G-18 春の嵐
それから冬休みが始まった。
年末年始、抜け殻のような日々を過ごした。燃え尽き症候群とはまた違うけれど、何をする気力も起きなかった。誰にも会うこともなく、家に籠っていた。
「よかった。相変わらずの気の小さそうな顔」
「喧嘩売ってんのか?」
ふふんと鼻を鳴らすのは北竜だ。久々に外に出たのは、彼の引っ越しを手伝った時だったか。遠く、道東のほうへ彼は越すという。
「……仲直り、しなよ?」
別れる間際、そんなことを言われた。俺は何も返せなかった。
翌日には学校が始まった。それまでと何も変わらないように、石狩月潟の駅に汽車が滑り込むなり駆けこんで、席に着くなり入眠する。けれど――月ヶ岡駅から乗り込む人影は、もういなかった。
_______
旧部室でひっくり返っていた。
ひとり、先代の遺した活動記録をいろいろ見返す。ここに転がっているものはそのどれもが先代のものだ。俺たちの代のものはほとんど新部室、あの石狩月潟駅の中にあって、だからここにいれば思い出さずに済む。
それにここには、もう俺以外の誰かが来ることはない。
「もう2月か」
ふと見上げたのは、今年の最初に置いた4月はじまりの年間カレンダー。1月の最後のの欄には「部長 入試当日!」と、彼女の手で記されていた。
「そっか……終わってたのか」
埃の積もった部室で呟けば、ダンッ、ダンッ、と外からボールをつく音が聞こえる。何か気に障って、窓の外に顔を出せば向かい側の体育館で、雨龍が一人、ボールを手に駆けていた。
「……はっ」
俺は息を漏らす。確か、バスケ部は決勝で負けた。道大会を制することはできなくて、インターハイだったか、全国へはあと一歩のところで届かなかった。
「なにしてんだろうな」
息を切らして、キュッキュッとシューズを鳴らすとその掌底からボールを放つ。誰も見ちゃいないのに、何度も、何度も繰り返す。もう春まで大会はないというのに、もう下校時間も近いというのに、一人、ひたすらに繰り返していた。
「なに……してんだろ、な」
きっと悔しかっただろう。
あぁ、悔しかったに違いない。
惨めで、無力で、無様で――負けるというのはそういうことだ。
俺はよく知っている。この冬、骨の髄から理解した。
だからこそ問わずにはいられない。
なにしてんだよ、俺は。
「こんなところで、転覆してる場合かよ……」
過去をやり直せるわけじゃないのに、前へとボールを衝く雨龍。
分かってはいるとも、俺とあいつは違う。全国に行けないことが確定した瞬間は、校内放送がかかった。その痛みは、バスケ部だけじゃなく校内の全土が共感するところとなった。
全く違うんだ。
誰も知らない、札沼線なんかとは。
「くっそ」
それでも、誰も見ていないのにあんな目つきで走られたら、むしゃくしゃするだろう。息を深くついて俺は立ち上がる。
「……行くか、そろそろ」
埃を払って、部屋の鍵を取る。
その一挙一動を階下から見上げる視線に、ついぞ俺は気づかなかった。
両手にボールを抱えて、こちらを睨むように仰ぐ視線を。
「…………」
体育館から、俺の背を見送るように雨龍は立っていた。
「ばーか」
俺の顔を見るなり、部長はそう言った。
「すみません」
「それは何に対する謝罪ですか」
階段を一つあがった先、高3の学級フロアは新鮮で緊張する。幸いだったのは、高3は自由登校となって久しく、部長のクラスも人はまばらだったことか。
「約束を守れなかったこととか……本当に、いろいろです」
「はぁぁ……」
失望したといわんばかりに、彼女は溜息をつく。
「間違ってます」
「?」
「まずそれが出る時点で、間違ってますよ」
俺は言葉に詰まった。彼女が俺たちを信じて託した希望を、俺は無残にも護りきれなかったのに。
「俺は……あなたを、結果として裏切りました」
「なんでそんな言い方をするんですか」
「あはは、たしかに言い方次第かもしれませんね。でも、そんなのは言葉遊びです」
そう言うと、俺は靴を脱いで膝を折る。
「言葉の綾で過去を誤魔化すことなんていくらでもできます。けれど、それは慰めにしかなりません。そういうのは要らないし、嫌いです」
それでは前に進むことにはならない。ちゃんと過去を見て、贖わなくちゃなにも――そんな俺の手を、がしりと部長は取る。
「何をしようとしてるんですか」
「土下座です」
「わからずや!」
彼女の瞳が少しだけ揺れる。
「ようこそ人生の終着点へだの、部室は廃人の巣窟だの、いつもばかみたいに主語が大きいのに。どうしてこんな時だけ、主語を小さくするんですか」
