不完全令嬢の悲劇

「クソみたいに熱いですわ――⁉ 何ですのこの宮崎とかいうド田舎は⁉ わたくしを殺す気ですの⁉ このクソ田舎⁉」


 そう叫ばないと、とてもやっていけません。


 故郷のスウェーデンの太陽と違って、宮崎県延岡市の真夏の太陽は肌刺すような暑さは油断したら一気に意識が持っていかれそうになってしまいそうですし、何回も立った劇場のステージの照明になんとなく似ている所為なのか、どこか懐かしい気持ちになってしまうのです。


 演劇を辞めた私にとっては、忌々しい事この上ありませんが。


「あぁもうッ! なんですの⁉ このセミとかいう虫の声⁉ 聞くだけで私の体温がバカみたいに上がるのですが⁉ 私を熱中症にさせて殺す気ですの⁉」


 どこかで小耳に挟んだ話ではありますが、セミの声というものは大抵の外国人には脳が騒音と捉えるらしく、日本人やその他少数の民族には綺麗な音と認識するらしいですが、それでもうるさい事はうるさいとしか言いようがないのです。


 その声はまるで劇場での歓声を思わせて、非常に腹の虫が煮えくり返るとでも申しましょうか。


 私は一応スウェーデン人という括りではあるのだが、10年前に死んだ日本人の母の血が入っているからなのか、セミの声が騒音であるとはとても思うどころか、どこか遠い昔で聞いたような、懐かしいような、泣いてしまいそうな悲しい音色だなぁと思うのが実のところ。


「……要はこれ、結婚したい結婚したいと道端で叫んでいるのと同じなのですわよね……虚しいですわ……そんなに目立って何になると言うのです……」


 セミ達のこの声は言ってしまえば生命を削る行動そのもので、彼らは運命的な出会いを求めてセミ達は必死になって鳴く。


 しかし、そこまでしても運命と出会えなかった彼らに待っているのは死という悲しい現実でしかありません。


 酷暑の中で生命を使い果たして、人や車が行きかう道路の上に落下し、手足を天に向けてもがき苦しんで、彼らは死んでいく。


 それはとても悲しい感情だと思うし、万人に共感出来る感情で、利用できる感情――ではなく。


 今の私はそれどころではないのだ。


「不味いですわ……。日本語の勉強と称してゲームやアニメにマンガと映画を観過ぎたツケが回ってきましたわ――ッ⁉」


 スウェーデンの首都ストックホルムから日本の宮崎県に存在する延岡市に引っ越してきて数日が経過し、この日8月1日は私が在籍することになっている桔梗学園で編入試験を受ける予定となっておりました。


 そういう、予定、だった筈なのですが。


「ですが……! あれはレビューがいけないのですわ……! だって、悪魔男並みのクソ映画だって言うから覚悟を決めて視聴しましたのに、実際はあのクソ映画の足元にも及ばなかったのですもの……! 怒りのあまり、クソサメ映画を3本見なかったらやってられなかったですし……!」


 映画のようなゴミを4つほど見た代償として、今の私は試験前だというのにすごい寝不足に悩まされているのが現状でございます。


 眠いとはいえ、寝てしまえば編入試験を受けることが出来ません。


 仮に寝てしまえば、私の学生生活は終わってしまうし、そもそもこんな数分立っているだけで汗が滝のように流れてしまうような熱いところで気絶したように寝てしまえば熱中症になって死んでしまうことは想像に難くはないでしょう。


 視界の隅がぼやけているのは睡眠不足によるふらつきも関係しているに違いありませんし、身体中が眠気と熱気で包み込まれて、睡眠不足と水分不足で今にも意識を手放してしまいそうなこの不思議な感覚は生きているうちにそう何回も味わえるものではないでしょう。


 これも恐らく演劇業に使える経験で――。


「――ではなく! 演劇はもうやらないと死んだお母様の墓前で誓ったでしょう⁉ 京歌・エークルンドッ⁉ あぁ、もう! こうして独り言を言わないと今にも瞼を閉じてしまいますわね……⁉ これも全部この宮崎とかいうド田舎の所為ですわ!」


