不完全令嬢の運命劇①

 あの悪夢から目覚めた私はベッドの上に寝かされておりました。


 とても深く寝た所為か、疲れが取れたような取れていないような不思議な感覚が身体中にまとわりついているようで、大変に心地が良い。


「……ここは……?」


 上半身だけ起こし、軽く屈伸して寝ている間に凝った身体をほぐしながら、私はベッドの周りの状況を確認してみる限り、どうもここは病院ではなさそうです。


 というのも、ベッドの周りには医療器具らしきものは見受けられませんし、漂う空気が病室のそれではありません。


 以前、病院にお世話になった時はもっと辛気臭いような、消毒液臭いような雰囲気があったのですが、この部屋からそういう雰囲気は感じられないのです。


 ……しかし、それはそれとしてあまりにも暗すぎるのではないでしょうか?


 窓から日光が射していない為なのか、部屋の中はまるで夜のように真っ暗。

 それにこの微妙の疲労感は、まるで昼寝をしたと思ったら夜遅くに目を覚ましてしまったようなあの感覚で――。


「……編入試験は!? そうですわ、編入試験は……!?」


 勢い余ってベッドから飛び降りて……こういう時、本能的に行動したら痛みで身体が動かせないというのがお約束でしょうに、不思議とそういう痛みはなかったことに違和感を覚えてしまった。


 どうして痛みが無いのがおかしいと思ったのか。なぜ怪我をしているはずだと思い込んでいたのか。


 そこまで考えて、私はつい先ほどまで車に轢かれて死にそうになっていたことを思い出したのです。

 

 ……まさか、夢? 

 あの昼の出来事は全て夢だったのだろうか。


 ……それとも、現実?

 あの昼の出来事は全て現実で、私は見ず知らずの誰かに命を救われたのだろうか。


「お姉様!? あぁお姉様!? お姉様がお目覚めになられたァァァアアア!!!」 


「――!?」


 私は自分の目を疑いました。

 だって、そんな事はありえません。

 私は状況確認の為にこの部屋をぐるりと見まわした筈です。


 見ず知らずの場所であったから、いつもよりも警戒して状況を確認した筈なのですが――だというのに、私はこの少女を見落としてしまったのです。


 そう、この少女はというのに、私は彼女の存在に気が付くことが出来なかったのです。


「……貴女、は……?」


 少女は黒髪だった。

 夜闇の中だというのに、彼女の黒髪はきらきらと輝いていた。

 顔立ちは整っているが、特に目立つ美人という訳でもないし、身のこなしが洗練されている訳でもありません。


 ……不思議な存在感がありました。


 目を離せない。

 いや、目を離そうという考えすらも忘れて釘付けにされてしまう圧があるのです。

 

 だというのに、目を離してしまえば今にも消えてしまいそうな儚さをどことなく感じさせますので、意識を彼女に向けざるを得ないのです。


 そんな存在感を放っておきながら、彼女には目立とうとせずに自然体であろうとしておりまして――だから、私は見逃した。


 常日頃から人にどう見られ、どう見せるかを意識しているこの私に存在を確認させなかった程の実力。


 彼女は間違いなくこちら側……演劇をする側の人間。それもプロレベルの実力者でしょう。


 ……いえ、そんなことはどうだっていいです。

 というのも、彼女はあまりにも、私が夢の中に出てくるあの少女……もう1人の私に余りにも瓜二つで――。


「……誰……?」


「あぁ! 落ち着いて! 焦ることはありませんよ! えぇと! その! お姉様に! お話が! あります! 話しても! 宜しいでしょうか!」


「……あ、あの。まずは貴女が落ち着かれては……?」


「あ、はい、そうですよね、落ち着きます」


 お姉様という独特な呼ばれ方をされてしまって面食らいましたが、それはそれとして今は目の前の彼女は人に話を聞かせるのが巧いなと私は舌を巻かざるを得ませんでした。


 というのも、声が良い。

 声は明瞭で聞きやすく、響きやすく、日常でも非日常のどちらでも通用する類の声。 


 間違いなく、人前で声を発する側の職業の人間の声。

 それが彼女の声でした。


「どうか落ち着いて。落ち着いて聞いてください。お姉様は私が乗っていた車に轢かれそうになったというショックと身体的疲労が重なった影響か意識を失いました」


 なるほど。

 どうも私は車に轢かれそうになりましたが、間一髪のところで助かったらしいとの事でした。

 

 先ほどから私の事をお姉様とかいう奇妙な呼称で呼んでいることから、私が意識を手放す前に聞いた声は彼女のものだったのかもしれません。


「お姉様が気になることはたった1つ。お姉様が受ける筈だった編入試験はどうなったのかということですね?」


「えぇ。そうですわ」


「結論から言いますと……お姉様が今こうして目覚めたのは編入試験が終わった後です。お姉様は編入試験を受けられませんでした」


「──えぇ!? じゃあ編入試験を受けられなかった私はこれからどうなるんですの……!? 無職になるんですの……!? 留年してしまうのですか……!?」

 

 私が……?

 この元名優たるこの京歌・エークルンドが……?

