屍の国のアリス
天寧霧佳
第1話 兎 1
また、この夢だ。
無数に並ぶ三角フラスコ。
透明なカプセルに詰め込まれ、並べられた鼠(モルモット)達。
生産されていく死骸、死骸、死骸。
捨てられていく。
愛も知らずに。
情も分からず。
ただ消費され、投げ捨てられていく。
流れている曲。
「Oh,Happy day」の陽気な曲。
鼠たちの断末魔。
「次はこれか……」
頭の上から声がする。
首筋を捕まれ、持ち上げられる。
私は暴れた。
しかし、横目で立てかけられていた鏡を見て、硬直する。
何十、何百回と私はここで硬直する。
そして私は……。
金切り声の叫びを、上げるのだった。
◇
悲鳴を上げて飛び起きる。
目の玉は飛び出しそうに見開かれ、心臓は破裂しかねないほどの勢いで激しく脈動を繰り返していた。
頭を押さえる。
内側から金槌で叩かれているかのようだ。
ガンガンガンガンと痛む。
霞む視界の焦点を無理矢理に正面に合わせ、少女は着ていた真新しい病院服の胸を掴んだ。
ハァハァと荒く息をつく。
汗が鼻を伝って下に流れ落ちる。
ひどい夢だ。
何十回見たか分からない夢。
「…………」
数分して呼吸が整い、少女は顔の汗を手の平で拭ってから大きく息をついた。
軽く頭を振って、横になっていたベッドの縁に腰掛ける。
カラカラと換気扇が回る無機質な音が、部屋にただ反響していた。
鳶色の瞳に、淡い金髪をした美しい少女だった。
年の頃は十四、五程だろうか。
病院服に下着。
その他は何も身に着けていない。
意識がやっと現実世界にフォーカスし、彼女は周りを見回した。
「何……ここ……」
小さく呟く。
そこは、四方が白い壁に囲まれた、独房のような部屋だった。
窓はない。
換気扇だけがカラカラと回っている。
天井には壊れかけているのか、点滅を繰り返す白熱灯ひとつだけ。
床はサビで汚れていた。
しばらく周りの異様な光景に唖然としていた少女だったが、やがて恐る恐る裸足の足を踏み出した。
そして、部屋の片隅に設置されていた手洗いと便器に近づいた。
便器の中には砂が詰まっている。
水道の蛇口をひねっても、水も何も出なかった。
「…………」
呆然として、脇の錆びた扉を見る。
鉄格子がはまっているが、少女の背丈では届かず、また向こうは暗いために様子をうかがうこともできない。
おどおどしながら、彼女は扉のノブを掴んで回そうとした。
途端、ボロリとノブが腐食部から折れた。
取り落として後ずさった目に、ギィ……とドアが少し開いたのが見えた。
少女はドアを力を入れてこじ開け、その隙間から外に出た。
◇
泥の不快な感触が足の裏にまとわりつく。
黒い粘性のそれを踏みながら、彼女は肩を抱いて小さく震えた。
寒い。
凍えそうだ。
吐いた息が真っ白になる。
そこは、無数に鉄格子がついたドアが並ぶ、細長い通路だった。
開いているドアもあるが、閉まっているのが大半だ。
生き物の気配はない。
かろうじてトンネルのような通路の天井に、等間隔に取り付けられた電球たちが、時折
「ジジ……」
と音を立てるだけだ。
前後に広がる不気味な通路を見て、彼女は泣きそうな顔で震えた。
どこだ、ここは。
私はどうしてここにいるの?
考えた瞬間、ズキィ、と側頭部に抉りこむような痛みが走った。
悲鳴を上げて頭を抑え、泥の中に崩れ落ちる。
冷たい泥をもう片方の手でかきむしる。
頭が割れそうだ。
痛い、痛い、痛い。
絶叫して泣きわめく。
気づいた時には、彼女は泥にうつ伏せに倒れていた。
体が氷のように冷え切っていた。
気絶していたらしい。
頭痛は消えていたが、震えが止まらなかった。
薄暗がりの中で体を起こした彼女の耳に、そこで甲高い、耳障りな……少年のものとも、少女のものともつかない声が飛び込んできた。
「おはようアリス。今日は十七回目の『何でもない日』だね。何でもない日、おめでとう!」
耳元でケタケタとやかましく笑われ、アリスと呼ばれた少女は慌てて飛び起きた。
そして尻餅をついてあとずさる。
「おめでとう、おめでとう、腐った世界にようこそ! 血肉になりにようこそ!」
何だ、と叫ぶ暇もなかった。
視界の端に、電灯の灯りでギラついた何かが見えたからだった。
短く悲鳴を上げ、彼女はその場に頭を抑えて崩れ落ちた。
凄まじい金属音がして、石造りなのだろうか……背後の硬い壁に、「何か」がめり込んだ。
それを見上げて彼女は唖然とした。
口元が震えだし、体が萎縮する。
今まで少女の頭があった場所に、草刈り鎌……にしてはかなり巨大な黒光りし、湾曲した鎌の刃が刺さっていたのだ。
「んんんんん……?」
怪訝そうな声がした。
少女の前には、人間大のぬいぐるみのような物体が立っていた。
ボロボロになって、ところどころ綿が飛び出している。
ボタンの目をした、薄汚れた兎のぬいぐるみだった。
「それ」はモーターのきしむような音を立てながら、腰を抜かしている少女に覆いかぶさるように近づいてきた。
「避けたね? 避けた! 避けた!」
けたたましい声で笑い、兎のぬいぐるみは手を伸ばし、鎌を壁から抜き取った。
石が削れる耳障りな高音。
そのギラつく刃と、兎の体が何かで汚れているのを見て少女は硬直した。
……血……?
それを認識する前に、兎のぬいぐるみが、パカッと口を開けた。
「おめでとうアリス! 今日も君の命日だ!」
意味不明なことを叫んだその口の中から、機械じかけの回転ノコが飛び出してきた。
絶叫し、少女は抜けている腰を無理やり奮い立たせて駆け出した。
彼女の肩を浅く回転ノコが薙ぐ。
痛みと熱さを感じる前に、少女は全速力で薄暗い通路を駆け出していた。
「逃げるのかいアリス! いいよ! 久しぶりに遊ぼう! 鬼ごっこだ!」
ケタケタと笑いながら、血に濡れた兎は短い足を踏み出した。
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