第二章

 全集を出す。

 此度の三島由紀夫全集は、私の三度目の全集であった。最初の全集は、私がまだ四十五歳の年に編まれたのである。『あのころも俺は』と(二三)私は考えた。『世間でもはや安定と安全と、ある意味では先の見えた円熟との権化と考えていた作品の堆積をよそに、こんな愚行に耽っていた記憶がある。(二四)数々の愚行――政治に走ったこともある。肉体改造に走ったこともある。しかし、それら愚行には何の意味もない。愚行と俺の作品とは無縁であり、愚行と俺の精神、俺の思想との間も無縁だ。俺の作品は断じて愚行ではないのだ、、、、、、、、、、、、、、、、。(傍点は往々、作者の抱懐するイロニイの表白である。)だからまた、俺は自分の愚行に、思想の弁護を借りないという矜りがあった。思想を純粋ならしめるために、俺は自分の演ずる愚行から、思想を形成するに足るような精神の作用を閉め出してしまった。と謂って肉慾だけが動機であったのではない。俺の愚行は、精神にも肉体にも拘ずり合わない、途方もない抽象性をもっていて、それが俺をおびやかす遣口は、非人間的としか言いようのないものだった。(二五)そして今もそうだ。(二六)

 言ってしまえば、私の作品を二元的に分断する一つの指標、行為こそがかの愚行の総結集なのであった。前期の作品があの事件、、、、という一箇所へと辿り着いた後に、後期の作品は前期と後期の結節点として、私の後期作品は拡散していく。私の行動のありとあらゆる開始地点が前期の作品に散りばめられているのだとすれば、それら全てはあの事件、、、、へと繋がり、その点を通じて、後期の作品はありとあらゆる方向へと伸び、霧散していく。

 私は前期・後期の作品が収められた全集を見開き、旧友らの、あらんかぎりの美辞麗句を弄した上でなされる私の作品への寸評を読みすすむうち、微笑を口もとにうかべた。こう呟いた。

『まるで分っちゃいない。まるで見当外れだ。絵空事の、綺麗事の追悼文にすぎないじゃないか。』(二七)

 殆どの人物にとって、老作家・三島由紀夫は過去の人であるやもしれない。かつての激情家としての側面は、いわば作品表現の一環であって、文学者・三島由紀夫の前期的な一つの装いである、とも。ゆえに、文学者・三島由紀夫の後期における像とは、およそ人間的な烈しい憎悪、嫉妬、怨恨、情熱の種々相と関係のない、幻想的でかつ深遠、捉えどころのない、無限の、永久の虚無なのである。少なくとも、寸評にはそのような文が付随する。

 しかし果して――一連の寸評はいざ知らず――そうした表向きの、現在の三島由紀夫なる作家の像は本当に、私自身の内面を反映したものであると言えるのであろうか?……芸術家が真情を偽わるように強いられる成行は、社会人がそう強いられる成行と、恰も対蹠的であると謂っていい。芸術家は顕わすために偽わり、社会人は隠すために偽わるのである。(二八)現在の、三島由紀夫の思想とは一体何なのか?……われわれが思想と呼んでいるものは、事前に生れるのではなく、事後に生れるのである。まずそれは偶然と衝動によって犯した一つの行為の、弁護人として登場する。弁護人はその行為に意味と理論を与え、偶然を必然に、衝動を意志に置きかえる。思想は電信柱にぶつかった盲人の怪我を治しはしないが、少くとも怪我の原因を盲目のせいではなく電信柱のせいにする力をもっている。一つ一つの行為にのこらず事後の理論がつけられると、理論は体系となり、彼、行為の主体はありとあらゆる行為の蓋然性にすぎなくなる。彼は思想を持った。彼が紙屑を街路に投げた。彼はおのが思想によって紙屑を街路に投げたのである。こうして思想の持主は、自分の力で無限に押しひろげることができると信じている思想の牢獄の囚われ人となるのである。(二九)

