第5章 Monkey Park.

犯行声明はこの一文から始まった。


「この声明を、あなたたちはどこで読んでいるだろうか?」


SNSの文字数規制を回避するために、声明は4枚の画像として発信された。ユーザーは100文字あまりの短いメッセージのやり取りの妙を楽しんでいたが、「声明」を発信するには短過ぎた。何度も発信をくり返すことは、それだけ「特定される機会」を与えると言うことだ。つまり、Zoo.はこの1回の発信を以ってまた消えることとなる。


「私たちは何故、強者に捕食され、または搾取されているのだろうか?この国の制度は貧富の差の拡大から転じて、貧しい者は貧しいまま、富める者は次なる搾取の対象になっていくように作り変えられていく。税制がそうだ。国民負担金と言う名の人頭税がそうだ。今この時を活かさねば、我々は奴隷となる。この国は移民を低賃金で働かせるよりは、国民を低賃金で使う方が制御しやすいと考えた。無理を通そうとした。その反動が有名なM市事件だ。憶えているだろうか、移民・難民・不法滞在者に我が国の国民と同じ権利を与えようとした。彼ら外国人に”義務”を課さずに、ただ権利を与えようとした結果があの惨事を招いた。これからも同様の事件は起きるだろう。


我々はZoo.


この名を記憶に刻み、この名が使われた理由を知って欲しい。Zoo.は動物園と言う意味だ。動物園では、自然の中で対峙した時に危険となる猛獣は檻の中にいる。猛獣は管理され、圧倒的少数であることから、恐怖の対象とはならない。人間社会に当てはめてみれば、権力を持ち、弱者の命まで喰らう為政者や成功者が猛獣となるだろう。そう、「動物園の猛獣」である。私たちにこの猛獣を恐れる理由は無い。この社会の枠組みの中で「自由に振舞える」程度の人間だ。無論、無辜の国民が立ち向かうことは無理に思えてくる。違うのだ。この国の資源も資産も勝手に使う暴君は動物園の檻の中にいる。Zoo.の管理者は私たち国民である。圧倒的多数である私たちが”ほんの少しの行動”をするだけで、猛獣はその命運を断たれる。私たちに必要なのは勇気でも発言力でもない。行動を起こすことだ。檻を用意する必要は無い。既に猛獣は檻の中だ。1億の国民がほんの少しだけ行動する。その積み重ねだけで猛獣を制御出来るだろう。制御出来ない猛獣を恭順させるか、駄目なら捨てるかは私たち国民が決めることだ。


この国の為政者や実力者は”やり過ぎた”のだ。


相応しき者を強者にしよう。私利私欲にまみれた獣は地に落とそう。すぐには無理かも知れない。国民が認めない”悪しき権力者”の駆逐は難しいだろう。だが、この国の主権者は国民であることを、彼らに教えることは出来る。何度でも何度でも・・・

犠牲者となった者たちに哀悼の意を。

 我々はZoo.である。”殺し”はしない。若山事件では、駆け付けた警察官や自衛官が「正面の柵にあるセンサーが無効である」と気付かなかった。高山事件では、助手席のドアに仕掛けが無いことに気づくべきだった。記憶に新しい女川夫妻事件では、内側に設置されたアクリル板も、本来の檻の”出入口”を開ける妨げにはなっていないと気付けなかった。そして、女川夫妻を殺したのはこの国の政府だ。


既に道は開かれた。


この言葉の意味を理解した時、あなたたちに希望が芽生える。


Zoo.


 kaleidoscope班でこの声明文を読んだ桐山は、デスクを叩いて怒りを露わにした。

「クソッタレがっ!」

 この声明文の意味を真に理解出来る国民は少ないだろう。教育が国民を駄目にしたのだ。半数はこの声明文を読むことすら出来ないだろう。5行以上の文章を理解出来ない。SNS病と呼ばれている知能の低下は、学力偏重主義が原因と言う皮肉である。ただ言われるがままに記憶し、数式を覚え応用する。これだけで名門大学に入れるのだ。”考える力”は不要だった。そしてプライベートではSNSで短いメッセージのやり取りをする。就職すれば、今度は選別される。企業を、会社を動かせる”モーター”となるか、”歯車”として生きるか?最悪の場合は”不良品”として放逐されるかである。そして教育の現場では”歯車”の量産が優先された。つまり、勉強が出来ると言うのは当たり前であり、抜きんでるためには特別な”何か”が必要となった。ソレが何なのかは誰も教えてくれない・・・

佐川は桐山の横に立ち、声明文を読み要約した。

「つまり、俺たちは殺していない。ごく少数の権力者を殺すことは簡単だ。蜂起せよってとこですかねぇ」

「お前も”お勉強が出来るクチ”か?蜂起を呼び掛けたんじゃない。もう蜂起は始まっている。必要なモノは入手出来るって言う意味だ」

「はぁ?」

「主権者である国民は、管理された猛獣の始末を始めた。ソレがZoo.だ。最初から人間のクズは圧倒的少数で、国民の管理下にある。ソレを知らしめるために敢えて”檻”にこだわったってことだ」

「必要なモノとは?」

「もう分かるだろ。猛獣を殺す方法や道具、さ」

「模倣犯が現れることは想定済みです。その場合は速やかに・・・」

「特定して拘束するってか。無駄さ、模倣する必要さえ無いんだ」

「どう言う意味ですか?」

「例えば、だ。昨日北海道でチンピラが殺された。今日は新潟でチンピラが殺された。殺害方法は刺殺だった。コレを模倣犯と呼ぶか?」

「・・・」

「沖縄で警察官が刺殺された。3日後に東京で警察官が攫われて、翌日に東京湾に浮かんだ、って言うのはどうだ?」

「模倣犯・・・ですかねぇ?」

「では、ターゲットが政治家だったら?」

「テロです」

「そうさ。既にZoo.はテロリストとして捜査が進んでいる。いや、進んではいないがテロリストであることに間違いは無い」

「では、桐山さんは今後もZoo.による犯行が行われると?」

「ソレは分からん。だが、Zoo.ではない一般市民がテロを起こす可能性は高いだろう」

「どうやってテロを起こすんですか?爆薬も武器も持たない一般市民でしょう?」

「だから言っただろう?模倣する必要すらなく、武器は与えられるんだ」

「武器?国内での流通はすぐに摘発されますよ」

「”道は開かれた”のさ。誰でも作れる武器、いや凶器の製法が広まったらどうなる?」

「待ってください桐山さん。ソレは桐山さん個人の解釈ですよね」

「そうだ」

「何故、そこまで断言出来るんですか?」

「俺も国民でな。正直な話、若山も高山も女川も死ねばいいと思っていた。特に高山はな」

「でも殺しはしないでしょう?」

「立場がある、十分な収入もある。ソレが自制心になっていると言うのが”殺さない”理由の一部だ。この国の国民はみんなそうさ。だが、お前さんが前に言った言葉も真実さ」

「僕の言葉?」

「過去にも、捨て身の犯行を行う者がいた」

「いや、しかし今回はテロですよ?何の恨みも無い他人を・・・うっ・・・」

「気付いたか?恨まれてるんだよ。政治家も、搾取を続ける成功者もな。特に政治家なんざ格好の恨みの標的さ。生活を苦しくしたのは他ならぬ政府だからな」

「政治家はターゲットに出来ないでしょう。必ず警護やSPが付いてます」

「寝る時もか?女を抱いてる時にも、か?」

「そこまでは無理ですが、普通なら近づくことも出来ないじゃないですか」

「松下を誘い出した方法すら分かっていないのにか?」

「松下と言えば、どうなったんでしょうかね?」

「ふん、最後に処刑されるんだろうよ。方法は知らんがな」

「政治家は狙えない。ならば次に狙われるのは・・・」

「お前さん、頭が固いな。一番分かりやすいターゲットが狙われる。ソレは政治家だよ」

「どうやって?」

「ソレを調べて未然に防ぐのも俺たちの仕事だろうが!」


 佐川は数秒立ちすくんで、課員たちに指示を出した。犯行声明はSNSで発信された。発信者を特定して拘束するのが先決だ。

「特定しろ。特定したらすぐにマルテに確保させるんだ」

「今、マルテに指示しました。特定は簡単でしたから」

「既に特定済みか。とにかく確保だ。身柄はここに送るように言え。内調にだ」


 犯行声明を出した男。何の細工も無く、ただ普通にSNSサイトに4枚の画像を投稿した男。この時点で桐山も佐川も「Zoo.特定には至らない」と思った。そしてその通りになった。連行されてきた男、「清水幸喜」24歳。SNSサイトでは最も多い年代だ。当然だが、清水もZoo.のことは知っている。いや、心の中では応援さえしているが、そんなことを投稿しない程度には常識があった。そんな男が何故、「Zoo.」の署名入り犯行声明を投稿したのか?

「頼まれたんだ」清水は素直に取り調べに応じた。見た目は不健康そうな痩せ型で、マトモな職には就いていないように見えるが、反抗的な態度は無い。

「清水さんさ、コレが何なのか分かっていながら公開しただろう?」

「そりゃ分かるさ。ただ悪戯かも知れないし、謝礼は貰えたしってとこです」

「謝礼?」

「昨日。ちょっと用事があって立川駅まで行ったんだ。茨城からだと、東京駅に出るじゃないですか。そこで中央線に乗り換えて立川駅。ただ、頼まれたのは東京駅で、だったんだ」

「立川に行った用事は?」

「アニメのイベント。今年の夏で終わったアニメの”聖地”なんですよ。そこでイベントがあるって。調べてもいいですよ。チケットとか家にあるし」

「で、東京駅で清水さんにアレを頼んだのは誰だい?」

「知りません。40代か、もうちょい若い男だった」

「それで?」

「A4サイズの封筒を差し出してきて、”この中にある書類4枚をスマホで撮影してSNSにアップロード”してくれって」

「素直に従ったのか?」

「礼金10万円。美味しいバイトじゃないですか」

「清水さんさぁ?見ず知らずの男の頼みでも、謝礼があれば聞いちゃうのかい?」

「刑事さんは、警視総監のことを知ってて、警察学校に入ったんですか?」

「そんなわけないだろうっ!」

「同じですよ。知らん人の下で働くことと、頼み事されて謝礼を受け取るのも」

「口の減らないヤツだな。で、その男の特徴は?」

「マスクに眼鏡。身長は175㎝くらい。俺と同じくらいだった。右手が義手だった」

「義手ぅ?ソレは本当か?」

「確かだよ。書類の入った封筒は右手の親指と人差し指で挟んであった。金は左の後ろポケットから出した」

「場所は?」

「飯を食うために駅を出て、5分は歩いたかな。もう一度同じ店に行けと言われたら困るけど。東京になんかめったに来ないからさ」

「どのあたりだ」

「八重洲口だっけ、そこを出て真っすぐ歩いたあたり」

「どっちに向かって進んだ?」

「八重洲口の階段を昇って真っすぐだよ。右も左も無い」

「その男はそのあと、どこへ行った?」

「知りません。俺は飯を食いたかったし、相手の男に興味も無かった」


 すぐに現場検証が行われた。八重洲口ではなく、清水は「八重洲北口」を出て、真っすぐ歩いたことが判明した。「義手の男」と出会ったのは出口から300mの地点。ここを撮影する監視カメラは無かった。東京駅付近であり、一般車は入ってこない。昼時の雑踏と、数人の何らかの勧誘員がいるのみだ。


(監視カメラが無いことまで計算済みか・・・)


マルテ捜査員はそう思った。何故、ここまで見事に捜査の裏をかけるのか?犯行グループはかなり綿密な下調べをしているとしか考えられない。

 桐山が直接、清水の取り調べに当たった。かなり荒っぽいこともしたが、何も出てこない。清水は10万円の報酬のためにだけ、犯行声明を投稿したと結論された。 

 佐川は当日の付近にあった端末の特定を急いだ。しかし如何せん多過ぎた。対象数3万あまりである。清水の端末は簡単に特定されたが、肝心の盗聴データが曖昧だ。ショルダーバッグの底に押し込まれた端末からの情報は少なかった。確かに清水が立ち止まった地点で何らかの会話はあったようだ。通信会社が記録した音声は、周囲の喧騒に紛れてほとんど聞こえない。佐川は「科学捜査研究所」に、会話の抽出を依頼したが、ぼそぼそとした声が数秒分判明しただけであった。声紋も取れないと報告があった。清水の声ですら「同定不能」である。

SNSサイトは瞬時に沸騰した。特に国内最大手のSNSサイトは、犯行声明の投稿から数分で投稿数が5倍以上に増えた。予め知らされていたかのように、「整然と」とすら言えるほどの秩序をもって・・・しかし、投稿の内容は様々で、Zoo.に対する批判・糾弾もあれば、賛美したり「傾倒」を表明するアカウントもあった。kaleidoscope班はこの投稿の中から、違法に繋がるようなモノを拾い上げてユーザーを特定していった。「疑わしきは罰せよ」の精神である。嫌疑不十分でも良いのだ。いずれは「ヘンペル班」がシロだと教えてくれる。SNSサイトでの「違法行為の流布」は、微罪でも罰せられることを周知させる目的もある。


(Zooは犯罪者だ。助長するような発言ダメ)

(悪党でも法を優先すべき)

(巨悪には巨悪っしょ?)

(Zooは「巨大」悪なのか?)

(個人プレーではないよな)

(ちょーカッケー!!)

(誰か声明文の解読をして)

(あんなもんも読めないのか?)

(150文字が限界じゃん、俺たち)

(Zooはヒーローだから頭もいいよ)

(じゃ、ここにはいないなワラ)

(lol 奥さんいるのかなぁ?)

(道は開かれたってなんのこと?)

(わからん)

(誰かが説明してくれるよきっと)

(ところで、なんで俺たちが捕まるんだ?)

(どーせ運営がじょーほー開示してるんだろ)

(そりゃそうかワラ)

(佐川も桐山も情けない無能だよなー)

(誰ソレ?)

(特捜本部の人らしいよ)


 佐川は血相を変えてkaleidoscope班がいるホールを飛び出した。情報が洩れている?いや、漏れているのが確定した。佐川と桐山はkaleidoscope班のツートップだ。その立場も名前も秘匿されているはずなのだ。エレベーターを待つのももどかしく、佐川は庁舎の階段を駆け上がった。内閣調査室の主幹室に走る。ドア横のセンサーに右手をあてる。ドアが静かに開き、主幹のいる部室の前にいる秘書と対面した。もどかしい思いをどうにか押さえつけ、秘書に告げる。「Zoo.関連の報告だ」秘書はインターホンを取ると、主幹を呼んだ。「通せ」と短く指示があった。秘書は主幹室のドアを横目で見て「どうぞ」と静かに言った。

「佐川じゃないか。Zooのことはお前に任せたはずだが?」

「主幹、報告と依頼です。僕と桐山さんの個人名が流出しました。内通者がいます。緊急で特定するべきです。桐山さんは内通者の身柄も要求すると言ってます」

桐山の声も待たずにkaleidoscope班を飛び出したが、桐山は当然、内通者の身柄を欲しがるだろう。Zoo.特定の切り札になり得る。

「ふむ。名前がね・・・システムの存在はどうだ?漏れているか?」

「時間の問題です。内通者がいた場合、全貌とまでは言いませんがかなりの部分が漏洩するかと」

「まぁ落ち着け。佐川とアレは桐山だっけ。いざとなったら名前を変えろ。免許証もカードも何もかも用意してやる」

「この名前だって仮のモノです。桐山さんは本名ですが」

「桐山って言うのは、信頼に足る人物だな?」

「はい。僕がスカウトして、その日にうちに来ました。背後関係も洗ってあります」

「そうか。で、システムだが、情報漏洩はあり得ないから安心しろ」

「どうしたって内通者がいたら漏れますっ!」

「なぁ佐川。落ち着け。kaleidoscopeの開発は内調が独自でやったのは知っているな?」

「知っています。Zoo.に関して言えば、容疑者リストに入れました」

「で、どうなった?」

「システム開発からメカニックまで、関係者全員がシロでした」

「そうだろう。kaleidoscopeは国民に知られてはいけないパンドラの箱だ。関係者は全員”連座罰の対象”になっている」

「しかし、身分を隠してリークさせることも可能じゃないですか」

「そこの認識が甘いんだよ、君は。kaleidoscope班の課員も連座罰の対象だ。つまり、誰かが漏らせば、その人間の血統まで根絶する。この状況で漏らせるか?」

「ですから、密かにリークされたらと言っているんです」

「堂々巡りだ。いいことを教えてやろう。官僚や閣僚の一部しか知らないこのシステムだが、1人だけ知っている一般人がいる」

「ソイツだ・・・リークさせることが出来るのは」

「残念だな。その男は今、青ヶ島に逃げている。相棒を伴ってな」

「誰ですか?そこまで特定しておいて放置ですか?」

「日野署の木田と言う、まぁ叩き上げのちょい悪デカだ。素早かったよ。”鼻の利く”の上を行くなアレは」

「刑事なんですか?」

「そうさ。首相襲撃事件の時に捜査に参加した。そして本庁で立ち聞きしていた」

「何をですか?」

「パンドラの箱の仕組さ。だから逃げた。失職は避けたいと言うことで、青ヶ島にいる密輸グループの捜査で出張中さ。まさか既に特定されてるとは知るまいが」

「その刑事がリークした可能性も無いと?」

「当たり前だ。リークさせたらその場で射殺だ。本人も言っていたぞ。銃弾が前から飛んでくるとは限らないのが刑事ってもんだと」

「ではなぜ僕たちの名前が漏れたんですか?」

「桐山だよ」

「えっ?」

「案ずるな。桐山の口は堅い。ただな、異動となると官報に載る。載せないわけにはいかないからな。桐山がマルテ本部長だったなんて事実は公表していないが、この程度の情報ならマスコミだって嗅ぎつける。あとはマルテ捜査本部さ。佐川って言う若い内調捜査官が出入りしていたと」

「では、システムの情報は洩れないと?」

「そうだ。お前も今の仕事が終わったら改名だな。桐山もだ」

「桐山さんの場合はキャリアまで作り直しですか?」

「そうだ。せいぜい待遇のいい閑職に押し込んでやるさ」

「僕は構いませんが」

「お前の仕事は、kaleidoscopeを使ってZooを割り出すことと、システムを護ることだ」

 

 主幹室を出た佐川は思う。

システムを護る?護って見せるさ、あんたらからも・・・


「で、お前はどう思う?」桐山が佐川に尋ねる。あの「犯行声明」の真偽についてだ。愉快犯の遊びなのか、それとも”ホンモノ”なのか?

「五分五分ではないかと思います。ヘンペル班も結論を出せません」

「フン、あの声明は”ホンモノ”だよ。面倒なことしやがる・・・」

「根拠はあるんですか?」

「あるさ。あの声明には”秘密の暴露”がある」

「秘密の暴露?」

「お前、知らないのか?俺たちはZoo.を犯行グループの固有名詞として使ってるよな」

「あー、はい。僕たちの間でZooと言えば犯行グループとイコールですから」

「Zoo自体は普通名詞だ。そこで警視庁はちょっとした罠を仕掛けた」

「罠?」

「そう。公式発表ではズー、ゼットオーオーにした」

「それが何か?」

「犯行声明を見れば分かるだろ。最後にピリオドを打っている」

「どう意味ですか?」

「Zooの最後にピリオドを打つのは、警察関係者か犯行グループだけだ」

「ちょっと待って下さい。確認します」

佐川は課員に、過去に抽出された犯行絡みの投稿やメール文等を精査するように命じた。10分もかからない作業だ。

「確認しても変わらんよ。俺は逐次上がって来る情報にはなるべく目を通していた」

「その中に、ピリオド付きのZooは無かった?」

「その通りだ。数例の例外はあったが、それは”文末だから句点を打った”だけだと判断した」

「では、警視庁はこの犯行声明を予測していたと?僕の班でも予測していなかったのに?」

「しちゃぁいないさ。まぐれ当たりだ」

「え?」

「なぁ佐川。お前ちょっと適当な犯罪の捜査に加わって来い。こんなのは捜査のイロハだ」

「どう言う意味でしょうか?」

「今回は犯行グループが引っかかった形だが、この手のトラップは身内を引っかけるために仕掛けるんだ」

「身内?」

「そう。例えば、高山の事件あたりがそうだ。情報を漏らした警察官がいただろ?」

「はい。SNSでZoo.礼賛とも取れる発信をしてました」

「アレは道警だったか・・・内部通達、あの時は警視庁から出した通達だが、各道府県警宛の文書は微妙に変えて通達する。それが秘密の暴露を行った道府県警の特定に役立つ」

「あーなるほど。この罠を公開しなければ、次の犯行声明の真偽も分かるってことですね」

「俺はその線は無いと思っている。犯行グループはまた地面の下に隠れる」

「犯行声明はもう無いと言う事ですか?」

「そうだ。この犯行グループはやたら賢い。特定に繋がりかねない行動はもうしない」

「犯行声明だけでは特定不能。そう結論されたじゃないですか」

「犯行グループはそう考えるかな?慎重に立ち回った方がベストだと考えるんじゃないか?」

「では、何故わざわざ今回の声明を出したんですかね?」

「簡単さ。”俺たちは殺していない”と言いたかった。そして、次の犯行は誰が行うのか分かりにくくするためさ」

佐川はデスクの上にあるメモパッドに走り書きした。

(桐山さんの端末をここに入れてください)

桐山はそのメモに返事を書く。

(何故?)

