第15話「異変」

それはいつも通り仕事に追われている時だった。


「松本さん、お届け物です」

「あ、はいはい、ありがとう」


新人、篠崎が差し出した大きな封筒を受け取り、杏里は差出人を確認する。会社宛てに送られて来たという事は仕事に関する何かなのだろうと思ったのだが、最近の仕事で何か送られてくるような事があったかと考えてみても思い付かない。

差出人も書かれておらず、見れば分かるかと思いひとまず開けてみる事にした。


しっかりと糊付けされた封筒を開き、中を覗き込む。入っていたのはブライダル誌のようだ。


「…何だこれ」


どれだけ考えてみても、ブライダル誌を送られるような仕事はしていない。今携わっている仕事にブライダル関係のものはないし、過去にも関わっていないのだ。

引っ張り出してパラパラと眺めてみるが、ドレス綺麗だなと思ってもそれ以上の感想も出てこない。


「杏里、どうかした?」

「んー…今篠崎ちゃんがお届け物ですって渡してくれたんだよね」


隣のデスクから声をかけてきたゆかりは、杏里が手にしている雑誌を見て目をぱちくりと瞬かせる。


「ブライダル誌じゃん。うち関係無くない?」


仕事もプライベートもブライダル関係には縁遠い。まさか親から期待を込めて送られたのではと考えたが、それならば自宅に送ってくる筈だし、差出人の欄にきちんと名前を書く筈だ。


「間違いかもね。どうしようかなこれ…」

「送り返したら?」

「差出人不明」

「そんな事ある?」

「あったんだよ」


封筒をゆかりに見せたが、何度見ても差出人は分からない。雑誌の他に何か入っていないか確認してみても、何も入っていなかった。


「婚約破棄したばっかりの女にこんなもの送ってくるとか…相手は性格悪いな」


げえと舌を出したゆかりは、「押し花でも作る?」と冗談を言って笑う。

今は興味の無い雑誌に目を通すより、仕事に打ち込みたい。新しい連載企画を出して、今度こそ企画を通したいのだ。


一週間着回しコーデ企画にするか、それともメイン一着で数パターンの着回し企画にするか迷っている。どのファッション誌でもやっているような企画だが、自分なりにオリジナリティを持たせたい。


健斗も仕事を頑張っている。それなら自分も負けずに頑張りたい。お泊りデートをしたばかりだが、浮かれてばかりではなくきちんと仕事をしたかった。


「あ、推しコーデ特集とかどうかな」

「急に降りて来たね」

「ほら、今推し活って皆やってるじゃん?ジャンルごとに推し活コーデのおすすめとかさあ…」


頭に浮かんだだけのものだが、杏里はゆかりに向かってぽんぽんと言葉を放ち続ける。

アイドルグループのファンならば、コンサートの時にこんなコーディネートはどうか、さり気なく推しカラーをあしらったコーディネート…等々、毎回少しずつテイストを変えて連載してはどうかと目を輝かせる。


「ふぁんでみっくもメンバーカラーとか、モチーフあるでしょ?」

「あるね。私の推しは青」

「ガッツリ青だとベースカラーによっては合う合わないあるけど、ベースカラー別に分けたら少なくとも四パターンだよ!」


四人のモデルが並ぶだけで華やかな画になるだろう。人気のアーティストやグループを絡めれば、コラボ企画なども出来るかもしれない。通るかは分からないが、出すだけ出してみようと思った。


「やっぱり私の仕事は推しにかかっている…」

「因みにユキのイメージカラーって?」

「カラーは白、モチーフは雪の結晶。サインは雪だるま」

「流石ぁ…」


スラスラと言葉が出るのは流石オタクといったところだろう。上手くいけば、アーティスト本人が着ていた服をそのままモデルに着せる事も出来るかもしれない。そこまで上手くいくかは分からないが、誰にでも好きな芸能人はいるだろうし、三次元の推しだけでなく二次元の推しも絡める事が出来れば、企画の幅は広がりそうだ。


