3. アウトサイダー / 魔法宝石店『マザリン』盗難事件

アウトサイダー / 魔法宝石店『マザリン』盗難事件 - 1

 トマトとオリーブ、ささやかなレモン。

 エビと小イカ、カスタネット貝。

 いくらかの香辛料。


『イル・ポンテ』のペスカトーレ・スパゲティはただ美味いだけではなく、沿南洋らしい爽やかかつ深みのある味に満ちている。

 五月が近づいても思い出したようにぐっと肌寒くなるノルヴェイドという北国に俺が住んでいることも、いっとき忘れられそうな気持ちになった。



「……アスカルさん、やっぱり何か気がかりがあるんですか?」

 だがそんな俺を見て、正面のルレアは思わしげにそう言った。

 均衡調和会の騒ぎが終わり、十日ほどが経過した頃である。その日のルレアは、野原のような若草色のさらりとしたワンピースを着ていて、いつもよりいっそう少女らしい雰囲気を纏っていた。

 そんな可憐な彼女と素晴らしい食事の席を共にしながら顔に出るほど、俺の気がかりは大きかったようだ。


「すみません、仕事のことで」

「いえ。忘れようと思って忘れられることでもないですもんね」

 ルレアは柔らかに笑い、白ワインをほんの少しだけ口にする。

「聞きましょうか? 聞いて大丈夫なことだったら、ですけど」


 俺は少し迷ったが、気がかりをだらしなく引っ張る方が、こうして俺との時間を過ごしている彼女に悪いだろう。

「あらかじめ断っておきますが、これはもう解決した事件の話なんです。なので、そこまで秘密の話というわけでもありません」

「あっ、そうなんですね」

「……秘密の話の方が良かったですか?」

 俺の問いに、彼女はいたずらっぽく笑い、少しだけ、と答えた。



「ルレアさんは、宝石には詳しいですか?」

「え? うーん、と……」

 ルレアが言葉を選んでいる。恐らく、仕事に関わる所なのだろう――彼女はあれから、俺の前では本当に娼婦という仕事を匂わせる発言はしないでいてくれる。

「お仕事の話も込みで構いません。俺も仕事の話をするわけですから」

 俺がそう断ると、彼女は相好を崩した。その笑みは少しだけ大人びて見える。


「贈り物としては定番ですよね。わたしは、何度か着けたら売っちゃうよ、って明言してますけど、それでもたまにもらいますもん」

「……売られると分かっていても贈られるんですか?」

「はい。店先で着けているのを見ると、嬉しくなるんですって」

 俺にはあまり分からない感覚だった。どうせ贈り物を贈るなら、もっと大事にされるものの方が良いのではないだろうか。


「で、売っちゃうって言ってるわたしですらそれくらいなので、他の子はとにかくたくさん受け取ります。誕生日が近い子だと、一日に一個じゃ収まらないんじゃないかな」

「そんなに……!?」

「はい。宝石が優れている所はふたつあって、単純に綺麗なことと、魔力を溜め込む性質が強いことです。溜め込む性質が強いということは、魔術を込めることが苦手ということでもあります」

「……すみません、何故それが優れている所ということになるんでしょう」

「盗聴や追跡の魔法を使って、悪いことを考える人がいるんですよ。でも、宝石はそういう魔法を受け付けにくいので、安心感があるんです」


 それはそれで、土台の金属や付属品に気をつけなければいけないのだが、それでも木製の工芸品などに比べれば、圧倒的に安心感がある、という旨のことをルレアは話してくれた。