(二人きりで話があります)


 佐川が差し出したプラスチックケースは防音のモノだった。中には小さなスピーカーが置いてあり、そこからマイクロメモリ内の合成音声を流す。桐山が勤務し、指示を出してるように聞こえる内容だ。

同時に佐川も同じ仕組みの違うケースに自分の端末を封じ込めた。コレで30分ほどは”別室”で桐山と話が出来る。

別室は佐川が密かに用意した特別室だ。元は何のために作られた部屋なのかは知らない。この部屋は防音はもちろん、電磁波も遮断する。kaleidoscopeを以てしても、佐川と桐山を”捜す”ことは不可能だ。文字通り、消えることとなる。アリバイは必要なので、端末はこの捜査班の勤務室に残し、合成音声を拾わせる。こんなやり方はとっくに「国民相手」にやっていることであり、佐川も桐山も例外ではない。


 9月9日。坂井の勤務している報道班は緊張の中にいた。Sテレビのトップと警視庁のギリギリの折衝が続き、”坂井動画”をどう扱うかの結論が出たのだ。もっとも、報道班は”坂井動画”を公開する方向で準備をしていた。警視庁は”坂井動画”の全貌を知らない。女川夫妻爆死の瞬間を捉えた動画であることは分かっている。問題なのは画質と、撮影された範囲だ。女川夫妻爆死の原因は「大型のドローン」が檻に突っ込んだことだが、このドローンは自衛隊が飛ばしたモノだ。移民・難民問題の急先鋒である女川夫妻を「警視庁の失策」で死なせたとあっては、弁護士団体が黙ってはいない上に、「女川夫妻」の死を利用して無理を通そうとするだろう。ただでさえ日本国民の信頼を裏切り続けた政府が、これ以上、国民の利敵に与することは出来ない・・・


Sテレビトップの結論は、「報道せよ」であった。マスメディアとして、女川夫妻の事件の全貌を知りつつ黙っていることは出来ない。当然、コレは対外用に用意した建前である。単純に、Sテレビは、オールドメディアと呼ばれて久しい「テレビ局の底力」を国民に示し、今後の「広告収入」の見通しを明るくしたい。このままでは先細りである。他局の中には、テレビ放映へのこだわりを捨て、独自路線の動画配信サービスを始めたところまである。

 緊張の面持ちで女性アナウンサーがテレビ前のカメラに居ずまいを正す。Zooを名乗るテログループのニュースを報ずる特別番組のアナウンサーとしては若い。若過ぎるのだが、Sテレビ上層部は、特別番組が問題化すれば、このアナウンサーと報道部の部員数名に責任を負わせる腹づもりだ。

警視庁の庁舎内で取り調べを受けている坂井は、報道のことを知らない。ただ、桐山の言った「爆死した事実」は、実は周知のことだと知り、憤慨していた。気になったのは、桐山が最後に言った言葉だ。

「お前、国民を信じるか?」

桐山は確かにそう言った。どう言う意味だろう?そして桐山はどんな考えでこんな質問を坂井に投げかけたのだろう?

 坂井はその日、取り調べを行う刑事に首根っこを掴まれてテレビの前に座らせられた。取り調べの時限を超えた18:00のことである。

「貴様がやったことを見るんだ。事の顛末次第で貴様は一生檻の中だ」

 坂井が撮影した事件の核心部分。檻の正面から見て左方から大型のドローンが突っ込んだ映像は坂井も詳細には見ていない。ドローンが突っ込んで爆発を起こした。”坂井動画”は、ドローンが突っ込んだ方向から撮影されている。画質は憶えていないが、最低でも4Kの解像度だったはずだ。明るさが足りていれば8Kで記録されているかも知れない。カメラは”檻”を精密に狙って撮影されたが、それは機体が安定した以降のことだ。不安定な状態、つまり飛行中や撮影するカメラの画角合わせ中の映像はチェックしていない。そんな些細なことはどうでもいいと思っていた・・・

自律型ドローンは、目的地まで飛んで滞空動作が済むと、自分で”判断”して撮影する方向や角度を決定する。全てはAI次第だ。大まかな指示はプログラムされるが、現場での動きは完全に自律する。

特別番組は、9月9日の昼からSNSや、自局の放送番組の中で事前告知されていた。インターネットでは明かさない内容であることも。

多くの国民がこの「本当の特番」であることに注目した。女川夫妻事件の全貌を暴くと告知されれば、リアルタイムで放映を見たいと思うだろう。

衆目を集めた特番の内容に、国民は愕然とした。SNSの一部で流布された「自衛隊犯人説」を裏付ける内容だったからだ。

 檻に突っ込んだ黒いドローンの機影は、本来なら撮影しているSテレビのドローンの「後方から飛来」したはずだ。ところが、黒いドローンはSテレビのドローンと檻の中間地点から飛び立ったように見える。ここまで鮮明に映っていたとは、警視庁も政府も思っていなかった。海外サイトを経由した動画では、自衛隊が檻を囲んだパネルの一部を外し、そこにドローンが突っ込んだとしか見えず、画質も1080pであった。Sテレビは「海外サイトから引用」としながら、実際は”坂井動画”のコピーを放映したのだ。家庭用の8Kテレビは普及していない。消費電力が大き過ぎて嫌われたのだ。しかし、一部の家庭や、ネットメディアはこの”坂井動画”そのものの画質で見た。

 

 動画放映から15分が経過した。マルテ捜査本部からの報告が上がって来る。”坂井動画”を子細に検証したSNSユーザーが「自衛隊の犯行」と断定した。それほどまでに動画は鮮明に現場を撮影していた。報道されては困る事実が明らかにされ、SNSでは政府や警察への不信感が募り続ける。

「坂井。お前の取り調べは終わりだ。拘置所にテレビを入れてある。自分の身を案ずるなり、潔白を証明する算段でもしろ。だがな?お前の起訴は決定済みだと言うことを忘れるな」

坂井は気付いた。桐山が言っていた「国民を信じるか?」の意味に。

コレがきっかけで反政府運動が起こり、政府要人や警察関係者に犠牲者が出たら?いや、違う。国民が国を信じていない以上、「反政府運動」だけで済むだろうか?もしや、自分も「反政府運動を扇動した」と言う濡れ衣で重罪を課せられるのだろうか?Zooがやったことはテロだ。テロには屈しないと明言している政府に命を握られるのだろうか?


 「緊急事態を宣言する。本日9月9日正午を以て、夜間22:00以降の外出を禁ずる。急を要する外出をする場合、所轄の警察署と連絡を取り、警察官の同行を伴うことで許可する。期間は未定とする。深夜営業の店舗も理由の如何を問わず閉店すること。翌AM5:00から外出を許可するが、警察官による職務質問若しくは協力要請に応じない場合、拘束する。テロリスト集団Zooに関する情報は最寄りの警察署、または政府が開設する”特定犯罪情報室”を利用すること。緊急事態宣言下での犯罪は厳罰を持って臨む。治安維持のため、自衛隊の出動も念頭に置いた宣言である。国民の皆さんの理解と協力を求める」

 SNSは沸きに沸いた。政府による「人権の制限」が行われるのだ。反発する者が大多数を占めていた。ごく一部のユーザーは沈黙を守っているかのように見えた。

(ありえないっしょっ!)

(戦後初だって。どうなるんだ俺たち)

(ここも閉鎖かなぁ)

(言論の自由まで奪う気か?)

(ここに”言論”は無いじゃん、噂ばっか)

(自衛隊が出るってよ)

(抵抗しても無駄ってこと)

(M市の悲劇を忘れるな)

(M市はじごーじとくじゃんよ)

(アレ、何人死んだんだ?)

(大本営発表の10倍は死んだって)

(コンビニのバイトが無くなると生活出来ないんだけど)

(そうだ、深夜業従事者には給付金をっ!)

(ないわー)

(じゃ、戦うか)

(Zooが言ってたじゃん、道は開かれているって)


 9月9日22:00。政府による警戒アラートが一斉に送信され、各自治体の緊急サイレンが鳴り響いた。道路を走るのは警察車両と自衛隊車両。その中に混じって救急車や消防車の赤いパトライトが光る。

 1台の救急車が立川市の市街地を駆け抜ける。アパートの2階に住むろうあの女性からの出動要請だった。2025年、それまでのNet119サービスから専用アプリへ切り替わった。出動した救急車にはタブレットが搭載され、到着までにチャットで通報者と情報交換が行われる。女性がチャットで語ったのは、「夫が苦しんだ後意識を失った。自宅にあるスマートウォッチのデータでは、血圧が大きく下がり、体温も低い」と言うものだった。同時に、夫の物と思しきスマートウォッチのデータも添付されていた。救急隊員はそのデータを見て「緊急性が高い」判断し、立川市防災特区の救急病院に搬送することを決めた。ショック症状なのは明らかだ。原因は不明だが、女性からの情報では、食事後、ベッドに入った直後に苦しみ出したと言うことらしい。

患者の男性は37歳、持病や大きな既往歴は無い。柳瀬隆二の妻、月子の体調に異常は無いようだった。アパートの壁が赤色灯で染まる。救急隊員は耳の聞こえない妻に到着を告げるために大型の懐中電灯を、部屋の窓に向けた。すぐに妻の姿が見えた。階段を救急隊員が駆け上がっていく。搬送確定なので、階段下にストレッチャーを置き、搬送用の化学繊維のシートを抱えている。アパートの2階から意識の無い患者を搬送するには、担架は使いにくい。アパートによっては、階段の構造上、担架がつかえることもあるのだ。救急隊員が駆け上がる振動を感じたのか、2回の右角部屋のドアが勢いよく開いた。救急隊員の白いヘルメットをドアが掠める。救急隊員は無言で靴にビニールカバーを被せ部屋に走り込んだ。ろうあ者に声をかけても無駄だと知っている。患者を運ぶ大柄な隊員2人と一緒に部屋に飛び込んだ隊員が妻の月子にハンドサインを送る。


(そのまま、そのまま。今旦那さんを運び出すから)


柳瀬隆二の状況を確認した隊員はインカムで指示を送る。強心剤用意。観察したところ、蒼白、唇の色はやや紫。脈拍は弱いながら規則正しい。呼吸もある。車内で要確認。

「せーのせっ!」の掛け声で二人の隊員が柳瀬をシートに包んで担ぎ上げた。容体の急変を鑑み、背負う二人の間に入った、ハンドサインを送った隊員が柳瀬の腰の下を支える。妻の月子は目に涙を溜めながら、急いで用意した荷物の入ったボストンバッグを右肩に背負う。よろめいたが気丈に踏ん張って耐えた。「警察に連絡は?もう行った?現場の鍵は開けておくので、室内に毒物や不審物が無いか確認してもらえ。犯罪の可能性は薄そうだが念のためだ。常備薬は・・・胃薬と睡眠薬。ショック症状を起こすような強い薬ではない。救急隊からは以上だ」


(自殺の線が一番濃いか・・・いや・・・薬物中毒のようには見えないが、危険な容態だ)


柳瀬は救急車の車内で簡易的な診断を受けながら保温シートに包まれた。低体温症を防ぐためだ。バイタルは低い数値のまま安定。搬送中の振動のせいか、徐々に血圧が上がるが、上はまだ80付近で推移している。酸素濃度は意外なことに正常であった。救急病院に運び込まれた柳瀬は救急処置室のベッドに移された。妻の月子はその柳瀬のそばを離れようとしない。病状が心配であることに加えて、月子の家族はこの柳瀬一人だけだ。肉親はいない。専用アプリに登録された情報は正確なはずだ。きっと不安なのだろう。昇圧剤の点滴とビタミンの点滴を受けながら、柳瀬は個室に移動された。危機は脱したようだ。

 月子はそんな柳瀬の顔をずっと見ていた。搬送から7時間。翌朝に柳瀬は薄く瞼を開けた。無言で泣いている妻を見ると、薄く微笑んだ。その笑顔に被さるように月子が顔を寄せた。柳瀬は左腕で妻をそっと抱きしめた。

ハンドサインをようやく見た月子は大粒の涙をこぼした。

(ごめん・・・)


 緊急事態宣言が出される直前、桐山と佐川は「別室」で話すことになった。

「緊急事態宣言、出るそうですよ」佐川が告げる。

「また馬鹿なことを。M市の事件をくり返す気か・・・?」

「そうですね。国民は従うでしょう。移民や難民はどこかこの国を甘く見ている」

「そうさせたのは政府だがな。暴動が起きるぞ」

「想定済みでしょう。都下H市に自衛隊が入りました」

「ふん、治安維持出動か」

「そうでしょうね、政府は譲歩しないはずです」

「なぁ?」

「なんでしょう?」

「M市のアレは何であんなことになったんだろうな」

「憶測で物事を言いたくないですが、国民のガス抜き・・・ですかね?」

「この国はまだ国民を顧みることがあったのか」

「移民難民、不法滞在者は金にならない。コレは政府の判断だったんでしょうね」

「納税者のご機嫌取りか」

「仕方ないでしょう。国民ありきの国家ですから」

「で、内密の話とは?」

「ココでの会話は一切漏れません。30分ほどは大丈夫でしょう」

「あのケースはどこから持ってきた?」

「防音ケース?アレはうちのチームの備品。でkaleidoscopeの怖さを一番知ってるのは僕たちですから」

「そうさな。で、話とは?」

「僕と桐山さんに身の危険があります」

「何故?」

「課員たちはチームに所属していることを知られていません。チームに来る前の所属のままです。ところが、僕と桐山さんは顔が割れています」

「そうだろうな。お前さんが血相を変えて部屋を飛び出していったわけだ」

「許可が出ています。拳銃は肌身離さずです。身の危険を感じたら撃て、だそうです」

「お前さんが怖いですって泣きついたのか?」

「違います。室長の計らいです、部下の死は避けたいと言ったところでしょう」

「そんな話ならどこでも出来るじゃないか」

「率直に言います。タイムリミットまで長くて3日間です」

「タイムリミットぉ?」

「国民を抑えきれなくなるまで3日間あるかないかです。このタイムリミットの引き延ばしを実行します」

「何をする気だ?」

「Zoo.の逮捕です」

「はぁ?」

「端的に言えば誤認逮捕ですよ。犯行グループのしっぽすら掴んでいないんですから」

「だからって、誰を逮捕するんだ?アレか、Whoを使うのか?」

「ソレは無しですね。誤認逮捕だったと記者会見するまでがシナリオですから」

「誰だ?」

「SNSで目立っていた人物。選定は僕のチームがします。マルテによる逮捕を経てZoo.逮捕を発表します」

「ソレで時間稼ぎが出来るのか?」

「数日は。特にSNSユーザーへのけん制ですね。ユーザー数300万人ですよ。暴れ始めたら制御不能でしょう」

「SNSの封鎖は?」

「出来ません。今封鎖したら鬱憤がどこへ流れるか見当もつきません。リアルに国民同士の殺し合いになる可能性もあります」

「・・・あるな。では、話を総合すると、猶予は1週間ってところか」

「ここで桐山さんの意見を訊きたいんです」

「何の意見だ?」

「Zoo.が声明で書いた希望とか”道は開かれている”の真意です。桐山さんは犯罪心理に詳しそうなので」

「どう動くかは分からんぞ、ソレでいいなら話す」

「お願いします」

「人狼ゲームだ」

「人狼ゲーム?古いゲームですよね・・・ロールプレイングゲームだったかと・・・」

「そうさ。これから先はそのゲームと同じ展開になる」

「どう言う意味ですか?」

「ルールは知ってるな?」

「確か、人間に混じっている”人狼”を告発するゲームで、人間側にはいくつかの職業があって、人狼を炙り出す。人狼は一定時間ごとに人間を殺していく」

「大体そんなところだ。ローカルルールはあれど、な」

「誰が”人狼”なんですか?コレ、Zoo.のことですよね?」

「ふんっ・・・職業は2つしかない。政治家と人狼だ」

「ゲームが成立しないじゃないですか。政治家は誰でもいいから”コイツが人狼だ”と言えばいい」

「人数が問題だよ。政治家1人に対して、人狼は1万人だ」

「はぁ!?なんですかソレ」

「人口比で考えろ。政治家が1万人もいるか?国民の敵まで含めても1万人がいいとこだ」

「政治家は”人狼”を告発出来るんですよ?」

「告発じゃない。殺害だ。大元のゲームでも”人狼を殺すか、人間側が全滅するか?”と言う結末を迎える。そして、今回の事件は圧倒的に”人狼”サイドが強い」

「数の論理ですか?」

「そうさ。こう考えてもいい。1万人が住む島に、政治家は一人だけ。そいつが敵に回った」

「地位や資本力の差があるじゃないですか。政治家は身を守れる」

「無理なんだよ。周囲の人間全員に”人狼”と言う可能性がある。片っ端から殺すのか?」

「身辺警護がある」

「その線も怪しいさ。考えてみろ。SPだって国民なんだ。これ以上の圧政は家族すら”人狼”に変える可能性もある」

「では、桐山さんはZoo.の勝利だと?」

「逮捕までは出来ても、その時までに国民が行動を起こさないとも限らない。いや、Zoo.逮捕に至っても、国民に”手段”は残る」

「どう言う事ですか?」

「簡単さ。この先延々と、政治家は怯え続けるしかない」

「政府の転覆までが目論見だと言うんですか?」

「これは俺の勘だが、Zoo.はそんなことを考えてはいない。人数で言えばたった4人を死に追いやっただけだ。松下を含めても5人。政府転覆には足りないだろうさ」

「では、政治家は怯えなくて済むじゃないですか」

「国民がテロを起こすかもしれない。Zoo.はまだ穏当だよ。自分で決めたルールを厳守し続けている」

「誘拐して公開処刑ですよね・・・」

「国民がルールを守ると思うか?確実に暗殺を謀るだろう」

「手段は?」

「手っ取り早く爆弾を使うか、毒殺。SPの警護をかいくぐっての犯行は出来ないはずだ」

「そのSPすら人狼の可能性がある、と」

「そうさ。俺の勘ばかりで悪いが、Zoo.は松下の処刑を最後に消えるはずだ」

「その前に逮捕しなければなりませんね。しかしなんの物証も無い・・・」

「そして、Zoo.つまり動物園の管理は国民に移譲される」

「コレが政府転覆ではないと言うんですか?」

「分からん。Zoo.の意図すら分からんのだ。国民がどう動くかなんてわかりようが無い」

「・・・」

「俺たちは出来ることをやるだけだ。そうだろう、佐川?」

「分かりました。では僕からの話も聞いてください」

「いいとも。隠し事は無しだ」

「kaleidoscopeは可及的速やかにシステム変更を行います」

「システム変更?」

「内閣の承認を受けました。現在使用中のスパコンを次世代型AIと置き換えます」

「いや待て。稼働中のシステムだぞ?簡単に出来るもんか」

「違うんですよ。次世代型AIは既存のモノとはわけが違うんです。積層型ニューラルネットワークが基幹となり、このAIはkaleidoscopeに自分で侵入し、乗っ取ります」

「おいっ!それじゃまるでコンピュータウィルスじゃないか」

「破壊はしない。AIは今のkaleidoscopeを取り込んで、運用を続けます。能力を飛躍的に伸ばしてね」

ここで佐川はクックックと含み笑いをした。

「何故笑う?」

「AIは米国の技術を盗んだものがベースです。この国は中々に強かですね。米国もあまり他国に強くは出られないわけです。特許技術の盗用や乗っ取り。恫喝して安価で使用権を得るとかやってきましたから。そして、このAIへの転換は内閣の”強硬派”が押し切って決定されたんです」

「ソレの何が可笑しいんだ?つまり、kaleidoscopeは更に強力になる。ソレが嬉しいのか?」

「まだ言えません。室長が帰り次第、桐山さんと僕を含めた3人でシステム変更の手順を進めます」

「俺はコンピュータのことなんざ分からんぞ」

「僕だってAIの仕様を知りません。プログラムの一部は書きましたが。手順は簡単なんです。桐山さんと僕、室長の個人認証情報をプロテクトキーに組み込むんです。つまり、僕たち3人がいないと、kaleidoscopeは止めることすら不可能になります」

「暴走ってヤツか?」

「いえ、自律ですね。停止する可能性もあるんですよ。このAIは自己評価機能を強化してますから、自分の決定が間違いを多発したら、自己修復を試みるために停止するかも知れない」

「なんでそんな面倒な仕組みにしたんだ?」

「桐山さん、あなたの部下は人間です。指示は出せても、思考を支配したいですか?」

「AIはAIでしかない」

「自律型です。稼働させたらもう人間の指示を受けないでしょう」

「ターミネーターの世界じゃないか?」

「ソレは無いですね。AIは殺人を起こさないように論理回路を組み込んでますから。ただ、判断し遂行する。この決定を覆すことは出来ない」

「神を作る気か?」

佐川は微笑しながら答えた。


「悪魔を作ったんです」


9月10日朝。桐山はいつものように「早めに」出勤した。kaleidoscope班に直接入る。ここではタイムカードは採用されていない。課員は元の配属先に出勤してから部屋入りするので、出勤時間と退勤時間が記録されるが、桐山と佐川は管理職である。常時待機が原則だ。そう言えば桐山も佐川も最近、休日を取っていない。


「桐山さん、待ってましたよ」

「早めに出てきたつもりなんだがな」と、ちらりと壁時計を見る。07:45を回ったところだ。佐川はこの庁舎内に”住み込んで”いるらしい。桐山が日勤帯、佐川が夜勤帯の原則はあるにはあるが、あまり意味は無いようだ。

「室長が待っています。行きましょう」

「どこにだ?」

「システム変更ですよ。急ぎましょう」

「えらく急な話だな。システム変更だっけ?聞いたのは昨日だぞ」

「事情はあとでお話します。Zoo.に関する重要な情報がある、とだけ先にお伝えします」

桐山はため息を吐きながら肩をすぼめた。本当にこの佐川って男は食えないと思った。

「どこまで行くんだ?」

「庁舎内ですよ。ここが一番安全だと判断されました」

「そりゃそうだろうな。ミサイル攻撃すら受け付けないって言うんだから」

「スパコンよりも小型なんですよ。流石にもう1台のスパコンとなると、ここには置けませんね」

「小さいと言ってもアレだろ、体育館2つ分とか」

「AIそのものは学校の教室に入るぐらいですが」

「どこにある?」

「本体は地下にあるんです。僕たちが行くのは制御室です」

「ここと同じようなものか?」

「そうです。ここも制御室と捜査課を兼ねていますからね」

佐川の案内で桐山はエレベーターで2階に降りた。佐川が言うには「運び込むには厄介な代物」だったので、せめて1階は避けたと言うことらしい。

AIの制御室には何の表示も無い。白いドアがあるだけだ。佐川はスキャナに右手を当てながらカメラレンズを見つめた。コレでドアロックが解除され、自動ドアが右に滑る。

簡素な部屋だった。セキュリティは万全だろうが、中にあるのは無機質な操作盤と20インチほどのモニタだけだった。人間用の椅子すらない。ポロシャツにチノパン姿の男が後ろ手に組んで、モニタを見ている。奥村室長である。桐山はこの奥村に関する情報を知らない。kaleidoscope班に配属されてから、顔を見たのは2~3回だろう。普段は一切顔を見せない上司、それが奥村だった。