 一応、言い訳をさせて頂きますと演劇をしていた為か、ついつい独り言が勝手に出てしまう気持ち悪い体質になってしまった訳ですが、これも一種の職業病というモノなのでしょうか。


 本当に、本当に……気持ちが悪い。


「……うぅ、自分の声が響くせいか、頭が凄く痛いですわね……」


 今の状態のままで入学前の挨拶をしに学校に行くのはまだしも、頭を使う編入試験を受けるだなんて普通に考えてもありえません。


 日本アニメや日本マンガのクイズなら常識ですし、一般教養なので、余裕で満点は取れるのは難しくはありません。


 ですが、何が嬉しくて学業の勉強をしなくてはならないのでしょうか。


 日本に留学するためにある程度は日本語を習得してきましたが、その代償と言うべきか本来やるべき学業は壊滅的なのです、私。


 そもそも、幼い頃から子役として活動している私に仕事と勉強の両立などを要求しないで頂きませんでしょうか。


「……ようやく演劇をしなくて良いんです……そう、ようやく……! 演劇をしなくて、良い……! そう! 私はこのド田舎でスローライフを送ってやるのですわ……!」


 幼い頃に死に別れた日本人の母の母校に行ってみたいと父に泣き落とし――の演技をしたまでは、まぁ良いでしょう。


 日本語を学ぶため――という名目でテレビやアニメの字幕で日本語の発音を覚え、マンガで読み書きを覚えるついでに娯楽に耽り、二次創作や怪文書制作で日本語を上手に操れるようなり、匿名掲示板で血が流れないコミュニケーションをとれるようになったので、今のところ日本語でこれといった支障はありません。


「ですが……! 学校で習うような勉強は別……! というか仕事で忙しくて出来ませんでしたわ……。そもそも時差ボケで思うような生活を送れなかったのが一番の敗因でしたわね……」


 因みに、スウェーデンと日本にはなんと8時間もの時差がございます。

 正確に言えば、日本はスウェーデンよりも約8時間ぐらい早く進んでおります。


 スウェーデンの国際空港からいくつか乗り継いで、やっと日本の国際空港に辿り着いて、そこから九州地方の南のほうにある宮崎県にある宮崎空港に向かい、1日の半分以上を移動に費やしたので長旅の疲れが溜まりに溜まっておりまして、冗談抜きに死んでしまいそうになってしまうのです。


 私は面倒な事に人に囲まれては眠れない体質というやつで、移動中に勉強していたので充分に眠れておらず、時差ボケによる生活リズムの乱れによって今の私は絶不調中の絶不調。


 そんな状況で市役所に赴いたり、一人暮らしをするための準備をしたりで忙しくて、枕も変わってしまったので質の良い睡眠をとることが出来ていない状態でもある訳でして、学力試験があるので何度か勉強していたら頭が段々と冴えるし、夜も熱いし、そもそも時差に慣れていないので寝ようと思っても寝ることができない日々が何度も続きました。


 結論から言うと、私は強制的に3日ぐらい徹夜をしてしまった訳なのです。 


「……これも全部クソみたいなド田舎が全部悪いですわ……!」


 これはもう荒療治に頼るしかないとクソ映画を見ることで強制的に意識を手放そうとしたのだが、演者のクソ演技と監督のクソ采配のせいで眠気が消え去りました。死ねですわ。


 実際、昨日見てしまった映像を思い出しただけでも頭の中が段々と白い霧で覆われて――。


「――はっ!? 今のは危なかったですわね。完全に思考が途切れておりましたわね……」


 ここの気温はとんでもないほどに高い。


 流石に東京に比べればそこまで暑くはないと言えども、日光の強さが段違いな気がします。


 このままこの日光を浴び続けていれば、性格が陽気になる前に干からびて死んでしまいそうですし、そもそも、スウェーデンは北極に近い国なので夏と呼べる季節がとても短く、スウェーデン人である私には暑さに対する免疫がないので、何なら今すぐにも冷房が効いた空間に逃げ出したいのが本音でございます。


