夜の部 六杯目

(昼の部 六杯目の直後)      


   

       夜の部 六杯目

  

 

 エドと美玲はURANを出たあと、手を繋ぎ夜の街を散歩した。

 二人は今やっと本当の気持ちを確かめ合い、恋人同士となったのだ。

 

「補導されないうちに帰らないとダメだよ」

 

美玲が言うとエドはもちろん、と答えた。

 

「ご両親に迷惑がかかっちゃうからね。散歩しながら家まで送るよ」

 

時刻は十九時前、美玲は家族に遅くなることとエドと一緒だということは伝えてあるが、夕飯時でもあるので帰宅に足が向いた。それに、もう急ぐ必要はないのだ。

 自分の本当の気持ちに気がついて、さらにそれは叶ったのだから。

 

 エドはその彫刻のように整った横顔を美玲に見せたまま、ぽつりと言った。

 

「僕が『吸血鬼』だって初めて聞いた時は驚かなかった?」

 

聞かれた美玲はふと、夜空を眺めた。

 

 

 あれはエドがイギリスから越してきてすぐのころだった。父の紹介で家族の顔合わせがあった。

 父が出張先で出会った不思議な家族は有名な吸血鬼一家だったのだという。母は既に全て承知だったようで、実質は美玲に向けた顔合わせだったのだろう。だが何の問題もなかった。美玲にとってはおとぎ話に出てくるオバケのような認識だったので最初に見た時は本物だ! と興奮したのを覚えている。

 エドの気品溢れる顔立ちと、ふわふわな髪の毛、そして美しいオリーブ色の瞳。まるで絵本に出てくる天使かどこかの国の王子様みたいだと思ったのだ。

 

 しかし、実際は天使でも王子でもなく。ただの大人しく引っ込み思案な日本暮らしに慣れない少年だ。美玲の方が歳が一つ上だったので、両親に言われたことがあった。

 

「エドくんはまだ日本に慣れないんだ。お姉さんの美玲が守ってやりなさい」

 

 一人っ子の美玲には「兄弟」という憧れがあったので、その言葉に忠実に過ごしてきた。エドは弟。そう認識してきた。それが今や、恋人になってしまったのだから不思議な感覚になってしまう。

 

 美玲はゆっくりと答えた。

 

「びっくりしたけど、嫌な気持ちになんかならないよ。エド、あなたは長生きなんだから。私のことずっと見ててよね」

 

「大丈夫。最初から美玲しか見てないよ」

 

 即答するエドに、美玲はまた顔が熱くなる気がした。いつからこんな歯の浮くような台詞をいうようになったのか。これも新しい発見だ。

 

 

 

 


 美玲の家は住宅街の中にある。

 家の前まではあっという間に到着してしまった。もっと話していたかったが、名残惜しさを堪え、美玲はエドから手を離した。

 

「えっと、じゃあまた明日。学校でね」

 

美玲がいかにも「一緒にいたい」という雰囲気を出すので、エドは我慢が利かなくなってしまった。そっと美玲を抱きしめた。

 

「ちょっと、いきなりはやめてって言ったのに」

 

「今は夜だよ。僕の正体知ってるだろ」

 

「正体って、吸けつ」

 

美玲が言いかけたその時、ふわりと足元から空気が抜けた。

 宙に浮いたのだ。それに気づくのに時間はそれほどかからなかった。

 

「大きい声、我慢してね」

 

エドは美玲の耳元で囁くと、少しずつ上昇していく。美玲の方は遠くなる地上を見て浮かび上がる恐怖を覚えた。

 しかし、エドに掴まって、抱きしめられて支えられている。そうしていると空を飛ぶ恐怖は無くなっていった。

 

 


 ──美玲が次に目を開けたとき、視界は果てしなく広がった。ここの標高はどれほどなのか。ともかく夜の街全体を一望することができた。キラキラと街の灯りが美しい。そして何より、月がいつもよりもずっと近く輝きを放っていた。

 

「まだ月には連れていけないけれど、近づくことくらいはできるんだよ」

 

「い、いつのまに空飛べるようななったの」

 

「毎晩練習してたんだ。告白が上手くいったら美玲に見せようと思って」

 

