妖魔の幸福 ―ゼロ― ~悪役令嬢の恋愛指南~

ふぁる

第1話 断罪イベントなのですわ

「というわけで、ヒュルケ・ペルカ・サルメライネン。貴方との婚約は破棄です!!」


 いきなりやってまいりました断罪イベント。ヒュルケ・ペルカ・サルメライネン公爵令嬢はたった今、王国の第一王子アレクシス・ニコ・シェスカヴェルタから婚約破棄を言い渡され、愕然とした。


 アレクシスの側にはおろおろとわざとらしく不安げにしている小娘が居り、ヒュルケに向かってこっそりと『ざまぁ!』とでも言わんばかりに、唇の端を持ち上げて笑いかけている。


 ヒュルケはぷるぷると握りしめた拳を悔し気に震わせた。


「一体どういった理由で婚約破棄されるんですの!?」

「貴方の様に人を傷つける思いやりの無い女性は、この先の国母として相応しく無いからです!!」


 ヒュルケの問いかけにきっぱりと言い放ったアレクシスの影で小娘が失笑しており、ヒュルケは悔しさのあまりバスン!! と頭の上から湯気を上げた。


——まあ、確かに突然現れた妙な小娘の靴に、ここではとてもではないけれど言えないような『アレ』や『ソレ』を入れたりだとか、太い眉を『毛虫』呼ばわりしたり、髪の毛に引っ付き虫をいくつも絡ませたりだとか、ダンスパーティー中に手が滑ったフリをしてワインをぶちまけたり、飼い犬をけしかけてお尻を噛ませてやったり、ドレスを引き裂いたり、後ろから蹴りを入れたりもしましたけれども?


 そんなことくらいで婚約を破棄されるだなんて、あんまりですわっ!!


「却下ですわ!」


憤然としてアレクシスにそう言い放つと、ヒュルケは人差し指をビシリと突き付けた。いくらヒュルケがこの国を救った戦争の英雄、サルメライネン公爵家の令嬢であるとはいえ、あまりにも不敬である。


「きゃ……却下は却下だ!」


アレクシスがわなわなと震えながらそう言い返すと、ヒュルケはムッとして更に言い返した。


「却下を却下するのは却下ですわ!!」

「な、なに!? では却下を却下するのは却下しても却下だっ!!」

「いいえっ!! 却下を却下……むぐっ!!」


 ヒュルケの口が突然背後から抑えられた。長身の執事がすまし顔で、暗殺者さながらに素早くあるじのこれ以上の失態を防がんと行動に出たのだ。

 執事の名はエルディ・アロ・アフリマン。その出生は謎に包まれ、見た目こそ二十代前半であろうとは予測できるものの、実年齢や出身、いつからヒュルケの住むサルメライネン公爵家に仕えているのかすら明らかではない。


「えるひぃ、ふごふふはい!(エルディ、離しなさい)」

「お嬢様、しゃべらないでください。手袋が汚れます」


 エルディはさらりと言い放つと、アレクシスや周囲の者達に会釈をした。


「婚約破棄につきましては承りました。が、私から公爵様にお伝えすることは難しいかと存じます故、正式には公爵様宛てに書面にてお送り頂けますでしょうか。では、殿下。失礼致します」

「う、うむ……」


つらつらと言葉を述べるエルディの様子に呆気に取られながらもアレクシスが頷くと、エルディはヒュルケを連れてそそくさと王城を後にした。



◇◇◇◇



 公爵邸に帰ったヒュルケは、部屋に閉じこもり熊の様に獰猛どうもう極まりない声を上げて泣き続けた。あまりにも恐ろしい泣き声であったため、公爵家の使用人達はすっかりと怯え、誰もヒュルケの部屋へと近づかなかった。

 それもそのはず、ヒュルケの性格上、不用意に慰めようとしようものなら即刻解雇になりかねないからだ。今まで彼女の我儘や気まぐれで何人の使用人が解雇されたことか知れない。皆常に腫物を触るかの如く……いや、まるで猛獣を相手にするかの如く距離を置き、出来る限りヒュルケの側には近寄らない様にしているのだ。


——それだというのに……


 バン!! と、ヒュルケの部屋の扉が開かれて、革靴の音を響かせながらエルディが颯爽と踏み込んだ。


「なによっ!! 入って来ないでっ!!」


怒鳴り声と共に枕が飛んできて、エルディは僅かに首を動かしてそれをかわすと、すまし顔で交換したばかりの手袋の裾をくっと引っ張った。


「お嬢様、いい加減泣き止んでください。迷惑です」


さらりと言い放ったエルディの言葉を聞き、ヒュルケはボロボロと涙を零すと、再び熊のような泣き声を上げた。


「だって私、婚約破棄されちゃったんですものっ!! 貴方なんかにこの辛い気持ちが分かるはずがありませんわっ!!」

「ええまあ、さっぱり分かりません」


エルディは更にヒュルケの部屋の中へと足を踏み入れると、閉め切っている窓を次々と開け始めた。ふわりと清々しい風が舞い込み、ヒュルケの輝く様な金髪をさらさらと靡かせる。

 ヒュルケの外見はというと、惚れ惚れする程の美しさだ。神秘的なシーグリーンの瞳に、透き通る様な白い肌。ほんのりと色づく桜色の唇に、すっと通った鼻筋。絹糸の様に艶やかな金髪に、しなやかに伸びた四肢。そして洗練された女性らしい体躯。正に非の打ちどころのない美しさだった。


