第42話 ブライダルメイクの依頼が来ました

「魔女様、ヒマリ様、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」


 勇者を追い出したルナは、申し訳なさそうに陽葵ひまりとティナに頭を下げた。


「いえいえ、構いませんよ! それより私たちへの依頼って何でしょうか?」


 本題を切り出すと、ルナは一瞬だけ言葉に詰まらせる。二人から注目されていることに気付くと、おずおずと話を続けた。


「実は私、先ほどの勇者ネロと結婚することになりまして……」


 沈黙が走る。無言のまま、陽葵とティナは顔を見合わせた。


 結婚。聖女様はそう言ったのか? 先ほどのチャラ勇者と?

 理解が追い付かないまま、二人は深刻そうな顔でルナに詰め寄った。


「正気か?」

「何か弱みでも握られてるんですか?」


 本気で心配する二人を前にして、ルナは焦ったようにブンブンと両手を振った。


「そういうわけではありません。私は私の意思で、ネロとの結婚を決めたのです」

「ええー……」


 俄かに信じがたいが、ルナが嘘をついているようには見えない。無理やり結婚を迫られているわけではなさそうだ。


 陽葵の目にはチャラ勇者としか映らなかったが、ルナから見たらまた違った一面があるのかもしれない。お互いが納得して結婚を決めたのなら、外野が言うことは一つだ。


「おめでとうございます」

「ありがとうございます。……なんだかすごく複雑そうな顔をされていますが」

「お気になさらず」


 あのチャラ勇者と結婚しても苦労するだけなんじゃ……聖女様にはもっといい人がいそうなのに……という心の声が顔に出てしまったようだ。陽葵もまだまだ修行が足りない。


「それで依頼というのが、私達の結婚式についてなのですが」

「結婚式?」

「ええ、20日後に町の教会で結婚式を挙げることになっているんです」


 異世界の結婚式というのは少し興味がある。もとの世界のようにバージンロードを歩いたり、誓いのキスをしたりするのだろうか?


 陽葵が妄想を膨らませていると、ルナは依頼の詳細を明かした。


「結婚式には一番綺麗な姿で臨みたいと思っているのです。なので、お力を貸していただきたくて」


 そこまで聞くと、陽葵はピンときた。


「それって、ブライダルメイクを依頼したいということですか?」

「ぶらいだるめいく? 何でしょう、それは」

「結婚式のためにお化粧をすることです。ウエディングドレスはとても華やかなので、普段のお顔だとドレス負けしてしまうんです。だからドレスに負けないようにお顔も華やかにするんです」


 10歳年上のお姉ちゃんが結婚式を挙げた時も、華やかなブライダルメイクを施していた。その時の仕上がりがうっとりするほど綺麗だったのを覚えている。


 陽葵の説明で納得したのか、ルナは大きく頷いた。


「そうですね。ドレスに負けないくらい華やかにしていただきたいです」

「分かりました! せっかくの晴れ舞台ですからね。綺麗な姿で臨みたいという気持ちは分かります」


 陽葵はグッと拳を握って意気込む。結婚式という晴れ舞台でメイクを任せてもらえたのは嬉しかった。これは失敗するわけにはいかない。


 陽葵が気合を入れていると、ルナはどこか恥ずかしそうに視線を彷徨わせながら話を続ける。


「晴れ舞台だから綺麗にしたいというのもあるんですが、それだけじゃなくて……」

「ん? どういうことです?」


 陽葵がこくりと首を傾げながら尋ねると、ルナは頬を赤らめながら事情を明かした。


「ネロには私だけを見てほしいんです。ほかの女性に目移りしないくらい綺麗になって、堂々と彼の隣に立ちたいんです」


 ぱちぱちと瞬きする陽葵。隣に視線を送ると、ティナも似たような反応をしていた。


「詳しくお話を聞かせてもらっても良いですか?」


 陽葵が促すと、ルナは俯き加減で話を続けた。


「お二人もご承知のように、ネロは無類の女好きです。旅の中でも立ち寄った村々で女性を口説いていました。その数は両手を使っても数えきれません」

「うわぁ……なんか想像できます」


 陽葵はゾゾゾっと両腕を抱えながら想像する。あのチャラ勇者だったらやりかねない。


「聖女様がいながら他の女性にも手を出すなんて最低ですね」


 つい思ったことを正直に口にしてしまう。陽葵の辛辣な言葉を聞いたルナは、気まずそうな顔をしながら静かに首を振った。


「最低というのは言い過ぎですよ。この国では重婚が認められているので、何人もの女性を口説くことは咎められるものではありません。それに初代勇者の血を引く家系では、より多くの子孫を残すべきという考えが根付いていますからね。ネロ自身も多くの女性に言い寄ることに罪悪感は持っていないのでしょう」