 月に照らされたエドのオリーブ色の瞳は真っ赤に燃えていた。これが彼本来の瞳の色なのかも知れない。

 その燃えるような赤い瞳は妖艶で、どこか人を狂わせるような美しい光を放っていた。美玲はもはや絡めとられ、離れられないのだと理解させられたような気すらしていた。

 そんな風に、じっと見つめる美玲にエドは微笑みかけた。

 

「なに?」

 

「ううん、なんでも。エド、かっこいいなって思ったの」

 

 それを言われると弱い。どれほどその言葉を言って欲しかったことか。頼りになりたいと願っていたエドの気持ちは今やっと叶ったのかも知れなかった。

 

 

 ──。


    


    

 退魔師、ジョン一空は山に籠り、座禅を組んで意識を集中していた。既に一日中そうしている。そして、ついにその成果が出た。

 

「来たようや」

 

 吸血鬼の力の反応をついに探知したのだ。彼らはおそらく、普段は能力を抑えて街に溶け込み潜伏している。たまに微弱なものを感じ取れていたが尻尾を掴ませるほどではなかった。

 だが、今夜は違う。明らかに普段より出力が強い。吸血鬼は何か行動を起こしているに違いないのだ。一空は首を鳴らすと坐禅を解き、ゆっくりと立ち上がった。

 

「舐られたものや。覚悟しいや、吸血鬼。姉さんの仇をとっちゃる」


 一空は傘を被り、錫杖を握りしめると風のように走り出した。山をあっという間に降りて街に出ると、吸血鬼の放つ異形の反応を追いかけた。

 

 

 

 

 

          ◯

        

 美玲は地面に着地すると妙なふわふわとした感覚を覚えた。何せ、空を飛んだのは初めてなのだ。エドは平気な顔をして笑った。その瞳はいつものオリーブ色に戻ったようだ。

 

「楽しかった? また空を飛ぼうね。それで、いつかは月に」

 

「ありがとうエド。私もお返ししないとだね」

 

 二人はその場で見つめ合ってもじもじした。どうしよう、と迷ったのだ。美玲の家は目の前だ。このまま帰した方がいい、しかし──。



 その時だった。

 びりびりとエドの中の何か、血が騒いだような気がした。妙な気配だ。慌てて空を眺めると、どこにも星がなくなってしまっている。これは変だ。普通じゃない。

 

 

 シャン、と錫杖が音を鳴らした。エドは美玲を背中に隠す。

 

 男はゆっくりとエドと美玲に向かってきていた。どこか悲壮感を漂わせながら。

 

「お前、やったとはな」

 

暗闇の中から現れたのは退魔師、ジョン一空だった。筋骨隆々の姿は威圧感を抱かせる。彼は、やはりどこか悲しそうな顔をしていた。

 エドにも合点がいった。目の前に現れた怪しげな男は、あの夜に出会った行き倒れの僧侶だったからだ。そして、宇蘭が注意するように言っていた退魔師というのは彼のことだろう。

 

 

「残念ぜよ。最初から知っちょったら、お前らなんか好きにならんかったのに」

 

 一空はエドの背後にいる美玲を見た。

 なんという運命か、あの店で出会った少女は吸血鬼に心を奪われていたというのか。自分が救わねば、もう姉のような悲劇は起きてはならない。

 

 一空は被っていた傘を投げ捨て、錫杖を前に突き出すと、空いている左手で祈るように何か呪文を唱え出した。

 

 

 

「エド、あの人なに。不審者つっていうか、何を言ってるのか全然……」

 

「あの人は退魔師だよ。多分だけど、僕を殺そうとしてる」

 

「え、そんなのって……!」

 

 美玲は慌ててスマートフォンを取り出して操作しようとした。しかし、画面は暗いままで何の反応もない。やはりおかしい。気がつけば空の星もなく、人の気配が何もない。

 

「多分、あの人が何か細工しているんだよ。連絡はつかないと思う。だから美玲は逃げて、僕は誤解をといてから行くから」

 

「殺そうとしてるんだよ、誤解なんて解けるわけないでしょ」

 

「巻き込みたくないんだよ。僕の家族の問題だから──」


 エドがそう言いかけた時、一空は目にも止まらぬ速さで突撃してきた。エドには何とか目で追えていたが、美玲には何が何だか分からない。

 辛うじて、エドは美玲を突き飛ばし自分だけ一空の体当たりを受け止めることができた。美玲の方から見ると、一瞬にしてエドが攫われていく。

 

「エド!」

 