「まあでも…許可取り大変そうだよね。勝手にアーティストとかアイドルの名前出すのは色々問題あるし」

「そうなんだよねぇ…まあでも誰とは言わないけど推しのメンバーカラーが何色の人向け!とかで誤魔化そう」


思い付いたのなら早速データにしようと、杏里は誰から送られて来たのか分からないブライダル誌を放り出し、パソコンに向かう。

この企画が通ったら、健斗に報告して沢山褒めてもらおう。ユキとしてまた一緒に仕事が出来たら、その時は企画の立案者として顔を合わせるかもしれない。


そうなったら、どんな顔をすれば良いのだろう。恋人同士である事は隠しておきたいが、健斗はすぐ顔に出るから難しそうだとか、どうでも良い事を頭の片隅で考えた。


◆◆◆


「山内さんー!助けてくださいー!」

「どうした篠崎ちゃんー!」


ブライダル誌が送られて来た翌日、いつも通り半泣きの篠崎がゆかりに助けを求める。

今度は何をしたのだと二人のやり取りを横目で見る杏里は、自分も話に巻き込まれているとは思っていなかった。


「い、今外出から戻ったんですけど!外に変な人がいるんです!」

「は?不審者?大丈夫、何も無かった?」


半泣きになっている篠崎が言うに、会社の前で見知らぬ男が誰かを待っているように見えたらしい。

誰に用事なのかも分からないし、そもそもうちの会社の人を待っているのかも分からないから声をかけなかったと篠崎は言うのだが、続いた言葉にゆかりと杏里は小さな悲鳴を上げた。


「社員証を鞄から出したら、私の事超ガン見してきて…!」

「怖い!え、それだけ?声かけられたりしなかったの?!」

「無言で見てくるだけなんですけど、それが余計怖くて…」

「ちょ…それ私たちじゃなくて男性社員に報告したほうが良いよ。砂川さん!」


困ったら砂川に助けを求めると刷り込まれている杏里は、少し離れたデスクで仕事をしている砂川を呼んだ。

どうしたんだとすぐに来てくれた砂川は、女性三人が集まっている事に何かあったのだとすぐに勘付き、眉間に皺を寄せる。


「何かあったのか」

「玄関前に不審者が…篠崎さんが戻ってくる時じっと見られていたようで…」

「何だと…大丈夫か、何もされていないか?」

「ガン見されただけです…」

「ちょっと見てくる」


ここにいろと言って、砂川は小走りでオフィスを出て行った。窓から見下ろせば見えるのではと、三人は恐る恐る窓に近付いたが、残念ながら玄関前は見えなかった。


「怖いね…篠崎ちゃん、その人本当に知らない人?」

「知らないですよ!仕事以外で男の人と関わるってなると、買い物してレジやってくれる店員さんくらいですし…」


怯えている篠崎の肩を、杏里とゆかりは優しくぽんぽんと摩る。暫く夜道には気を付けた方が良いだろうとゆかりが小さく呟くと、篠崎は「今日も遅くなりそうなんです…」と今にも泣きそうな顔をした。


「誰かに迎えに来てもらったり…ちょっとお金かかるけどタクシー使うとか?」

「あ、彼に迎えに来てもらえないか相談してみます」

「良いなぁ彼氏持ち」

「ゆかり、あんまり言うとセクハラになるからね」


気を付けろと視線を向けた杏里に、ゆかりは「気を付けまーす」と笑った。篠崎は少し落ち着いたようで、二人のやり取りに口元を綻ばせている。


「誰もいなかったぞ。逃げたかな…」


戻って来た砂川が三人の元へ来ると、やれやれと溜息を吐いた。


「すみません、大騒ぎして…ちょっと見られただけなのに」

「いや、何があるか分からない世の中だからな。怖いと思ったのなら、すぐ教えてくれた方が良いよ」

「多分気のせいだったんですよ!もしかしたら待ち合わせしている誰かと私が似ていたとか…」


まだ少し怖いようだが、篠崎は自分に言い聞かせるようにブツブツと呟き続ける。

気持ちが悪いと思う出来事だっただろうが、正直そこまで大騒ぎするような事では無いのかもしれない。


ただ、昨日大きく報道されたストーカー殺人事件のニュースが頭をよぎってしまう。


無いと思いたいが、もしかしたら篠崎のストーカーなのではなんて考えてしまう。

タイミングが悪かっただけだと小さく頭を振り、杏里は篠崎の背中をぽんぽんと撫でた。


◆◆◆


仕事を終え、何とか終電に乗り込むことが出来たと安堵するのは、社会人になって何度目だろう。

小さく息を吐き、まばらな乗客たちに紛れ、杏里はいつものようにスマホを弄る。


SNSは今日も皆好きなようにあれこれ呟き、ああ皆元気だなと口元を綻ばせた。杏里と同じくユキのファンであるフォロワーは、今日も今日とてユキの造形が素晴らしいとうっとりしているし、他のフォロワーは彼氏がどうだとか、子供がどうだとか、思い思いに呟くTLを眺めるのは最早日課だった。