 寸評を見るのに飽き、別の場所を見てみれば、そこには老いらくの私自身の顔写真が掲載されている。内容見本の表紙に刷られている彼自身の肖像写真をつくづく眺めた。

 それは醜いとしか言いようのない一人の老人の写真であった。尤も世間で精神美と呼ばれるようないかがわしい美点を見つけ出すことは、さして困難ではなかったろう。広い額、削ぎとられたような貧しい頬、貪欲さをあらわす広い唇、意志的な顔、すべての造作に、精神が携わった永い労働の跡が歴然としていた。しかしそれは精神によって築かれた顔というよりは、むしろ精神によって蝕まれた顔である。この顔には精神性の或る過剰が、精神性の或る過度の露出があった。恥部を露わに語っている顔が醜いように、恥部を隠す力を失った精神の衰えた裸体のような、一種直視の憚られるものがあったのである。(三〇)

 近代の知的享楽に毒せられ、人間的興味を個性への興味に置きかえ、美の観念から普遍性を拭い去り、この強盗はだしの暴行によって倫理と美の媾合を絶ち切った天晴れな連中が、(三一)私の風貌を美しいと言ったからとて、それは彼らの御勝手である。

 とまれこの老醜の風貌を麗々しく掲げた表紙の裏に、十数人の知名の士が書きつらねている広告文のかずかずは、表紙の写真と異様な対照を示していた。これら精神界の達人たち、必要な場所へはどこへでもあらわれて命ぜられたとおりの歌を高らかに歌う禿頭の鸚鵡の郡は、口をそろえて私の(三二)――とくに、後期の――作品に揺蕩う悠久の美を讃えていた。

こうした全集には大抵、複数作品の文庫本再版もセットになっており、私は担当編集に言われるがままにサイン本を幾らか作り出す作業をすることになる。作家と読者との距離は年代が下る毎に近づいており、最近の作家はサイン会などと言って実際に読者と会話をすることも珍しくないのだという。そうした時代にあっても、私は今さら自分自身のいささか古風な気質を変化させようという気持ちも起きず、せいぜい、サインを書いた本を作るという程度の範囲に収めているが……驚いたことに、こうした本は購入者本人の持ち物となることはなく、売りに出されてしまうものも数多くあるそうだ。以前には、家政婦の聡子が私のサインが書かれた本を入手してよろこんでいたのを見、思わす私は

「そんなにサインが欲しいのならいつでも書いてあげるのに」

 と言ったが、彼女はそれを素気なく否定し

「それは地位の濫用というのです」

 などと、もっともらしいことを言って返してきたのを私は覚えている。何であれ、彼女や周りの何者かが、私が本に名前を書くという程度のことで喜ぶのであれば、悪い気持ちもあまりしないというものだ。

「本当のことを話して下さい」

 またしてもあいつは、私にそう問いただす。

「本当のこととは何です」

「またその返答ですか。先生は本当に呆けてしまわれたのですか」

「私は、今の生活に不満など抱いていないよ」

「それが、今の先生の作風なんですね」

 言って、青年は滔々と語りだす。まるで用意されていたかのような、流麗な台詞を彼は淀みなく言い放ってみせる。

「日々の生活を……花鳥風月を、四季おりおりの垣間見せる時間の変化を愛する。生活そのものを愛する。陰影を愛する……そのような作家に、他でもない三島由紀夫がなるべき理由とはなんですか? それではまるで谷崎潤一郎ではありませんか」

「かの谷崎翁のようになれるのであれば、光栄ではないか」

「先生は心にもないことを仰る。生活を愛するということができたなら、あなたはあのような作品を書くことはなかったでしょう。仮に、子が出来てそう思ったならばそれは錯覚です。結婚生活? 政治活動? 本当にそれはあなたにとって生活、、でしたか。本質的にあなたは太宰治のような生活嫌悪者でしょう。

あなたが生活を愛せば谷崎潤一郎に、あなたが生活を嫌えば太宰治に、あなたが女を愛せば川端康成に、それぞれ成り代わることができるかもしれません。出版社でも立ち上げますか? そうなればあなたは菊池寛になれるでしょう。……しかし、永久にあなたは三島由紀夫にはなれないのです」