「ともかく、宝石についてわたしが知っているのはそういうことです。種類にもよりますが、魔力をシンプルにそのまま溜め込む性質が強く、魔術の効果を受けにくい」

「なるほど。……そういうことまで知っているルレアさんだったら、もしかしたら俺とは違うことを気付いてくれるかもしれませんね」


「そうでしょ、そうでしょ」

 ルレアの頬と唇は血色良いピンク色になっている。興奮と、アルコールのせいだ。

「だったら、聞かせてくれますか? アスカルさん、何に悩んでいるんでしょう?」

「……一応声は押さえてくださいね」

「はいっ!」

「声は押さえてくださいね……」


 彼女のわくわくした顔に、俺は敵わない気分になって、その事件のことを話し始めた。



   *   *



「うおっ」

 その店に入った時、俺は思わずのけぞってしまった。後ろで聖兵アーキがへらへら笑う。

「引っかかりましたね」

「……うるさいな」


 俺を動揺させたのは、店を入ってすぐの所に立っている、一体の人形だった。

 蝋人形、というやつだ。そいつは俺よりも背が高く、竜をかたどった鎧を身にまとい、恐ろしい形相で剣を振り上げ、盾を構えていた。


 足元に銘板があった。

『財宝守護騎士ドラギア像』

 このドラギアという男は、アルカディミアが魔都になる前の貴族に仕えていた騎士で、家が敵対する貴族の襲撃を受けた時、主を避難させ一人残り、価値ある財宝を守り抜いたのだという。

 その後ドラギアの主は、彼の守った財宝を元手に被害を迅速に回復し、反撃を成し遂げた、とある。

(価値のある物を守る像であると同時に、その背後にある物の価値を保証する像、ということか)



 この店は『マザリン』という魔法宝石店だ。

 宝石店というだけあって宝飾品も品物として並んではいるが、主に売っているのは魔術の媒介として用いる宝石である。

 たとえばあの陰気な魔女、ベルメジが自分で準備したキノコの胞子を媒介として用いていたが、あれは例外もいいところで、多くの魔術師はこういった店で取り扱われる量産品の媒介を魔術に用いる。その方が質が画一的で、安定するからである。


『魔法宝石店マザリンで盗難事件あり。調査を行う。目立たぬ格好で来ること』

 俺とアーキが私服でこの店を訪れたのは、詰所で朝一番にアーウィン殿からの伝言を受け取ったからだ。

「来たか」

 一足早く宝石店に来ていたアーウィン殿(こちらも地味な私服だ)と身なりの良い男性が、俺たちに目を向ける。アーウィン殿は身なりの良い男性に向けて俺たちを紹介した。

「こちらアスカルとアーキです。本件調査は我々三名で担当します」


「はじめまして。私マザリン店主のシルヴァールと申します」

 品の良い男性だった。高そうなドレスシャツと絹のベストをごく自然に着こなしている。髪は白髪交じり。50過ぎくらいか。

 軽い自己紹介を終えると、アーウィン殿が今分かっている情報について話し始める。



「盗難されたのはこの店で最も高価なインペリアルトパーズ。縦10cm横7cm、厚み2cmの楕円形。色は金に近い黄。多量の魔力を蓄えこんでいた」

「ええ。暗闇、特に地下では何の加工をするまでもなく、本を読めるほどの明るさを放っておりました」

「時刻は昨日の夜。閉店直後、陳列していた宝石を店内金庫へ戻した際にはそのトパーズも確かにあった。しかし夜、店の裏手で物音があり、確認した所その宝石だけが盗まれていたということだ」


 典型的な空き巣だ。いつもは斜に構えているアーキも、今回は真面目な顔をして、携帯ペンで紙に概要をまとめている。


「本件については容疑者がいる。用心棒のロールという女だ」

「ええ。三年ほど前から雇っており、昨日も遅くまで色々と任せておりました。信用していたのですが……今朝から連絡が取れておりません」

「なので第一の目的はロールの確保。もし他に協力者がいればそれも引きずり出し、最終的には盗まれたインペリアルトパーズを確保する」

「はい……ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦよろしくお願いします」



(……何だと?)

 シルヴァール店主の最後の言葉から発せられた嘘言の熱に面食らう。表情にそれが出ていないことを、顔に手を当て確かめてしまった。

(俺たち以外の頼りがあり……いや、そもそも宝石を取り戻さなくて良いと思っているのか? だがそれならばなぜ通報を……)


「アスカル」

 アーウィン殿に名を呼ばれ、俺は気を取り直す。

「現場の調査はアーキにやらせる。お前は来い」

「は……容疑者の追跡ですか」

ΦΦΦΦΦΦΦΦ行くぞ」

 またも嘘。だがこれはシルヴァール店主に真意を隠すのが目的だろう。頭を下げて俺たちを見送る店主に会釈し、店を後にするアーウィン殿に続く。



 魔法宝石店『マザリン』はノルヴェイド東部、リネア・リロバム区にある。

 ノルヴェイドの中でも歴史ある区画で、古く落ち着きのある町並みは、風格に溢れている一方で、どこか薄暗い印象を抱かせる。おそらく建築当時の建材加工技術が古く、特に色の劣化が激しいのだろう。