「そうですわ。であれば、タクシーに乗ればいいではありませんか……! そうですわ、そうしましょう! 何をとち狂ってこんな真夏の昼に徒歩で登校しようとしているのでしょうか、私!」


 そう口にして、私は走行中のタクシーを目で探す。

 幸い、演劇の仕事をしていたので蓄えにはまだまだ余裕があるのです。


 今日は学校に行くため少ないですが、手持ちの財布には1万札とか言うお札が10枚ほどありますので、恐らく乗れるとは思う……のですが。


「……あれ? タクシー少なすぎではありません? と言いますか、普通車が多すぎませんこと? おかしいですわね。東京でしたら1分に10台ぐらいはタクシーを見かけますのに……」


 そう言えば、ここは日本の首都である東京ではなくクソド田舎の宮崎県延岡市だったことを思い出しました、クソですわ。


 成人している住人の大半が車を所有していると言っても過言ではなく、車が無ければ生活すらもままならない地方都市であることが関係しているのか、それともただ単に時間帯が悪いのか、全くと言ってよいほどタクシーがやってこないのです。本当クソですわ、仕事しろですわ。


「……そうですわ。スマホでタクシーを呼べば……」


 そう思って荷物からスマホを取り出そうとして。


「……そう言えば、スマホの持ち込みは禁止でしたわ……」


 私が今から編入する時代遅れのような校則のことを思い出しました。

 正直言って、学校にスマホを持ち込めないだなんて時代遅れにもほどがあるというものです、クソ。本当にクソ。今時スマホの持ち込みが出来ないだなんて前時代的にも程がありましてよ、クソですわクソ。


 実際問題、スマホを学校に持ち込まないでどう休み時間を過ごせと言うのでしょう。


 現役の頃は学校の休み時間を有効に使うべく演劇の台本を持ち込みたかったのですが、それはそれで色々と面倒くさい問題を起こしてしまいますので、スウェーデンにいた頃はとにかく話しかけられないように空気になることに徹しておりました。


 無論、影を薄くする訓練は演劇でも使えたので学校内で完全にマスター致しました。流石は天才と名高い私。


 自慢ではありませんが、おかげ様で私には学友というものが存在しません。流石は名優と褒め称えられた私。

 

 そう、そんな私がこんなド田舎に苦しめられるだなんてあってはならないのです。


「えぇ、そう。私は京歌・エークルンド。いかなる時も華麗に突破口を見つけてきた才女の中の才女、超才女です超才女」


 舞台の上で起こったハプニングなんて何度も何回も乗り越えて参りました。

 クソ共演者が本番中に台詞を忘れやがったとか、カス共演者が本番中に小道具を壊しやがったとか、ゴミ共演者が本番に遅刻をしでかしやがったとか──。


 それらを何度も華麗に乗り越えてきた自信が私にございます。

 道行く人たちの奇妙なモノでも見るような視線が突き刺さるような感覚がして、とても居心地が悪い気分になりますが頑張って無視し、何とかこのどん詰まりの現状を解決する手立てを考えて。


「……そう。そうですわ。ならば使えばいいではありませんか……! 電話ボックスを……!」


 我ながら、なんとナイスアイデアでしょうか。


 タクシーを見つけられないのなら、タクシーを呼べばいい。

 スマホがないのなら、電話ボックスを使えばいい。

 あまりにも常識すぎて、その発想が思いつきませんでした。


「……ふっ。日本語のことわざで言うのなら、灯台下暗し……でしょうか」


 私はそう呟きながら近くの電話ボックスの中に駆け込んだ。

 ドアを開けるだけでとんでもない熱気が外に放出されて、思わず立ち眩みしてしまいそうになりましたが、何とか持ち超えた私は慣れない電話ボックスの中を入り込む。


 ここでお金を投入して、電話番号を入力して、タクシーの送迎をお願いする。

 なんて完璧なプラン。そんなプランを考えついた自分に思わずほくそ笑んでしまいます。

 