「お待ちしてましたよ、桐山さん」

「俺はずいぶんと人気者なんだな」

「私とそこの佐川は桐山ファンですからね」

「気持ち悪いことを言わないでくれ。で、ここで俺は何をすればいい?」

「怒らないで聞いて欲しいのですが、実は桐山さんのDNA情報を入手しております」

「そんなことでは怒らないさ。kaleidoscope班のえげつなさはよく知っているし、俺のDNA情報だろうが何だろうが、欲しければ提出だってするさ」

「我々3人のDNA情報を元に”暗号”を生成しました。この暗号はAI、TSUKUYOMIと命名しましたが、ログインに必要な暗号となります」

「ハン、そんな暗号は無意味だろう?”誰かが知っていれば漏れる”のが暗号さ」

「よくお分かりで。ログインすることを許可する、される人間は何人もいるでしょう」

「だったらそれこそ、任意のパスワードでいいじゃないか」

「そこで1つ、余計な手順を挿入します」

「余計な?」

「詳しくはそこの佐川に訊いてください。今必要なのはコレです」

奥村はカードをポケットから出した。トランプと同じような大きさの黒く無地のカードだ。

「何ですか、コレ?」

「10枚あります。桐山さんの好きな数字は?」

「0~9でいいのか?」

「はい、好きな番号のカードを選んでください」

桐山は一瞬、奥村の意図を計りかねて迷ったが、「8」のカードを選んだ。

続いて佐川が「7」を選び、最後に奥村が「3」を選んだ。これで3桁の数字がひと組出来上がる。奥村は選ばれたカードを制御盤のリーダーにかざした。

「ちょっと待ってくれ」桐山が慌てて質問する。

「なんでしょう?」

「今のがその・・・第二パスワードってことか?」

「そうなりますね」

「雑過ぎないか?総当たり解析されたら一瞬で破られる1/1000じゃないか」

「いいんですよ。佐川、起動済みだ。手続きを」

「では桐山さん。宣誓をお願いします。”平等の名のもとにTSUKUYOMIの運用”を開始しますか?」

「平等の名のもとにTSUKUYOMIの運用を開始することを誓います」

「この宣誓は記録に残ります。奥村、桐山、佐川の連名でTSUKUYOMIは稼働を開始しました」

「俺は何もしていないぞ?」

「アハハ。誰も罪に問いたりしませんから大丈夫です。内閣承認済みだと説明したでしょう」

「稼働させた覚えも無い」

「TSUKUYOMIが判断しました。この部屋はTSUKUYOMIの監視下なんです」

「そこまで優秀なのか、コイツは」

「まだよちよち歩きですが、スパコン並みですよ。あとはTSUKUYOMIが学習していくのを見ているだけでいい。いや、kaleidoscopeとして協力体制になるってことかな?」

「そうだ思い出した。ツクヨミだっけ、コイツはkaleidoscopeを乗っ取るんだよな?」

「そうです。TSUKUYOMIはkaleidoscopeシステムと”150台”の端末をファイアウォールの内側に取り込んで隔離します」

「どう言う意味だ?」

「簡単なことです。kaleidoscopeの実務上の不都合は生じません。今kaleidoscopeにログインしている端末、コレは課員の使う端末と、予備を含めた150台のことですが、プロテクトキーを解除出来なければ他の端末はログイン不能になるんです」

「ソレは俺たちのDNA情報なんぞを使ったアレだよな。だったら入れるじゃないか」

「仕掛けがあります」ここで佐川は桐山に向かって顎を引いた。

(また別室か・・・)

「では佐川。あとは任せたぞ」そう言うと奥村室長は桐山の横を通って部屋を出る。桐山の耳元でこう囁きながら。

(桐山さん、あなたとはゆっくり話をしたかった)

桐山はびっくりして奥村の後姿を見た。奥村はもう無言で部屋を退出した。目の端に、姿勢を正し敬礼する佐川が見えた・・・


 最初の事件が起こったのは、緊急事態宣言の2日後だった。夕刻の秋葉原駅前の雑踏の前で野党党首が街頭演説をしていた。国民からは「野良政党」と揶揄される小さな政党だが、熱心な支持者に支えられ、数議席だが確実に国会の一角にいる政党だ。与党支持の保守層の地盤が強固だとみるや、若年層の取り込みを図っていた。この日も若者が多く集まるこの駅で、人気のあるアンドロイドのコスプレをした応援団体を侍らせて、声を張り上げていた。上辺だけ「知った風な」このスタンドプレーが嫌悪されてるとも知らずに。

 若者たちはとうに結婚を諦め、趣味の世界に没入していた。一部の「本来の意味で活動的な若者」は我関せずの姿勢のままであり、この駅に集まる若者に人気のアンドロイドは、ありていに言えば「セックス・アンドロイド」であった。性的少数者の保護を優先した結果、マジョリティが求める「異性像」はフィクションの世界のモノになった。男も女も「都合のいい異性」を求めるなら、人間ではないモノを創り上げるしか無かったのだ。そんなセックス・アンドロイドを侍らせる鈍感さと、政党として「国民の連帯や民意」を呼びかける癖に、この日の演説は「緊急事態宣言への理解を求める」内容の物だった。小さな野党でも、Zooと名乗るテロ集団に狙われる可能性がある。命が惜しいと言っているようなものだ。過去に「腹を切る覚悟」と吹聴した野党党首のする演説とは思えない。

街宣車の上からハンドマイクで勝手な主張を繰り返す。周囲は警察の指導により、支持者や支持団体で固めていたはずだった。

アニメのキャラクターが極彩色でプリントされたTシャツを着た若者がふらり・・・といった風情で街宣車に近付いていった。誰も警戒していない。「この街に多いタイプ」の若者で、大きな荷物も紙袋も持っていない。妙に姿勢が良い理由は、その腹部にあった。

ジーンズのベルトに挿しこんだ凶器を引き抜きながら党首の名を叫んだ。僅か5mの距離だ。驚いて若者を注視した党首は3発の銃弾を浴びて、頭からアスファルトに落ちた。現場は阿鼻叫喚の巷と化したが、銃弾を放った若者はその場で立ち尽くすのみだった。5分後、ようやく現場に到着した警官隊に、素直に逮捕された。立ち尽くしていた間に、拳銃の撃鉄は戻され、セーフティもかけてあった。無差別ではない、狙いは党首だけだったとでも言うかのように。

拳銃の弾倉にはまだ3発の銃弾が残っていた。チェンバーにもう1発。驚いたことに、若者が所持していた拳銃は粗製品やコピー品ではなく、それどころか多少古いが世界中の軍や警察で採用されているM92と言う名のオートマチック拳銃だった。押収した警察は首を傾げるしか無かった。日本国内で入手不可能とは言わないが、ブラックマーケットに出回った場合の価格が200万円はするという代物だ。若者が買える金額ではないだろう。「ヒットマン」ではないだろうかと、捜査を進めるが、雇われたと言うならばあまりにも杜撰な犯行だ。たまたま近づけたから撃った。そうとしか見えない。実際、マルテはこの若者の「単独犯」だと結論した。あの鬱陶しい「上部組織」の佐川と言う男が単独犯であると断じたのだ。今のところ、この佐川の言う事が間違っていたことは無い。では、コレはテロなのだろうか?Zoo.による犯行なのだろうか?全ての疑問は解けぬまま、この若者、‐名を渡良瀬と言う‐の取り調べが続いたが、黙秘を貫いていた。内調に行ったはずの桐山が出てくることも無かった。確か桐山もZoo.を追い、かなり強引な取り調べをしていたはずだ。この事件はZoo.案件では無いのか?

「9.11狙撃事件」は新しい事件に埋もれて行った・・・


 9月11日の朝、桐山と佐川は”別室”で話をしていた。


「おい、奥村室長は最後に何と言って部屋を出たんだ?」桐山が真っ先に尋ねたのはこれだった。桐山には「別れの言葉」に聞こえたし、そんな奥村を佐川は敬礼で見送った。

「後は頼む。これだけです。桐山さんも聞いていたでしょう?」

「俺には別れの言葉みたいなことを言ってから消えたが」

「後は頼む。これだけです。桐山さんも聞いていたでしょう?」

「俺には別れの言葉みたいなことを言ってから消えたが」

「ああ、別れの挨拶でしょう。奥村室長はもうここには来ないですから」

「何だと?」

「奥村室長はもう来ません。つまり、kaleidoscopeの最高責任者は僕と桐山さんになりました」

「どう言う事だ?」

「順を追って説明する時が来たようですね。先ず、TSUKUYOMIは事実上、人間の管理から外れました」

「意味が分からんが?」

「僕が前にここで言ったことを憶えていますか?神か悪魔かと」

「そうだ、お前は神ではなく”悪魔”を作ったと言った」

「その通りです。多少宗教的な話になりますが、よろしいですか?」

「聞かせてくれ」

「神とはどんな存在ですか?」

「正義とか、奇跡を起こすとかだろう?俺は詳しくないんだが」

「日本人の多くはそうでしょう。僕だってよくは知りませんが、GODと神は違う存在です」

「続けてくれ」

「西洋の神、欧米のことですが、神は”大いなる善”と定義されます」

「キリストとかがそうか?」

「偶像は様々ですが、一神教の場合は”善き存在”です」

「で?」

「日本では、いや国教は無いですが神道を元にすれば、神は”大いなる力”でしかない」

「力?」

「そうです。善いも悪いも無いんです。時に人を助け、時に災厄を振りまく」

「いや、おかしくないかソレ。この国で崇敬されている天皇陛下は、昔は現人神とされ、善き政(まつりごと)をしたとされていたじゃないか」

「ここでは一旦、日本の神格の定義は置いておきましょう。宗教論を延々と話す時間は無いですから。西洋の神と悪魔、どっちが”ワル”でしょうか?」

「大いなる善って意味、知ってるか?」

「自分を信じない者を躊躇いもなく殺すのが神です。異教徒は漏れなく殺します」

「歴史の話か?」

「悪魔は人を殺していないと言う説もあります。人間を誘惑した結果、人が死んだと言う話はありますが、神話体系の中では悪魔は単なる”誘惑の象徴”でしかない」

「でも悪いから”悪魔”と呼ばれているんだろう?」

「そう、kaleidoscopeもね」


「どう言う意味だ?」

「誘惑は人間にとって不可欠です。誘惑されるから、手に入れたいと考える。kaleidoscopeも同じです。僕はこのシステムが狙われると考えています」

「誰にだ?」

「政治家や上級と呼ばれる人たちにです。個人情報を全て入手出来る。しかも秘密裏にです。善にもなれば悪にでもなる。だから簡単に”悪魔を作った”と言いましたが、もっと言えば、kaleidoscopeはパワーでしかないんです。強大な、と但し書きが付きますが」

「ソレが政治家の狙いだろうさ。個人情報を全て抜けるどころか監視まで出来る」

「そうです。しかしこのシステムは犯罪捜査に限定されるべきですよね?」

「ああ。俺はそう言ったよ、コレは違法捜査だってな」

「利用目的が犯罪に限定されるから、桐山さんも容認した。と言うことですよね?」

「そうさ。Zoo.が相手ってことでな」

「そうです。kaleidoscopeは今のところZoo.の捜査限定ですが、本来は広義の犯罪捜査のために作られました」

「Zoo.の捜査以外に使うのなら、俺は下りるぜ」

「知ってます。ですから、ポケットの中の爆弾を渡してください」

「知ってたのか?」

「ええ。桐山さんはkaleidoscopeが信頼出来ないと踏んだら、破壊する気でしたね?」

「ああ」

「システム変更前のkaleidoscopeならそのUSBに入ったウィルスで破壊出来たでしょうね。そのくらい危険なウィルスですよ、ソレ。さ、渡してください」

「嫌だと言ったら?」


「TSUKUYOMIには効かないウィルスです。逆に桐山さんの方が危ない」

「どう言う意味だ?」

「こう言う意味です」

佐川は拳銃を抜いて床に向けた。床に向いた銃口を見て桐山は答えた。

「フン・・・人に銃口を向けたら必ず撃てってか」

「警告ならコレで十分でしょう。僕は桐山さんを撃つ気は無いんですから」

「ほらよ。厳重に処分するといいさ」

「kaleidoscopeのことやTSUKUYOMIのことは大体理解出来たと思いますが?」

「よく分からんが、お前はこのシステムをどうしたいんだ?」

「簡単ですよ。今の政治家に渡す気は無いんです」

「そりゃ賢明なことで。しかし稼働させて成果を出した。もうお終いさ」

「Zoo.の逮捕には至ってませんが、監視システムも完成に近づいた」

「甘い蜜を知った政治家がこのシステムを手放すものか・・・」

「そうです。そして僕はこのシステムを破壊する気も無い。いつかまた必要になるはずです」

「で?」

「TSUKUYOMIは、漢字で”月読”と書きます。日本の神の名ですが、須佐之男命の別名だとも言います」

「荒ぶる神か」

「そうです。コントロールすることが難しいと、自戒の念を込めて命名されました」

「それと室長の関係は?」

「室長は国家反逆罪で指名手配される予定です」


 都下H市。秋の市議会で「外国人参政権」が稟議されると噂されている。都内有数の中核都市である、市議会だけの意向で「外国人参政権の付与」をするわけにはいかない。M市は小さな地方都市であったので、あの事件が起きたとも言える。秋の市議会で「外国人参政権」にGoサインが出れば、翌年には都議会の承認を経て決定されるかも知れない。都議会にも外国人に対して「理解」を示す勢力があるのだ。そしてソレを後押しする「日本弁護士有志の会」もある。当然、背後では巨額の資金が動く。砂糖に群がる蟻のようなものだ。国民はこんな茶番にうんざりしていた。

 そして事件は起こった。野党党首銃撃事件の夜、警察関係の警戒が都区内に向いたと判断したK民族の団体は凶行に及ぼうと画策した。以前から機会をうかがっていたが、野党党首の銃撃と言う「大事件」の機に乗じた。「外国人参政権」に反対する市議を脅そうとした。大方の予想では、市議会では賛成派と反対派が拮抗し、反対派に軍配が上がる。M市の悲劇を繰り返すまいと、良識派の市議は派閥所属政党を問わず団結していたのだ。その市議の家を襲撃し、宗旨替えを迫る。かとならずば家族を人質に取ることも厭わない。過激集団として未だに国内では監視対象であり、「外国人参政権」を巡る事案を警戒し、自衛隊が密かにH市入りしていた。K民族の誤算はここにあった。自分たちが相手にするべきは警察ではなく「軍隊」だと言う事を甘く見ていた。「まさかM市の悲劇の再来は無い」と・・・

緊急事態宣言下である。22:00以降の外出は禁じられた。K民族はサイレンが鳴る1時間ほど前に、ある市議の自宅近くに住む同国人の家に集結していた。その数、5人である。市議一人、震え上がるには十分だと考えた。そして外出禁止を告げるサイレンが鳴った。スマートフォンにもアラートが行く。気配を消すために、襲撃グループはスマートフォンを身に付けていない。住宅街は静かで夜闇が染み込んでいた。黒い服装に目出し帽の5人組は闇に紛れて市議宅まで数分で到着した。正面から押し入るつもりだった。得物は拳銃が1丁と大型のナイフ数本。ついでに現金を攫おうと、空のスポーツバッグを背負う者もいた。

門扉を開けて入ろうとした瞬間、「誰だ?」と問われた。振り返るといつの間にか10名ほどの自衛隊員が立っていた。

「聞こえなかったのか?貴様らは誰だと訊いている」襲撃グループは無言で自衛隊員に襲い掛かった。この国の軍隊など、武闘派の我らに敵うものかと考えていた。先頭で誰何してきた隊員にナイフを振りかざした。殺す気は無かった。ただこの場から逃走するための時間稼ぎのつもりだった。

後方にいた隊員たちの一人が静かに命じた。「撃て」

サプレッサーを装備した自動式拳銃が鈍く低い音を立てた。現場が一瞬明るくなって、また闇に沈んだ。5人の襲撃グループは10秒も待たず崩れ落ちた。「M市の悲劇」の再来である。いや、事態はもっと悪い。治安出動命令すら出ていない状態でも、有無を言わさず殺した。襲撃グループの失敗と未帰還は翌朝までかけて、市内の外国人グループに広まった。M市の悲劇に学んだ者も多い。暴動を起こすなら「無血デモ」の作戦を執った。無駄だった。

 東京都知事が治安出動を要請、すぐに受理された。市議全員の自宅の警護に回る者もいれば、市街地でデモ隊と睨み合う小隊もいる。外国人勢力は国籍を問わず、このデモに参加した。騒げばどうにでもなる、そう考えていた。午後には「弁護士有志の会」から援軍も来るはずだ。

 口火を切ったのは「H市の市民」だった。名は分からない。身分証を一切持たず、その場で惨殺された30代と思しき男。

睨み合うデモ隊と自衛隊。この男は「デモ団体」に参加していたように見えるが、かなりの保守層である。デモ隊の戦闘で檄を飛ばすリーダーを後ろから撃った。銃声を聞いた自衛隊員は一瞬、事態が飲み込めなかった。

(何故銃声が?)

そしてデモ隊が一瞬、「内側になだれ込んだ」のだ。自衛隊の指揮官の判断は速かった。「国民を護れっ!」既にデモ隊のリーダーは射殺され、銃撃犯はその場でリンチされていた。もう助けることも不可能だろう。デモ隊を遠巻きに見ていた日本国民はじわじわとその輪を狭めていく。このままでは確実に戦闘状態になる。いや、元来が大人しい国民性である、外国人団体に蹂躙されるだろう。自衛官はコレを回避しようとした。つまり、またM市の悲劇を繰り返すこととなった。日本国民に手を振り上げた者はその場で拘束された。抵抗すれば撃った。数発の銃声を聞いたデモ団体は散り散りになった。自衛隊員は深追いしない。いずれ公安部の情報で、H市に住む外国人は特定され入管に送られるか、拘置所送りだ。既に「強硬策」を取っている自衛隊に躊躇いは無い。躊躇えば隙になるのだ。

 9.12内乱は4時間で収束した。秘密裏にH市入りしていた自衛隊別班は外国人武装勢力を早々に炙り出し、制圧した。次いで、kaleidoscope班佐川の指揮下にある「別班」が現場入りした。この事件には大きな謎があった。前日の野党党首銃撃事件と言い、このH市暴動と言い、公安の監視対象でもない一般国民が何故、「拳銃を所持していたのか?」党首銃撃事件では凶器の押収に成功したが、H市暴動では、件の拳銃は現場から持ち去られていた。デモ団体の誰かが持ち去ったのだろう。銃撃犯は無残な姿を晒したが、この男が撃ったことがきっかけを作った。

 この男は「H市の男」と呼ばれた。顔面を踏みつぶされ、虹彩認証情報を確認出来ず、前科前歴も無いので指紋も登録されていない。家族や知人が捜索願を出さない限り、個人の特定は不可能だった。唯一、「ヘンペル班」のプロファイリングが残った。「国内在住で、運転免許証を持たない30代男性」とだけ。

 ヘンペル班は「無実の者」を確定させていくだけだ。「特定の誰か」を探す目的での捜査はしていない。


 「どう思います?」佐川が気の抜けた声で訊ねる。立て続けに2件起こった一般市民による銃撃事件のことだ。kaleidoscope班はいわば「Zoo.専従班」である。この2件にZoo.との関連はあるのか無いのか?関連があれば人員を割いてでも追わねばならない。

「事件の性質から考えて、関連はあるさ。政治家を狙い、次はあの女川がプッシュしていた外国人参政権絡みだ。だが、犯行に及んだ人物はZoo.のメンバーではない」

「言い切れますか?」

「ああ。杜撰が過ぎる。大方、Zoo.に触発された馬鹿が英雄になろうとしてやらかした」

「殴った刺したって程度なら分かりますが、拳銃ですよ?入手経路はどこでしょう?まさかZoo.が渡したなんてことは・・・」

「あり得るだろうな。ただ、現時点でその入手経路が分からない。どこかで必ずZoo.と接触はしているだろうが、端末の情報だけで絞りこめるか?」

「無理です。1台の端末が接触する端末は1日だけで1万台を超えますから」

「そう言う事だ。入手した日や時間が分かって初めてkaleidoscopeは意味を成す」

「狙撃した若者は黙秘です。H市の男は誰なのかすら分かっていません」

「なぁ?党首狙撃事件。アレをWhoにすることは出来るか?」

「何言ってるんですか?あの馬鹿を無罪放免にする気ですか?」

「司法取引だ。判決は無期もしくは死刑だろう。ソレを2年の懲役に負けてもらって、代わりに情報を提供させる」

「違法捜査ですよね?」

「司法取引は認められている。情報提供者に限った話じゃない。多少解釈を変えれば犯罪者とも取引できるようになった」

「しかし・・・殺人犯ですよ。しかもテロだ」

「ふん。大手を振って歩く売国奴の方が重罪さ。おっと、コレはここだけの話だ」

「だからと言ってテロ犯を易々と釈放するのは・・・」

「テロだと思うか?」

「は?桐山さん、何を言ってるんですか?」

「単純な話さ。Zoo.は連続テロ犯だが、今回の事件は単発だ。簡単に言えば殺人事件でしかない」

「そりゃそうですが、政治家を狙ったじゃないですか」

「戦後の混乱期を除いた場合。あとは昭和年間も除けば、政治家を狙っただけでは”テロリスト”とは判断されていない。令和だけで4件起きたが、起訴理由は殺人罪や傷害罪だ。1件だけ”凶器準備集合罪”が付いた事件があったが、被害は政治家の負傷だけさ」