『スタバ行きました』


健斗の投稿を見つけ、何と無しに眺めていると、スタバと言いつつラーメンの写真をアップしている。摂取カロリーは確かに同じくらいなのだろうが、まだそのネタをやっているのかと少し呆れた。


『脂多めのフラぺですね』


ささっとリプライを送ると、すぐさまメッセージアプリの通知が届く。ケンケン宛にリプライをしたのだから、そちらに反応してくれても良いじゃないかと思いはしたが、開いたアプリに「お疲れ様!」とだけ届いているのを見ると何だか胸が温かくなった気がした。


『まだ電車?』

『そうだよー。終電乗れました!』

『社畜お疲れ様でーす。気を付けて帰るんだよ』


やりとりはいつも通りぽんぽんと続く。それが心地よくて、杏里は適当なスタンプを交えながら会話を楽しんだ。

暇な電車内の時間も、健斗とやり取りをしているとあっという間に過ぎ去り、静かに止まった電車は杏里の家の最寄り駅に到着している。


『今最寄り着いたわ。歩きまぁす』


冷たい風に肩を竦めながら、いつもの駅構内を歩いて改札を出た。家までの十五分程の道のりを歩き、家に着いたらお風呂に入って、ご飯を食べて寝なくては…なんて考えているのだが、正直何も考えずにすぐさま寝たい。

一日中パソコンの前で作業をしたり、走り回ったりと大忙しだったのだ。


手に握りしめたままのスマホがぶるぶると震える。電話が来たのだと気付き、杏里は何も考えずにその電話に出た。


「もしもし?」

『もしもーし。今日寒くない?』

「寒いよー。こたつ欲しい」


電話の向こうから聞こえる健斗の声。きっと帰りが遅くなり、夜道の一人歩きが心配になって電話をしてくれたのだろう。

暫く仕事が忙しくて会えないと言われているし、会えなくても想ってくれているのだと思うと何だか嬉しかった。


「健斗さん今何してるの?」

『あまりにも仕事が進まなくて、世界の全てを呪ってた』

「陰の者じゃんこわ…」


近所迷惑にならない程度の声量で話しながら、杏里は少し急ぎ足で自宅を目指す。

夜風が冷たくて早く帰りたいというのもそうだが、先日恐ろしい事件のニュースを見てから何となく怖くなっていたのだ。

篠崎が不審者だと騒いでから三日程経っているが、あれから特に変わった事は何も起きていない。このまま何事も無く日常が過ぎ去れば良いと思っているのだが、何となく夜道を歩きながら後ろを振り返ってしまう事は増えた。


「…ん?」

『どした?』

「や…私と同じく社会の歯車が歩いてるような気がしたんだけど」

『何それ?住宅街通るんでしょ?住民じゃないの?』

「そうだと思う…」


口ではそう言ったが、普段この時間に帰宅となると、駅から家まで誰にも会わずに帰る事が多い。

時々後ろから追い抜かれる事はあっても、今のように足音がしても姿が見えないなんて事はない筈だ。


考えすぎ、きっと篠崎の一件で警戒しているだけ。自分にそう言い聞かせて再び歩き出したのだが、先程聞こえた気がした足音は、もう聞こえなかった。


◆◆◆


「絶対に何かおかしいと思うんだよね」

『何が?』

「私にユキのライブチケットがご用意されない件ですよ。どう思います?」


電話をしたまま帰宅し、杏里は風呂の前に簡単な食事を用意する。スピーカーに切り替え、会話をしながら作業しているのだが、ライブがあるよと言われてからずっとこの調子なのだ。


