生きづらさを抱える君へ送る、エッセイ集

綾部まと

中国の田舎で、詐欺に遭う

まさか自分が詐欺に合う日が来るとは、思わなかった。


あれは十数年前のゴールデンウィーク前。「ANAのマイルが失効しそうだから、一緒に海外旅行へ行かない?行先は上海ね。もうチケット取っちゃったから」と、同期の女性に声をかけられたのがきっかけだった。


今思えばずいぶんと雑な誘われ方かもしれないが、私はひとつ返事で了承した。当時の私たちはメガバンクで法人営業をしていて、小さな箱の中にぎゅうぎゅうに押し込められるような息苦しい毎日を送っていたから、どこかへ逃げたくてたまらなかったのだ。何より私は、その同僚のことを気に入っていた。彼女は銀行員としては珍しく裏表のない性格で、バイタリティーにあふれ、お洒落で魅力的だった。


ともあれ、私と彼女は上海へ飛んだ。友人の目的はマイルの消費、私は現実逃避なので、旅のプランは何も決めていない。当時は若かったし、メガバンクで働いていると言えば、それなりに信用を得ることができた。だから彼女とは「適当に誰か日本人の男性を見つけて、美味しいところに連れてってもらおう」という合意に至った。ずいぶん楽観的だ。今なら有り得ないだろう。

今思えば、あの浅はかさが、事件の始まりだった。


上海の大都会を二日間楽しんだ後、私たちはローカルの街へ行きたくなった。「ガイドブックに帰ってない場所へ行こう」という話になり、名もなき村へ行った。そこである中国人のカップルに声をかけられた。英語で道を尋ねられ、結局その場所はわからなかった。

「これからティーパーティーに行くんだけど、一緒に行かない?」と、カップルの男の方に言われた。彼はいかにも中国人の男性という感じだった。メガネ、黒い短髪、そして服装は適当にあるものを着ている印象を受けただ。女性の方はまだマシだった。メガネ、長髪のおさげ、はにかむような笑顔がかわいらしい。ティーパーティーの参加費は、日本円で言うと2000円くらいだった。どうせすることもない私たちは、そのティーパーティーとやらに行くことにした。

思い返せば、それは「適当な日本人男性にご飯を奢ってもらう」というよりも、もっと危険な行為だったのだ。


ティーパーティーは、雑居ビルの小部屋で行われていた。六畳ほどの狭い部屋は、古めかしいが趣味の良い飾り付けがされていた。主催の女性が茶器を使い、3種類のお茶をたててくれた。それぞれ回し飲みで試飲すると、どれも香ばしく、ふくよかで、美味だった。

パーティーの参加者は、みんなとても親日的だった。カップルの男の方なんて「願い事は日本人の女性と結婚することだよ!」と言って、こちらを見てウインクして見せた。

事件はティーパーティーの最後に起こった。


ティーパーティーに参加をすると、どうやらお茶を1種類購入しなくてはならないらしい。その値段が、とんでもなく高かった。一缶で5000円くらいだったと思う。私は同僚と顔を見合わせた。しかし参加者たちはニコニコして買っている。「市場では1万円で売られているのが、5000円で買えるなんて安いな」と皆が口々に言っていた。

「買わずに出て行くことはできないの?」と主催の女性に尋ねたら、悲しそうに首を振られた。どうやらそれはできないらしい。「難癖をつけて出ていけばいいのに」と思う人がいるのかもしれない。でも狭い部屋で中国人に囲まれて、出入口にはいつの間にかボディーガードもいた。変に交渉して、命に危険があっても嫌だ。私たちは渋々5000円を払い、外へ出た。

しかし、この時にはまだ、詐欺だと気づいていなかった。


ローカルシティを歩いていると、同僚が「あっ」と声を上げた。彼女は黙って、ある一点を指さした。そこには先ほどの女性が、早口で現地の人たちと喋っていた。タバコをふかして、いかにもゆったりとくつろいでいる。おさげは解かれて、長い黒髪が揺れていた。メガネは外されて、先程からは考えられないくらい鋭く凶悪な目つきをしていた。明らかに、環境客ではない。

そして彼女の周りにいたのは、他でもないティーパーティーの参加者たちだった。私たちは中国語が分からないが、いかにも彼らがグルで、私たちが騙されたんだということはわかった。


あの日はティーパーティーを皮切りに、色々なことが起きた。夕方には普通のマッサージ店だと思って入ったら性感マッサージで、慌てて出て行った。夜にはディスコだと思って入ったクラブが、ナンパのためのラウンジで、音楽が静かに流れていて全く踊れなかったから入場して五分で退場した。


「だから旅行に行くのはやめよう」と、賢い人間なら思うかもしれない。でもそんな声に耳を傾けていたら、平日は9時から5時まで好きでもない仕事をして、土日にはお決まりのショッピングセンターに行き、いつの間にか子供が生まれて、庭付き一戸建てのような家を郊外に買っていたのだろう。そんな人生はごめんだった。私は薄汚れた都市で、欲望にまみれて生きる方が好みだった。


だから私は、旅に出る。もしかしたらあの日に騙された中国人に、どこかで遭遇するかもしれない。そうしたら、礼を伝えようと思う。5000円で買わされた中国茶を帰国後に飲んでみたら、意外にもまろやかで美味しかったのだ。すっかりお茶にハマり、台湾にお茶を求めて旅行するまでに至った。

ちなみに台湾でも、しっかり占い師にぼったくられたり、屋台のおじさんに騙されたりしたのだった。

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