第11話 その身体の使い道

「――俺の弟に、何してんだ」


金髪の少年の腕をつかみ、裕作は威嚇をするような低い声で問いかける。

「だ、誰だお前は!」


男達は、突然現れた裕作に困惑している様子だった。


ここは第二体育館裏。

用事が無ければ誰も近寄らない学院内の隠れスポット。

こんな場所に人が来ることなど、彼らは想定していない。


「クソッ このッ!」

訳も分からず、金髪の少年は勢いのまま裕作の顔面に向けて右腕を振りかざす。

この状況を誰かに見られたのであればただでは済まさない。そんな思考が透けて見えるような一撃。


「――――ッ!」


しかし、裕作は右手でそれを難なく受け止める。

小さな拳は裕作の大きな掌にすっぽりとハマり、二人の動きがここで制止する。


「なんだこいつ!」


握られた拳はまるで金具で固定されたように動かず、金髪の少年は焦りを募らせる。

引き抜こうにも引き抜けず、前のめりのまま拳を突き上げた今の位置的に、反対の左手で殴り辛く、動きを制限せざる終えない。


「クソ! このゴリラが!」


それでも何とか右腕動かそうと暴れるが、ビクともしない。

その姿はまるで大人と子供。

力も体格も、喧嘩に必要な何もかもが裕作の方が優れているように見える。

それでも必死な抵抗を見せる少年に対し、裕作は冷静だった。


二人の身長、体格、顔つき。その他の要素を確かめるように観察する。

今拳をつかんでいる金髪の少年、彼はそこそこ筋肉が発達しており、裕作の姿を見ても果敢に殴りかかってくる。

生意気な態度といい、裕作の眼には、この男は腕っぷしには自信があるように見える。


反対に、後方でこちらの様子を見ている茶髪の少年は体つきが細く、襲い掛かってくる気配がない。

仲間が相手に殴りかかったにも関わらず何もしてこない、その姿を見るに、明らかに恐れを抱いている。


――他には誰もいないようだな。


視野を広げ、仲間がいないこと事を確認した裕作は、

「弟に! 何をするつもりだったんだ!」

標的を目の前の二人に据え、大きな声で威嚇をした。


「な、なんだこいつは!」

後方に控えている茶髪の少年が驚いたところで、裕作は少年の拳を握りつぶす様に力を込める。


「ぐ、ぐあああああああ!!!」


まるで万力に掛けられたような握力で拳を握られ、金髪の男は悶絶するように苦しみ始めた。

痛みで目が血走り、冷汗が噴き出しながら天を仰ぐ。

今まで味わったことのもない激痛に悶える彼は、喉が潰れてしまう程の大きな声で叫ぶ。


「ひ、ひぃっ」 

その姿を見た茶髪の少年は、恐ろしいまでの握力を見せつけられ、引きつったような声を上げて腰を抜かした。


幕切れはとてもシンプルだった。 

沙癒に魔の手が伸びる寸前、裕作が間一髪で男達の前に立ち塞がった。 

そして、あっという間に戦意を失わせる。


圧倒的な力の差。


これが、この学院の裏で恐れられる才川裕作の実力だった。


「止めろ! や、止めてくれ!」


痛みで喉が枯れ、地面に膝を付き、許しを請うための泣き言を叫ぶ。

すると、以外にも裕作はすんなりと掌の力を緩めて拘束を解いた。

「――はぁ、はぁ」

荒々しい呼吸をする金髪の少年の手は真っ赤になり、痛々しい指の跡が付いている。


「ひ、ひぃぃ!」

それを見た茶髪の少年は、ズボンを地面に擦れることなどお構いなしに後ずさりをして、裕作から少しでも距離を取ろうとする。


「……それで終わりか?」 


挑発するように煽る裕作に対し、男達は顔が歪ませ今にも泣きだしそうな表情を見せる。 

彼らが感じているのは、底知れぬ恐怖。 

鍛え抜かれた肉体、見上げてしまうくらいの体格差。 

そして、極めつけがその腕力。

捉えた獲物を確実に死に追いやる猛獣の牙、それを彷彿とさせる身体の筋肉。 

男しての格の違いを見せつけられ、戦意が喪失した彼らにはもう反抗する余力など残っていない。 


「ゆ、許してくれ! こんなことするつもりじゃなかったんだよ!」

「そ、そうだよ、別に下心があったわけじゃない!」

苦し紛れの言い訳をする二人は、自分たちよりも何倍も立派な体つきの男を見上げて何度も頭を下げる。 


「――沙癒」


裕作は後方にいる弟の様子を横目で確認する。 

気持ちが落ち着いたのか、もう怯えている様子は無い。 

目立った外傷も見当たらないことから考えて、男達の行為は未遂に終わっている。 


しかし、裕作の怒りは収まらない。


もし、あの時クラスメイトの声に気が付いていなかったら?

