屍の国のアリス

天寧霧佳

第1話 兎 1

また、この夢だ。


無数に並ぶ三角フラスコ。

透明なカプセルに詰め込まれ、並べられた鼠(モルモット)達。


生産されていく死骸、死骸、死骸。

捨てられていく。

愛も知らずに。

情も分からず。

ただ消費され、投げ捨てられていく。


流れている曲。

「Oh,Happy day」の陽気な曲。

鼠たちの断末魔。


「次はこれか……」


頭の上から声がする。

首筋を捕まれ、持ち上げられる。


私は暴れた。

しかし、横目で立てかけられていた鏡を見て、硬直する。

何十、何百回と私はここで硬直する。


そして私は……。

金切り声の叫びを、上げるのだった。



悲鳴を上げて飛び起きる。

目の玉は飛び出しそうに見開かれ、心臓は破裂しかねないほどの勢いで激しく脈動を繰り返していた。

頭を押さえる。

内側から金槌で叩かれているかのようだ。

ガンガンガンガンと痛む。


霞む視界の焦点を無理矢理に正面に合わせ、少女は着ていた真新しい病院服の胸を掴んだ。

ハァハァと荒く息をつく。

汗が鼻を伝って下に流れ落ちる。

ひどい夢だ。

何十回見たか分からない夢。


「…………」


数分して呼吸が整い、少女は顔の汗を手の平で拭ってから大きく息をついた。

軽く頭を振って、横になっていたベッドの縁に腰掛ける。

カラカラと換気扇が回る無機質な音が、部屋にただ反響していた。


鳶色の瞳に、淡い金髪をした美しい少女だった。

年の頃は十四、五程だろうか。

病院服に下着。

その他は何も身に着けていない。

意識がやっと現実世界にフォーカスし、彼女は周りを見回した。


「何……ここ……」


小さく呟く。

そこは、四方が白い壁に囲まれた、独房のような部屋だった。

窓はない。

換気扇だけがカラカラと回っている。

天井には壊れかけているのか、点滅を繰り返す白熱灯ひとつだけ。

床はサビで汚れていた。


しばらく周りの異様な光景に唖然としていた少女だったが、やがて恐る恐る裸足の足を踏み出した。

そして、部屋の片隅に設置されていた手洗いと便器に近づいた。

便器の中には砂が詰まっている。

水道の蛇口をひねっても、水も何も出なかった。


「…………」


呆然として、脇の錆びた扉を見る。

鉄格子がはまっているが、少女の背丈では届かず、また向こうは暗いために様子をうかがうこともできない。


おどおどしながら、彼女は扉のノブを掴んで回そうとした。

途端、ボロリとノブが腐食部から折れた。

取り落として後ずさった目に、ギィ……とドアが少し開いたのが見えた。

少女はドアを力を入れてこじ開け、その隙間から外に出た。



泥の不快な感触が足の裏にまとわりつく。

黒い粘性のそれを踏みながら、彼女は肩を抱いて小さく震えた。


寒い。

凍えそうだ。

吐いた息が真っ白になる。


そこは、無数に鉄格子がついたドアが並ぶ、細長い通路だった。

開いているドアもあるが、閉まっているのが大半だ。

生き物の気配はない。

かろうじてトンネルのような通路の天井に、等間隔に取り付けられた電球たちが、時折


「ジジ……」


と音を立てるだけだ。

前後に広がる不気味な通路を見て、彼女は泣きそうな顔で震えた。


どこだ、ここは。

私はどうしてここにいるの?


考えた瞬間、ズキィ、と側頭部に抉りこむような痛みが走った。

悲鳴を上げて頭を抑え、泥の中に崩れ落ちる。

冷たい泥をもう片方の手でかきむしる。

頭が割れそうだ。


痛い、痛い、痛い。

絶叫して泣きわめく。


気づいた時には、彼女は泥にうつ伏せに倒れていた。

体が氷のように冷え切っていた。

気絶していたらしい。


頭痛は消えていたが、震えが止まらなかった。

薄暗がりの中で体を起こした彼女の耳に、そこで甲高い、耳障りな……少年のものとも、少女のものともつかない声が飛び込んできた。


「おはようアリス。今日は十七回目の『何でもない日』だね。何でもない日、おめでとう!」


耳元でケタケタとやかましく笑われ、アリスと呼ばれた少女は慌てて飛び起きた。

そして尻餅をついてあとずさる。


「おめでとう、おめでとう、腐った世界にようこそ! 血肉になりにようこそ!」


何だ、と叫ぶ暇もなかった。

視界の端に、電灯の灯りでギラついた何かが見えたからだった。


短く悲鳴を上げ、彼女はその場に頭を抑えて崩れ落ちた。

凄まじい金属音がして、石造りなのだろうか……背後の硬い壁に、「何か」がめり込んだ。

それを見上げて彼女は唖然とした。

口元が震えだし、体が萎縮する。

今まで少女の頭があった場所に、草刈り鎌……にしてはかなり巨大な黒光りし、湾曲した鎌の刃が刺さっていたのだ。


「んんんんん……?」


怪訝そうな声がした。

少女の前には、人間大のぬいぐるみのような物体が立っていた。

ボロボロになって、ところどころ綿が飛び出している。

ボタンの目をした、薄汚れた兎のぬいぐるみだった。

「それ」はモーターのきしむような音を立てながら、腰を抜かしている少女に覆いかぶさるように近づいてきた。


「避けたね? 避けた! 避けた!」


けたたましい声で笑い、兎のぬいぐるみは手を伸ばし、鎌を壁から抜き取った。

石が削れる耳障りな高音。

そのギラつく刃と、兎の体が何かで汚れているのを見て少女は硬直した。


……血……?


それを認識する前に、兎のぬいぐるみが、パカッと口を開けた。


「おめでとうアリス! 今日も君の命日だ!」


意味不明なことを叫んだその口の中から、機械じかけの回転ノコが飛び出してきた。

絶叫し、少女は抜けている腰を無理やり奮い立たせて駆け出した。

彼女の肩を浅く回転ノコが薙ぐ。

痛みと熱さを感じる前に、少女は全速力で薄暗い通路を駆け出していた。


「逃げるのかいアリス! いいよ! 久しぶりに遊ぼう! 鬼ごっこだ!」


ケタケタと笑いながら、血に濡れた兎は短い足を踏み出した。

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