第3話 契約

「た……玉藻って、あの玉藻の前!?」


 思わず俺は大声で聞き返してしまう。

 だが考えてもみて欲しい。

 妖怪の中でもそれこそトップクラスに有名なビックネームを聞いたら、誰だってこんな反応になると思う。

 俺のその反応に玉藻の前は目を細めつつその大きな口を開く。


「ほう? お前のような若い人間でも我の名を知るか」

「え、ええまあ。有名ですから」

「……そうか。有名、か」


 俺の答えに何かを噛みしめるようにする玉藻の前。

 気を悪くした訳では無さそうだが、黙られたまま居心地が悪い。

 自分から口を開いてもいいのか考えていると玉藻の前から再び話かけてきた。


「まあよい。奴らが諦めるまで此処におるといい」

「ま、まだ近くにいるんでしょうか?」


 そう問いかけると玉藻の前は尾の一つを軽く振る。

 すると先ほどまでいた街並みが映し出され、そこには飛び込んだ神社からそう遠くないところに陣取る手長足長がいた。


「っ……!!」


 先ほどまでの地獄の追いかけっこを思い出し、勝手にこわばる俺の体。

 その様子を見て玉藻の前は誇るように説明する。


「安心せい。あのような雑魚に我の結界は破れん。万が一破ったとしても一撃で屠る」


 玉藻の前の言葉に安心すると共に次々に蓋をしていた疑問が湧き上がる。

 ここはどこなのか?

 なぜ手長足長は巨大ロボットになったのか?

 そもそも何故妖怪が存在しているのか?