 アーウィン殿は『マザリン』を出るとしばらく表通りを歩き、それから石造りの建物の並ぶ裏道に入った。


「ここまでの道のりは覚えているな」

「はい。どこに向かってるんです?」

「重要な場所だ。……見ろ」


 分かれ道で、アーウィン殿が石塀を指す。そこにはいくつもの星の記号が刻まれていた。

「昼間は星が少ない方、夜になったら星が多い方だ」

「……道順が変わるんですか?」

「そう思っておけ。間違った方に曲がったらどうなるか、なんて考えるなよ」

「ちなみに、朝や夕方は……」

「足を踏み入れるな」


 アーウィン殿は慣れた様子で星の記号を数え――時にそれは100近くにも及んだ――その数が多い方へと曲がる。

 じめじめとかび臭く、狭く曲がりくねり、時に階段を昇り降り、分岐路を十度も曲がった所、ようやく建物の扉が見えた。

 そこでようやく、アーウィン殿は足を止め、説明を始める。



「今から訪れる店は、『善き者たちのガルツ』という」

「わざとらしい名前ですね」

「あまり反抗的な態度は取るなよ。このノルヴェイドの暗部を支える要衝の一つ。我々は盗品交易所と呼んでいる」


「盗品、交易」

 あまりの響きに思わず苦笑してしまう。

「要は盗んだ品物を売買する場ですよね。良いんですか……色々な意味で」

「妙な気を起こさないよう教えておいてやる。まずここまでに来る道は、原理不明の魔法迷宮だ。通過可能な者は二名まで。それ以上の集団は入ることもできない」

 つまり、集団で押しかけての捜査や検挙は不可能というわけだ。アーウィン殿は続ける。

「そして、複数の集団が一度にここを訪れることはできない……もし先客がいたら、迷宮を経て外に放り出される仕組みになっている。これが何を意味するかは分かるか?」

「……盗賊が盗品を卸しに来た時に、商売敵や俺たちのような治安維持側の人間に出くわすことがない」

「そしてそれは我々にとっても同じだ。訪れた時に、盗賊どもと出くわして、揉め事を起こさずに済む」

「犯人の検挙には繋がらない訳ですが……盗品の奪還や情報の収集には役に立つと?」

「もちろんそう上手くは行かん。『ガルツ』の店主は当然、盗人側に肩入れしているヤツだ。だが『ガルツ』がそういうスタンスだからこそ、盗品やそれに関する情報がまずここに集まりやすいという一面もある」


「……そんな所を、まだ赴任して日も浅い俺に教えて良かったんですか」

ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ当然だが、むやみに他言はするなよ」


 またも嘘。だが本意は、なんとなく類推できる。

(俺は上位聖兵として赴任中の身だから、事を荒立てるようなことはしないと踏んでのことだろう。しかも赴任期間が終わればノルヴェイドからいなくなるので、秘密を知る者が勝手に減ってくれるということにもなる……)



「理解しました」

 俺は物分かり良く頷いた。

「本件に限らず、高級品を狙った盗難事件の場合はここを訪問しても良いということですね」

「ああ、そうだ。『善き者たちのガルツ』には利用価値がある。ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ


 不意に襲った『真実の門焚』の熱。

(なるほど)

 この時俺は、ようやくこのアーウィンという男のことを少しだけ理解できた気がした。

 ノルヴェイドに生まれ育った、治安維持を担う聖兵の長。岩のように強固で頑迷。上層からの指令は不審なものであっても諾々と従い、無駄なく振る舞う。

(だが……芯まで冷え切っているという訳ではない)

 難攻不落にして犯罪解決に有益であっても、盗品交易なんて野放しにするべきではない、という情熱くらいは抱いているわけだ。



「入るぞ」

「はい」

 アーウィン殿が『善き者たちのガルツ』への扉を開く。

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