「好きに言うがいい。私は今のままでいいんだ」

「そうですか。そうですか。……しかしじきに、あなたは本当のこと、、、、、を話さざるを得なくなるでしょう。仮にあなたに運命があるとすれば、それは、本音を隠すことができない。自身の恥部をエロチックに開陳しようとする、その性癖にこそあるのですから」

「聞いたふうなことを言うんだね」

 私はそう言い返したが、青年は私の言葉に意見を返すことをしなかった。


        ⁂


 老齢を迎えた私は、そもそも人の好き嫌いがあった私が、さらなる人嫌いの気風を強め、妻が亡くなってからはまず滅多に外に出ないようになった。日常の買い物は聡子にお願いしているし、老人一人の生活では日々消費する物の量もたかがしれている。聡子にあの青年以外には、我が家には財産管理をしている知人と出版関係者ぐらいしか訪れず、ごくまれに息子や娘が様子を見に来る以外には、基本的に他人と会うこともない。

 しかし、そうした生活が健康に悪いと感じるのか、或いはそれ以外の理由があるのかは定かではないが、編集者は時おり文壇のパーティの話を持ち込んでは私に出席してくれないかと頼み込む。先述のように、人嫌いをこじらせつつある私であるから、大抵は断ってしまうのだが、今回はどうしても……と繰り返し、見知った顔もきっといると言うので仕方なく、私はそのパーティに参席することとした。

 文壇における私の見知った顔というのもそう多くはない。我が師と仰いだ川端康成は既に亡くなってしばらく経っているし、遠藤周作氏も亡くなり、澁澤龍彦も自分より随分早くに死んでしまっている。どのみち、私の世代における作家なる生き物は不健康極まりないもので、老衰によって畳の上で死んだ川端康成氏はともかく、同世代の作家の大半は褒められない死に方をしたものだ。

 しかし、それでも同世代で生きている人間はまだいくらかいる。石原慎太郎はつい最近政治活動をやめたばかりだし、北杜夫氏もまだ生きているだろう。作家ではないにせよ、福田恆存氏もいれば坂本一亀氏もいる。人嫌いをこじらせた私らしからぬことではあるが、この時ばかりはかつて自身らが若かった頃の話でもして、若者連から顰蹙を買おう、などと思っている始末であった。


 果して――その想定は裏切られた。

 会場にいた作家たちは皆一様に若く、私のような年寄りはそう多くなかった。

その中でも幾人かの老人と呼び得る文学者はいたが、彼らでさえも私より十は若く、しかもその上、女流作家の臀部に手を伸ばすような者すらおり、私は目の前で起こる事象を見ては酩酊と目眩の中間のような感じをおぼえた。

「私の見知った顔がいるという話ではなかったかね」

 若い編集者の男に質問すると、彼はこともなげに一つ

「そのとおりです。ここで先生のことを知らない人は誰一人としていませんよ」

 と言ってのけた。

「誰でもよいのです。話しかけてみればよいことではありませんか? 誰も嫌がる人なんていませんよ」

「それでは相手に気を使わせることになる」

 私がそう言うと、編集者である彼は一つ笑ってみせ、答えを返した。

「はは! 何を心得違いをしていらっしゃるんですか。気を使わせるとおっしゃいますが、先生のような立場の人から声をかけられれば、大半の人は恐縮し、気を使い、あなたに媚び諂うものです。裏ではどのような陰口を叩いているかは知れませんがね。しかし、世間とはそのようなものではありませんか」

 お好きになすってくださって結構。そう言って編集者の男はその場を去った。……しかし、何ということだろう! 私は未だに愛されることを求めていた、、、、、、、、、、、、、。老醜極まる自己を見てもなお、私は愛されていると思い込んでいた。しかし、もはや私が他者に……例えば文壇上の人物に愛されることを求めるのはもはや老人のわがままでしかなかったのだ。そうした私自身の自覚しない老いのわがままは、疥癬のように痒さで身を灼いた。(三三)