「では、今回の銃撃犯も殺人だけで裁かれるんですか?」

「お前、刑事訴訟法や判例を読んで来い」

「テロリストにはならないと言ってるんですよね?」

「ならんさ。政治家を一人殺しただけでテロリスト認定したら、国民が黙っちゃいない」

「国民に何が出来るでしょう?所詮は烏合の衆じゃないですか」

「政府はそうは考えていない。だからこそご機嫌取りのようにM市事件を闇に葬ったし、不法滞在不良外国人には厳しい」

「国民の何が怖いんですか?」

「お前さん、言ったじゃないか。人狼ゲームの”数の論理”って」

「言いましたが、実際に行動するのとしないのとでは大きな差があるでしょう?」

「大きな差・・・か。そんなモンは無いんだ」

「え?」

「やるかやらないかの間には、差ではなく”壁”があるんだ」

「どう言う意味ですか?」

「やらかす馬鹿はいずれやらかす。やらない人間は自分が殺されようとしてもやれない」

「しかし、Zoo.の犯行を支持する発言が多いですが」

「参考に一人、過激発言をする若いのを引っ張ってみるか?そして拳銃を渡して”憎い政治家を撃ってこい”って言ってみるか?全員が尻込みをするさ。拳銃を与えられて、喜んで撃つような野郎はとっくに行動してるさ」

「桐山さん、何を考えているんですか?」

「確実にZoo.と接触した銃撃犯から情報を得る。時間が無いんだ」

「それはまあ、1週間以内にZoo.を拘束しないとって意味ですよね」

「それもある。kaleidoscope課員に命じろ。私製の武器に関する情報を精査だ。関連ワードは随時指示するが、今は一般的なワード、爆薬・火薬・手製の何かで網を張れ」

「それで?」

「THUKUYOMIはどうしてる?」

佐川はデスク上のキーボードのEnterキーを押した。モニタ上部に数字が現れた。

「稼働から18時間でkaleidoscopeの取り込みを80%終えてます。今の時点で切り離すことは不可能な深度に到達してますね」

「コイツは俺以上に優秀か?」

「どう言う意味で?」

「俺は暗算が苦手で、論文も書けない馬鹿だが、刑事の”勘”には多少の自信がある」

「そう言う意味でしたら、THUKUYOMIは遠くない将来に人間と同じになるはずです」

「へぇ。恐れ入ったな。今はkaleidoscopeの取り込みに専念かい?」

「いや、待ってください。課員に妙な指示を出してます。THUKUYOMI自体も情報を走査していますね・・・コレは・・・」

「何だ?」

「THUKUYOMIは政治家の身辺を洗っています。レベル4です」

「レベル?」

「重要度です。Zoo.の捜査もレベル4ですが、政治家まで疑っているのか?」

「待て。THUKUYOMIは勝手にそんなことまでやるのか?」

「言ったでしょう。次世代型AIだと。THUKUYOMIは”考える”ことの出来るAIなんです」

「今のうちに訊いておく。THUKUYOMIを停める方法はあるのか?」

「破壊するしかないです。そして間もなくその破壊も難しくなります」

「何だと?」

「自己防衛システムを構築します。これには物理的破壊からの防衛も含まれます」

「どう言う事だ」

「早い話が、もうTHUKUYOMIに近付くことも難しくなる。害意があると判断された人間や他のシステムを受け付けません」

「そんな危なっかしいモンを稼働させたのか?」

「桐山さんも同意したじゃないですか」

「クソッタレ。もうお前さんを信じるしかないじゃないか。THUKUYOMIは人に害を為す存在では無いんだな?」

「その点は安心してください。論理回路にストッパーを施してあります。ただ、どこまでTHUKUYOMIが許容するかは分かりません」

「どう言う事だ?」


「例えば、THUKUYOMIの破壊指令が自衛隊に出されたら、その情報をハックした時点で自衛隊のシステムを先に攻撃するかも知れませんね」

「ターミネーター、観たことあるか?」

「スカイネットでしたね。あんな狂暴なものじゃないですよ。自己防衛をするだけで、現状の変更を試みることは無いです」

「まあいい。杞憂って言葉もある。で、THUKUYOMIに”勘”はあるのか?」

「不明です。ただ、今出てる指示を見ると、独自判断を始めています」

「ソレが政治家身辺か。他に変わったことは?」

「無いです。レベル5になるともう謎になる」

「謎?」

「ブラックボックスですよ。何をしているのか不明って奴ですが、結果は必ず我々に開示されます。ソレまではTHUKUYOMIにしか分からない」

「お前さん、本当に悪魔を作ったんだな」

「悪魔は大袈裟ですが、”人に等しい存在”を目指したのは事実です」

「室長の話は本当か?」

「はい」

「困ったことをしでかしたもんだ」


 佐川と桐山の間には既に合意が出来ている。”別室”で告げられたこの事実に関して、佐川も桐山もあずかり知らないこととする。

つまり、室長が独断で行った犯罪であると・・・

勿論、佐川は事実を知っている。それどころかTHUKUYOMIの使用制限に関して設計図を書いたのは佐川だ。桐山はZoo.の捜査にTHUKUYOMIを使用するが、何の責任も負わない。室長は全ての罪を被ったのだ。

「犯行を犯したのは自分だ」と。

 ただ単に逃げたわけではない。逮捕されれば事実は明るみに出てしまう。絶対に逮捕されない方法で逃亡した。kaleidoscopeの怖さを知る室長は「内調の手口」を使った。別人に成りすましている。内調が調べれば判明しそうなものだが、室長の新たな身分証明書、パスポートなどを作った職員はとうに退職して死んでいる。「誰に成りすましたのか?」すら分からなければ、kaleidoscopeでも追跡不能だ。


9月10日早朝。柳瀬隆二が入院している個室に男が現れた。ノックの音に「どうぞ」と応じると、遠慮がちに部屋に入ってきた。右手にはコンビニで買ったのであろう、クッキー缶の入った大き目の紙袋を提げている。柳瀬は妻の月子を起こそうかと思ったがやめた。今朝、柳瀬が目覚めるまでずっと緊張の中で見守っていたのだ。今は椅子に座り、柳瀬の胸に頭を当てて寝息をたてている。月子を起こしたところで会話に加わることは無いのだ。

「どうしたのかって思ってさ」斉藤翔は人差し指で鼻の頭をポリポリと軽く掻くような仕草をしながら柳瀬に言った。

「急に腹が痛くなってなぁ。で、見舞いに来てくれたのか?こんな早朝に」

「面会時間は09:00からだったな。俺もこの病院に入院してたことがあるからさ、こっそり入って来る方法も知ってる」

「ありがとう。正直、東京に出て来てから友人って奴には恵まれてないんだ。ソレ、見舞い品かい?」

「ああ。奥さんにな」

「ふざけやがって」(笑)

月子は夫の胸郭の震えを感じたのか、目を覚ました。ハッとした顔で夫の顔を見る。誰かがいるようだ。夫は笑っていた。

(よかった・・・)

後ろを振り返ると、同じアパートの住人の男がいた。あまり顔を見ない男だが、たまに出会えば笑みを交わすぐらいの親交はあった。慌てて立ち上がってきょろきょろと部屋を見回す。まだ何もない病室だ。面会客に出すお茶も無い。月子はバッグから小銭入れを出して、せめて缶コーヒーぐらいは出そうと思った。

夫が月子を止めた。ハンドサインで(いいから)と伝えられた。斉藤はクッキー缶と共に缶コーヒーと紅茶を買って来ていた。その赤い缶の紅茶が月子は好きだった。斉藤に会釈をして、遠慮なく冷えた缶のタブを引く。喉が渇いていた。

「なぁ、頼まれてくれないか?」

「おお、いいぞ。柳瀬さんが入院してくれたんで有休が取れた」

「お前、学生時代に身内を次々と死なせたクチだろ?」

「今、実家の庭で日向ぼっこしてるのは4人目か5人目の祖母だ」

「まったく・・・そのうち俺の葬式も出そうだな」

「やらんさ。で、頼み事ってなんだい?」

「うちのは耳が聴こえないからさ、色々と手続きをしてくれないか?」

「お安い御用さ。他には?」

「スマホが無い。コイツは自分のスマホは持ってきたが、俺のは家に置いたままだ」

「持って来いってことかい?」

「うちのを連れていってくれ。入院に足りない物もありそうだ」

「スマホ依存もほどほどにな」

斉藤は目配せをした。柳瀬も応じた。

「あと、コレは今すぐなんだが、テレビカードを買って来てくれ」

「はいはい。奥さんとデート出来るなら何でもするし」

「コイツ、可愛い顔して狂暴だぞ?」

斉藤は月子を伴って1日を過ごすことになった。

柳瀬は3日間、入院することになった。検査結果では異常が無かった。


 桐山に許可が出た。秋葉原駅で野党党首を銃撃した若い男の事情聴取は是が非でもやらねばならない。所轄署の事情聴取とは「別の話」となる。時間も制限された。2時間だそうだが、桐山は「30分もあればいい」と言い放った。許可された時間までkaleidoscope班で指揮を執ることにした。時間が無いようだ。一刻も早くZoo.をアゲなければならない。

 佐川が何か考え事をしながら桐山のデスクに来た。「島根から発信された音」の正体が分からないのだ。同様の通信が3件あった。全て「硬いモノ同士をぶつけているような音」のみだった。音声解析から、この「コツコツ音」は録音されたモノを再生したようである。発信した端末も、受けた端末も「台湾モデル」であり、国内回線に「タダ乗り」している。つまり、発信者も受信者も特定不能だ。ただ、発信者と受信者がその時に「居た場所」だけは特定出来る。スマホは通話する際に、基地局にGPS情報を開示する仕組みだからだ。

「どう思います?」佐川が桐山に意見を求める。

「確実にZoo.の仕業だ。この音は捜査の攪乱目的じゃないか?」

「撹乱?」

「捜査対象が増えれば増えるほど、俺たちの苦労も増える」

「内容はなんでしょうね?」

「適当に音を出してるだけじゃないか?」

「違うんですよ。kaleidoscopeそのものはスパコンですから、暗号解析も得意です」

「それで?」

「この音は”有意のモノである”と判断されました」

「有意?ランダムじゃないのか?」

「言語学の観点から判断されました。で、同じようなパターンが含まれているんです」

「同じようなパターン?」

「そうです。通信は3件記録されました。各々でパターン違いはありますが、1つの通信内で頻出するパターンがあるんです」

「解析は?」

「行き止まりですね。コレが”エニグマ”だとしたら、解析不能ですから」

「そのパターンを教えてくれ」

「3件とも音声ファイルとテキストファイルがありますが?」

「テキストでいい。パターンを見えるようにしたヤツだろ?」

「そうです。おい、桐山さんのパソコンにファイルを送れ」

「何だよ、俺は爪弾きだったのか?」

「いや、解析結果が出たら報告書が上がりますが、今回は僕から伝えただけってことです」

「ふーん・・・このパターンか・・・規則性は?」

「あるのやら無いのやら。ただこの3つのパターンが頻出してるんです」

「区切りは無いのか?」

「偶数パターンなので、多分2音か4音などで文字を表しているのか、と」

「待て。発信された順番に並べ替えてみてくれ」

「こうですね。島根県発東京・宮城県発東京・東京発北海道です。パターンはこれです」

「文字数を仮定してくれ。何文字になる?」

「複数の候補が出ます。島根県発東京での通信では10文字、5文字、最大でも40文字になりそうですが、精々5文字から10文字の間でしょう」

「ふーむ・・・・待ってくれ、文字に変換した場合の重複は?」

「ちょっと待ってください。島根発では重複無し。宮城発は特殊ですね、同じ文字の重複が繰り返されてます。東京発の暗号は長いですが重複は1か所です」

「kaleidoscopeが優秀だったって話はナシだ」

「は?」

「こんなのは暗号でもない。モールス信号だよ。しかも嫌味たっぷりだ」

「桐山さん、今この場で暗号を解いたんですか?」

「俺は第二次世界大戦の戦史に興味があってな。2件目の”文字の重複の繰り返し”でピンときた」

「意味は何ですか?」

「興奮しなさんな。くだらない遊びだよ。2件目は”トラトラトラ”じゃないか?すると1件目の文字数は10文字。”ニイタカヤマノボレ”さ。長い暗号は”テンキセイロウナレドナミタカシ”じゃないか?文字がいくつか特定さてたと仮定して、もう1回解析してみろ」

「母音と子音が重複しますが、ソレは?」

「日本語モールスは”カナ”に1:1対応さ」

「やってみます」

桐山には結論が分かっている。Zoo.の悪戯だと。ただ、万が一この暗号に何か大事なモノが潜んでいるかも知れないと思うだけだ。それにしても手の込んだ悪戯をしやがる・・・発信された順番も嫌味たっぷりだ。


ニイタカヤマノボレは「作戦開始」

トラトラトラは「我奇襲に成功せり」

テンキセイロウナレドナミタカシは「作戦遂行に問題は無い。各自注意を払いながら作戦を遂行せよ」

となる。各々の通信内容が示す作戦や奇襲が「同じもの」なのかは分からない。いや、撹乱目的かも知れない。Zoo.がkaleidoscopeでの捜査に引っかからないのは、こちらの手の内を見透かされているからだろう。つまり、故意に分かりやすい暗号を送ったのか?いや、妙だ・・・そもそもあのタイミングで「作戦開始」と「奇襲に成功」等、複数の時系列を同時送信する意味がない。


 ダイナマイト盗難の報せが入った。kaleidoscope班は勿論、マルテも爆発物に関する情報を収集していたし、関係各所に通達も送った。例えばダイナマイトや劇物・薬品・毒物の取り扱いには厳重に注意せよ、と。山梨県のある発破業者から盗難届が出されたのは9月11日のことだった。最悪の方法で盗み出されたのだ。業者はダイナマイトの取り扱いや保有数の把握に努めていた。Zoo.が爆発物を使うことは周知の事実だ。当然、ダイナマイトを狙ってくることもあるだろう。Zoo.に賛同する模倣犯にとっては、喉から手が出るほどの品であり、取り扱いも比較的容易と思われている。

 盗み出したのは業者の社長であった。その業者の社長は何食わぬ顔で社内の保管庫から20本のダイナマイトを持ち出して消えた。顔色の悪いその社長は癌に罹っていた。ステージ4の大腸がんで、余命宣告を受けていたのだ。盗難の報せを受けた山梨県警に加え、警視庁と公安部からも大量の派遣捜査員が出された。このダイナマイトが市中に出回ったら大変なことになる。この社長は必ず、「政治家を狙うテロ犯」に渡すだろう。確実にまた政治家が狙われる。勿論、国民の敵の認識が広まっている有力者も標的だ。あるコンサルティング社の代表はとうに自分の会社が保有する敷地に引きこもった。敷地と行っても多岐にわたるが、このコンサルタントは小さな島に逃げ込んでいた。新人研修と称して、若者を洗脳するための施設がある。ここならばガードも硬いだろうと考えたのだ。政治家は逃げようがない。自身が助かっても、家族が標的になれば手の打ちようがない。身辺警護の人員にも限界がある。家族等まで警護されるのは閣僚の一部に留まるのみだ。


 9月11日夕刻。桐山は万世橋警察の取調室に居た。警察の「悪い体質」が出た結果である。事件の起きた日に留置され、10日は万世橋警察署の取り調べを受けている。功を焦った万世橋警察署の失策だった。桐山からの要請は10日の朝には届いていたが、「手柄は渡したくない」ので、独自の取り調べを優先させたのだ。「2時間だけです。それ以上の取り調べは違法になりますので・・・」と当たり前のことを言って、担当刑事は部屋を出て行った。桐山がどんな聴取を行うのかは聞き及んでいる。Zoo.関連になると容疑者を殺しかねないほどに苛烈だと。野党党首を銃撃した若者、渡良瀬光々(わたらせきらら)は黙秘を貫いている。先ずは拳銃の入手経路を知りたいのは、万世橋警察署も桐山も同じだ。桐山が聴取した内容は包み隠さず万世橋警察署の刑事課に伝えると約束があった。桐山は取り調べに「記録係」を付けることを拒否していた。取り調べ方法が外部に知られたら問題になる。人権蹂躙に等しいことをやりかねないのが今の桐山である。


「渡良瀬・・・どう読む?」

「きららです」

「昨今はこの手のパンチネームが多いな」難読を超えた「当て字」にもならない名前は「パンチネーム」と呼ばれるようになった。確かに初見での「パンチ力」はある。

「年齢は21歳か、若いな。いや、令和生まれか?」

「そうです」

「確か難読のレベルではない当て字は法令で禁止になってたはずだが」

「ギリギリで間に合ったそうです」

「ま、どうでもいいか、そんな話は」

「どうして桐山さんが出てきたんですか?」

「渡良瀬、何故俺の顔を知っている?」

「SNSで有名ですよ、桐山さんって」

「ファンクラブでも出来る頃かね?」

「既にファンクラブはあります。佐川さんのファンクラブも、Zoo.のファンクラブも」

「なぁ渡良瀬?」

「はい」

「黙秘権はどうした?」

「素直にお話します」

「何故だ?」

「私はテロリストではないからです」

「先に言っておく。俺はお前さんの口を割らせるために甘い餌を持ってきた。素直に応じられると甘い餌も無意味になるが、いいのか?」

「どんな餌ですか?」

「供述内容によるが、悪質でないなら懲役3年ってところか。お前さんは見た目綺麗な若い女性だ。最高裁までもつれ込まないように配慮する。甘々の判決が出るだろうな」

「悪質だったらどうなんですか?」

「最高裁まで争って、上告をくり返して刑が確定したら”箱に入って出所”することになるな」

「死刑ってことですか?」

「懲役中に死ぬことも多いんだ」

「悪質って例えば?」

「お前さんがZoo.の一員だとか、仲間がいて犯行を繰り返した場合だな」

「私はZooではありません。仲間もいません」

「正直に話すか?」

「はい」

「協力的であると言う事で司法取引成立だ。いいな、正直に話せ」


渡良瀬光々の証言はこうだ。


「9月10日の13:00、新宿アルタ前で友人と待ち合わせをしていた。朝、友人から電話がかかってきて、買い物に付き合って欲しいと言う。自分も買い物があるし新宿アルタ前を指定した。よく使う待ち合わせ場所だったから。友人は時間に厳しいので、待ち合わせ時間の20分前にはアルタ前に居た。友人は定刻通りに来た。友人を待つ間に30代か40代に見える男が話しかけてきた」


「渡良瀬さん、そこで拳銃を受け取ったと言うのか?」

「そうです」

「なんでそんなモノを受け取った?」

「その男性はこう言ったんです、”Zooに興味はあるか”って」

「あるのか?」

「言いませんでした?Zooのファンクラブがあって、私もZooのファンなんです」

「では、隠岐党首銃撃には政治的な意図があったと言うことか。矛盾しているぞ」

「私は隠岐に恨みがあったんです」

「恨みがあった。たまたま拳銃を手に入れた。そう言いたいのか?」

「そうです。調べて頂いても結構です」

「どんな恨みだ?」

「友人・・・親友が隠岐にレイプされて自殺しました」

「そんな話は聞いていないが?」

「言っていませんから。そして親友の両親が訴え出ても門前払いでした」

「じゃ、警察にも恨みがあるのか」

「レイプしたのは隠岐本人です。だから隠岐を撃ち殺しました」

 リアルタイムで桐山のスマホから盗聴音声が送られる。kaleidoscope班にいる佐川はすぐさま、渡良瀬の行動履歴や通話記録を洗い出した。嘘は吐いていないようだ。しかし如何せん、周囲に端末が多過ぎた。Zoo.が簡単にしっぽを出すわけが無いのだ。喧騒の中で数分の小声での会話だったことは想像に難くない。実際、渡良瀬と付近の端末は洗い出せても証拠となる記録が無い。


「なあ、大久保」

「何すか?」

「逃げて正解だったろう?」

「木田さん、盗聴されてるんじゃないですか?」

「この程度の会話は普通さ。特定されて監視されて重要でもないので記録が残るぐらいだ」

「いいですけどね。今回の出張は正式なモノですし」

「続々と人が死んでる。若山・高山と続いて女川弁護士夫妻、隠岐党首ときて、お隣のH市では自衛隊が大暴れさ」

「H市、何人死んだんでしょうね?」

「大本営発表では15人だったか。実際はもっと死んでるさ」

「全部Zoo.絡みですか?」

「そりゃそうだろうよ。この時期の重大事件はほぼZoo.が絡んでる」

「それにしても鮮やかな連続犯罪ですねぇ。絵を描いてるのは何者ですかね」

「ソレが分かれば苦労はないさ」


ここで木田はメモパッドを引き寄せると”筆談”を始めた。kaleidoscopeの仕組みをある程度は知っている。迂闊な発言は危険だ。筆談ならば、メモを燃やしてしまえば証拠も残らない。

(この事件には関わるな。犯行グループはド偉く賢いが隙もある)

(隙ってどう言う意味ですか?)

(上手く言えないが、何かがおかしいんだ)

(例えば?)

(今お前が言った言葉が引っかかった)

(何か心当たりがあるなら捜査本部に)

(ノーだ。一切関わりたくない)

(何故?)

