第3話 彼方から来たカナタ③

「記憶喪失、か」


「厄介な事になってきたねー…… 確認したいんだけど、どこまで覚えてないの? 自分が何しようとしてたとか、あと自分の名前って分かる? 」


「名前は……カナタ」


 若干不安げに少女が答えた。


「カナタちゃん。良い名前だね。カッコいい」


 プロミが笑ってカナタの頭を撫でた。

 カナタは恥ずかしがりながらも満更でも無い様子だった。


「じゃあ、倒れる前に何をしてたのかってのは、どこまで覚えてる? 」


「それは…… 」


 カナタが口をへの字に曲げ考え込む。


「おつかい…… 」


「え? 」


「たぶんだけど、おつかいに向かってた……気がする」


「「お使い? 」」


 予想の斜め上から来た少女の答えに、プロミと顔を見合わせる。

 この子の倒れていた周囲の足跡からして、この子は私たちが来た方向に向かっていたはずだ。

 だが、あの方向に子供の足で辿り着けるような街は無い。

 カバン1つ持たないこの子にとっては間違いなく自殺行為だ。


「誰に何を頼まれたかは? 」


「わかんない」


 力なくカナタが首を横に振る。

 その後もいくつか質問をしてみるが、どうやらカナタは自分の名前と“お使い”の存在以外全くと言っていいほど記憶がないようだった。

 プロミが腕を組み、眉間に皺を寄せて唸る。なかなかにお手上げの状況だ。


 即座解決は不可能と言っていいだろう。

 記憶が戻る事に一縷の望みをかけて、各地をめぐってみるか……? いや、そんなことをしたところで、記憶が完全に消えてしまっているのでは意味が……


「……そういえば、さっき図鑑を読んだことがある風な事を言っていたが、それについては覚えているのか? 」


「たしかに! なんでだろう……どこで読んだんだっけ」


 カナタが考え込む。

 思い出せない記憶も完全に消えた訳ではないのか?

 ならば、自分にゆかりの深い物や場所をみる事ができれば、存外、回復も難しくはないのかも知れない。

 もっとも、この子1人ではその前にどこかで野垂れ死ぬのがオチなのは明白だった。


「どうする、プロミ」


「そうだね…… 」


 プロミがあごに親指を当て少し考える。

 だが、10秒ほどもすると考えが決まったのか、うん、と小さく呟いた。


「ねぇ、カナタちゃん」


 ゆっくりとプロミがカナタを背中から地面へと下ろし、正面から向き合った。

 プロミがゴーグルを上へとずらす。


「私たちに君をお家まで届けさせてくれないかな? 」


「えっ……でも、そこまでしてもらったらめいわくじゃ…… 」


 プロミが穏やかに笑い、カナタの髪を優しく撫でる。


「私の旅の目的はね。出来るだけ多くの人を道中どうちゅうで助ける事なんだ」


「人をたすける? 」


「そう」


「なんでそんなこと…… 」


「理由なんて無いよ。でも、強いて言うなら……ちょっとした反抗期みたいなものかな」


 夢を語る子供のように、期待と夢を孕んだ口調でプロミが答える。


「こんな灰の世界で、人同士でお互いに争って、憎んで、奪い合って、それで滅んでいくなんて悲しいでしょ? だから、私は最後までこの世界で人間でいたいって思ったんだ」


「……人間でいるってどういうこと? 」


「人にお節介かいて、馬鹿なことをして、いっぱい笑って、夢を語って、恋をして、美味しいものを食べて、腰が曲がったおばあちゃんになるまで生きること。少なくとも私はそう思ってる」


 プロミの内で沸る炎が、言葉の導火線を伝いカナタへと静かに引火していく。

 あの日と同じように。プロミの熱が他者の心にまで火を付けていくのが分かった。


「世界が変わらなくたって、滅びを免れなかったって良いんだ。これは私の、この世界へのちっちゃな反抗なんだよ。だから、これは私からのお願いなんだ。カナタちゃんに、私のワガママに付き合ってほしい。……いいかな? 」


「……うん! 」


 今度は、勢い良くカナタが頷く。

 カナタに負い目を感じさせないようにするための嘘ではない。これは全てプロミの本音だ。


 人が聞けば笑うのかも知れない。

 それでも世界への、無意味で、ちっぽけな叛逆はんぎゃくのために、プロミは命を賭けて人を救う旅を続けている。そして、馬鹿なことだと呆れるのに、そんなプロミに私はどうしようもなく惹かれてしまうのだ。


「……それで、家まで返すと言ってもどうするつもりだ? 手掛かりはこの子の着てる服ぐらいのものだぞ」


 ふふん、と自信ありげにプロミが鼻を鳴らした。


「大丈夫だよ。カナタちゃん割とすぐ記憶が戻るみたいだから。ひとまずどこかカナタちゃんの知ってる場所に行って、そこで思い出した事があれば次はそこに向かって行こう…… 」


