第8話「恋するオタクたち」

ゆかりが杏里の家に突撃する数時間前、ゆかりは砂川と共にライブ会場を出ていた。

推しを目の前にしていた多幸感に酔いながら、二人は感想戦の為にカラオケに入った。大騒ぎをしても人に迷惑を掛けずに済むからである。


「蒼が…蒼が目の前に…」


うわ言のように繰り返す砂川は、初めてのライブに大興奮だったせいか疲れ切っている。

初めて作った応援うちわを握りしめ、ぽうっと呆けた表情で天井を眺めていた。


「ファンサ貰えましたね…」


隣に座っているゆかりも呆けているのだが、久しぶりに貰えたファンサに大喜びしていたのだから当たり前の事だろう。会場内で二人手を取り合って喜んだ。涙を流して「ぎゃああ!」と叫んでも、それを許してもらえるあの空気が好きだ。


「作って良かったですね、ばきゅんうちわ」

「ヨレちゃってるけどな。俺不器用だから…」


恥ずかしそうに微笑みながら、砂川は手にしているうちわをそっと撫でる。少し紙がヨレてしまっているのだが、恐らく舞台の上からはそこまで見えないだろう。


「初めてなんですから、仕方ないですって!むしろ初めてでこのクオリティなら充分じゃないですか?」

「推しに見てもらう物だから、本当は完璧に作りたいんだけどな」

「じゃあ、次はもっと上手に作れるように頑張りましょう!」


また誘いますからねと微笑み、ゆかりは自分が作っていたうちわを振る。ほんの少し前に会場で振っていた物。推しに見てもらいたくて、応援していると表現する為に作ったお手製うちわ。家に帰れば以前作った物がまだまだある。ライブの度に作っていて飽きないのかと母に呆れられていたが、これは儀式のような物なのだ。


「それにしても…俺なんかが一緒に行って良かったのか?他にも誘う人がいただろうに」

「何言ってるんですか!砂川さんと生きたかったんです!」


ゆかりなりに勇気を出しての発言だったのだが、砂川はその言葉の意味を理解していないようで、「そっか」と嬉しそうに微笑むだけだった。


先日杏里に話を聞いてもらった時、「勇気出せ!ゆかりならいける!」と背中を押された事を思い出し、ゆかりはもじもじと膝の上で手を動かして俯いた。


「あの、むしろ…砂川さんこそ、初めてのライブが私と一緒で良かったんですか?」

「勿論。むしろ誘ってもらえて嬉しかった」


砂川の言葉に、ゆかりはパッと顔を上げる。この反応ならば、完全に脈無しでは無いかもしれない。薄らとした期待を胸に抱いてしまったのだが、すぐさまその期待はしおしおと萎んでしまった。


「良いでみ友が出来て嬉しいよ」

「あ、は…でみ友…」


同じアイドルを推す友人としか思っていないのか、砂川はキラキラと輝くような笑顔をゆかりに向ける。

自分で言うのもなんだが、ゆかりはそれなりにモテる人生を歩んできた。思っていたのと違うと言われて振られる事は多いが、言い寄ってくる男は多かった。


自分から人を好きになる事は滅多に無い。中学生の頃、クラスで一番人気だった男の子に恋をして告白までしたのだが、「ブスは無理」と言われて振られてしまった。


ゆかりは、大学に入るまで太っていた。顔はパンパンだったし、化粧なんてした事も無かった。ブスは無理と言われて振られてからトラウマになっていたせいで、恋をする事も無かった。


大学を卒業しても変わらない、自分からは恋をしないという人生。そんな人生だから、告白をするなんて事もしなかった。


目の前で嬉しそうな顔をして微笑んでいる砂川が、十数年振りの恋なのだ。


「あの…また、誘っても良いですか?」

「むしろ誘ってくれ!一緒に盛り上がってくれる子と行けるなんて嬉しいよ!次は俺もチケット争奪戦参加するからな!」

「あ…でも、もし彼女さんとかできたら、教えてくださいね。女と一緒にライブとか、絶対嫌がられちゃうので」

「彼女なあ…出来るかな」


あははと小さく笑った砂川は、くるくるとうちわを回しながら俯いた。

以前砂川に彼女がいない事は聞いているが、いつまでも出来ないとは限らない。いつか出来るかもしれない彼女が自分だったら良いのにと考えるが、付き合ってくださいと告白する勇気は無かった。