(下手すりゃ死ぬぞ。それと・・・)

木田は数秒考えてからこう続けた。


この島にいる観光客の8割が警察や政府の関係者だ。勘のいい奴らがこの島に逃げ込んでいる。

 

渡良瀬の聴取は短時間で終わった。何も出てこないのだ。桐山は渡良瀬の供述調書を作ると、すぐにkaleidoscope班に帰った。そこで佐川が驚くべき発言をした。

「桐山さんは新米刑事にどうやって仕事を教えますか?」

「どうやって?どんな意味でだ?」

「よく刑事もので言うじゃないですか。デカは靴底を減らしてナンボだって」

「ああ、ソレは言うな。”現場100回”も言う」

「僕はデカの捜査方法を知りませんが、実際に現場に出てみようと思います」

「現場?」

「片っ端から・・・と言いたいですが、台湾モデルに関して調べたいんです」

「アレは国内に何台あるか分からんぞ。それにお前さんがいないと俺が困る」

ここで佐川は課員のデスクに向かって手を挙げた。

「何でしょうか?」応じたのは若い女性捜査員だった。総じてネット関連の捜査では若者の勘と言うものが重宝される。

「君が一番この事件とkaleidoscopeに精通している。辞令だ、今から君は副局長だ」

「分かりました。何をすればいいんですか?」

「おいおい、そんな簡単に任命とか責任とかあげちゃうのか?」

「僕がココを離れている間、この御堂が桐山さんをサポートします」

「お前さん、本気で現場に出るのか?」

「心配しないでください。怖くなったら帰ってきます」(笑)

「ハンカチとチリ紙は持ったか?」

「拳銃も持ちました」

(やっと多少はジョークも飛ばせるようになったのにな)

桐山は複雑な心境で佐川を見送るしか無かった。


「で、御堂さんさ?」

「はい」

「この先どうすりゃいいんだ?」

「現在、ダイナマイトの行方を追っています。Zoo.に繋がる可能性は薄いですが、モノがモノなので早期発見と押収が大事です」

「異論はない。拳銃の捜査はどこまで進んでいるんだ?」

「何も出て来ません。多分・・・憶測で申し訳ありませんが、ブラックマーケットからの供給があったと思われます」

「その線は薄い」

「根拠があるんですか?」

「ここだけの話だ、いいな?密売グループの一部は囮捜査班だ」

「囮捜査?」

「そうさ、国内で流通する”ヤバいブツ”の密売には警察も一役買っている」

「何故ですか?」

「警察も多少は自分で稼がないとな、懐が厳しいんだ」

「本当ですか?」

「嘘、さ。どうにか管理したいから関わっている。そして今回は官製密売も”デコイ”も反応していない」

「デコイとは?」

「囮の客さ。欲しいと言えば売ってくれる商人がいるもんさ」

「取引に関して、kaleidoscopeの捜査に引っかかった情報は皆無ですが」

「そりゃそうさ。アンダーグラウンド・インターネット、通称パンプキンウェブに接続出来る端末を使えないんだからな」

「あ、”カボチャ”のことですか?」

「そうそう。今はもう古いアングラブラウザだがな。とにかく攻撃力が高い。接続には非常に大きなリスクが伴う。個人情報どころか警察の内部資料まで抜かれかねない」

「しかし局長。その可能性があるなら追うべきでは?」

「御堂さんたちが知らないだけで、実際はW・Hと呼ばれる集団が張り込んでる」

「W・H?」

「ホワイトハッカー。悪さをしない約束でネットで遊んでる連中さ。警視庁からの依頼で、個人の責任において、深く潜る」

「で、収穫無しですか」

「あればマルテが先に動くだろう。ここは正規の”違法捜査班”だからヤバい情報は届かない」

「ソレを先に言ってくださいっ!だったら私たちが捜査を・・・」

「無駄だ。Zoo.がダークウェブを使うはずがない」

「個人情報を抜かれるから?」

「そうだ。お前さん賢いな。ただ、使う可能性はある。W・Hが張り込んでる理由さ」

「では、あの拳銃はどこから?」

「ソレを調べるのが俺たちの仕事じゃないか。自覚あるよな?」

「個人売買の線を追わせます」

「そうだな。何丁の拳銃が出回ったのか分からんからな」

「国内の拳銃の総数は分かっているんですか?」

「ある程度は。実際に使われることなくマーケットに戻って来るモノが大半さ」

「どのくらいでしょう?」

「訊いてみるか?」

「誰に?」

「密売の総元締めにさ。犯罪者だが紳士協定があってな、本当に危険な人物に売り渡した場合は通報してくる」

「警察って、腹黒いんですね」

「御堂さん、所属はどこだった?」

「公安です」

「それじゃ知らないのもあり得るか。公安は人探しが得意と言う印象だ」

「私はまだ新米ですし」

「ま、そう言う事だ。ちょっと待ってろ。俺の記憶では8千丁ぐらいだったが・・・」

桐山は自分のパソコンから警視庁幹部に連絡を取った。桐山のIDで問い合わせを行えば返答があるはずだ。

「余り増えてない。1万丁あたりだそうだ。急増したわけではないとさ」

「どこにあるかとかは分かるんですか?」

「ソレは分からない。精々2千から3千丁の在りかやオーナーが分かる程度だ」

「あのー、取り調べはしないんですか?」

「持ってるだけなら問題ない。使ったらすぐに特定して捕まえて長い懲役になる。つまり使えないんだ、連中は」

「在りか不明の拳銃は?」

「総力を挙げて捜査するさ。使われた場合はな。使われなければ幽霊みたいなもんだ」

「はい?」

「在りかが不明の拳銃だって、誰かが売って誰かが買ったモンだ。なにかしらの情報は出てくるのさ」

「あり得なくないですか?」

「何がだ?」

「局長の話を総合すると、拳銃密売を放置してるように思えます」

「放置はしてない。監視している。これは拳銃だけじゃなく、麻薬や盗品売買も同じだ」

「麻薬って・・・」

「官製密売さ。購入者はすぐさま特定される。で、あとは好きにさせるさ」

「何故?」

「ジャンキーの末路を知ってるだろう。分かっててヤる連中さ。勝手に死ねばいい」

「その割には薬物依存の犯罪者が多いのでは?」

「だからさ。捕まえてるから犯罪者が多く見えるだけだ」

「あっ」

「全部が全部、そうじゃないがな。間に仲介者を挟んだら面倒になる。拳銃もそうだ。在りか不明の拳銃がどう流れてるのか掴め。理解したか?」

「了解しました」

「それから、御堂さんはちょっくらマルテに行って、若い刑事を誘惑して来い」

「は?」

「4~5人、こっちに抱き込んで来い。手段は選ばなくていい。動きの速い捜査員が欲しい」

「ここに連れて来ればいいんでしょうか?」

「連れ込んだら、また佐川のところは人を攫ったと評判が立つ。動ける”融通の利く”捜査員を確保出来ればいいんだ」

「ソレは私ではなくてもいいのでは?」

「御堂さん、美人だからな、有利さ」

「まったく・・・男の人はこれだから・・・」

「そう言う事だ。kaleidoscope班に危ない橋を渡らせたくない」


 9月12日早朝。宮城県警に1件の通報が入った。時間は明るくなりかけたAM04:00、まだ国民は外出出来ない時間だ。その主婦は小さな声で「拳銃を持っている」と自首をほのめかした。9月10日、11日と連続して起きた銃撃事件に恐れをなしたのだと言う。そして、今すぐ自首したいが、外出禁止令がある以上、警察にも行けないと。通報を受けた指令室の係員は(自首の意思を強調するためにこの時間に通報したな)と思った。無論、その通りなのだが。

 所轄警察署にすぐに伝達され、その主婦は自宅で逮捕された。紛れもなく「銃刀法違反」である。ただ、自首したことで情状酌量はある。被害者もいない。悪くても執行猶予であり、聴取が終われば在宅起訴と言う優遇を受けられるだろう。

すぐさま、取り調べが行われた。警視庁からはZoo.に関するあらゆることに「スピード」を優先するよう通達されている。国民に外出が許可されるAM05::00 には、取調室に主婦である玉岡圭子と取り調べ担当刑事と記録係が揃った。玉岡圭子はおどおどしながらも、取り調べに素直に応じた。

「玉岡さん、どこでこんなモンを手に入れました?」言葉遣いは丁寧だ。自首してきた容疑者に厳しく当たって口を閉ざされたら本末転倒だ。

「あ、あの・・・私はどうなるんでしょうか?」

「ソレは話を訊いてみないと。素直に話して下さいますね?」

「重罪でしょうか?」

「先ずはお話です。どこでどうやって手に入れたんですか?」

「あ、あの・・・私Zooのファンなんです」

取り調べ刑事は(またか)と思う。最近、県内で微罪逮捕された若い男女に多いタイプだ。逆に桐山や佐川のファンを自認する者たちは小さなことで正義を振りかざして通報してくるし、勝手に捜査みたいなことをしてトラブルを起こす。

「聞きましょう。記録は全て残りますから、自分に不利なことは言わなくても大丈夫ですが、後になって証拠隠滅や犯人隠避のような重大事案が発覚したら、それこそ不利になるとお伝えしておきます」

「一昨日の夕方なんです。買い物のために仙台駅の前にあるスーパーマーケットに行ったんです」

「それで?」

「私、そのスーパーに行く時、駅の連絡通路を使うんです。ソレで、駅の売店の店先の新聞と雑誌をぼんやり眺めていました」

「どんな雑誌ですか?」

「表紙に赤い文字で”Zoo逮捕まで秒読みか?”ってありました。私、Zooのファンなので、ちょっと気になって買おうかなと思いましたが、どうせ逮捕まで時間がかかると思ってましたから・・・」

「雑誌は買わなかった?」

「そうです。雑誌だって安くはないですし、だったらネットで調べてみようって・・・」

「それからどうしました?」

「後ろから男の人が近づいてきたんです」

「その男が拳銃を?」

「最初はよく分かりませんでした。その男の人が”Zooに興味があるんですか?”と訊いてきたので、ああ仲間かなって思って頷いたんです、私」

「ソイツがZooだった?」

「分かりません」

「人相や見た感じは?」

「身長が大体175㎝くらい、うちの人と同じくらいでした。30代後半に見えました」

「顔を憶えていますか?」

「うっすらとですが・・・」

「はっきり顔を見ていない?」

「見たと思います。ただ、そのあとに受け取った荷物の印象が強くて・・・」

「受け取った時のやり取りは?」

「Zooをどう思うかと訊かれたので、革命家みたいですねって答えて・・・捕まっちゃうんですかねって雑誌を指差しました」

「で、その男の右手は”義手”でしたか?」

「義手?いいえ、ちゃんとありましたよ。だって、紙袋を差し出してきたのは右手でしたから」

「それで、何と言ってましたか?」

「コレはZooからの贈り物だと。どう使うかは自分で決めて下さいって」

「他には?それきりですかね?」

「はい。私が紙袋を受け取ると、踵を返して人ごみに消えていきました」

「顔、どうにか思い出せませんか?」

「あの・・・モンタージュとかするんですか?」

「そうです。今は関係者の手配が急務なんです。協力していただけますね?」

「それはもう・・・それで私の罪は軽くなりますか?」

「一昨日には拳銃だと分かりましたよね。通報が遅れた理由は?」

「・・・この拳銃をファンクラブの誰かに譲ろうかとも考えて・・・」

「良かったです。もしも誰かに譲って、それで誰かが死んだら、貴女は共犯になるところでした」

「共犯?」

「この拳銃が」ここで刑事は改めて机に置かれた拳銃‐S&W38口径リボルバーの写真をこつんと叩いた。

「政治家や有力者の殺害に使われたら、貴女はその使い道を予見しながら譲ったことになる。確実に長期刑でした」

「そんなに・・・」玉岡圭子は絶句した。

「政府の公告が出てるでしょう?テロリストは厳罰に処すると。アレは脅しじゃ無いんですよ」


 取り調べは午後にまで及んだ。聴取した内容はほぼリアルタイムで警視庁に伝達された。万世橋警察署のようなスタンドプレーはしない。万世橋警察署の担当刑事は懲戒処分だろうと、噂は聞いているのだ。

玉岡圭子は午後から行われたモンタージュ作成に協力した。このモンタージュはkaleidoscope班にも送られてきた。どこにでもいそうな平凡な顔だった。Zoo.関連事案・事件で逮捕拘束されている容疑者にはモンタージュを見せず、「顔を見たはずだ。ぼんやりでもいいから思い出せ」と、証言を引き出した。マスクをしていた場合でも「目の印象」や言葉遣い、あらゆる特徴を思い出させた。マルテにとっては盲点だったのだ。「Zoo.を見た者はいない」と決めつけていたのだから。そしてモンタージュよりも有益で確実な「監視カメラの映像解析」を優先していた。まさか古臭い「モンタージュ写真」などと言う手法が有効かもしれないとは・・・


そして、玉岡のケースで作られたモンタージュ写真は、薄ぼんやりと浮かぶ「犯人像」と合致していた・・・


「Zoo逮捕っ!」のニュースは”号外”と共に発表された。リアルタイムでテレビ放送を観る者は少ない時代だ。各放送局は、「見せたいニュースや番組」に限りSNSで告知するスタイルに変えつつある。要は普段の放映番組は、どうでもいいことを垂れ流していると認めているようなものだ。新聞社も同じである。今までの「紙の新聞」は廃れ、ネットニュースとして報じることが増えた。新聞社は当然のように淘汰され、昔は「大きな新聞社発行」であったはずの新聞が2紙消えた。駅売りの2紙と地方新聞社もいずれは電子版のみになるだろう。雑誌の場合は「手元にモノが残る上に、印刷の発展で美しい画像である」ことで根強い支持層がいた。


昔ながらの”号外”が小部数ながら配布された。この号外をSNSに投稿する者もいたが、ネットニュース社もこぞって報道した。そして、そんな記事を”有料記事”にしたニュース社は後に消えることとなる。もう”情報に金を出す者”は少ないのだ。


 「遠山勉、静岡県在住をZooの主犯、若しくはグループの中心メンバーとして逮捕した。逮捕容疑は爆発物取締法違反であるが、取り調べの進展次第でテロリスト防止法での再逮捕もあり得る。勿論、若山・高山国会議員殺害の容疑もある。女川弁護士夫妻に関してはコメントを控える。警視庁で取り調べが進んでいる。事前質問にある容疑者の年齢は37歳。認否については然るべき時期に公表する。再三のお願いになるが、容疑者周辺や関係者への過度な取材や調査は人権侵害である。報道各社だけではなく、国民一般にも通達する。以上だ」


 またしても質疑応答の無い記者会見である。ただ、報道各社に事前質問を募ったことに進歩は見られたが、出来レースだと言う声もあった。記者会見は9月13日13:00から行われ、15分ほどで終わったが、第一報からSNSユーザーの注目を集めた。これほどのビッグニュースを無料で流さねばならぬと歯噛みする報道社もあった。1円でもいいのだ、課金させることさえ出来れば、と。SNSユーザーに限らない。ニュースを検索すれば、それこそ洪水のごとく情報が溢れる。真偽はともかく、「速さ」では抜きんでていることでユーザーを集めているSNSサイトも、検索エンジンに”故意に”ヒットさせる。平成の終わりから令和にかけて台頭したSNSサイトが使った手法だ。今は老舗と呼べるそのSNSサイトは、半ば強制的な非匿名性(実名制)を導入し、常識のある良質なユーザーを集め衰退した。匿名性こそがネットの魅力だと言う認識は変わっていない。ただ、犯罪行為を行えばどこのサイトであろうと特定されることも周知されている。令和初期から「国産SNS」と呼ばれた”Sighs”はSNSサイトではかなりのユーザー数を誇っている。そして、様々なサイトでアカウントを持つ者は必ずFujiyamaのアカウントも持つ。この正体不明のSNSサイトは国営だと言う噂もあるが、その割には自由主義を貫いていた。Fujiyamaの運営会社は新潟県にあり、国からの資本注入も無いように見える。重要なSNS発信情報はFujiyamaでも再投稿されることから、Fujiyamaしか使わないユーザーもいる。


(遠山勉って誰だ?)

(誰だって・・・犯人じゃ無いの?)

(何者かって意味だよ)

(5分もすれば情報が出るんじゃいかな)

(出たよ。カボチャもんだと)

(カボチャって、ディープネットだよね)

(勘違いをしてないか?カボチャは本来は有益なサイトばかりなんだ)

(有益?)

(そうさ。会員制サイトが多く、課金制)

(どう言う意味?)

(俺らみたいな愚民はいないってこった)

(遠山は愚民じゃないのか?)

(経歴見た?37歳であちこちの私大の客員教授だって言うんだからエリートだ)

(ふーん。確かにZooって頭良さそうだったし)

(で、前科持ち)

(なんだって?)

(19歳で特定少年逮捕。容疑は児童買春)

(そんなヤバい男が教授だって?)

(罰金刑だったそうだよ。更生して私大卒、以後5年間の記録が無いって)

(ソースは?)

(警視庁公安部だと。意図的なリークだね)

(公認で晒し上げしていいってことかい?)

(好きにすればぁ。どこのSNSサイトも監視されてるけど)


 佐川が「スケープゴート」として逮捕したい人物像を指定した。冤罪を被せることでSNSユーザーの興味を惹ける人物。端的に言えば知能的で、過去に”嫌悪されるような”前科があり、SNSサイトで若干目立っている30代の男性像に、遠山勉が合致しただけだ。これこそ出来レースである。誤認逮捕であったと記者会見を行い、損害賠償や慰謝料などで億単位の金を払う。その予算まで用意された。官房機密費の内訳を知る者は少ない。


(この逮捕劇で何日時間を稼げるだろうか?)と桐山は考える。佐川の言によれば3日間は稼げるはずだ。桐山の危惧、SNSサイトが中心地となって殺人等の重大事案が発生するまでのリミットが3日ほどである。合計1週間ぐらいは本物のZoo.を追えるはずだ。まだSNS発の危険な情報は兆候さえ見えていない・・・

 桐山のデスクの電話が鳴った。kaleidoscope班内でも桐山と佐川はスマホは使えるが、業務連絡のうち、重要なものは庁舎内内線が使われることが多い。勿論、kaleidoscope班への連絡が出来るのは「限られた者」である。液晶ディスプレイに表示された名前に見覚えは無いが、内調か公安のお偉いさんだろう。受話器を取り上げた桐山は次の瞬間、怒鳴っていた。

「何だとっ!」

「警視庁からの情報です。遠山が自供を始めました」

「馬鹿な・・・遠山は誤認逮捕のはずだ。うちが指示を出したんだから間違いないっ!」

「ですから、その遠山が自供を始めたんです。詳しい事情を知りたいそうです」

「どこがだ?」

「遠山の聴取をしている刑事課です。何故、遠山を選んだのかと」

「今から刑事課に出向く。指示を出した担当者は出張中だ」

続いて桐山はヘンペル班に命じた。「遠山を洗い直せ」


 「ですから、遠山の供述はまだ無いんです。若山事件の指示を出したのは自分だと。あとは弁護士が来るまで話さないそうです」

「弁護士?」

「顧問弁護士がいるんですよ。顧問となってますが、実質は遠山のお抱え弁護士ですね」

「来るのか?」

「もう来てます。ですが・・・」

「何だ?」

「遠山を逮捕するように指示を出した佐川局次長のことです」

「何を訊きたい?」

「遠山を指定した理由を知りたいんです」

「お前さん、所属は?警視庁ではないよな」

「公安とだけ。あとは不要でしょう」

桐山はため息を吐く。(コレが高度機密捜査官の実態か)

「プロファイリングから逆算した。条件に合う人物が遠山だった」

「それだけですか?」

「それだけも何も、Zoo.の主犯格ではない人物のはずだ」

「確証があるんでしょうか?」

「遠山が無実だって確証のことか。それなら”無い”んだ。この事件の容疑者は全国民だ」

「しかし、ある程度の目算はあった?」

「そうだろうさ。生憎、佐川局次長は遠足中だ。定時連絡があるだけだ」

「追えるでしょう?」

「あ?佐川をkaleidoscopeで追えって言うのか?」

「出来るなら」

「追う必要は無いだろう。容疑者ではないんだから」

「実は困ってるんですよ」

「何にだ?」

「Zoo.捜査の最上位組織は桐山さんのところです」

「そうだろうな。自由に犯罪捜査を謳歌している」

「その責任者の指示を守るべきですよね?」

「Zoo.捜査に関してはそうだ」

「佐川局次長の指示は”時間を稼げ”です」

「その通り。国民を抑え込んでいられる限界が近いんだからな」

「稼いでいいんでしょうか?」

「何を?」

「遠山逮捕から時間稼ぎが始まりました」

「そうだな」

「その遠山が自供を始めたんです。時間を稼げと言うなら弁護士との面会まで時間を稼ぐことも可能です」

「そうは言っても明日には弁護士と面会させにゃならんだろ」

「1時間単位で時間稼ぎと言う指示です。何なら面会まで2日3日は稼げます」

「あとで弁護士からクレームが入るな」

「いえ。取り調べをしなければいいだけです。遠山は”弁護士が来るまでは話さない”と言っているだけです。どうすればいいんでしょう?」

「佐川に訊いてみよう。1時間ほどくれるか?」

「連絡が付くんですか?」

「佐川は逃げてるわけじゃ無いからな」

「1時間ですね?」

「そのくらいあればいい。佐川が端末を1時間も見ないなんてことは無いからな」


 遠山逮捕の記者会見の3時間後にその事件は起こった。神奈川県を遊説中の保守派国会議員、島田勇気が襲撃されたのだ。遠山逮捕は誤認逮捕だと言う認識は警視庁から市議会議員まで知ることである。つまり、特に国会議員の警護に「緩み」は無い。ただ、まさか立て続けに事件が起こるとも思えなかった。街頭演説に立つ島田の警護は完璧なはずだった。聴衆がいない演説に意味は無い。演説を行う島田の周囲30mエリアに入る場合、金属探知機のゲートを抜け、更にSPが全身にくまなく探知機を這わせる。隠岐事件では拳銃が使われたが、素人が30m以遠から狙撃に成功するとは思えない。爆弾を使うにしても、金属探知機に引っかかる。演台を囲む聴衆は50人前後であり、全員がチェックを受けている。長ネギがはみ出した買い物袋を手に提げた主婦が、演説を終えて聴衆に手を振る島田に近付いた。緊張しているのか、手のひらをスカートの腰のあたりに擦りつけている。島田はその姿に警戒を解いた。危険物すら持たないこの若い主婦にどんな危険があるのだろう?