 そうした現実の中にあって、私が会場を見渡せば、例の老作家が――内向の世代と呼ばれていた文学者である――が女流作家にその手を伸ばし、そうした行為には何の意味もないと言わんばかりに平然とした態度で会話をしていた。そのあまりの醜悪さに目をつむりたくなったが、恐らくここで杖をついて、ただそうした様子を遠くに眺めている私もまた、彼ら彼女らにとっては、昭和に生れた古臭い、黴の生えた、もはや納期よりも納棺の時期を探るべきであろう人々の一人だと思われているのだと思うと、私はこの場にいつづけることができなかった。それでももし誰かから声をかけられれば、私は極力、考えうる限りの笑顔をもって対応するであろうという予測まで立てると、自己の醜さに吐き気がした。……老人はいやでも政治的であることを強いられる。(三四)


 私はパーティ会場のお手洗いへ行き、一度顔を洗った。そこに映る顔は老醜そのもので、私は自らが得た老齢という地位の内実を再確認した。かの老作家と私とに、一体どのような有意な差があるというのだろう? その醜悪で無力な肉体、その無力を補う冗々しい無用のお喋り、同じことを五へんも言ううるさい繰り返し、繰り返すごとに自分の言葉に苛立たしい情熱をこめて来るオートマティズム、その尊大、その卑屈、その吝嗇、しかもいたわるに由ない体をいたわり、たえず死を怖れている怯懦のいやらしさ、何もかも恕している素振、しみだらけの手、尺取虫のような生き方、一つ一つの表情に見られる厚かましい念押しと懇願との混り合い。(三五)……生きているとは、生き続けるとは何と醜悪グロテスクな営為なのであろうか! 人が輪廻のはざまに生きているに過ぎないことの事実の証明こそが、この老醜なのだ。

 輪廻とは卑俗の劫罰だった。そして卑俗最大唯一の原因は、生きたいという欲望だったのである。(三六)

「老人には筋肉はつきません。筋肉は常に青春と共にあり、人は青春と共に筋肉を喪っていくのです」

 またあいつが現れた。多分、個室から戸を開けて、彼もまた鏡を見ながら、言葉を発する。

「そんなに筋肉が大切なら、年をとらないうちに、一等美しいときに自殺してしまえばいいんです(三七)……ですが先生は、それができなかった」

「そんな瞬間は、俺にはなかったんだよ」

「本当ですか」

「俺には、時を止めるのに、「この時を措いては」というほどの時はなかった。宿命らしきものがもし俺にも多少あるとすれば、「時を止めることができなかった」ということこそ、俺の宿命だったのだ。

 自分には青春の絶頂というべきものがなかったから、止めるべき時がなかった。絶頂で止めるべきだった。しかし絶頂が見分けられなかった。ふしぎにも、そのことに悔いがない。

 いや、たとえ青春を少しばかり行き過ぎてからでもよい。もし絶頂が来たら、そこで止めるべきだ。だが、絶頂を見究める目が認識の目だというなら、俺には少し異論がある。俺ほど認識の目を休みなく働らかせ、俺ほど意識の寸刻の眠りをも妨げて生きてきた男は、他にいる筈もないからだ。絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の授けが要る。しかし俺には、能うかぎり稀薄な宿命しか与えられていなかったことを、俺自身よく知っている」(三八)

 私のそうした言葉に一つ一つ頷く素振りを見せた後、彼は即座にこう言ってのけた。

「本当に……そう思っているんですか?」

 その口元には蔑みを含んだ笑みが浮かぶ。

「分からないならばいい! 盲目を開くような義務は私には課されていないのだから」

「本当にそう思っているんですかね。実際に盲らなのは、どちらなのでしょう?」

 私はお手洗いを後にした。


 私が随分と永くお手洗いに居座ったからか、幾人かの作家が私に心配の声を投げかけた。私はそうした言葉ひとつひとつに、何の問題もないのだという答えを返していく。そうすると殆どの作家は納得した様子で私からはなれていったが、一人の女流作家だけは私がそう返した後も残り、質問を重ねた。