 そんな疑問が顔に出ていたのか、玉藻の前は息を軽く吐く。


「知らぬ方が身の為じゃぞ人間。知ったら最後、もう戻れんからのう」

「そ、そういうものですか」

「そういうものじゃ」


 それを言い終わると玉藻の前は大きく欠伸をしたのち、体を丸めて寝るような態勢になった。


「あ、あの……?」

「心配せんでも奴らが去ったら我が元の世界に送ってやろう。まあ悪夢でも見たと思うて忘れる事じゃ」

「は、はぁ……」


 疑問は晴れる事は無かったが、それを俺は口にしなかった。

 玉藻の前の言う通り、悪夢を見たと思って忘れる。

 それが一番平和かも知れなかったから。


「まあ」


 だけど


「お主の知らぬ誰かが」


 玉藻の前のこの言葉を聞いて


「死ぬだけじゃ」


 俺は、思考が一瞬停止した。


「……え?」


 間抜けな声が俺の口から漏れる。

 だけれども、そんな事はどうでもよかった。

 言われた言葉の意味を理解したくないと脳が訴える中、玉藻の前はまるで子どもに言い聞かす母親のように説明し始める。


「当然じゃろ? 奴らがしているのは狩りじゃ。獲物がいなくなれば次を探すのは必然じゃ」

「……ぁ」


 大妖怪が口にする事実に、俺はそんなか細い声しか出てこなかった。


「先に言うておくが、お主を助けたのは気まぐれじゃ。もし同じような人間がおったとしても助けるとは限らんぞ」


 頭の隅に沸いた甘い考えを見透かしたように、玉藻の前はそう言い切る。

 その言葉に対して俺は。


「そう……です、よね」


 そう言うしかなかった。

 人の道理やなんやらを言えるほど、俺は偉くない。

 そもそもが相手は大妖怪である。

 こうして俺を助けてくれただけでも奇跡に近いのに、どうして他の人も助けてくれと言えるだろうか。

 ……だから、こうする他はないのだ。


「何処へ行く気じゃ?」


 自分を背にして歩きはじめた俺を、玉藻の前は呼び止める。

 俺は意を決してその言葉を口にする。


「戻ります」


 その言葉が元の世界に戻るという意味では無い事は、玉藻の前も理解したのだろう。

 心底不思議そうな声が俺の耳に響く。


「何故じゃ? 死ぬだけじゃぞ?」

「知ってます」


 そんな事、言われなくても理解している。

 むしろ手長足長が死ぬより辛い事をしてくる可能性も、ある。


「でも」


 だとしても。


「それでも」


 愚かだとしても。


「このまま他の人を犠牲には、できません」

「……他の者のために自身が生贄になる、そう言うのか?」

「はい」

「それはただの自己満足でしかない、その事を理解しての事か?」

「十分に」


 そう。

 これは俺の自己満足でしかない。

 ここで俺が奴らに殺されたとしても、誰も称賛したりはしない。

 ただ勝手に死に行くだけ。

 俺がやろうとしている事はそう言う事だ。


「……理解しがたいのう」


 のそりと玉藻の前が体を起こす音が聞こえる。

 言葉とおり俺の行動が理解できないのであろう。

 玉藻の前は振り向かない俺にさらに問いかける。


「何の利もなく他の者の命を守るために動く。それが人の取るべき道じゃと?」

「……いいえ」


 そうその問いの答えはノーだ。

 人間がいればそれだけ考える事は違う。

 俺のこの行動を見て、素晴らしいと言う者もいれば偽善だと言う者もいるだろう。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 俺は他の人間が死ぬのが嫌だから勝手に死に行く、それだけなのだ。

 だから、玉藻の前の質問の答えにはこう答えるべきなのだ。


「俺の、ワガママです」

「ワガママ……」

「助けて頂いたのに無駄にして申し訳ありません。玉藻の前さま」


 俺は振り返ってもう一度だけ玉藻の前と向き合う。

 再び見た玉藻の前の表情は、分かりやすいほど驚愕に染まっていた。

 大妖怪を驚かせてやった。

 その事実にどこか誇らしい気持ちになりつつ、俺は再び玉藻の前に背を向ける。


「では、さよならです」

「……待て」


 足を進めようとする俺を、玉藻の前は呼び止める。

 何だろうかと振り向く前に、玉藻の前は問いかける。


「名を」

「え?」

「名を聞いておらぬぞ。助けた礼として聞かせよ」


 それが本当に礼になるのか?

 疑問に思いつつも俺は名乗る事にした。


「叶夜。朧叶夜と言います。朧月の朧と物事が叶うという字と夜という漢字で」

「朧……叶夜……」


 玉藻の前は俺の名前を小さく口にする。

 気に入らなかったかと思ったが、次に玉藻の前が口にしたのは真逆の言葉であった。


「いい名じゃな。風情がある」

「あ、ありがとうございます?」


 名前を褒められるという経験があまり無いので思わず疑問形で返してしまうが、玉藻の前は気にした様子もない。


「うむ。特に朧と夜があるのがよい、実によい。我のような化生のものには好ましい風景を感じさせるのう」

「は、はぁ」


 何が言いたいのか分からずそんな声が出る俺に対し、玉藻の前は突然首を横に振る。


「そんな光景を思い出させてくれたからには、一つぐらいは願いを叶えてやらねばならぬのう」

「? それは一体どういう」

「しかしのう……いくら我とて人の願いなど分からぬからのう。あー、願いが分かれば叶えてやってもいいんじゃが……」


 チラチラと俺を見て、流石に何を言いたいか察した。

 だがそれを言う前に、一言だけ言いたい事があった。


「わざとらしいとよく言われません?」

「な、何の事か分からんのう」


 そう言ってそっぽを向く玉藻の前に思わず笑いが込み上げる。

 そんな彼女に俺は遠慮なく願いを叶えてもらう事にした。


「どうか。助けてくれませんか? 玉藻の前さま」

「仕方ないのう。じゃが我は飽くまでも力を貸すだけ。倒すのは叶夜、お主自身じゃ」

「え?」

「その前に聞いておくが。短期契約と生涯契約、どっちを選ぶ?」

「は、はい?」

「ちなみに生涯契約の方が、圧倒的に! お得! なんじゃがまあどちらを選ぶかはお主に任せる」

「……」


 事実上の一択を突きつけられて、呆然としながらも俺は意を決して答える。


「し、生涯契約で」

「いい答えじゃ」


 そう言うと玉藻の前の体は光輝き、次第に人型になっていく。



 ――ここまでは過去のお話。

 これから始まるのは、人と妖怪。

 この異種族な二人で歩んでいく物語である。

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