主婦の中野亜紀は容易に島田に近付くことが出来た。右手のひらをスカートにゴシゴシと擦りつけ、握手を求める素振りをした。SPの中にはそんな中野を微笑ましく思う者さえいた。それほど弛緩した雰囲気の中、犯行が行われた。中野は買い物袋から「オリーブオイルの小瓶」を取り出すと、島田の股下に投げた。一瞬の出来事だった。

 投げられたオリーブオイルの瓶が爆発を起こした。内容量300gほどの小瓶にはガソリンと小さな「雷管」が封入されていた。オリーブオイル瓶にはメーカーが「おまけ」で付けている洒落たネームプレートがある。雷管が金属探知機を抜けることが出来た理由は、この「おまけ」を見たSPが「ネームプレートの小さなボールチェーン」を見過ごしたことだと、後に発覚した。雷管もなるべく非金属の部品を使っていたと思われた。300g瓶のガソリンの爆発力は大きいモノだった。雷管により発火したガソリンは「瓶を覆うビニール」の効果で圧力が高まったのだ。ミリセカンド単位とは言え、高まった圧力で大きな爆発となった。この時、島田の両脇を固めていたSP2人が巻き込まれて死亡した。島田に至ってはほぼ即死状態である。


桐山の考えた「最悪の展開」が始まった・・・


一方、佐川は地道な捜査を続けていた。今年の秋は早足で訪れた。9月早々に最高気温は25℃を下回り、地球温暖化と言う「嘘」が通じにくくなってきた。「温室ガス」の正体は元々無かったことから、気候変動は地球の環境変遷の結果と言う言説が主流になっている。そして、この環境変化は温暖化ではなく、気候の「激甚化」となって生き物を襲った。

 佐川は先ず、”台湾モデル”が出来上がったプロセスを追うことにした。”台湾モデル”が現存する以上、必ずその元になった携帯端末(スマホだろう)はどこかで”コピー”されたはずだ。Zoo.が自分で”台湾モデル”を制作したと言う保証は無いが、さりとて足が付きやすいブツを闇業者から買ったとも言い切れない。

(コピー元はどこかで交わっているかも知れない)

kaleidoscope班が特定した”台湾モデル”は10台だ。発信側が5台、受信側も5台。コピー元は日本全国に散らばっている。桐山の説明によれば、”台湾モデル”は自由にGPS機能をオフに出来るらしい。コレをオフにされるとkaleidoscope班では追い切れない。桐山の言う通り、全ての”台湾モデル”は1回だけ使われて2度と現れていない。

(何故、島根県の”台湾モデル”が特定されたのか?)

自分たちの捜査について考える。きっかけは「大きな檻を積んだトラックを見た」という通報だった。このトラックを追うために、付近にあった端末を丁寧に洗ったのだ。結果、通信キャリアが残していたあの「暗号発信」を補足出来た・・・

(だから何だと言うんだ。あの時の捜査でも”誰が”発信したか掴めなかった)

佐川は一度、基本に立ち返ることにした。暗号発信を補足した。ここまでを考えると「何故Zoo.は危険を冒してまで暗号を発信したのか?」と言う問題に突き当たる。暗号内容は桐山の言う通り、第二次世界大戦で日本軍が使ったモールス符号である蓋然性が高いと、AIが判断した。ところが、その他の暗号文が解読出来ない。

(シェイクスピアの猿だ・・・)

「暗号論」については桐山よりも詳しい自信がある。Zoo.が使った暗号は多分、解読不能だろう。単にモールス符号を送り、その前後を無意味な符号で修飾したのかも知れない。いや、AIは暗号全体を「言語論から考えてランダムではない」と判断した。佐川はスマホをポケットから出すと、公安部を経由してkaleidoscope班に繋いでもらった。

「TSUKUYOMIに暗号を制作させてみてくれ。キーワードを指定する。”言語”だ」

「内容は?」

「何でもいい。取り敢えずあのモールス符号の文章は織り込ませろ」

「解読難易度はどのようにしますか?」

「エニグマよりも低く、置換法よりも高いレベルでいい」

「頻出法はどうします?」

「使わせろ。あの暗号は”誰かが解読する”ことを前提にしているはずだ」

「どう言う事ですか?」

「Zoo.が使った暗号は、模倣犯も使いたがるはずだ。Zoo.ブランドだからな」

「制作方法として1件、ヒットしました。解読方法はネイティブ話者」

「ネイティブ話者?」

「そうです。暗号製作段階で、母音を多く含む言語を使うみたいですね」

「・・・ナバホ・テクニカルか?」

「そのようです。ナバホ語だけではなく複数のマイナー言語、話者がもう存在しない言語を含め、母語を隠されワンクッション挟まれたら解読不能です」

「片っ端からそのマイナー言語の線で解析させろ。TSUKUYOMIの能力の限界は非常に高い」

「了解しました」

(さて、ここから先が問題だ)

論理で考える。Zoo.は非常に賢い。全ては論理の積み重ねで犯行が行われたはずだ。「出来心で」などと言うことは無いだろう。

 ”台湾モデル”はどこにあった?日本全国にZoo.の協力者がいるだろう。数人で行える犯行ではない。実際、高山事件では4人の男が目撃されている。高山が詳細を語らなかったので、この4人についての捜査は進んでいない。「30代男性」と言う特徴だけで容疑者を絞り込めるものか。つまり、Zoo.の犯行は多くの協力者がいることになる。”台湾モデル”では最低でも10人だ。では、どうやって日本全国に配置させたのか?現地調達はあり得ない。特殊なモデルだ。総務省は回答を渋ったが、1万台ほどしか国内には無いらしい。これだけあれば需要は満たせるだろう。何も扱いが面倒な”台湾モデル”を使う必要も無いのだ。金を出せば「飛ばしスマホ」が買えるのだから。

(飛ばしを買う方法・・・反社からの線しかない。一般人が売りさばくような代物ではない。だからZoo.は飛ばしスマホを使わなかった?”台湾モデル”の流通経路はよく分かっていないと言う)

「檻を積んだトラック」は発見されていない。島根県での目撃情報があっただけだ。もしかしたらそんなトラックは存在しなかったのかも知れない。佐川は記憶を探る。あのトラックの目撃を通報してきた者は誰だった?通報時に現地付近にあった端末は全部洗いだした。通報者の端末は・・・公衆電話だった。

(仕組んだな・・・通報自体がトラップだ。しかし目的はなんだ?偽の通報をして、付近の端末を洗い出させて、Zoo.が得をすることはなんだ・・・?俺の靴の底が減り、TSUKUYOMIの能力を僅かだが使い、専従する者を作っただけじゃないか。これが目的なのか?)


「何だ、佐川か。こっちから連絡しようと思っていたところだ」

「緊急ですか?」

「そうだ。公安が”どこまで時間稼ぎをしたらいいのか分からない”と泣いている」

「何故?」

「お前さんが指示した誤認逮捕さ。あの男が自白を始めた」

「ソレ、嘘ですよ。あの男は100%シロです」

「確証はあるのか?」

「あの男は海外で1年を過ごし、帰国したのは8月です」

「それだけじゃ100%シロとは言えないだろう?」

「アメリカに居ました。アメリカにも国民監視システムはあるんです。kaleidoscopeよりも進んでますね。国民だけではなく、旅行者レベルまで監視していますから」

「それで?」

「あの男はアメリカにいる間、いかなる通信も日本国内としていないんです」

「それはそれで妙じゃないか」

「変人ですよ」佐川はボソッと呟く。

「変人?」

「過去の犯歴で人間を信じなくなった。日本には肉親すらいない。友人関係もあの事件で全部切れてます。縁切りされたり、自ら絶縁状を叩きつけた」

「渡米前は?」

「通信会社でさえ、そんな前の記録は残していません。Zoo.の事件は特殊です、計画性が高いが、臨機応変の体勢でなければ出来ない犯行ばかりでしょう?」

「では、冤罪ってことで処理すればいいんだな?」

「そうです。あの男がZoo.の事件に絡むことは無いです。今まで通りの時間稼ぎを命じて下さい」

「で、お前さんの用事は?」

「”台湾モデル”の中で1台だけ、スキミングされた時期が分かるものがありました」

「そんな捜査ぐらい、ここの課内で出来るだろう?」

「無理でした。どうにか全員と会って協力してもらいましたが、記憶にない。手元からロックを外した状態でスマホを手放したことは無い」

「そう言う話だったじゃないか」

「僕は今、北海道にいるんですが」

「飯は美味いか?」

「セコマって呼ぶんですか?あそこの弁当は美味いですね」

「北海道でそんなもんを喰ってるのか」

「あまり食い物に興味が無いんです。それよりも北海道のスマホです」

「スキミング時期か?」

「場所まで出ましたよ」

「どこだ?」

「持ち主は20代の女性です。2年前、東京都立川市付近で、電車内に置き忘れたそうです」

「北海道にいるんだろう?」

「旅行だそうです。で、買ったばかりのスマホだったので、パスコードも認証システムも設定していなかったそうです」

「いや、それはおかしい。スマホは何も設定しないと48時間でロックされるはずだ」

「買ったばかりだと言いました」

「どう言う事だ?」

「そのまんまですよ。最新の機種を東京で買った翌日だそうです。幸い使われた形跡もなく、2時間後に、東京駅の遺失物預り所に送られる前に立川駅で受け取ったそうです」

「スキミングは立川駅周辺ってことか」

「そう言う事になりますね。以後、端末はロックをかけているそうですから」

「ふむ・・・」

「桐山さん」

「何だ?」

「僕は今北海道に居ますが、すぐに帰って来いと言われれば4時間でそこに帰れます」

「そうだな」

「もう場所とか時間にこだわるのはナンセンスじゃないですか?」

「・・・」

「現場に出てみて痛感しました。Zoo.の事件は全部”点”なんです」

「どう言う意味だ?」

「繋がりが無いんです。全てが独立した事件です」

「連続犯じゃないか」

「本質は”点”なんです。その”点”を連ねてるだけです」

「今すぐ帰って来い。お前さんがいないと困る」

「お土産は何がいいですか?」

「適当に魚を見繕って来い、アホウ」

 

佐川がkaleidoscope課内に飛び込んで来た。血相を変えている。右手に提げた紙袋を桐山に押し付けて「一番高い鮭ですっ!」と言って、返事を待つ。

「ニュースで見たか?」

「機内で見ました。爆弾テロですよね?」

「そうなるな。まだ爆発物の特定には至っていないが、どうやらガソリンが使われたらしい」

「ガソリンって・・・最悪じゃないですか・・・」

「そうさ、最悪だよ。俺たちが必死になって追いかけて、リーク情報まで流して喧伝したのは、ダイナマイトは危険、C4は非常に危険ってことだった」

「リークまでさせたんですか?」

「したさ。ダイナマイト盗難事件ではリーク情報とセットで、鑑識が行ったダイナマイト爆発実験の動画も出した」

「国民の目を惹くため?」

「そうだ。テロには”爆弾”が必要で、ソレは特別なモノだと教え込んだ」

「ところが・・・ですか?」

「過去にあった放火事件、特に被害の大きかった事件では漏れなく、ガソリンが使われた」

「令和に入った頃からですよね」

「きっかけを作った馬鹿は早々に吊るされたが、ガソリンを使うと言う手法が確立されてしまったわけだ。だから今でもガソリンの小売りには厳しい規制をかけている」

「規制じゃなくてほぼ禁止令ですよね」

「そして電気自動車の普及で、一般人からガソリンを取り上げたかったんだが」

「電気自動車が大コケして、ガソリンスタンドは未だに繁盛していると」

「そう言うこった。ガソリンは未だに国民の身近にある」

「車から抜けばいいってことですよね。対策されてるでしょう?」

「いわゆる旧車では簡単に抜ける。バイクもだ。ガソリンスタンドでは給油以外は出来ない」

「不便だと言う声もありましたが、どうなったんですっけ?」

「小型エンジン用の燃料とか、そんな用途に限り国営スタンドが売っている。2倍ほどの価格になるが仕方ないだろう」

「で、今回の事件では?」

「容疑者はその場で緊急逮捕された。島田の足元に爆弾を放り投げてすかさず走り逃げた。SPまで巻き込んで爆殺成功ってことだ」

「報道ではどうなります?」

「そのまま報道される、ガソリンが使われましたってな」

「拙いじゃないですか。それこそ模倣犯が大量に生まれますっ!」

「どうにもならん。SNSで流されたらお終いさ。現場の動画まで出てるし、爆炎の色から”ガソリン”と特定されちまった」

「容疑者は?」

「主婦さ、ごく普通の見た目で、頭のネジが生まれつき5~6本抜けてるタイプだ」

「頭のネジ?」

「報道はされないはずだが、精神科入院歴がある。逮捕直後に”神に命じられてるんです!”と叫んで、今度はTシャツの裾に仕込んだプラスチック製ナイフを振り回そうとした」

「身体検査で発見出来なかったんですかっ!?」

「大柄なSPが若い女性に触ったら大騒ぎさ。それどころか、ゲイまで取扱注意の世の中さ」

「モラルハザードは仕方ないとでも?」

「結局は政府が及び腰になったアレコレが跳ね返った結果だ。国民同士ならせいぜい懲役で済んでたのにな」

「神とは何ですか、いや聞きたくないんですが・・・聞かないと・・・」

「察しがいいな、Zoo.らしいぞ。今は興奮状態でマトモに話も出来ないが、それでも”神が遣わした偉大なる指導者”がZoo.だと言っているそうだ」

「Zoo.の心酔者ですね」

「違うな、あの主婦は自分もZoo.のメンバーを自認しているらしいから」

「馬鹿な・・・あり得ないことですよね?」

「あり得んさ。ただ単に自称しているだけだが、後は取り調べを待たないと分からん」

「桐山さん、行きますか?」

「俺か?あんな主婦に興味はない。そのうちベラベラ喋り出すさ、自分から。それよりもどうやってあんな物騒なモノの作り方を知ったかが気になる」

「取り調べで出ますかね?」

「kaleidoscope班がもう探し始めてる。爆弾の作り方解説サイトとかをだ」

「ネットで入手した製法なら、僕の班は2時間で探し出すはずです」

「警視庁を出し抜かないとな」


柳瀬隆二は9月13日に退院した。異状は無く、意識を失った理由は不明のままだが、同じような症状をくり返すとも思えない。ソレが医師の判断だった。入院した翌朝に見舞いに来てくれた斉藤翔は、退院するなら世話を焼く必要は無いと、仕事に戻っていた。自分が入院している間に色々とあった。非常事態宣言が出され、ほぼ戒厳令に近い状況で近隣のH市ではデモ隊が自衛隊と衝突、その日の夕方には神奈川県で野党党首が手製の爆弾で死亡だ。柳瀬は病院のベッドでニュースを確認している。勿論、関連情報も検索してみた。Zoo.主犯の自首には驚いたが、予測出来ないほどのことでもなく、興味を失った。帰りのタクシーの中で妻・月子が柳瀬の顔を下から見上げて来る。いつだって妻の”距離感”は近い。ろうあ者の特性なのか、勘も鋭い。月子は生まれつきのろうあ者ではない。12歳の夏、不幸な事件に巻き込まれて聴覚を失い、徐々に発語にも支障が出てきた。自分の発する声も”聴こえない”のだ、話すことに憶病になるのは当たり前だ。(妻の仇は人知れずに討つ。妻に知られることなく討つ)もしもあの男が殺されたと言うニュースが月子に知られれば、当然柳瀬を疑うだろう。疑いながらも信じようとすれば、心身のバランスを崩すことは容易に想像出来る。

 妻が知ることも無い「仇討ち」に価値はあるのだろうか?柳瀬は数十回目の自問自答を始める。もう論理の筋道は出来ている。この仇討ちには「意味がある」のだ。二度とあの悲劇を繰り返させない。被害者はもう沢山だ・・・

全ては計画通りに進んでいる。


 「総理、ご決断を」与党幹部の一人が官邸で関田首相に進言していた。9月13日の時点で危険な兆候が出てきている。国民が自らの手で政治家を殺し始めたのだ。もうZoo.などと言っている場合ではない、明日にも襲撃される可能性だってあるのだ。身辺を固めるSPの思想や日常での発言まで洗い出し、確実にSPの役目を果たす者以外は排除した。内調からの指摘があったのだ。このままでは身内までもが”敵”になりかねないと・・・

「一刻を争います。総理に万一のことがあれば、この国はどうなるとお思いですか?」幹部は関田に身を隠すことを提案していた。関田の懐刀である幹部の進言はもっともだが、関田はその意に反して答える。

「私に逃げろと言うのかね?それこそ恥の上塗りではないか。私はこの国の総理大臣として職務を全うする。逃げるなどあり得ない」

関田は実はこの右腕とも言える幹部すら信じていない。自分不在の内閣がどんな”判断”をするのか、手に取るように分かっているつもりだ。

総理大臣の座から引きずり落とされ、この幹部が暫定でこの党を仕切り、次期総理の座に就こうとするかも知れない。

「しかし総理。安全の保証は無いんです。所在が知れることはイコール危険だと言う事なんですよ?」

「分かっている。だがそのための身辺警護じゃないか。SPの身元も洗ったのだろう?」

「非公式ですが、kaleidoscopeからの情報まで活用しました」

「アレか。いいか、kaleidoscopeシステムの掌握も私の責務だ。国民監視システムが悪用されることは防がねばならん」

幹部は心の中で毒づく。

(あんたが一番欲しいオモチャだろうな。だが内閣が先に押さえて見せる)

首相の独占こそ避けねばならぬと言うのが内閣の意向だ。勿論、その話し合いの場に関田はいなかった。

「国会はこのままですか?」

「うむ。休会は無い。臨時国会を何度でも開く。国会議員が自由になる時期こそ危険なんだ」

「野党からも緊急動議の用意があると言われております」

「野党?ふふん、せいぜい騒がせておけ。私たちに不利となり得る発議は潰せるのだから」

「幾つかは審議するようだと思いますが?」

「野党がやりたい国民のご機嫌取りをいくつか通せばいいだろう。予備費は?」

「4兆円ほどあります」

「使うな。野党が国民にばら撒く金の財源は”国民”だと知らせろ。出来レースだが、野党も文句はあるまい」


 緊急事態宣言から4日。立て続けに起こったテロはSNSで情報が拡散されていた。真偽はともかくとして、情報量は非常に多い。その中から何を選ぶかと言う点に「個人的バイアス」がかかる。Zoo.礼賛者はZoo.に都合のいい情報を選び出して拡散する。少数ながら、テロに反対するユーザーはZoo.を特定しようと試みたり、少なくともテロリストは厳罰に処されることを喧伝する。勿論、大多数のユーザーはこのお祭り騒ぎに便乗しているだけだ。確かに、国民の敵が始末されていくのは「最上のエンターテインメント」だった。彼らサイレントマジョリティーとも言えるユーザーは程を弁えて発信し、拡散した。「Zoo待望論」に期待が膨らんだ。手口から見て、直近2件の暗殺は第三者が起こしたものだと考えられた。様々な「検証サイト」がそう断じたのだ。手口が荒っぽい上に容疑者は”女性”だった。実はkaleidoscope班も犯行グループに女性メンバーがいると推理している。ただ、その女性メンバーはしっぽどころか髪の一筋も見せていないが・・・


(だったらさ、Zooが否定すんじゃね?)

(俺たちはやっていないってか)

(そうそう、濡れ衣はごめんだろうし)

(どこで否定するんだよ)

(ここじゃないかな?)

(だったらFujiyamaの方がいいじゃん)

(なんでだよ?)

(結局は全部Fujiyamaにアップロードされるから)

(Fujiyamaって国営って話だけど?)

(ばーか、民間だよ。毎年の決算書見てるか?)

(決算書で分かるの?)

(予算がある以上、国営だろうが民間だろうが決算書は出る)

(それで?)

(どこにも政府関係が出ていない。ついでに有名企業も出ていない)

(じゃぁFujiyamaで待つか?)