 その作家は先に老作家に臀部を撫でられていた張本人で、筆名を清水博子といった。彼女は三作目で芥川賞を受賞した、現在売出し中の作家である。彼女は言った。

「先生が書かれた『金閣寺』で、印象に残っている場面があるんです」

「それは、どのような?」

「美は誰にでも身を委せるが、誰のものでもない。虫歯のようなもの(三九)……そんなふうな言い回しだったと思います」

「それは……柏木の台詞だったね」

「そうです! 私にとってあれは不思議な表現でした。私も、先生ほどに美を探求しているわけではないですが、美に惹かれていく魂という主題には共感を覚えます」

「そりゃ、どうも」

「美というのはなぜ人をこうも狂わせるのでしょう? 私は言ってしまえば、書きたい主題なんてどこにもないと言うのに、それでも私は書くことを強いられます。編集者にではないし、私自身にしいられているかも怪しい……けれども、書かなければならないという感情だけはあります」

「書きたいことがないなんてことがあるのかね」

「あるんです。――少なくとも、私はそうです」

「それは……気苦労が耐えないであろうね」

「ええ、まったくです」彼女はそう言った後に、会場で配られた飲料を一つ飲み干し、「話はかわりますが」と言って、別の質問をし始めた。

「先生は、あの事件の前に『豊饒の海』というシリーズを書いてましたよね」

「書いていたね」

「一作目は『春の雪』で、二作目は『奔馬』。そして三作目には『暁の寺』を書かれました――しかし、四作目はどうなってしまったのでしょうか?」

「四作目……」

「そうです。『暁の寺』では、物語は完結しません。絶対に続きがあるですよね。ですけれど、先生は未だにそれを書いていらっしゃらない。それは、なぜ?」

「そうだな。もしそれに答えるとすれば……ふむ。結局のところ、前期の私はもう居ないんだ。あの事件で確かに何かが終った。少なくとも、かつての私を、文学者・三島由紀夫を突き動かしていた何かは、もうないんだ」

「なるほど」

「だからもう、私にはあの続きを書くことができないんだ。……しかし、考えてもみて欲しい。かのドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』も未完成だ。どのような名文学者であったとしても、未完成の作品は存在し得る」

 そこに、あいつが現れた。あいつはパーティの参席者に誰一人気づかれることなく、人と人との間をぬって私の下に現れ、言った。

「それは嘘ですよね? ――先生」

 私はそれを無視した。私は続ける。

「もう、あの頃の私はいないんだ。だから、『豊饒の海』の続きを書くことはできない。……見てくれ。この老いぼれを。今の私に、生や死を、英雄の死を描くような気力は残されていない。私はもう、あなたがたのような若さを前にした時には、それを老人の立場からシニカルに捉えることしかできない。もう世界に英雄なんていないんだよ。仮にいたとしても、それは滑稽にしか映らないだろう」

 そこで、あいつは叫んだ。周りの目を木にすることなく、彼は叫ぶ。

「あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。英雄に対する嘲笑は、肉体的に自分が英雄たるにふさわしくないと考える男の口から出るに決っている。そのような場合、普遍的一般的に見せかけた論理を操る言語表現が、筆者の肉体的特徴を現さないことは、(少くとも世間一般からは、現さないと考えられていることは)、何という不正直なことであろう。私はかつて、彼自身も英雄と呼ばれておかしくない肉体的資格を持った男の口から、英雄主義に対する嘲笑がひびくのをきいたことがない。シニシズムは必ず、薄弱な筋肉か過剰な脂肪に関係があり、英雄主義と強大なニヒリズムは、鍛えられた筋肉と関係があるのだ。なぜなら英雄主義とは、畢竟するに、肉体の原理であり、又、肉体の強壮と死の破壊とのコントラストに帰するからであった」(四〇)