「こんなに好きなのに…ユキと同じ空間で同じ酸素を吸いたい。ていうかユキが吐き出した二酸化炭素を吸って生きたい」

『超怖いんですけど…』

「多分ユキの呼気からはマイナスイオン出てると思うんだよねぇ」

『出てねぇから!』

「健斗さんにユキの何が分かるっていうのさ!」

『俺だもん!』


ぎゃあぎゃあと騒いでいる杏里に付き合ってくれる健斗は優しい恋人だと思う。

顔が見えないのを良い事に、ユキへの愛を思う存分語っているのだが、やっぱり杏里は健斗がユキである事を忘れている。

ふとした瞬間に「ユキだ」と思い出す事はあっても、基本的に杏里と一緒にいる時は健斗のままなのだ。


「もう見たくないよ…残念ですがの文字。喜べ!席があるぞ!って文字を見たい」

『席があったとしてもそのフランクさは無いと思う…』

「フランクさは無くても良いから、席はあってほしい…」


ぶつくさと文句を言ったところで仕方が無い事は分かっているのだが、ユキが人気になってから一度もチケット当選していない事を考えるとぶつくさ言いたくはなる。


「自名義が弱いのか…?」

『それ関係あるのか分かんないけど考えるよね。名義強い人助けてってなる』

「分かってくれるか同士…」

『昔好きだったアイドルのコンサートチケット毎回惨敗してたからね。その度に全てを呪う!って喚いてた』


けらけらと笑う健斗の声を聞きながら、杏里は出来上がった食事を器に盛り、小さなテーブルに置いた。

以前と比べて作る量は少なくなったし、一度作れば食べきれないからと作り置きにもなる。今日も昨日作った炒め物の残りを片付けなければならなかった事を思い出し、冷蔵庫を開いた。


『ご飯出来たー?』

「ん、出来たよー。ごめんね、電話付き合わせて」

『話せるの嬉しいから良いよ。むしろ仕事ばっかりでごめん…』


申し訳なさそうに謝る健斗に、杏里は小さく笑う。

忙しい人である事は最初から分かっているし、健斗の場合人気があるから忙しいのだ。普段はあまり結びついていないが、ユキが人気だから健斗が忙しいのだと思えば、お互い頑張ろうねと応援できた。


「ライブのチケット、いつから応募できるのかなー」

『えーっとねぇ…』

「あ、待ってやめて。ユキの情報は公式から発表されるの待ちたいから。正直今ライブあるって情報を知ってしまったのも若干もにゃっとしてるから」

『出たな怖いオタク…』


ユキと健斗を切り離して考えたい杏里は、どんなにユキが好きでも健斗から情報を得ようとは思わない。

ユキのライブ情報だとか、グッズがどうだとか、そういった情報は公式SNSから得たいのだ。健斗からそういった情報を聞いてしまうのは、他のファンには出来ない事で、フェアでは無いと思うのだ。


「良いんだー。ライブの席は用意されなくても、ユキが大好きな気持ちに変わりはないし」

『なーんか微妙な気分…』


温め終わった事を告げるレンジの電子音に気が付いたのか、健斗は「早く寝るんだよ」と言い残して電話を切る。もう少し話していたかったような気がするが、忙しい人を相手に我儘を言うのは申し訳ないし、そもそもいつまでも続く長電話をするなんて、付き合いたての高校生カップルのようで気恥ずかしかった。


食事の席を整え、テレビを付けてから両手を合わせた。いただきますと一人で呟き、箸を手にした時だった。


テーブルに置いたスマホが、SMSが届いたと報せる。

仲の良い友人や両親はメッセージアプリでやり取りをしており、SMSを使うような人はいない筈。

誰からだろうと不思議に思い、行儀は悪いが食事をしながらスマホを開いた。


『よお、元気してる?』


誰からのものか分からないメッセージ。電話番号は表示されているが、連絡先が登録されているのであれば登録名が表示される筈だ。電話番号しか表示されていないという事は、恐らく知り合いではないのだろう。

返事はしなくて良いかと放置しておく事にしたのだが、謎の誰かはまだメッセージを送って来た。


『ブロック解除してくれよ。SMSとか存在忘れてたぞ』

『ていうか引っ越した?今何処住んでるの?』


誰だか分からない相手から次々に送られてくるメッセージに、杏里の眉間に皺が寄る。

折角健斗と電話をして良い気分だったというのに、何だか台無しにされた気分だ。


『宛先をお間違えですよ』


簡単にそれだけ送り、もう送られてこないように連絡先をブロックした。どこの誰だか知らないが、こういうしつこい所が嫌われてブロックされたんじゃないのかと勝手な想像をした。


これでもう送られてこないだろうと安心し、杏里はのんびりとテレビを眺めながら食事を楽しむ。自分が適当に作っただけの、特に料理名も無いような食事だが、胃を満たしてくれる温かさは心地よかった。

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