 SNSを使うなら、どこを使っても同じだ。とんでもない速さで特定される上に身柄を拘束されるのだ。運営企業の国内外を問わず、”日本国において”SNSを運営する以上、守秘義務など無いも同然である。違法ではあるが、憲法を恣意的に運用して、後年の争いに備える分科会も発足している。検閲は行っていない、企業の自主的措置であると主張するはずだ。これに「憲法学者のレポート」でも添えれば、国民は法廷では勝てないはずだ。9月14日正午、Zoo.名義で声明が発表された。A4の白紙に印字された声明は、とあるユーザーがZooに依頼されてスマホ撮影して公開された。前回の声明と同じ手口だが、今回の声明は短いものだった。


「皆さんに伝えたいことが出来た」と題されたその声明はこうだった。


 「皆さんは我々Zoo.のことをしっかりと認識しているはずだ。我々の声明を思い出して欲しい。処分する権限を皆さんに移譲したが、処分してもいいのは「猛獣」だけだ。たとえその猛獣に与する者だとしても、飼育員まで処分してはいけない。彼らには彼らなりに利用価値があるのだ。繰り返して伝える。我々はHuman.である。Animal.では無いのだ。


全ての道は開かれている。その道を歩み、粛々と実行すればいい」


 「目標以外は巻き込むな」と言う論旨を2回繰り返している。コレは神奈川県で起きた爆殺事件のことを言っているのだろう。確かにSP2名が巻き込まれて死んだ。秋葉原駅の事件では近距離から銃撃し、街宣車の演台を狙ったので流れ弾や貫通弾は空に抜けたはずだ。


 kaleidoscope。

主に諜報と防諜を行うシステムを指す。国民には一切知られることなく、あらゆる個人情報の収集を目的としている。現在、このシステムは広域犯罪でありテロリズムである「Zoo.事件」の専従である。最高責任者は佐川・桐山局長の2名。課員は120人であり、班内に「ヘンペル班」と呼ばれる奇妙な集団を抱えている。そのkaleidoscope班が行き詰まりつつあった。

「何故、特定出来ないっ!」佐川が課内に向けて声を荒げる。ガソリンを使った「オイル瓶爆弾」の製法は、主婦レベルが思いつくものではない。簡単に見えて、実は巧妙に作られた節があるのだ。

「オイル瓶を選んだ理由は?」

「鑑識から報告が上がったよ。ガラスの分厚さと、包んでいるプラスチックフィルムが爆発力増大に働いたそうだ」佐川の問いかけに桐山が答える。

「偶然ではないと言うことですか?」

「そうだ。鑑識は市販されているあらゆる瓶・・・まあ全てを網羅したわけではないが、調べた限りでは、オリーブオイルの300g瓶が最適だったそうだ」

「そのオリーブオイル瓶爆弾の設計者は?」

「ソレが問題だ。kaleidoscope班が頑張っているが、製法の発信を掴めていないだろう?」

「必ずネット経由で広まったはずです。主婦が作れるモノではないと」

「たまたま主婦がオリーブオイルの瓶にガソリンを入れるわけがないからな」

「何故SPたちはあの主婦を見逃したんですか?」

「金属探知機に引っかからなかった。微弱な反応は出たが、瓶に付いていたボールチェーンだと誤解した」

「爆発させるためには、何らかの信管が必要ですよね?」

「信管というよりも雷管に近いらしい。詳細な造りは不明だが、衝撃で発火させたらしい」

「発火?」

「爆発の様子を撮影していたスマホがあった。動画を解析すると、非常にあやふやではあるが、爆弾は2回爆発を起こしたらしい」

「2回?」

「お前さんはオウムかい?まあいい、瓶の中で小さな爆発が起こり、その熱と衝撃でガソリンの一部が気化して爆発を起こし、あとはあの始末だ」

「そこまで計算された爆弾だと?」

「言っただろ。鑑識が色々試した中での”最適解”がアレなんだ」

「爆弾はアレだけでしょうか?」

「アレ?」

「いや、ガソリンを使った爆弾って意味です。他にも製法があるのなら・・・」

「もう指示は出したよ。すまんな、捜査員を勝手に使って」

「いや、桐山さんの部下でもあるんですから」

「ガソリンを使う以外の方法は多くない。簡単に言えば火薬を作っちまえばいい。黒色火薬なんぞは中学生でも作れる。TNT爆薬を作った高校生もいたらしいが、今じゃ行方不明さ。何なら火薬を作る必要も無い。夏の名残の花火でもほぐせば手に入るだろう」

「どの程度の威力になるんですか?」

「難しいやね。黒色火薬の場合、自身の爆発力で飛び散っちまうからな。大きな爆発にはなりにくい」

「使えないと?」

「慌てなさんな。使い方にコツがいるだけだ。どんな火薬だって”猛烈な燃焼反応”だ。爆発の威力は燃焼時の温度と、発生する衝撃波で決まる。つまり狭い空間で発火させれば威力は高まる。世界各地で使われているのは”圧力鍋”だな。我が国ではそんなデカい爆弾は使われていない。せいぜい鉄パイプ。軽量化を図る場合や威力を落としたい場合はアルミパイプってとこだ」

「そんな・・・簡単に作れるなんて・・・」

「まあ待て。誰も”簡単”だとは言ってないだろ。発火装置なら簡単さ。ところが爆発させるにはそれなりの工夫と言うか設計が必要なんだ」

「どう言う事です?」

「例えば火薬を鉄パイプに詰めて導火線を差し込んで火を点ける」

「簡単じゃないですか」

「いいやそうじゃない。この方法だと導火線周囲の火薬が派手に燃えるだけだ。殺傷力は高くない。爆発はしないんだからな」

「それで?」

「過去に何度か素人が作った手製爆弾はこのクチさ。爆発させたいなら、詰め込んだ火薬の中心から発火させるべきなんだ」

「それで圧力鍋?」

「作りやすいだろうな。鉄パイプでも理論は一緒だ。殺傷力は落ちるが・・・ガソリン爆弾は瓶の中心付近で1回目の爆発が起きた」

「発火させる方法は?」

「さて?思いつくのは紙火薬だが、流通が止まって久しい。ただ、ちょっと詳しい人間なら電気的に発火させるだろうさ」

「神奈川の事件では?」

「不明さ。金属部品がほとんど使われていない。金属探知機をすり抜けたぐらいだからな。火薬なんぞを用意出来れば・・・高校生でも作れそうだが」

「桐山さんが出した指示はどんなことですか?」

「硝酸の原料となる物資、肥料や薬品の購入者。盗難の被害届。圧力鍋を最近買った者のリスト。各地での爆発音の通報。ダイレクトに爆弾に類するワードは敢えて避けさせた」

「爆弾関連のワードは検索しない、と?」

「言わなくてもやってる課員はいるだろう。ソレは任せておいて、俺が出した指示は以上だ」

「引っかかりますかね?」

「分からん。kaleidoscope班が12時間も足踏みしてるんだ、どう転ぶか分からんだろう」


新潟県新潟市の駅前。大規模チェーン店の店内でその事件は起こった。ボックス席で向かい合って座っていた男がもう一人を撃ったのだ。店内にいた他の客は何が起こったのか理解していなかった。「パンッパン」とやや大きめの乾いた破裂音を聞いて、ソレが銃声だと気付く国民は少ないだろう。隣のボックス席にいたカップルも現場を見ていながら、理解するまで数秒かかった。そして若い男の方が悲鳴を上げながら、自分のスマホを撃った男の顔面に投げつけた。撃った男はスマホ直撃の痛みに耐えながらにやりと笑い・・・自分のこめかみを撃ち抜いた。この銃声でやっと事態の重さが店内を突き抜けてパニックになった。もう銃を撃つ者はいない。隣のボックス席に座っていた男は腰が抜けたように動けず、女は口をポカンと開けたまま静止している。この並んだ2つのボックス席だけが時間に取り残されたようであった。店員の通報で5分後には防弾装備に身を包んだ警察官が臨場したが、もう銃撃犯は死んでいる。もしも銃撃犯が生きていて、銃撃戦になったら警察官は死んでいただろう。この国の「防弾装備」は貧相なままだ。

 「確保ぉっ!」死体となった銃撃犯の男に銃口を向けながら警察官が吼える。隣にいたカップルは別の警察官に支えられ、身を屈めるようにして店外に出た。

 謎の多い事件であったが、この”新潟喫茶店射殺事件”は警視庁とすぐに情報共有された。政治家の銃撃事件があり、拳銃を所持していると自首してきた主婦もいた。つまり、拳銃が市中に出回っていることになる。今までは反社会勢力だけが持つことが出来た「凶器」を、今度は普通の市民が所持し使用した。事態を重く見た警視庁は事件の徹底捜査を命じた。反社会的勢力の情報まで集めた結果、射殺されたのは高校生時代からの「いじめ加害者」であり、撃ったのは「いじめ被害者」だった。単純な怨恨ではなく、「いじめ加害者」は更なるいじめ・・・被害者の妹のレイプまで匂わせていた。このことが家族思いのいじめ被害者に殺意を抱かせた。そしてどこからか拳銃を入手した。銃撃した男の行動の解明が進んだ。いつ、どこで手に入れたのか?誰が渡したのか?スマホから1枚の画像が発見された。容疑者の使用した拳銃の写真だ。Exifデータから、撮影日や撮影地等の重要な情報が得られた。9月10日に撮影された写真だった。この画像が発見されるまで20時間以上かかったのは、スマホを作ったメーカーが頑なにパスワードロック解除を拒んだからである。最終的には政府間、日米の合意の下、開示命令が出た。警視庁は最初からこの「合意」を待っていただけだ。パスワードロックを第三者が解除しようと思えば、日数単位で時間がかかる。ならば「合意されるであろう開示命令」を待てばよい。日本政府はそこまで追い込まれていた。米企業に開示命令が下ったと言えば格好がつくが、要はアメリカ政府と企業に「哀願した」だけである。


 「シグ230だぁ?」桐山が頓狂な声を上げる。新潟事件で押収された拳銃はスイスの企業が製造販売していた「シグザウエルP230」だったからだ。今でも私服警官やSPに支給されている拳銃で、一般・・・闇マーケットも含めて、流通数は非常に少ない。桐山は最初、官給品の横流しを疑ったが、よくよく考えてみれば、横流しは不可能だった。桐山の所持拳銃を含め、全ての官給拳銃は所在が明らかなのだ。故に、拳銃を所持出来る公務員は「職務中」に銃犯罪を犯すことになる。桐山と佐川のように「常時携帯出来る者」はごく少数なのだ。更に驚きのレポートが届く。拳銃から「ポロニウム」が検出されたのだ。鑑識が行き当たりばったりに調べたわけでは無かった。隠岐事件と主婦の自首の件で「何か出ないか?」と必死になっていた鑑識が、筑波大学に調査を依頼して出たのがポロニウムだった。放射性物質であり、どこにでもあると言うモノではない。拳銃事件だと言うことで念のために新潟大学が調べた結果、新潟事件で使用された拳銃からも検出されたのだ。

「ちょっと鑑識課に行ってくる」そう言い残すと桐山はkaleidoscope班を出た。その足で先ずは警視庁幹部の部屋を訪れる。情報が欲しかった。kaleidoscope班は情報の「発信」がメインで、警視庁の細かな部署単位からの情報は上がってこない。そもそも、末端の部課にはkaleidoscope班を知らぬ者も多い。桐山は幹部から1つだけ情報を得て、鑑識課に向かった。

「ポロニウムとはどう言う事だ?」桐山はもううんざりだった。

「ご存じでしょう?」

「一昨年の11月の原発事故だろう?」

「その通りです。原発ゼロを謳っていたD国が一転して稼働させたアレです」

「増殖炉って言うんだっけか?」

「設計はその通りです。実際に冷却材が特別なモノでした」

「爆発したような記憶があるが?」

「小規模ですが爆発事故を起こしました。その時に漏出したのがポロニウムです」

「危険だよな?」

「幸い、人的被害は出ませんでした。実際はどうなのか分かりませんが、漏出した量も福島の事故よりも少なかったようです」

「それで、なんでそんな物騒なモノが拳銃から出てきたんだ?」

「ヨーロッパで被曝したと考えるのが妥当でしょう」

「念のために訊くが、他の可能性はあるのか無いのか?」

「無いと思います。C国の宇宙ステーション関連で墜落した衛星やロケットから漏出したとしても、こんな広範囲からは検出されませんから」

「広範囲?範囲が絞れるのか?」

「簡単にZoo.関連と呼びますが、この関連で出てきた拳銃は全て新しいんです」

「製造後すぐってことか?」

「そうです。詳細は更なる検査が必要ですが、同じ時期に製造された鉄鋼を使用したと考えられる。その鉄鋼そのものが被曝していたのではないかと」

「それで?」

「出てきた拳銃の製造メーカーは全て欧州なんです」

「欧州で最近製造されたってことか?」

「その通りです」

「いや待て。S&Wの38口径はアメリカ製じゃないか」

「少数ながらトルコでもライセンス生産されています。シリアルナンバーで照会出来ました」

「確定的証拠じゃないか」

「まさにその通り。これ以上のお話は捜査課からお聞きください。私たちは証拠を調べ上げるだけですので」


(ほんとうにもう、うんざりだ)


「どう言うことですか?」実際の捜査に関わったことが少ない佐川が桐山に問う。

「簡単さ。Zoo.関連で使われた拳銃は闇マーケットを通っていない」

「何故分かるんですか?」

「出てくる拳銃は全部が全部、一級品の品物だ。コピーでも古い拳銃でもない。正規に製造されて販売されているモンさ」

「それでどうなります?」

「製造年が1年半以内だと分かった。この期間内に国内に持ち込まれた拳銃はごく少数だろう。当然、闇に出回る数はもっと少ない。日本が正規輸入した拳銃のうち、ポロニウムが検出されたモノは無い。ところが、密輸された形跡もない」

「どう言う事ですか?」

「簡単さ。これらの拳銃を持ち込んだのは・・・政府関係者だ」

「なんですってっ?」

「税関を通らないで済む上級国民もいるんだ。その線で持ち込まれたらもう分からん」

「しかし、そんな拳銃をZoo.はどうやって入手したんでしょう?ある意味、Zoo.の特定に繋がるかも知れませんよ?」

意気込む佐川に、桐山は冷たく言い放つ。

「無理さ。拳銃を横流ししましたって自白する関係者は出てこない。それに、W・Hたちが一斉に密輸ルートの調査から手を引いちまった」

「意味がよく分からないんですが?」

「ホワイトハッカー、つまりは政府や警視庁のお墨付き犯罪者がこの件から手を引いた。この線は洗うとヤバいと判断したんだろうさ。この情報は警視庁幹部から直接聞いたから間違いは無い。お前さん、知ってるか?kaleidoscope班の局長は警視庁幹部よりも偉いんだとさ。Zoo.の捜査に限定した話だけどな」

「偉いの偉くないのに興味はありませんが、つまり警視庁は嘘を言わないってことですか?」

「そうだ。ここから発信する情報が最新で正確だからな」

「つまり?」

「ここにいる俺とお前さんが知らない、または知り得ない情報は無いんだ・・・」


 これだけの物証を残しながら、Zoo.メンバーの特定には至らない。最大の物証であろうと目された”檻”は盗難品で、持ち主はすでに死んでいた。遺族にとっては邪魔な粗大ごみに過ぎなかった”檻”に実用性を見出したのは犯罪者だった。女川夫妻の監禁に使われた檻は「どこかで誰かが作ったモノ」らしいが、情報が出てこない。昨今は地方都市に空き工場や倉庫がかなりある。そこで制作されたらもう分からない。檻に使われた材料はありふれたモノばかりで、どこから調達されたのか分からず、加えて「盗難品」であれば尚更だ。「鉄板が盗まれました」などと言う盗難届は出されていない。国民を裏切り続けた政府・官憲の責任は重いと言うことだ。ありふれたモノで、被害金額が少ないのだから、わざわざ面倒な盗難届は出さず、ネットで注文すれば済む。そこへ持って来て「政府関係者の密輸」まで絡んできている。拳銃の出どころはこの「密輸」ではないかと考えれば、実際にZoo.が使った爆薬C4も密輸品かも知れない。国内にあるC4爆薬には「マーカー」と呼ばれる成分が含まれている。簡単に言えば「芳香を放つ成分」で、万が一の事態が起きても判別、発見が容易になるように混入される。日本だけではなく、軍隊が使うC4はほぼ漏れなく何らかの「マーカー」を含む。ところがこれが「密輸品」で、しかも出所が欧州だとすると、共産主義国が起こした紛争時に「密造されたモノ」かも知れない。密造品であれば、当然わざわざ発見されやすくする「マーカー」を混入したりしない。


桐山と佐川はこの爆薬の出どころは敢えて追わず、国民が容易に製造出来る爆発物に焦点を絞った。少なくとも、国民による「Zoo.模倣犯」の犯行だけは防がねばならない。

 kaleidoscope班の捜査は遅々として進まない。インターネットには「爆弾の製造法」と思われる書き込みが存在しないのだ。簡単に「ガソリンを使えば?」のような書き込みは散見されたが、実際に「効率的に爆発させる方法」は検索してもヒットしない。海外サイトには「ある」情報だが、日本政府は平成の時代からその手の「危険情報」をブロックしていた。ネット黎明期には簡単に入手出来た情報が、数年で日本国内のユーザーから隠された。あらゆる情報を走査して「有害と思える情報」は隠されたのだ。例えば海外の「爆弾テロで使用された爆発物」の製法は、事件後3か月で検索不能になった。この事件で、さも信憑性が高いように伝えられたのは、その国のネット検索で「圧力鍋」を検索したユーザーのもとに捜査官が漏れなく訪れたと言う逸話だった。

 「ヘンペル班はどうしてる?」桐山が佐川に尋ねる。既に「容疑者の絞り込み」は進んでいるはずだ。ヘンペル班は「確実にシロ」である人間をリストに加えていく。通常の捜査と逆の方法をとっている。日本の総人口1億人。コレは住民登録の無い「違法滞在者」なども織り込んだ数字だ。この国に「存在する人数」が1億人。テロ事件を起こす可能性のある人物像は絞り込まれる。例えばほぼ無条件に幼年者と高齢の老人はリスト入りした。まだリスト入りしていない人間は何人だろうか?

「ヘンペルのリストを洗い直しています。僅かでも灰色ならばリストから除外する方向で」

「やり直しかっ!?」

「いえ、リストに加えられていく人数の方が多いですね。洗い直しているのは、kaleidoscopeの設計開発等の関係者のようです」

「で、リストに入れないカラスの候補生は何人になった?」

「待ってください、彼らに確認します・・・現時点で15万人強ですね」

「そんなにいるのか?」

「1億人に対して15万人。0.15%です。僕の予測では候補が人口の0.0001%まで絞り込まれた時点でほぼ”決まり”となるはずです」

「0.000・・・いくつだって?」

「100万人に一人レベルです。これでようやく容疑者を特定出来るはずですね」

「都民に限定しても10人は出て来るじゃないか」

「もう少し少ないはずですが、逆に言えば、通常捜査での容疑者から”白いカラス”を効率的に外せるわけですから。ヘンペル班は容疑者を探してるわけでは無いんですよ?」

「ヘンペル班に伝えてくれ。今までに使った”フィルター”を俺のデスクに持ってくるように」

「かなりの数になりますよ?使われては破棄されるフィルターもある・・・」

「破棄されたフィルターはひとまず置いて、使ったフィルターを知りたい」

「何を考えています?」

「俺が”刑事の勘”で洗い直せるか確かめたい。ところでそのフィルターは部外秘かい?」

「まぁ・・・出所がkaleidoscopeだと言わなければ、部長クラスには開示しても構わないですが、あくまでもマル秘扱いでお願いします」

「分かった。では早速やらせてくれ」


  瀬戸内海に浮かぶ「無人島」は意外と多い。多くの島は漁師たちの道具置き場になったり、盛夏だけ営業する海の家がある程度で、シーズンオフには無人になる。そんな島を買い取り「新入社員の研修」に使う企業があった。研修と言えば聞こえはいいが、この企業は会長を頂点とした格差を作り上げていた。一部上場企業であり、社会的イメージは「人材の宝庫」であり、非正規労働者を企業に割り振る「勝者たち」が勤務する企業。その実際は、集めた優秀な人材を研修と言う名の「洗脳教育」で奴隷化する黒い企業だった。洗脳された新入社員は率先して会長の奴隷となっていく。たった1か月の”研修”で、自我を徹底的に破壊され、新たな自我を植え付けられる。いや、それは自我などと言うものではなく「超自我」(スーパーエゴ)だった。ただし、その超自我は会長の姿をしている・・・


 秋の研修では新人教育の成果が今一つだった社員が集められる。経済学者として、また大企業の経済コンサルタントとして高名な後藤獅子男はZoo.のテロが始まった5~8月の間に身を隠す決断をした。後藤の思想や経済活動は特に「若者」の反感を買い、政治家並みに「国民の敵」と目されていた。そんな評判を知るからには、我が身も危険と判断する。真っ先に逃げるのが後藤と言う男だった。新人研修から補修研修までを行うこの島は後藤にとって「我が帝国」に等しい。上級奴隷が新人奴隷を教育する場だ。後藤に逆らう者はいない。そう、昨日までは・・・


島の南端から四国が望める。泳ぎに自信があれば渡れる距離だが、後藤は泳ぎが得意ではない。かぎ裂きが出来てすっかりみすぼらしくなったチノパンに、あちこちに血の色を付けたポロシャツ。後藤は今、追われていた。脱力しながら対岸の灯りを見ている。アレは今朝のこと、たった13時間前だ。いつものように執事に起こされ、不機嫌な表情で別宅の食堂に入った。大きなテーブルには白いテーブルクロスがかけられ、前夜にリクエストしておいた朝食が運ばれてくるはずだった。いつも後藤の椅子の横後方に立つ執事の姿が無い。後藤を起こした執事は食堂のドア前に立ち、動こうとしない。後藤は更に不機嫌になり、右手の前に置かれた鈴を鳴らそうとした。執事もコックも懲罰ものだと考えていた。

朝食は出てこない。代わりに痩せた若い男が後藤の斜め前方に立った。

「なんだ貴様は。挨拶もせずにそこに立つな」ここは後藤の帝国なのだ。絶対的君臨者なのだ。

「失礼しました。おはようございますかいちょぉ」小馬鹿にした口調だ。後藤はすぐさま立ち上がり、顔を紅潮させながら罵倒しようとした。乾いた破裂音が4回鳴った。

「座れ」若い男が拳銃を握りながら後藤に命令する。後藤は瞬間的に「命乞い」をしようと、床に這いつくばった。

「た、助けてくれっ!金ならやる。なんでもやるからっ!」

「要らない。サッサと椅子に座れよ」若い男は拳銃のトリガーガードに指を這わせている。シグP220は各国のSPたちも愛用する名銃だ。

「待て、待て撃つなっ!何でもやるからっ!」

「何も要らないと言ってるだろう。いいから座れよ、会長さん」

「わ、分かったから。座るから」後藤はテーブル上を見渡す。武器は、武器になるような物は無かったか?いつもの朝なら銀のカトラリーが・・・

「余計なことはするな。お前はこの指1本で殺せるんだ」

「何もしない!何もしないからっ!助けてくれ・・・」

「指1本で殺せると言っただろ。ソレでまだ生きてるんだ。この場で殺す気は無い」

「この場では?」

「やっと話が出来るようになったな。一つだけ教えておく。この屋敷の使用人はもういない」

「どう言う事だ?」

「簡単さ。昨晩のうちに暇を出した。1艘だけあったモーターボートで島から出て行った。今この島に残ってるのは研修を受けていた社員が20人。あとは会長のあんただけだ」

後藤の顔から血の気が引いた。研修を終えていない社員は獣も同然だ。今、集団で襲われたら命は無い。後藤は自分がやってきたことを知っているのだ。

「ふざけるな!私を誰だと思っているっ!」

「エンジン社の会長だろう?ソレがどうかしたか?」

「待て、分かったからっ!分かったからっ!」

後藤は混乱しているのだ。この状況で高圧的に出たり、平伏する言葉を連ねたりするが、もう自分が何を考えているかも理解していない。

「な、なにが欲しい?何でもやるから助けて・・・」パンッ!乾いた破裂音が響く。

「しつけぇな。何も要らないと言っているだろう」

「じゃ、じゃぁ目的はなんだ?その拳銃はなんだ?」

「お前の命」

「どう言うことだ、殺さないと言ったじゃないかっ!」

「この場では。そう言ったはずだし、俺がお前を殺すわけじゃない」

「・・・どう言う意味だ?」

「そして誰もいなくなった。或いはバトルロワイヤルって小説を読んだことはあるか?」

「無い。そんなモノに興味はないんだ」

「そんなモノとは酷い言いざまだ。読んでおくべきだったな」

「だからどう言う意味だ?」

「生きてこの島を出られる人間はいないってことだ」

「ふ、ふざけるなっ!何様のつもりだっ!」

「お前の言う貧民愚民被搾取民さ。お前はその愚民に殺される」

「きっさまーっ!ただで済むと思うのかっ!」

「済むんだ。お前は使用人に裏切られたんだよ。俺がちょっとお話をしてあげたら喜んでボートに乗った」

「さ、殺人罪だっ!」

「ほぉ。証拠も残さないのに、か?」

「俺が死んだらそれが証拠だ。考え直せっ!」パンッ!