 一空と共にエドは道の端まで地面を這うように飛んで行き、その突き当たりの家の塀に激突した。激しい音と砂埃を上げながらその塀は崩れる。エドの姿も一空の姿も見えない。

 

 美玲は慌てて駆け寄ろうとした。あんな威力で壁にぶつかって無事なわけがない。

 しかし、美玲が走り出したところでエドの叫び声が響いた。

 

「僕はいいから! 美玲は逃げて!」


 その強い言葉に美玲は立ち止まった。

 そして、意を決したように美玲はエドと反対側に向かって走っていく。

 

 

 美玲の足音だけ聞いて、去っていくのが分かった。どうやら無事に逃げてくれたようだ。

 エドは崩れた塀の瓦礫を下敷きに、仰向けに倒れていた。その上に一空の太い腕で両肩を押さえつけられている。

 

「こりゃ驚いたぜよ」

 

一空はエドを抑えつつ観察を続けていた。普通なら今の体当たりで死んでいてもおかしくない威力だったはずだ。ましてや石の塀ごとぶち抜いているというのに。エドには目立った傷一つない。

 

「バケモンめ」

 

そう呟いた一空の太い両腕を、エドは掴んだ。そして力を込める。ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じていた。

 

 ここで退治なんかされてたまるものか。

 やっと美玲に気持ちを伝え、受け入れてもらえたというのに。これから世界は始まっていくというのに。

 

「僕は子供みたいな見た目だから弱そうだって、よく言われるんです」

 

エドがそう言うと、一空は鼻を鳴らした。

 

「だから? ここはわしが張った『結界』の中。世界と世界の狭間になっちゅう。ここを感知して助けに来れる奴はおらんぜよ。いま、あの嬢ちゃんが逃げて結界は完全に閉じられた」

 

「そうじゃないよ」

 

エドの瞳は少しずつ赤く染まり、炎のように燃え始めた。

 

「戦いは嫌いです、だけど弱いだなんて一言も言ってない。僕はエドワード・ストーカー三世。人間風情が、僕の力を見せてやる」

 

 一空はエドの高まり続ける妖気を感じ取り、警戒を強めた。子供とはいえ吸血鬼なのだ。手加減していてはこちらが殺されてしまうだろう。

 

「よう分かっちゅう。お前らは姉の仇ぜよ」

 

 

 

 

 

          ◯

       

 今日もいつもと同じように「夜の部」は盛況だ。エドと美玲の仲も上手くいき、翼と駆も機嫌が良かった。

 しかし、宇蘭だけは妙な気配を感じ取り落ち着かない気持ちでもあった。何かおかしい。街に細工をした者がいるようだ。

 

 

 ──そして、その時だった。宇蘭の予測は当たる。

 なんと店の入り口は勢いよく開け放たれ、美玲が飛び込んできた。普段は脅かす立場の店内の妖者共もいきなり現れた人間に驚いて黙ってしまう。駆も翼も何事かと美玲に釘付けになった。

 

「助けて、ください、エドが」

 

美玲は肩で息をしている。そのただ成らぬ雰囲気に翼は慌てて美玲の方へ駆け寄った。

 

「どうしたの、大丈夫だから落ち着いて美玲ちゃん。エドくんが何かあったの?」

 

「エドが、変なお坊さんに襲われて、吹き飛ばされて、エドが、エドが死んだらどうしよう。信じてもらえないかも、でも、エドは吸血鬼なんです!」

 

もう美玲は泣きそうになりながら何とか事を伝えられた。翼はその話を聞いて宇蘭に目線を送る。カウンターで並んでいた駆も声をかけた。

 

「宇蘭」

 

「分かっているわ、そんなことさせない。私の街で暴れようなんていい度胸だわ」

 

言いながら宇蘭は台を降りてカウンターを出た。

 

「すぐ戻るわ、お店をよろしく」

 

「気をつけてね、宇蘭ちゃん」

 

「誰に言ってるのかしら。それより美玲さんにドリンクを奢って差し上げて。何か飲んで待っててもらうのよ」

 

心配そうな翼に宇蘭は笑い返した。そして振り返らずに店を出て行く。

 

 ジョン一空の仕業だろう。

 彼はエドとその家族を狙っていた。

 

 宇蘭はそんなことはさせない、と夜の街を駆けた。




────夜の部 お会計に続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る