「好きな子は、いるんだけど」

「え…そうなんですか?」

「んー…告白する気は無いんだけどな。今のままで良いっていうか」

「…どうしてですか?」


ドキドキと胸が騒いだ。ぎゅうと何かに締め付けられているような感覚。息苦しさを誤魔化す様に大きく息を吸い込んで、ゆかりは膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。


「もし男女の仲になれたら嬉しいけどな。でも、もしも別れたりしたら…今の関係でもいられなくなるかもしれない。それが怖いんだ」


ぽつぽつと呟く砂川に、ゆかりは言葉を返す事が出来なかった。

今の良い関係を維持する方が良いという気持ちは分からなくもないのだ。


中学の頃のトラウマがむくりと頭を擡げる。もしもあの時告白していなければ、弄られキャラだったとしても仲の良い友人ではいられたかもしれない。告白してから気まずくなって話す事すら出来なくなってしまった事を、未だに後悔している。


「そもそも、向こうは俺の事男として見てないと思うぞ?良き先輩…みたいな」

「もしかして、杏里…」

「秘密な」


にっこりと笑い、砂川は人差し指を立てて口元に当てる。

何て残酷な言葉だろう。どうしてそれを私に言うのだろう。秘密と言うのなら、私にも言わずに胸に秘めておいてくれたら良かったのに。


「杏里、良い子ですもんね!私も大好きで…」


そこまで言うのが限界だった。

震えてしまった声。ボロボロと涙が零れ、耐え切れなくなったゆかりはそのまま鞄を引っ掴んで部屋を出た。


何がどうなっているのか分からない砂川は困惑しながらゆかりの名を呼ぶのだが、ゆかりは足を止める事無く走り続けた。


◆◆◆


「あー…ピザうま…」

「珍しいね、ゆかりがピザ食べてるの」

「本当は大好きなんだよねー。カロリーは正義」


泣き腫らした顔でピザを貪るゆかりは、珍しくコーラを飲んで喉を潤す。普段はヘルシーな物を好んで食べている筈なのに、今日は好きなだけ食べると言って自分でピザを注文していた。


「で?逃げちゃったんだ」

「逃げるでしょ!あーあ、十年以上ぶりの恋が破れましたわ!やっぱり私には、蒼しかいないって事ね…」


大きな溜息を吐き、ゆかりはぼんやりとスマホに表示した蒼の画像を眺める。

ライブ中の姿なのか、ヘッドマイクを付けて笑っている顔は輝いている。


「私さ、昔は超デブだったんだよね」

「え、そうなの?!」

「そうそう。ハイカロリーな食べ物大好き、コーラは水!って感じのデブ」


もぐもぐとピザを咀嚼しているゆかりは、スマホを操作して杏里に見せてくれた。

映し出されているのは、セーラ服を着ているふくよかな女子生徒。誰だろうと首を傾げている杏里に、ゆかりは笑って言った。


「酷いでしょ、中学の私」

「え?!これゆかりなの?!」

「そうだよー。大学入るまでこんな感じ」

「うっそぉ…頑張ったねぇ」


スマホとゆかりを交互に見ながら、杏里は感心したような声を漏らす。

どれだけ努力をしたのだろう。今のゆかりは過去の面影など欠片も無く、可愛くて素敵な大人の女性になっている。


「今でもたまにカロリー求めちゃうからさ。そういう時はこれ見て我慢してるの。戒めだよね」

「うわあ…努力の鬼じゃん」

「蒼に会いたかったんだけど、この姿じゃ恥ずかしくて行けない!って思って痩せたの」


地下アイドル時代ならもっと近くで会えたのに、やっと痩せた頃には売れてしまってなかなか会いに行けなくなってしまったと、ゆかりは笑う。


「蒼のおかげで頑張れたんだよねぇ。前の自分より、今の自分の方が好き」

「推しは色々救ってくれるね」

「本当だよー!失恋の傷も救ってくれー!」


わあんと声を上げ、ゆかりは一緒に頼んでいたポテトも口へ運ぶ。慣れた手つきで二、三本一気に摘まんで口に放り込む姿は、それなりに長い付き合いの杏里は初めて見る姿だった。