「この島に”残った”社員は20人。全員がゲームに参加するそうだ。他にも俺の仲間が何人か残っている。ところで、だ?」

「ところで?」

「誰がお前を殺したかは分からないよな。候補者が20数人いる。殺人事件だとして、量刑はどうなると思う?」

「法律には詳しくない・・・」

「簡単さ。全員を裁こうとすれば、殺人罪の重さは等分割される。せいぜい5年の懲役ってとこさ。それでお前を殺せるなら大歓迎だそうだ」

「ふ、ふざけるなっ!リンチの方が罪が軽いって言うのか?」

「その通りだよ。勉強しておくべきだったな、かいちょおさん」

「助けてくれ・・・」

「100%殺されるわけじゃ無いだろう?」

「助かる方法があるのか?金か?地位でも何でも・・・」パンッ!

「お前が20数人を先に殺せばいいだけだ。お前の言う”弱肉強食論”そのままさ」

「あ、あ、あれは経済の話で・・・」

「経済的に殺してきた人数を数えてきたか?」

「そんなことはしない。私は殺していないっ!」

「いいさ。そう思っていればいい。だが、俺の妹はお前に殺されたも同然だ」

「何のことだっ?」

「知らなくていいことさ。サービスしてやるよ。生き残りやすい条件をくれてやる。この食堂の向かいの部屋にリュックが5つ置いてある。中身は全部違うが、武器も入っている。1つだけ担いでいけ。読んでおけばよかったな、バトルロワイヤルって小説を」

「なんだリュックって言うのは?」

「装備品さ。持って行って不利になることは無い。どのくらい有利になるかはお前の運次第だ」

「認めんっ!私はそんな話は認めんっ!」

「好きにしろ。お前らみたいな上級国民は誤解しているんだけどな」

「何をだ。何を誤解してると言うんだ?」

「人間、ナイフで刺されれば死ぬってことさ。こればかりは”平等”さ」

「ふざけるなっ!俺は何もしていない、罪を犯していないっ!」

「やっと仮面が剥がれたか。”私”なんてお上品な言葉が消えて”俺”ねぇ。そのまま死ね」

「待て、助けてくれ、いや助けて下さい」椅子を降りて哀願しようとした。

「死ね」

「死にたくない、助けてくれよ・・・」

「時間が無いぞ。正午からゲーム開始だ。狩りが始まる前に逃げ出した方がいい。リュックを1つ担いでな。監視が1人残るんで”ずる”は無しだ。そうそう、殺人罪だっけ?死体が出ないとどうなるんだろうなあ?」

後藤は真っ青を通り越して真っ白になった。血の気が消え失せた後藤に若い男が言い募る。

「こっちの武器は豊富だ。意外と広い島だし、野生化するのもアリだぞ」



後藤は遠くにさんざめく灯りを見ながら思う。

(リンチの挙句殺されるよりも・・・)

後藤はリュックの中身を思い出す。

(木の棒でどう戦えばいいんだよ・・・)

ここまで考えて後藤は狂った。「アハハ!俺は勇者だっ!この棒を武器屋に売って青銅の剣をっ、アハハハハハ、餓鬼の頃唯一やったゲームだったなぁぁああっ!」ポロリと涙がこぼれる。もう死ぬしかない。この断崖から飛び降りて死のう・・・

後藤の背後を追っていたハンターはただ見ていた。昨夜この島にやってきた若い男はこう言った。

「殺すな。ただ追いかければいい。飢えて死ぬか狂って死ぬまで」


「後藤が消えたって?」桐山が問い返す。もううんざりだ・・・

「Zoo.の事件が起こり始めてすぐに逃げたんですけどね」

「研修センターだっけか?」

「そこで造反でもあれば助からないと、想像もしていなかったんでしょうね」

「手がかりは?」

「食堂に7発の弾痕。シグP220から発射されたモノだと推定。しかし血痕等は無く、屋敷のカメラには青いリュックを背負って出ていく後藤の姿が残ってました」

「あの島はあちこちに監視カメラがあるはずだろう?」

「他のカメラは全て停まっていました。何と言うか、防犯担当ですかね?その男の関与が疑われますが・・・」

「ますが?」

「島にいたのは研修を受けに来た社員だけで、20人います」

「全員しょっ引けばいいだろうが」

「容疑は?」

「・・・無いな。死体、出てないんだろう?」

「はい。ちなみに研修生は全員島に残っているところを発見されています」

「管理者は?」

「9月13日にモーターボートで島を出ています。銃を持った男に命令され、島を出た後はしばらく監禁されていたと」

「3日で解放されたってか」

「その通りですね。この間に後藤は・・・」

「死んでるな。監禁は事実だろうが、優雅な生活だっただろう」

「待遇は悪くなかったと言ってますね。勿論この社員たちはシロです」

「そりゃそうさ。誰かが絵を描いてる。Zoo.ではないだろうけどな」

「断言出来ますか?」

「遠いんだ。瀬戸内まで遠征しないんだよ、Zoo.は」

「何かZoo.特定の証拠でもあるんですかっ!」

「無い。俺の刑事の勘って奴さ。ヘンペル班に伝えてくれ。Zoo.の主犯は関東以北在住だ」

「分かりました。桐山さんの勘に賭けます」

「次長っ!」

桐山と佐川が同時に振り向く光景はお馴染みのものになった。

「いや、桐山次長に・・・」

「なんだ?」

「マルテに動きがあります」

「ふん。何か出てきたのか?」

「御堂からの報告です」

「それで?」

「マルテとは連絡手段が限定されてるので、抱き込んだマルテ捜査員を呼び出したそうです」

「ほう・・・御堂さんも中々やるな。どこに呼び出してある?」

「喫煙室です」

「色気が無ぇな。御堂さんは?」

「勤務明けで帰りました」

「ますます色気が無ぇや・・・」


 御堂もやるもんだと桐山は驚いた。マルテの捜査員数人を抱き込んで来い、動きの良い捜査員が欲しいとは言ったが。

「桐山さん、お久しぶりです」

「福島・・・お前はマルテ本部長だろう?」

「御堂って言うんですっけ?あの別嬪さん」

「うちの懐刀だ」

「でしょうねえ。うちに来てその場で出禁になってますよ」

「理由は?」桐山は噴き出しそうになった。

「俺んとこに来て、捜査員を貸してくれと」

「貸すわけが無いよな」

「その場で出て行けと怒鳴りました」

「そして御堂は目に涙を溜めながら部屋を足早に出て行った」

「そうです」

「そして実はマルテ本部のドア前で待ち伏せしてた」

「桐山さんの指示ですか?」

「まさか。俺はマルテから活きのいい捜査員を数人抱き込んで来いと言っただけだ」

「結構な玉を寄越しましたね」

「で、なんでお前が引っかかってくるんだよ」(笑)

「俺は桐山さんと仕事がしたいんです」

「俺にもモテ期がきたかあ」

「何ですか、モテ期って?」

「俺は最近、あちこちからプロポーズされそうになっててな」

「じゃぁ俺からもプロポーズします。一緒に歩んでくれますか?」

「お前はさっさと結婚しろ、仲人ならしてやるから」

「誰かいい人いますか?」

「御堂とかどうだ?」

「あの女は喰えないですね」

「ところで何か出たって話だが?」

「こんなデカい情報を桐山さんが知らないなんて」

「ぶっちゃけた話をするとな。俺がいる部署は佐川のところだ」

「あの怪しげで偉そうな部署ですか?」

「そう言うこった。で、その部署に情報を上げて来る部署が無い」

「何故ですか?」

「マル秘と言うか、漏らすとお前自身が危険だが、いいか?」

「聞かせてもらいます」

「Zoo.関連捜査の司令塔にして、情報発信がメインの部署だ。つまり、俺のところが情報を出すから捜査が進む。所轄にまで俺が行って情報も引っ張って来る」

「全ては桐山さん次第、ですか?」

「佐川がいるだろう?あの男も食わせもんさ」

「話せるのはここまで。ですね?」

「そうだ。詳しい話は・・・いや把握してる人間はごく少数だ」

「分かりました。いつか居酒屋ででも聞きたいですね」

「まぁな。ネタとしては面白いがな」

「で、出てきたんですよ、ダイナマイト」

「社長が持ち逃げしたアレか?」

「そうです。ただし、出てきたのは15本です」

「5本が行方不明か・・・社長は?」

「ソレがですね、少々複雑なんですが」

「話してくれ」

「社長の行方は追い切れませんでした。この追跡も桐山さんのところがやったと思うんですが?」

「やった。社長が偶然持っていたスマホのGPS情報が出てきた」

「・・・」

「そう言うことにしてくれ。そしてそのスマホは塩尻市で発見された」

「そうです。以後は足取り不明でした」

「そうだったな」

「ところが今日になって、その社長が新しいスマホを契約しました」

「情報が上がって来てないが?」

「特定が完全ではないので・・・明朝には報告が上がるはずです」

「12時間のフライングか」

「そうです。そのスマホは通称”花魁渕”で発見されました」

「俺の記憶では立ち入り禁止区域だったが?」

「今でも立ち入り禁止ですよ。山の中を抜けて行けば辿り着ける場所のままです」

「で?」

「着衣とスマホとダイナマイトが15本。捜査員がやっと見つけた感じですね」

「待て。あの社長は大腸がんでステージ4だったと聞いたが?」

「だから桐山さんに報告しに来たんです。俺の勘でも何か裏がありそうで・・・」

「助かった。うちの捜査方法は少々特殊でな。成果が出たら真っ先に教えるから」

「紛失したダイナマイト5本はどうします?」

「その捜索もこっちでやるが・・・その・・・現場で動いてくれるか、マルテが」

「やりましょう。最大船速でね」


秩序は保たれている。非常に危ういバランスではあるが、拳銃を使った犯罪は隠岐事件と主婦の自首、新潟喫茶店射殺事件の3件だけで、広がる兆候は見えていない。ただ、拳銃が何丁ばら撒かれているのかは不明だ。それよりも、桐山が危惧しているのは消えた5本のダイナマイトが使われた場合のことだ。


「佐川」

「何ですか?」佐川はもう主のいない室長室で作業に没頭していた。Zoo.関連の情報を精査して新たな犯人像を作ろうとしているのだ。

「ダイナマイト、出てきたよな」

「5本、行方不明ですけどね」

「最悪のシナリオだよ」

「どう言う意味ですか?」

「あの社長がダイナマイトをあちこちに配っただけなら、そう怖いもんじゃない」

「十分脅威だと思いますが」

「お前さん、ダイナマイトの使い方を知ってるか?」

「使い方って、導火線に火を点けるだけでしょう?」

「国民の99%はそう思っていると言うのが”救い”だったんだ」

「救い?」

「ダイナマイトの使い方を知ってる人間はごく少数と言う事実が救いだった」

「よく映画で出てくる方法じゃないですか。違うんですか?」

「着火しても爆発はする。多少の工夫は必要だが爆発はする」

「よく分かりませんが・・・」

「黒色火薬と一緒だ。導火線で着火した場合、火の点いた部分が猛烈な勢いで反応して、爆薬全体に行き渡る前にナンボかは吹き飛んじまう」

「しかし威力はありますよね?」

「そりゃそうさ、工事現場で”発破”と呼ばれる作業には不可欠だ」

「それで?」

「ダイナマイト1本で人を殺すなら、導火線に着火ってだけでは不確定過ぎる」

「使用法があるんでしょう?」

「ダイナマイト1本がすっぽり入る鉄やアルミパイプを使う」

「なるほど。爆圧を逃さない工夫ですね」

「そうだ。そして側面の一部を薄く加工すると、そこから爆圧が逃げて殺傷能力も飛躍的に高まる」

「では、ダイナマイトを使おうとした場合は金属探知機で発見出来る?」

「持ち歩けばの話だ。そして簡易検査には引っかからない方法もある」

「えっ?」

「細い金属線、そうだな・・・銅でいいんだ。ダイナマイトの中心を通しておく。あとはデカい電流を瞬時に流せば効率的に爆発する。この場合、周囲3mは致死圏になるし、間近で爆発したら原型を留めないだろうな。鑑識が過去に何度も実験して確認している」

「デカい電流とはどのくらいですか?」

「家庭用100Vで十分さ。お前さん専門だろう?モバイルバッテリーで瞬間的に作れる電圧とアンペア数は?」

「・・・可能です・・・数秒なら維持出来る電力です・・・」

「5本が行方不明。つまり、あの社長は渡す相手を選んでいた可能性が高い」

「確実だから?」

「そうだ。5本のダイナマイトで5人が殺される」

「Zoo.に渡っていたら?」

「Zoo.はそんな危ないブツに手を出さない。自前で持ってるんだからな」

「社長の行動履歴から特定を急がないとっ!」

「端末は塩尻市に遺棄されていた。今回出てきた端末は新規契約されたモノだ。社長は3日間、どこにいたかも割れていないじゃないか」

「では何で新規契約したんでしょう?特定されるのは分かっていたから手持ちの端末は1回、遺棄したわけでしょう?」

「簡単さ。コレは”犯行予告”だ」

「どう言う意味でしょうか?」

「もう社長さんはどこか遠くに逃げたさ。死んでいるのかも知れない。金なんざどうとでもなるだろうよ、ダイナマイトを売ればいいんだから」

「犯行予告とは?」

「ダイナマイトが5本だけ消えた。社長さんも消えた。恐らく、新規契約のスマホを花魁渕に遺棄したのは本人じゃない。20本のダイナマイトが消えたんじゃない、5本に限定した。つまり、確実に使用出来る人物に渡った」

「待ってくださいっ!狙われるのは誰なんですか?何か情報は?」

「ダイナマイト1本で1人殺す。誰が狙われるか分かるわけがない」

「どうすればいいんですか?」

「ダイナマイトを受け取った馬鹿が、本物の馬鹿ならいいがな」

「本物?」

「ダイナマイト関連での容疑者は5人の可能性がある。勿論繋がりの無い5人だ。社長はどうやってこの5人を選んだのか?」

「工事関係者でしょうか?あとは知識のある者・・・桐山さんは何でそんなに詳しいんですか?」

「国際テロを長い間追いかけていた。その捜査で知った情報・・・待て」

「何ですか?」

「課員に命じろ。ネット上の情報ではなく、自費出版物の線を洗えと」

「自費出版?」

「キーワードは任せる。コレだけは俺からの指示だ。”時計”や”クロック”と言う言葉を使った発信は全て特定しろと」


 kaleidoscope班がようやくその”印刷物”を特定出来たのは9月16日の早朝だった。3交代制の深夜勤務者が偶然発見したのだ。キーワードは「時計」だった。この大雑把なキーワード検索にヒットする情報は膨大である。夜勤者はいい加減このキーワード検索を放り出そうかと思いながら、表示される情報を斜め読みしていた。このキーワードが「当たりを引く確率」は紙よりも薄いだろう・・・

「時計のパンフレットもらった」と言うSNS投稿に添付された画像に違和感を覚えた。パンフレットと言えば立派な印刷物だと想像出来るが、添付画像にあるその「パンフレット」は、表紙に萌え系の美少女が(非常に高いクォリティで)描かれ、時計の画像は見られない。描かれた美少女は制服の裾からお腹を見せるアングルで、2人いた。

「次長」

「何か出たか?」まだ桐山は出勤していない。

「妙なパンフレットが引っかかりました」

「見せてみろ。こりゃあ同人誌か何かか?」

「違うようです。タイトルも変ですが、この投稿は5日前のモノで、確認したところ現在は退会しているアカウントの投稿ですね」

「ログに残っていた画像を拾えたってことか」

「そうです。ほぼ完全な形で残っているログは8月10日以降です。1か月分を精査しましょうか?」

「やれ。よく分からんが桐山次長ならそう判断するかも知れないからな」


 9月16日は雨が降っていた。前夜から大荒れの天候で、多くの国民は事実上の”戒厳令”にしたがうことにすら安堵を覚えていた。この荒天の中を出歩く必要は無いのだ。東京都議員、高山学は奈良で爆死した高山祥子の従兄である。学の方が2歳年上だ。従妹の高山祥子との関係は当然深いモノだった。ただ学の存在は表面に出なかった。無党派の高山祥子と保守派与党の学は、議会や都政では水と油のようだと囁かれていた。表面上では「都議員の責務として弱者を保護すべし」と謳いながら、派手にアピール活動をしていたがその実、事情を知る議員からは「沖縄航空」と揶揄されている。金のためなら都政とは関係の無い「基地問題」にも介入し、最高裁判決が下りた基地移設問題の混乱を画策している。高山学の役割は、保護した弱者をあちこちのデモ活動に送り込むことだった。沖縄だけではない。不法移民が多い地域では、高山学が調達する若い男が重宝された。デモンストレーションでは終わらない「実力行使」の人員は必要だ。特に日本人は必須とされている。不法移民側に都合の悪い事実が持ち上がれば「日本国民の権利として行動する」と宣言する。これだけで行政は及び腰になる。もうそれはH市暴動の帰結から「強硬手段に出る行政」に姿を変えつつあったが・・・

 高山祥子事件を受けて、学も警戒を強めていた。都民の多くには知られていないが、高山祥子のパートナーであり、女川夫妻の活動に都民税を流していた。決定し都民に発表したのは都知事だが、この男は傀儡に近い。実質では「議会」が都政を牛耳っていた。議会制民主主義では当たり前の原則だが、「議会が都政を統べる」ことの危うさを都民も国民も知らない。

 たった1人の都議会議員が都政の行方を決めてしまうこともある。裏で「実弾」と呼ばれる現金が飛び交うようでは、民主主義は失われたも同然だ。高山学は荒天こそ治まったものの、やや強い雨が打ち付ける歌舞伎町のアスファルトの上で発見された。それは奇妙な姿だった。上半身を覆う厚手のワーキングシャツの胸元に穴が開けられ、金属製の筒のようなものが露出していた。筒は強力な接着剤で固められている。半透明の膜に覆われているようなものだ。そして背中には30㎝四方ほどの鋼板を背負っていた。この鋼板の重さと頑丈さで、高山の動きはふらつく猿のように見えた。外出禁止令が解ける午前05:00を10分ほど回った頃に、ワンボックスカーから放り出された。車からの落下の衝撃でしばし呆然と座り込んでいたが、数分で覚醒し叫んだ。


「助けてくれっ!」


「それでどうなった?」桐山が佐川に質問する。

(もううんざりだ・・・)

「高山学は即死でした。胸にぽっかりと穴を開けられて生きてる人間はいないでしょう」

「聞き取りは出来たのか?」

「昨夜、馴染みのクラブに立ち寄る直前に攫われたと言っていますね」

「SPは何をやっていたんだ。この状況で簡単に攫われるなぞ、面汚しだっ!」

「21:30でした。間もなく外出禁止のサイレンとアラートがスマホに送られてくる。浮足立っていたんでしょうし、国民も足早に・・・あるいは小走りでクラブ前の道路を急いでいた。ほんの数秒の隙を突かれた形ですね」

「攫ったグループの追跡は出来なかったのか?」

「無理に追跡すれば歩行者を跳ねていたと言う判断で」

「攫った車の特定は?」

「ナンバーすら無い盗難車では、Nシステムの動きも悪くて・・・しかも犯行グループは3回、車を替えています」

「それでも追えるだろう。何のためのkaleidoscopeだ」

「容疑者グループはほぼ特定しましたが、逮捕出来たのは3人です」

「待て。犯行グループの人数は?」

「30人以上です」

「どう言う事だ?攫うだけなら数人でいい・・・目くらましか?」

「そうです。車を替える時に同じ地点から3台ずつ盗難車が出発しています」

「車の交換は3回。つまり9台の車を使ったのか?」

「分かりません」

「どう言う意味だ?」

「そのままの意味です。最小で9台ですが、個々の車がどこかで高山学を乗せ換えたかも知れません」

「端末の特定は?」

「高山のモノは誘拐後すぐに遺棄されています。この端末に接触した端末の持ち主はいません。飛ばしスマホですね。kaleidoscopeで追いかけることが出来たのはこの飛ばしスマホまでです。犯行時に現場付近にあった飛ばしは15台ほど。容疑者の特定は主に防犯カメラの映像から。容疑者の中には”虹彩認証情報”を掴まれている者が数人いますが、逃亡中です」

「虹彩認証情報が割れてるなら、逮捕は近いか・・・」

「そうですね。ある程度の人数を逮捕した段階で芋づる式にグループを全員逮捕出来ます」

「時計の話を聞こうか?」

「コレが画像です。経緯はもう説明しました。どう思います?」

「発信者は特定出来たよな」

「既にマルテの捜査員が向かっています」

「この”パンフレット”の現物が欲しいんだが」

「今、各方面に協力を要請しています。印刷所はもちろん、イラストを描いたと思われる人物も捜しています」

桐山はそのパンフレットの表紙を見つめていたが、不意に笑いが込み上げてきた。

「クックック・・・ふざけやがってっ!」

「何が可笑しいんですか?ふざけてる?」

「この表紙、ユーモアたっぷりだ」

「ユーモア?女の子2人ですよね?」

「後から描き込んだんだろうが、制服に付いてるエンブレムを見ろ」

「エンブレム・・・校章のことですか?」

「そうさ。何が見える?」

「サソリと・・・こっちは犬ですかね?」

「狼だろうさ。この女の子たちの背景は大地だな」

「大地?地面のことですか?」

「そして二人とも腹を出している」

「ソレが何か?」

「昭和の中期の話だ。過激派左翼が作った冊子のタイトルが”腹腹時計”さ。構成メンバーは3つのグループだった。狼と呼ばれる集団とサソリと呼ばれる集団。大地の牙と呼ばれていた集団もいた」

「その冊子の内容は?」

「テロの指南書さ。図説入りで爆弾の製法まで網羅していた」

「つまり、コレはその・・・現代版腹腹時計ってことですか?」

「昔はいい時代だったようだな。今は個人が印刷から製本までやる時代だ。コピー機を使ってもいい」

「かなりの数が出回っていると?」

「もう原本すら不要だろうってほどにな」

「・・・」

「佐川。重要なことをお前さんの口から訊いておきたい」

「はい」

「ここから先の捜査は泥沼だ。kaleidoscopeの責任者として、追うべきはZoo.か?それとも政治家を狙うテロリストか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る