 スウェーデン語に英語、日本語の3言語を操るこの京歌・エークルンドが……留年? 


 え? 留年? 

 マジですの? 


 クソ映画を見た所為で睡眠不足になって、熱中症になりかけたことによる判断能力の低下によって交通事故に遭いかけて人様に迷惑をかけた挙句、気絶したなんていう馬鹿げた理由で?


「嫌ですわそんなクソみたいな経歴――ッ⁉」


「不味い! 責任感とプライドが強く真面目な性格をなさっているお姉様が予定外のことをしでかしたことによる痙攣……! 解釈通りです! 100点です! ありがとうございます……ッ!」


 私がこれからどうすればいいのかを必死になって考えているというのに、目の前の少女は満面の笑みを浮かべながら、私に向かって何度も頭の上げ下げを繰り返しておりました。


 何なら、嬉し泣きでもしているのか彼女は涙を零してすらおります。


「と言いますか、そういう貴女は誰なんですの!?」


「私はお姉様の妹です!」


「はぁ⁉ 知りませんわよ、こんな妹!?」


「えぇ!? 忘れてしまったのですか!? この私を……!?」


 そんな酷いとでも言いたげな表情をして見せる彼女に対して、反射的に謝罪してしまいそうになりますが、本当に私はこの少女の事を知らないのです。


 いや、いつもの夢の中に出てくる少女の事は知ってはいますが、あれは夢の中での話でありまして、現実世界の話ではないのです。


「覚えていないのですか!? 毎日毎日! この日本から! こんなド田舎の延岡から! 1文字1文字丁寧にお姉様への思いを込めて! 精魂込めて書き上げて! お姉様がいらっしゃるスウェーデンに手紙を送っていたではありませんか……!」


「え……!?」


 彼女の言葉に対して、思わず嬉しくなってしまう自分が心の中の隅に確かに存在しておりました。


 というのも、私は送られてきたファンレター全てに目を通す主義なのです。


 観客からの応援で演技の質を上げようとするモチベーションに繋がりますし、自分の演技が観客に届いたということが形になっているのがとても嬉しく、送られてきたファンレターはどんな言語でも自力で翻訳しながら読み解いてきました。


 ですが、流石に書いた人の気持ちは分かっても、書いた人間の顔は分からないというのが手紙でございます。


 そんな手紙を書いてくれた彼女に心底申し訳ない気持ちを抱きながら、私は彼女に質問を投げかけてみる事に致しました。


「えっと……手紙には貴女の名前を書いていましたか? 名前が分かればすぐに思い出せるのですが……」


「名前!? 私なんかの!? はぁ⁉ そんな汚いものを書くわけないでしょう!? お姉様への思いだけを書き込んだ手紙に私の名前を入れることで台無しにする訳がないでしょう!?」


「……えっと、その、名前はこの世に産まれてきてから始めて頂く大切なものですわ。そんな態度は貴女のご両親に失礼ですわよ?」


「そうですね! 流石お姉様! じゃあ舌を嚙み切って死んで詫びますね!」


「前言撤回ですわ! 親から最初に頂くものは生命でしたわ! ですからご両親から頂いた命を粗末に扱うんじゃありませんわよ――ッッッ!?」


 私の事をお姉様と崇め奉る少女は、自分の名前を汚物のように取り扱い、自分の命すらも軽々しく取り扱うヤベー女でした。


 本当に彼女はご自分の舌を嚙み切ろうとしたので、演技の練習でなんだかんだで習得した羽交い締めを実践し、彼女の自殺を寸前で止めてみる。


 少女は見た目と雰囲気に反して、かなりのアグレッシブでした。 

 いえ、確かに演劇をやっているとこういう役者の1人や2人はおりますが、流石にこんなのを相手にしておりますと、たった数分の出来事であるというのにどっと疲れが出てしまうので極力相手にはしたくはないのです。


 それにしても、彼女の筋肉はとても良い。

 バレエでもやっていたのか、繊細で綺麗な動きをする為の筋肉。

 細身に見えるがしっかりと筋肉がついておりますし、筋肉の付き方もバランスが宜しいのです。


 太り過ぎず、やせ過ぎず、均整が取れている。

 おかげ様で抑え込むのに一苦労なのですが。


「やめてください、お姉様! こうして推しに羽交い締めされると嬉しくて死んでしまいますよ!?」


「じゃあ、どうしろと言うんですの!?」


「とりあえず、このままの状態のままで生活してみませんか!?」


「お断りですわよ!? といいますか、そのままでは死ぬのでしょう!?」


「終わりのない生命なんてこれまでにあったでしょうか!?」


「極論言う前に命を大事にしてくださいませんこと!?」 


 そんなやり取りをしていたからでしょうか

 そう言えば、私が演劇をしていた時に毎日のように届いていたあの手紙の事を思い出したのです。


「……まさか、あの手紙は……」


「あぁ! ようやく思いだしてくれましたかお姉様⁉」


「……忘れる訳もありません。えぇ、本当に……あんなクソみたいな手紙を忘れられる訳がありません……本ッ当に……!」


 私はそう呟きながら、あの手紙の事を思い出しました――。

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