 しかしその美しさが霞む程、狂暴で思いやりのない性格の持ち主であるわけだが……。


「気分がスッキリするお茶でも淹れましょう」

「飲みたくないわ! 窓を閉めてちょうだいっ! 貴方も出て行って!」

「そのご要望にはお応えできかねます」


ヒュルケはもう一つある枕をエルディ目掛けて投げつけると、金切り声を発した。


「一介の使用人風情が私に刃向かう事は許さなくてよ!? 貴方の代わりなんていくらでもいるということを解っていて!?」

「私の代わりなんて居ません。お嬢様の相手は骨が折れます。誰が好き好んで従事するとお思いですか? それに、そのような性格だからこそフラれるのでしょう」


エルディの指摘にヒュルケは顔を真っ赤にすると、ぎゅっと顔を顰めた後、表情を崩して子供の様に泣き出した。


「そんな酷い言い方、あんまりですわぁ――――ッ!! 私、アレクシス王子に好かれていると思っていましたのにぃ!!」


思う存分泣き喚くヒュルケの側で、エルディは両耳を塞いでスンとした顔をしていた。そしてそろそろ泣くのも疲れてきたという頃に、ポツリと言い放った。


「……ふむ。本当にご傷心の様ですね」

「当たりまえでしょう!? 失恋したのですものっ!!」

「それは素晴らしい!」


エルディの突然の言葉に、ヒュルケは眉を顰めた。


「私が悲しんでいるというのに、素晴らしいですって!?」

「はい。それはもう」


エルディがパチンと指を鳴らすと、開け放たれた窓や扉が一斉に閉じ、ヒュルケは呆気に取られてエルディを見つめた。


「魔法……!?」

「ええまあ」


エルディがくるりとステップを踏んで回転すると、執事のお仕着せ姿から一変して深い藍色のマントを羽織った姿となった。彼の灰色の髪や銀色の瞳によく似合い、妖艶ともいえる妙な色気を漂わせている。


「どういう事なの!? 貴方、魔法使いなの!?」

「いえ、正確には魔法使いではありませんが、『そのようなもの』であることは確かですね」


サラリと答えたエルディをまじまじと見つめながら、ヒュルケは成程と思った。年齢も出生も不祥である不審極まりない男が、こうして難なく公爵家の執事を担っているということを、今まで疑問にすら思わなかった。それはつまり彼の魔法の成せる技なのだろう。

 一体何の目的で公爵家に潜り込んだのだろうか……。

 ヒュルケは唇を噛み、警戒心露わにエルディを睨みつけた。ヒュルケの父であるサルメライネン公爵は『英雄』と称される程に、先の戦にて多大なる戦績を収めた騎士だ。その血を受け継いだヒュルケにも、武芸の才覚がある。最も、公爵は愛娘が剣の道に進む事を良しとせず、剣に触れる事すら許さなかったわけだが。


 警戒するヒュルケの前で、エルディは何食わぬ顔を向けて言葉を吐いた。


「さて、お嬢様。私にお教えくださいませんか? 『恋愛』とは何なのか」

「……は?」


思ってもみないエルディの質問に、ヒュルケはキョトンとしながら「どうして? 私に解るわけが無いじゃない」と小首を傾げて見せた。


「お嬢様、失恋をしてあれほど泣いていらっしゃったでしょう?」

「泣いていたけれど、私に『恋愛』を教えろとはどういう意味ですの?」

「アレクシス王子をお慕いしていたのでは?」

「ええ、そうよっ!!」


ヒュルケはベッドの上で憤然と立ち上がると、「愛しておりましたわっ!!」と、声高らかに宣言した。まるで挑戦状を叩きつけるかのような勢いである。

 エルディはつまらなそうにヒュルケを見つめた後、ソファへと腰かけて、背もたれに肩肘を乗せた。


「では、私に教えてください。『恋愛』とは何なのか」

「だからどうして私が貴方に教えてあげなくちゃならないのかしら?」

「私に掛けられた封印を解く為です」


エルディは忌々しそうに片眉を顰め、溜息を洩らした。


「ある者から封印の術を掛けられまして。それ以来、本来の力が発揮できずにいるのです。封印を解くには、愛を知る必要が有り、それは家族愛などといったものでは無く、男女感で起こる感情。即ち『恋愛』とは何かを知る必要があるのだとか。勿論、タダでとは言いません。私の封印が解けた暁には、お嬢様に報酬をお支払いします」


つらつらと言葉を発するエルディを、ヒュルケは小首を傾げて見つめた。


「報酬って、何かしら? サルメライネン公爵家が大富豪であることは貴方も知っているはずですわよね?」


エルディは頷くと、ふわりと指で空中に模様を描いて見せた。丸いガラス玉のようなものが空中に現れて、アレクシス王子の姿が投影された。


「私の魔法は万能ですから、お嬢様の望む物を何でも手に入れて差し上げましょう。『人の心』もお望みの通りにできますよ」

「何でも……?」

「ええ、勿論です」


 ヒュルケはごくりと息を呑んだ。


 失恋したての彼女が、王子の心を欲するのは当然の道理である。エルディは交渉が成立したことを予測し、ふっと僅かに笑みを浮かべた。

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