 では、早速電話ボックスにお札を入れて――。


「お札を入れる場所がありませんわ! そもそも、日本のタクシー会社の電話番号が分かりませんわ――⁉ クソですわこのクソ電話ボックス――⁉」


 どうしましょう。

 普通にどうしましょう。

 こんなことなら、マンションからタクシーを呼べば良かったです。


 どうして、登校初日ぐらいは徒歩で登校してみようかしらと思いやがりましたのでしょうか、私。


 そもそも、こうしている間にも編入試験の時間は刻一刻と迫っているではありませんか。


「えぇい! もうこうなれば破れかぶれですわ! 日光が突き刺さる前に走れば熱中症にはなりませんわ!」


 タクシーを使わないことを決断した私は電話ボックスから出て走り出し、編入する手筈になっている桔梗学園へと向かうことに致しました。


 海の様に青くなっている信号を渡って、一刻も早く試験を受けなければ――。











 ――車の警告音が辺り一面に響き渡る。











 真夏の昼の静寂を、セミの声を切り裂くように、ドラマや劇場で使われるような甲高い警告音が私の鼓膜を突き刺す。


 視界が白くぼやけていたのにその音を聞いた瞬間、一瞬にして視界が鮮明になっていく。


「……え……?」


 私が青と認識していた信号の色は、血のように真っ赤でした。

 その事実を認めると、日常生活ではまず聞かないような地面をこするような音が耳の中に響きまわって、思わず耳を塞ぎたくなるけれど、身体が動かない。


 その音が鳴り響いた方向に視線を向けると、そこには黒色の高級車が突っ込んできておりました。


 ――死。


 恐怖を通り越して、変えようのない事実を叩きつけられて茫然としてしまう感覚。

 時間の流れが緩やかになって、自然と穏やかな気分になってしまうくせに不思議と身体だけが動かせない不思議な感覚。


 もっと生きていたかったのになぁ、という諦めに近い感情を覚えた……いや、思い出した。


 ……不思議なことに、私はどうにもこの感情をどこかで味わっているそうです。


 ですが、それを思い出せない。


 こんな感情は演劇にとても使えるだろうに、私はこの感情を覚えていなかったらしいのです。


 しかし、そうこうしている間にも止まり切れない車体が私目がけて襲い掛かってくる。 


 ……あぁ、まだ答えが出ていない。思い出せていない。


 せめてこの感情がどこの記録だったのかを思い出してから死にたいのに、神はそんなことすらも許してくれないのでしょうか。 


「――Det ar Satan


 そう私は人生に愚痴って、静かに目を閉じて仕方なく死を受け入れた。


 そもそも、演劇を止めてから私は死んだように生きてきました。

 演劇は人生だった。楽しかった。それがいつの間にか苦痛と化していた。

 だから、もう死んでも別に構わない。


 ……私の役割じんせいは無価値だった。


 偶々演技の才能があって、その才能があまりにも異端過ぎて、その才能で多くの同業者を傷つけて、多くの人生を台無しにして、多くの夢を踏みつぶして、自分すらも不幸にして……それだけの役割でした。


 だから、こんなクソみたいな配役なんて降りて、さっさとクソみたいな人生という幕を降ろして楽になった方がいいのです。


 どうせ私という演者を求める酔狂な観客など、もうこの世には存在しないのですから。


「……お母様。今、そちらに向かいます……」


 瞼を閉じて、意識に蓋をして、今生に別れを告げ、亡き母を心に思い浮かべて、静かに死を受け入れようとしたそんな矢先。


「――お姉様ッ!」


 そんな事を言う誰かの声が、私を今にも殺そうとする車の音を、私の内なる声を、私の限界寸前の意識をかき消したような気がした。

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