何があったのか話して貰ったが、ゆかりは砂川の想い人が杏里である事は言わなかった。その為、どう慰めようか考えている杏里をどんな気分で見れば良いのか、ゆかりも分からずにいる。


「今の私なら、少しくらい希望持っても良いのかなとか思ってた。おこがましかったわ…」

「いやあ…充分自信持って良いでしょ。こんなに可愛くておしゃれだし、頑張り屋さんだもん」

「あっさり脈無しでしたけどね!」


はっはっは!と笑ったゆかりの目尻には涙が溜まっている。酒など一滴も入っていない筈なのに、今のゆかりは情緒不安定らしい。もしや飲んでいるのはコーラではなくコークハイか何かなのかと疑い始めたが、紛れもなくコーラのペットボトルからグラスに注がれている。


「んー…でもさあ、砂川さん好きな人いても告白する気無いんでしょ?」

「らしいよ。今のままで良いんだって」

「相手の人次第だろうけど、付き合ったりする確率が低いなら、アタックするのもアリなんじゃん?」


ゆかりと一緒になってピザを齧りながら、杏里は何げなく言う。心からの言葉なのだが、その言葉がゆかりの表情を曇らせている事には気付いていない。


「過去のトラウマもあるかもだけどさあ。ゆかり頑張って自分を変えたんでしょ?そのガッツがあればいけると思うなあ」

「簡単に言うけどさ…」

「因みに何キロ痩せたの?」

「…30キロくらい?」

「すっげぇ…」


それだけ頑張る事が出来るのなら、恋する相手にアタックするだけの度胸はある筈だ。

ぱちぱちと拍手をする杏里だったが、ふとある事が気になった。


「ねえ、そう言えば前に紹介された人に会って不愉快だったって話してたじゃん?」


居酒屋で愚痴を聞いたばかりなのだが、今のゆかりは失恋に嘆いている。

恋をしているのに新たな出会いを求めた意味が理解出来なかったのだ。


「ああ…あれ、友達の旦那さんの友達だったの」


ゆかりが言うに、友人の家に夫が友人を連れて来たらしい。その時たまたまお互いの友人の話になり、流れで写真を見せた所気に入られたらしい。

紹介してくれと騒ぐ為、友人は気乗りしないながらもゆかりに話をしたのだが、断り難いだろうと受け入れたせいで不愉快な思いをしたらしい。


「最初から一回会って終わりにするつもりだったんだよね。良い人だったらお友達にとかは考えてたんだけど…もう連絡先ブロックしたし、友達にも何があったか話して謝っといた」

「そっか…そういう事か」


ピザを食べ終えたゆかりは、手に付いた油を布巾で拭う。それだけでは綺麗にならなかったようで、立ち上がってキッチンへ向かった。


「初対面であんな事言われるし、好きな人には相手にされてないみたいだし…やっぱり私には、恋愛とか向いてないのかも」


手を洗いながら、ゆかりは小さく笑う。自嘲と言う言葉がしっくりくるほど、寂しそうな笑みだった。


「二人共幸せになるんでしょ?諦めるにはまだ早いんじゃないかな」

「じゃあ…応援、してくれる?」

「当たり前じゃん!砂川さんイケメンだし超優しいし、仕事も出来るし!砂川さんなら安心だ!」


両手を握りしめてそう言う杏里に、ゆかりは泣き出しそうな顔をしてまた笑った。

手を拭いて杏里の前に座り直し、緊張したように息を吸う。


「私、頑張るから」

「おう、頑張れ。超応援してる」

「いっぱい、相談しても良い?」

「勿論!相談相手になれるかは分かんないけど」

「何かあったら私も聞くから」

「おう、頼むわ」


ぽろぽろと涙を零すゆかりに、杏里は何故泣き始めたのか分からず狼狽える。

ゆかりは大好きな友人を牽制したような気分で申し訳なくて泣いているのだが、それを口にする事は出来なかった。


「もし振られたら慰めてね」

「今からそんなん考えなくて良いから!」


ばしばしとゆかりの肩を叩き、杏里は頑張れと励まし続ける。

何処の誰だか知らないが、頼むから砂川の想い人が振り向きませんように。というか、砂川も無神経な事を言うんじゃないと内心怒っているのだが、自分も話の中心人物である事に気が付かないまま、杏里はまだ何か食べるかとゆかりに提案した。

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