第4話 可愛いは正義、よって男の娘は正義

目覚めると、今日の授業が終わっていた。


才川裕作(さいかわゆうさく)はその場で大きく背伸びをした後、黒板上部にある時計を確認する。


「……もうこんな時間か」


既にホームルームも終わっており、帰宅の準備をしていないのは裕作だけだった。

午後の授業が始まる瞬間まではハッキリと意識はあったが、それ以降の記憶が全くない。


昼ご飯を食べた瞬間に強烈な眠気が襲い掛かり、先生が教壇に上がる前に気絶するように眠ってしまったのだ。

昨日は深夜までゲームをしていた兼ね合いで、睡眠時間が圧倒的に足りない。

裕作は顎が外れんばかりの大きな欠伸をしながら、胸元にしまっている携帯電話をおもむろに取り出す。


「ん、なんか来てる」


目元に溜まった涙を拭いつつ携帯の画面を確認すると、一件のメッセージが届いていた。

『あんた、この後はどうせ暇でしょ。一緒に帰らない?』


裕作の親友、早乙女秋音(さおとめあきね)からのメッセージだった。

二人は高等部に上がって一度も同じクラスになっていない。なので、放課後のやり取りはメッセージアプリなどでやり取りすることが多い。


『今見た、まだ学校か?』


慣れた手つきで画面を操作してメッセージを返信する。

数分前に来ていた通知ではあるが、連絡相手は学院のアイドル的存在である秋音である。

分単位の隙間があれば、何人もの人間が秋音と一緒に帰ろうとアタックをしているだろう。


既にだれかと帰っている可能性もある中、

『返信遅いわよ。まぁあんたのことだからどうせ寝てたんでしょ?』

送信した直後、数秒と待たずに返信が返ってきた。


まるで、携帯の画面から目を離さず着信を待っていたかのように。

『すまん、もう帰ったか?』

裕作は簡素な返信をしながら鞄の中に帰る準備をしていると、すぐに秋音からメッセージが帰ってきた。


『まだ学校よ。下で待ってるから早く来なさい』

『そうか、ならすぐ行く』

それに続けて返信を済ませると、裕作は席から立ちあがる。


「んじゃ、帰るか」

鞄を持ち上げ、裕作は足早に教室を後にした。

すれ違う顔見知りに軽く挨拶をしながら廊下を渡り、階段を下る。高等部二年の教室は一律して四階にまとめられている為、正門から教室に向かうまでのこの階段の往復が億劫で仕方がない。


一つ、また一つと階層を下っていく。

すると、二階に差し掛かる階段付近で不自然に人が集まっていた。


「なんだ?」


階段を下るにつれて人が増えており、一階付近になると満員電車を彷彿とさせるような人混みになっていた。

通常、放課後の学院でこれほど人で溢れることはない。


「……おかしい」


裕作は今の状況に疑問を抱いていた。

大半の学生は何かしらの部活動に所属しており、放課後になってもこの学院内に残る人間が多い。仮に、全校生徒の部活動が一斉に休部になる定期試験でも、ここまで人込みで溢れることはない。故に、今の状態は異常そのものであった。