 その中身に聞き覚えがあるが、私はそれが何だったかを思い出すことができない。

 彼は叫ぶ。叫び、怒り、狂う。

「何故そのように自分自身を愚弄するかのような言葉を吐けるんですか? あなたは嘘つきだ! この上ない、例えようもない、卑劣きわまる、嘘つき野郎だ!」

「黙りなさい!」

 そう叫び、私が杖を振り上げた途端、あの編集の男が私に気がつき、私を羽交い締めにする。その様子を見た清水女史は一言

「先生。一体誰に向かって叫んでいるんですか?」

 と言った。


        ⁂


 一連の騒ぎは、目撃者が少ないがゆえに何とか収まったが、編集の男は随分と冷や汗をかいたらしい。

「もし先生が今もボディビルを継続していたら、僕では抑えられなかったかもしれないですね」

 と彼が笑う。彼は続ける。

「ところで先生、知っておりますか」

「何?」

「清水博子女史は文壇の花です。ですが、その意味には複雑なものが込められています」

「というのは?」

「色々な噂があるんですよ。下卑た噂がね。――もし気になるのであれば、ついていってみればいいんじゃないですか」

「莫迦なことを。あなたもそういうゴシップからは足を洗った方がいい。あなたは週刊記者ではないのだから」

「それもそうですねえ」

 のらりくらりとした対応をとる彼だが、帰りのタクシーを用意する程度のことはしてくれた。それに私は感謝した。

「費用は出版社が持ちます。お気になさらず」

 そういって彼は私をタクシーに押し込んだ。


 タクシーに乗り、夜の街を眺めながら、私はとある公園を目にした。その公園は私の若い頃のいわば因習のために使われていた場所で、私はそこで一度タクシーを止めた。どうするのか、と運転手が問う。結局私はそこでタクシーを降りた。

 そこでは夜に、その闇に紛れて若者たちがそうしたこと、、、、、、をする場所であった。私は藪に隠れた。このように老い衰えた肉を蟲は喰もうとしない。私は夜の闇そのものとなった。

 誰かの声がする。

「又会いましたね。今もやっぱり来るんですか、昔を忘れずに」(四一)

 私はその言葉を無視した。その声の主はどうやら静かに笑っているらしい。

「いいんですよ。いいんですよ。ここはここ。よそはよそ。お互いにそれで行きましょうや」(四二)

 はそれ以上、何も言わなかった。

 そうして、藪の隙間から若者の影が見える。その女性の顔も、男性の顔も、おぼろげではあるが、何か見覚えがあるような気がしてならなかった。それは清水博子女史であったかもしれないし、先の若い編集者だったかもしれない。或いはそれは全く別の女であったかもしれない。或いは彼らは、その影こそが本体であって、その顔や、その肢体にはもはや何の記号も持ち得ないのやもしれぬ。もし影が本体だとすれば、かれらの軽やかすぎる、透いて見えるほどにすがれた肉体のほうは、翼なのかもしれない。飛べ! 卑俗の上に飛べ! 四肢や頭は、翼であるためには余計で、あまりに形而下的だった。(四三)

 私は、かつての勢いをとりもどし、因習、、を開始した。そうして、心の底から――祈るように、こう思った。

 俺の目を酔わせてくれ、どうか一瞬も早く酔わせてくれ、世の若い人たちよ、無知で、無言で、しかも老人などには目をくれる暇もないほど、自分たちだけの熱中の姿で、心ゆくまで俺を酔わせてくれ。(四四)

 彼らが絶頂を迎える時、たしかに彼らは生を謳歌していたのだ。肉の美しさ……ほとばしる汗の美しさ。肉体の美しさは永遠なのだ。……ああ、肉の永遠の美しさ! それこそは時間を止めることのできる人間の特権だ。今、時を止めようとする絶頂の寸前に、肉の美しさの絶頂があらわれる。

 白雪の絶巓の正確な予感の中にいる人間の肉体の澄明な美しさ。不吉な純粋さ。侮蔑の涼しさ。そのとき人間の美と、羚羊の美とがもののみごとに一致する。けだかく角を立て、拒絶に潤んだやさしげな眼差で、白い斑のまじった流麗な前肢の蹄をこころもち浮かせて。かがやく山頂の雲を頭に戴いて、訣別の矜りに充ちて。……(四五)

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