「合法でハーレムを作れるってことですか? とんでもない世界だ」


 やはりこの世界は、もとの世界とは価値観が違うらしい。もとの世界の常識に当てはめて考えようとすること自体が無意味なのだろう。


 とはいえ、一夫一妻が基本の日本で育った陽葵には、ハーレムを作るという感覚はあまり理解できない。この世界の女性の価値観を知るためにも、ティナに意見を求めてみた。


「ティナちゃんはハーレムってどう思う?」


「なんで私に話を振る? 私は結婚なんてするつもりはないぞ」


「もしするとしたらの話だよ。一対一で愛を育みたいか、ハーレムの一員に加わりたいか、ティナちゃんだったらどっちを選ぶ?」


「そうだなぁ……。一人からの愛を一手に引き受けるのは荷が重いから、ハーレムの方が気楽でいいかもな。いつもベタベタされるのは鬱陶しいし」


「なるほど、そういう考えもあるのかぁ……」


 ティナがハーレム賛成派なのは意外だった。だけど言いたいことはちょっとだけ分かる。


 この世界の女性はハーレムに寛容なのかもしれないと納得しかけたが、ルナは真逆の考えを持っていた。


「私はハーレムなんて絶対嫌です。ネロが他の女性を口説いている姿を見ると、嫉妬で狂いそうになります」


 なるほど。この世界の女性たちの間でも結婚に対する考え方は違うらしい。みんながみんなハーレムを受け入れられるわけではなさそうだ。


 ルナは力なく笑いながら話を続ける。


「こんなのは我儘ですよね。一人の男性を自分だけのものにしたいだなんて……」


 そう話すルナは、とても悲しそうに見えた。テーブルの上に置かれた拳は、僅かに震えている。その姿を見た途端、陽葵は椅子から立ち上がってルナの肩に手を添えた。


「我儘なんかじゃありません。ルナさんはそれほどまでにチャラ勇者……いえ、ネロさんを愛しているということですから」

「ヒマリさん……」


 ルナの青い瞳にじわっと涙が滲む。涙が零れ落ちる前に、ルナは慌ててハンカチで目元を覆った。


 こんな美しい聖女様を泣かせるなんて、あのチャラ勇者はとんだ馬鹿野郎だ。他の女性を口説く前に、まずは目の前の女性を幸せにしたらどうなんだ。陽葵はネロへの憤りを感じていた。


 ルナは涙を拭った後、意思の籠った瞳で真っすぐ陽葵を見つめる。


「結婚式では、ネロに一番綺麗な姿を見てもらいたいんです。そうすれば、ほかの女性に目移りをせず、私だけを見てくれるかもしれないので」


 そこでようやくルナの真意が伝わった。


 大好きな人に振り向いてもらうために綺麗になりたい。それも化粧品の持つ役割のひとつだ。その願いを叶えてあげたい。


 ルナの思いを知った陽葵は、やる気が漲ってきた。胸の内でメラメラと炎が燃え上がる。


「ブライダルメイク、お引き受けします! とびきり綺麗になって、チャラ勇者をあっと驚かせてやりましょう」


 ティナに視線を送ると、うんと小さく頷いていた。これはGOサインだろう。


 二人が引き受けてくれると知ったルナは、再び花が綻んだような愛らしい笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます。ヒマリ様、魔女様!」


 その笑顔にキュンとしてしまう。こんな愛らしい笑顔を間近で見られる立場でありながら、ほかの女性を口説く勇者はどうかしている。勇者への憤りも陽葵のエネルギーに変わった。


「最っ高に綺麗な状態で結婚式に送り出しますね! 打倒、勇者です!」


 拳を突き上げて叫ぶ陽葵を見て、ティナは冷静にツッコミを入れた。


「いやそれ、お前が魔王みたいになってるぞ」

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