そして何より、周りいる皆がその場で足を止めている。

どうやら、帰る気はないらしい。


「ここで待つか?」


この人混みが無くなるまでここで待とうと考えたが、秋音をこれ以上待たせると何を言われるか分かったものではない。


「いや、いくか」


一呼吸してから、裕作は人込みの中に乗り込んだ。

裕人と人との間にある小さな隙間に肩を入れつつ前進して、少しずつ正門の方へ向かう。

途中、周りのクラスメイトから様々な言葉が聞こえてきた。


『ここからじゃよく見えねーぞ』

『ほんとにいるのー?』


どうやら、この人たちは何かを見るためにここに集まった様子だった。

きょろきょろと覗き込む男子生徒、学院の非公式SNSを閲覧する女子生徒。中には、部活動から抜けて来たであろう運動部の姿も見える。

放課後の時間を削ってまで見たいものが、この先にある。しかし、前屈みで歩いている今の状態では何も見えない。


何があるのか周りに聞きたいのは山々だが、今は少しでも前に進むことを優先したい。

裕作は男女混ざった声を掻き分けるようにさらに前進する。

しばらくすると、周りの反応が明らかに変化した。


『あぁ……なんて素晴らしい光景なんだ!』

『あーいい! 凄く良い!』

『もしかしてここは天国か?』


喜びというより歓喜や狂気を帯びた雰囲気を感じた裕作は、思わずその場で足を止めてしまった。

どうやらこの人混みの原因がすぐ目の前にあるようで、もう少し前進すれば抜けられそうだ。

抜け切る前に一目その原因を確かめてやろうと、裕作は覗き込むようにして確認する。

身長百九十を超える長身ということもあり、背伸びをすれば頭一つ抜けてその先を確認することが出来る。


すると、原因がすぐに分かった。


正門付近に二人、可愛らしい人物が立っていたのだ。


「それで、その夜は結局襲われたの?」

「な、何も無いわよ! 裕作のやつゲームしたらすぐ寝ちゃったし」

「ほんと? 私なら我慢出来ずに襲い掛かってたと思う」

「あ、あんた。見た目の割に肉食系よね」


とても高校生が話していると思えない野蛮な会話が、目の前で繰り広げられていた。

左で顔を赤面させているのは学院のアイドル、早乙女秋音だ。

白いシャツの上に春らしい桜色のカーディガンを羽織っている。

体格よりも少し大きめのサイズを着ており、手の平まですっぽりと隠れている。


秋音曰く、わざと大きめのサイズを選択することで見た目より幼く見える工夫らしい。

膝下まで伸びた水色のスカートを着用し、生足を隠すように長いソックスを履いている。

校則違反で取り締まられない程度の薄い化粧と、健康に気を配っているであろう綺麗な肌。

靴や鞄はクラスメイトと同じ学校指定の物なのだが、それを感じさせないくらい完璧に着こなしている。


総合的に、可愛く見せるため努力をした形跡が見て取れる。


そして、その隣で話しているのが裕作の弟、才川沙癒だった。


長く艶やかな銀髪、大きな碧い瞳。

日本人とロシア人のハーフである彼の髪は、特別な手入れをしていないにも関わらず艶がありくせっ毛一つない。煌びやかに輝くその瞳はまるで宝石のようで、一度目が合うと誰もを虜にする魔法の眼光に変化する。


とても小さく華奢な体格は、優しく守ってあげたくなるような気持ち、いわゆる庇護欲(ひごよく)を搔き立てる。しかし、凛々しさを感じるその顔つきと何事にも動じない大人びた物腰が絶妙なバランスを生みだしている。


ただ学校指定の制服を着ているだけなのに、別世界の人間だと錯覚させる程、彼は美しい。

そんな学院でも指折りの超ド級の可愛さを持つ二人が、こうして並んでいる。

本人たちは何気ない会話をしているだけのはずだが、周りから見るとそうではない。

ある者は興奮のあまり涙を流し、ある者は鼻から血を流し何かの限界を迎えようとしている。


可愛さの限界点、尊み爆弾、見る世界平和。


そう、あの空間はこの学院にとって神域に近い。

誰も、あの光景を邪魔してはいけない。

例え、誰であろうとも。


「あ、噂をすればヘタレが来たわよ」

「……裕にぃ、遅い」


しかし、その均衡が一人の男によって崩されてしまう。

百合、いや薔薇の間に挟まる筋肉男になってしまった。

裕作が二人を見つけた時、二人もまた裕作を見つめていたのだ。


「よ、よぉ。おまたせ……」


弱々しく返したの返事と共に、周りにいた人間の視線が全て裕作へ向けられた。

何十、もしかしたら何百を超える視線を感じる最中、二人のもとに向かう。

途中で周りから何か言われているような気がしたが、何も聞こえていないふりをしてそのまま歩みを進めて、ようやく二人に合流が出来た。


「遅い! 裕作、あんた何してたの!」


人差し指を突き付けて怒る秋音に対し、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「寝てた、のもあるんだけど……」


返事をした後に裕作は後ろを振り返ろうとするが、とてつもない邪気を感じ取ったので視線を二人に戻した。


「……怖かったです」

素直な感想を述べると、秋音は状況を理解してくれたようだ。

「あー、なんかごめん」

「いや、いいんだ。元を辿れば原因は俺なんだし」

「ふん、まぁいいわ」

鼻で笑った後に、秋音は「さっさと帰るわよ」と声をかけて足早に歩き始める。

「じゃあ、俺たちもいくか」

ちらりと沙癒を確認してから、二人で秋音の背中を追いかけ始めた。

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