もし、あと少し助けるのが遅れていた?

もし、沙癒が傷つくことがあったら?


思考を巡らすほど、腹の底からドス黒い感情が沸きあがる。

今までに味わったことのないくらいの、どうしようもない怒り。

この感情を消化する術を、裕作は一つしか知らない。


「弟に手を出したこと、後悔させてやる」


――あの時の様に。


そう、あの時と同じようにこの拳に全てを宿す。

怒りも、憎しみも、この真っ黒な感情を全部。

全部、この拳に注ぎ込む。


指の骨をボキボキと鳴らし、裕作は拳を温める。

呼吸を整え、気持ちを一色に染める。

余計な感情など要らない、今必要なのは。

そう、純粋な怒り。


「覚悟しろよ、お前ら」


裕作が緊張感のある声で二人を脅すと、男達は抱き合うように身を寄せ、頭を抱え震え始めた。

その姿はまるで小動物のようで、どちらが先に手を出したのかを忘れさせるくらい情けない姿をしている。


だが、大切な弟に手を出そうとした男達、二人を許すわけにはいかない。


「くたばれ!」


吐き捨てるように裕作が言葉を放った後、渾身の力で金髪の少年に向かって拳を振りかざそうとした。


――その時


「裕にぃ! だめ!」

裕作の後ろにいた沙癒が勢いよく背中にぶつかる。


「私は大丈夫、大丈夫だから」

前のめりになっている裕作を止めるようにしがみつき、沙癒は大きな声で訴えかける。その力はとても些細なものだが、裕作を止めるには十分な要素だった。


「沙癒は離れてろ!」


しかし、裕作の怒りは収まらない。

この世でたった一人の弟。

世界で一番かわいい存在。

その彼が危うく汚され、毒牙に掛かろうとしたのだ。

潰すとまでは行かなくとも、せめてそれ相応の罰を与えるべきだ。


裕作は昔、同じような状況に置かれたことがある。

あの日、裕作は彼を助けるために烈火の如く怒り、教職員すら手を焼くほど暴れまわり、危うく退学寸前にまで陥る事件に発展した。 

その場に居合わせた秋音が熱心に弁解してくれたおかげで、なんとか裕作の退学は免れた。

そして彼の今後の学生生活を考慮し、学長自ら当事者たちにキツイ口止めがされ、公の場にこの話が挙げることは無かった。


しかし、今裕作の心は黒く染まり、あの頃の同じように怒りに身を任せている。

もう沙癒の声すら聞き入れてくれない暴力の化身。

そんな存在に落ちぶれた彼には、もう何を言っても意味は――


「ダメ! 嫌だよ裕にぃ!」


それでも彼はあきらめない。

瞼に涙を貯めて、子供のように縋りつく。


「私は優しい裕にぃが好き、バカでどうしようもない裕にぃが大好き!」


沙癒は裕作の事が好きだ。

毎日のようにアプローチを続け、いずれ恋愛関係を結びたいと思っている。


彼の逞しい体つきが好き。

男らしい顔つきだけど、笑った時の顔が愛らしくて仕方がない。


しかし、沙癒は決して裕作の事を外見で好意を抱いたわけではなかった。


少し抜けていたり、情けない姿を見せる可愛げのある振る舞い。

どんな時でも明るく接しようとしてくれるその強い精神力。

そして、何があろうと手を差し伸べてくれる優しい心。


そんな自分には無い全てを持っている彼の事を、沙癒は好きになった。


――だからこそ


「だから、もうお兄ちゃんは暴力を振るわないで!」


だからこそ、好きな人が変わっていく様を見たくない。 


背中に抱きつく沙癒は、今までに出したこともない大きな声で訴えかける。 

自分の恋をしている人がどこか遠くへ行ってしまう、そんな予感がした。 

あんなに優しくて頼もしいお兄ちゃんが、自分のせいで別人のようになる姿など、沙癒は見たくなかった。


「…………」


その言葉を聞いた裕作は動きを止め、全身を強張らせた力が抜けていった。 

硬く握られた拳を解き、首を曲げて地面を見つめる。 


この体は、誰かを傷つける為に筋肉をつけたわけじゃない。 

この手で、大切な人を守りたいその一心でこの体を手に入れた。

その努力を、ここで失う所だった。 


「……ごめん、沙癒」


喉から絞り出したような言葉。

その言葉とても小さく、逞しさとはかけ離れたような弱々しい。

しかし、その言葉には、沙癒が求めていた優しい感情が込められているような気がした。 


「――ううん、いいんだよ」

沙癒はそんな彼を包み込むように、優しく抱き寄せた。

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