 プロミが喋りながら、再び先ほどのように、両手に着けていた分厚いグローブを外していく。

 屈み込み、灰の地面に手を当てた。


「——ともしび—— 」


 プロミが小さく呟く。

 直後。プロミの瞳孔どうこうで火花が弾けて。

 灰の大地が鼓動こどうするように一度揺れて。

 そして、


「——きれい」


 右前方で規則正しく一列に上がった無数の火柱に、目を、奪われた。大きく膨れ上がった単調な赤やオレンジの炎では無い。真紅しんくの、緑青ろくしょうの、紫紺しこんの。膨大な色相しきそうの炎が、まるで水飴のように絡み合い、ねじれ合い、寄り合い、1つ1つの火柱を練り上げている。


 極色ごくしょくの火柱に魅惚みとれる私達を横目に、プロミは懐からおもむろに、錆びついたコンパスを取り出した。


「カナタちゃんは東の方から来たみたいだね。思いの炎が消える前に早く行かないと……よいしょっと」


「ふゅわ⁉︎ 」


 プロミがカナタを再び背負って、火柱の方へと歩き出す。


「ね、ねぇプロミさん。これ……どうやって出したの? わたし、こんなのはじめて見た…… 」


 視線を向かう先の火柱に向けたまま、カナタが尋ねる。


「私の生まれつきの……特技みたいな物でね。私は7種類の、喰炎くらいびっていう特殊な炎を出せるんだよ。それぞれ燃やせる物が限定されてて、物質だけとか、記憶だけとか、概念とか…………これは感情を燃やす炎、ともしび


 グローブを口で付け直しながら、プロミが先程までの楽しそうな表情を消して、どこか寂しげに言った。

 人にの話をする時、プロミはいつもこの顔をする。


「昔は私みたいな人も沢山いたらしいんだけどね。ほとんどの人は世界を燃やしちゃった時に一緒に灰になっちゃったらしいから」


「世界を……燃やす……? 」


 カナタが困惑する。

 ふふ、と小さくプロミが微笑ほほえんだ。


「カナタちゃん。何でこの世界は灰で覆われてるのか……動物や植物は図鑑の中にしかいないのか、知ってる? 」


 プロミが前を向いたままカナタに問いかける。

 カナタが、うーんとうなった。


「知らない、と思う。わすれちゃってるのかもしれないけど…… 」


「そっか…… 」


 プロミは誤魔化すようにまた寂しげに笑った。

 火柱のすぐ横に着き、プロミが足を止める。

 火柱は小さな灰の地面のくぼみから噴き出していた。近づいても一切の熱を感じない炎に、少し妙な感覚を覚える。


「この火柱は、カナタちゃんが歩いてきた足跡に宿った感情を燃料に燃えてるから。この火柱に沿って歩けばカナタちゃんの足跡を辿れるよ」


「……なんであつくないんだろ」

 

 カナタが火柱に手をかざして首を傾げる。

 

喰炎くらいびは私が指定したものだけを燃やすんだ。それ以外の物には熱を与えないからこんな事をしても平気なんだよっと」


 プロミが手を勢いよく火柱に突き刺す。

 だが暑がる素振りすらなく、10秒ほど手を炙ると平然と手を引き抜いた。プロミが手についた煤を払う。


「ね? 」


「びっ、びっくりした…… 」


 プロミが手を突っ込んだ瞬間に固まったカナタが、胸を撫で下ろした。


「あはは、ごめんごめん。でもだから安心して良いよ。さっきも、カナタちゃんの中のちょっとした物を燃やしたし」


「へぇー、そうなんだ……えっ⁈ 」


 自分も火柱を弄っていたカナタが仰天してプロミの顔を見上げる。


「も、もしかして。わたしにも火をつけたの……? 」

 

「さー! 急ごう! 食料が無くなる前に次の街に着かないとね! 」


 カナタの質問を完全に聞こえなかった事にしてプロミが歩く速度を少し上げる。その目は驚くほど完璧に泳いでいた。

 

「後7日以内に次の街に辿り着けなければ餓死、か。本当に綱渡りな事になって来たな」


「えっ、そうなの⁈ 」


 自分が燃やされていた事実を知り目を丸くしていたカナタが、驚いて余計に目を見開く。戦々恐々とするカナタを見てプロミが苦笑いした。


「大丈夫大丈夫。ナチャのことだから、それ若干大袈裟に言ってるでしょ」


「バレていたか」


「ふふっ。多分後8、9日ぐらいは待つだろうから、それまでにはきっと着くよ」


「ほ、ほんとに……? 」


「ほんとほんと。3人で街を回るの楽しみだな〜」


「そうだな」


「まち? 」


「あ、街っていうのは3種類あってね。まず灰街かいがいっていうのが—— 」


 カナタに色々と教えてあげたくて堪らないのか、プロミが意気揚々いきようようと話し始める。

 それに純粋に驚くカナタの横顔を見ながら、私はまた、この先にあるのが燃える命である事を祈り、少し目を閉じることにした。



 

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