

「思い返してみると少し妙ではありますね……。秋一さんはホラーやオカルトには全く興味のない方でしたから」

「そのときのこと、もっと思い出して! それを聞かれたのはいつ?」

「たしか、亡くなる少し前に」

 伯父は五十代という若さで亡くなった。病気を患っていたわけでもなければ、交通事故にあったわけでもない。もしも、伯父の死にも関連があるとするならば……、というオカルト的な思考に支配される。

「伯父さんて、この家の二階で亡くなったんだよね」

「ええ、居間棟の二階で……」

 私の催促するような眼差しに、シズヱさんは少し答えづらそうにしていたが、やがてぽつりぽつりと語りだした。

「千恵ちゃんも聞いているとは思いますけど、突然の呼吸器不全で。健康には問題なかったはずなんです。持病もありませんでしたし。本当に突然だったんです。毒物なんかも疑われましたけど、何も検出されなかったと警察から聞いています。そもそも、いったい誰がそんなことをするというんです。奥様とも娘の志穂さんとも仲良く、大旦那さまも安心して家を任せられると仰っていました。私だって動機がありません。ここでの給料や待遇に不満はありませんし、ご家族の皆さまにもよくしてもらってるんです」



 ひとしきり話を聞き終え、私は今夜泊まる座敷棟に戻ってきた。

 ミノル君、幽霊、そして幽霊のことを尋ねた伯父。いったい何の関係があるのだろう。ただの偶然かもしれないし、私の思い違いかもしれない。それでも私は知りたくて、読書灯の明かりを頼りに「白井小次郎」の手帳を開いた。

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