あやしよにふる 短編

あんみつ

深想の部屋

はかられましたか…」

葵葉あおばは静かに呟いて、僅かに奥歯を噛み締める。

長い付き合いの中で、このような事態に発展することを予想できなかった訳では無い。むしろ可能性としては十分に有り得た。

しかし最近の動向を見る限り大丈夫だろうと、僅かながらも油断してしまったのだ。その隙を完全に見抜かれた。なんという失態。

それでも、ここでどれだけ後悔しようとも既に起きてしまったことは仕方がない。今はこの事態をいかに解決するかに集中しなければ…。

一旦落ち着こうと、周囲を見渡す。

此処は正方形に仕切られた真っ白な部屋。

四方は床から天井まで窓も扉も隙間もない完全な密閉空間。

そしてその一辺の壁の真ん中に貼られた張り紙。

墨汁で以て上品な筆運びで紙に書かれている文字がこの空間ではいやに目立つ。

「接吻を交わさぬ限り此の部屋から出さぬ」

上品な字体を台無しにする威圧的で何とも下賤な文面。

文面をもう1度読み直して、葵葉はため息をついた。どうしてあの方はこうも短絡的かつ横暴なやり方を思い付いては実行するのだ。その行動力を普段の仕事に回してくれればいいものを。

そうしてちらりと、横に立つ者を見る。相手は既にこちらを不安げに見上げ、どうすればいいのかと声でなく目でもって訴えている。

自分と共にこの部屋に閉じ込められた相手。即ち壁の言葉が指示する接吻を交わさねばならない相手。

宇迦之御霊神うかのみたまのかみこと、灯華ともかである。


かつて、自分がまだ青葉という人間であった頃、初恋の相手だった灯華。

互いに想い合っていたことは両者自覚していたが、それはもう過去の話。

神仕として転生を果たし再会した彼女とは、恋愛感情を帯びることなく良き友人として、いち神と神仕という関係を保ってきた。それが互いに望んだ関係性でもあり、それを変えようとはどちらも思ってはいない。


なのにだ。


この文章を書いた人物が、文面からも分かる通りそれを良しとはしなかった。

放っておいてくれと言っても聞かず、

このままが良いと言うのに納得せず、

何度説得を試みても完全に無視をし、

結果このような強引な手を使ってこようとは…。

胸の底から沸き立つ怒りを忍ばせて、灯華にいつものように笑いかける。

「心配しないでください、狐の君」

こんな馬鹿げた真似で、彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。

灯華は何かを言いかけたが、葵葉がキッと天井に視線を向けてしまったので、何も言わずに口を紡いだ。

「我が主とて、今回ばかりはやり過ぎです。許しません」

「うるさい!」

葵葉が天井に投げた言葉の返答は即効で、灯華が「つ、月詠つくよ様?」と驚愕の声を上げる。どうやら灯華には、首謀者が誰か検討がついていなかったらしい。

「俺がどれだけ気を揉んでいたと思っておるのだ!お前達が再会してからいつまで経っても進展しないから!俺がその背を押してやったまでのこと!」

「ですから私と狐の君の件は放っておいてほしいと何度も何度も申し上げたではありませんか!」

「そんなものは聞いておらん!」

「聞こうとしなかっただけでしょう!?」

「あ、葵葉…月詠様…」

灯華が恐る恐ると口を挟もうとするが、ふたりの言葉合戦に入れる余地はなかった。

「大体神仕になる契約を交わす時、お前言ったではないか灯華に会いたいと!」

「確かに言いましたよ!会いたいとは!」

「逢瀬を望むのは即ち恋仲に戻りたいという証だろう!?」

「ですからその一足飛びの発想をおやめ下さいと何度も申し上げましたが!?」

「そんなもんは知らん知らーん!兎も角、此処から出たければ早々に指示通りにすることだ!でなければ出ることは叶わぬ!」

「そんなものこうして…っ」

言うなり、葵葉は左脇に立つ灯華の腕を左手で掴み、自分の元へと引き寄せそのまま庇うように抱え込んだ。

肩に掛けた羽織が風もなく大きく靡く。

空いた右手では素早く印を結ぶと、炎と雷が召喚され腕全体を包み込む。

次の瞬間、空を切るように一気に腕を振り下ろした。

ごおんっっ

激しい音を立て、雷を帯びた炎の渦が勢いよく目の前の白い壁にぶつかる。

「…」

葵葉の視線の先で、壁は火の粉を散らし青白い稲妻を迸らせるもしかし、壁は何事もなかったかのように、白を保ったまま傷一つ付いてはいない。

「壊れて…ない?」

葵葉の腕の中からそっと壁を見やった灯華の目が見開かれる。その声に被せるように、その名の通り天からの声が降る。

「だから言ったろう!此処から出る方法はただ一つだと!」

「っあなたの思い通りになど…」

こんな主の勝手な願望だけで、好きにさせるのは不本意だ。

そもそも灯華にそれを強制させることが自分には許せない。

そんな想いと意地が、

「葵葉!」

その一声に、一瞬にして呆気なく霧散した。

不意に名を呼ばれ思わず彼女の方へ顔を向けた瞬間、細い指に両肩を捕まれ、くん、と身体が引き寄せられて。

「ーーーっ」

己の唇に伝わる柔らかく、温かい感触に、それが何なのか理解した瞬間、身体を強ばらせた。しかし、心はそれを拒もうとはしなかった。しなければいけないはずだと、頭では思っていたはずなのに。

脳裏に蘇る、稲穂の香り。

暖かくて、愛おしい、彼女との大切でかけがえの無い記憶。

もう戻れないとわかっていて、それでも手放せずにいる数多の想い出。

「こ…っこれで、出られるよ、ね?」

己の唇から温もりが消えると同時に灯華の声がして、我に返った途端目の前にいる彼女と視線が絡む。

のぼせたように顔を赤くし困ったように眉尻を下げながら、勝手にごめんなさい、と謝ってくる。

否、謝るとすればそれは、

「わ、私の方こそ、すみません。狐の君…」

途切れ途切れに呟く言葉が、声が掠れて上手く出せない。

「よおおおっしゃあああ!!」

沈黙する二人をよそに天井から月詠が歓声を上げると同時に、背後でがこん、と何かが外れる音がした。恐らく、部屋の出口が出現したのだろう。

「と、扉が出てきたからっも、もう出られるよ。ほら、葵葉…」

己の肩に添えられていた灯華の手が今度は腕をそっと掴み、そのまま彼女は歩き出し部屋を抜け出した。


情けない。

そう、自分の心を責めやる。

心の奥底に眠らせたはずの想いが、こんなにあっさりと目を覚ますとは。

眠れ。

どうか。

眠ったままでいて。

この想いを、決して彼女には知られてはいけない。


早まった心臓の鼓動が、やけにうるさい。

静まって。

どうか。

早く静まって。

これを彼に聞かれてはいけないから。

この想いも鼓動の理由も、彼に悟られてはいけないのだから。

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