「……主語?」
「その『俺は』ってやつですよ!」
息を呑む。すっ、と彼女は目を伏せた。
「なんでそこに……私は、北竜くんは、楓ちゃんはいないんですか」
俯いて、唇を嚙むように。
「痛みも、傷も、そうやって全部一人で背負おうとして、勝手にふさぎ込んで」
「……っ」
「こんな時だけ、ずるいですよ」
ぽつりと零れるその言葉は、きりきりと俺に沁み込んでいく。
「あの夏を……私物化しないでください」
その言葉に、目を見開いた。
一番共有するべき「結果」というものを、俺は確かに一人で抱えようとした。あくまで、俺以外が傷つかないように。失敗なのだから、せめて一番丸く収まるように。
それが間違っていたことをいまさら思い知った。到底丸くなんか収まっていなくて、むしろ人を傷つけていて、あぁ、なんて馬鹿なことを。
怖かったんだ。
失敗して、こんな風になったとして。それでもこの夏を否定せずに、一途に目標を追い求めていたあの頃みたいな関係を保てる自信がなかった。全部俺が背負えば、みんな元通りだ。こんな活動に俺が飛び込んだせいで、なんていう後ろめたさを感じないで済むと思っていた。他の3人に俺と同じ分の負担を押し付けるほど、彼と彼女らに踏み込む勇気がなかった。
「……!」
鏡に映る自分の瞳が、酷く怯えた色に見えた。
北竜の言葉は言い得て妙だった。
"……ごめんね"
だとしたら、あの時の微笑は。
「ごめんなさい」
「……何に対する謝罪ですか」
「やるべきことが見えたんです、やっと」
続きを促すように、部長はその小さな顎をくいとやる。それに応えるように、俺は言葉を継ぐ。
「遅くなって、ごめんなさい」
ほんとですよ、とは声には出さずも部長が口を動かす。
「もっと早く行くべきでした。部長のもとにも、それから――」
「持っていきなさい」
ひゅっ、と金属が舞う。
彼女の手から投げ出されたそれを慌ててキャッチすれば、手のひらにあったのは、小さな鍵だった。
「部室の鍵です」
顔をそむけて、彼女は窓に呟く。
「引継ぎ、まだしていませんでしたよね」
窓から覗くのは、2月の末の寒空だ。
「……旧部室のなら、去年のうちに」
「まだ言わせるんですか」
部長は俺に向き直る。
「わたしたちの部室の話をしているんです」
「ですよね。わかってます」
「なら」
「かわいい後輩の照れ隠しです」
柄にもない冗談を投げてみれば、彼女は黙り込んでしまう。さすがに気持ち悪かったか、いつもみたいな否定の言葉を軽く飛ばしてくれなかった。
「ほんっと……卑怯ですよ、あなたは」
「え?」
代わりに返ってきた言葉は、期待とは明後日の方向で。
「なら――少しは先輩面させてくださいよ」
ぽかんとする俺の胸を、こつんと叩く部長。
そのまま歩みだしたかと思えば、階段のほうへと向かうものだから、思わず追いかけてしまう。彼女は振り返ることこそしなかったけれど、その背でついて来いと言っていた。
「わたしは、札幌に進学します」
昇降口を抜けた先、校門のあたりで彼女は立ち止まる。
「そう、ですか」
「ですから、私は廃止の影響を直接受けるわけではありません」
彼女は言葉を一旦切って、「それでも」と繋いだ。
「わたしは、誇りある交通部の一員でした。それはあなたがたもです。この一年間を部長として見てきた私が認めます。ですから、どうか」
その長髪を靡かせて、瞳を開く。
「最後の列車は……みんなで見送りましょう。もう一度、あの場所で」
カタン、コトトン。
遠くにレールが軋む音。医療大学駅の1番ホームに差し掛かる単行列車が見えた。
深呼吸して、ひとつ、心に決めた。
「はい。華やかに送り出してみせましょう」
きょとんとする彼女に、ざっ、と俺は立つ。
「二年間、お世話になりました」
「っ」
びゅう、と一陣の風。砂塵が巻き上がる。
「部長」
少し早いですが、と一言置いた。
「ご卒業、おめでとうございます」
頭を下げて――この覚悟が途切れないうちに、踵を返して地面を蹴る。
正面の医療大学駅へと飛び込んで、『月潟方面』と記された1番ホームのもとへ。エンジンを鳴らして出立を待つ単行列車に滑り込んだ。
「……ははっ」
残された少女は、へたりと座り込む。
こんなに振り回して、人の心をぐちゃくちゃにして、気の向くままに行ってしまう。
「あなたは、春の嵐ですか」
2月の末の冷たい風が、少女の言葉を攫っていった。
_______
駅名標が後ろへと過ぎていく。
『次は、石狩月潟です。運賃・切符は整理券と一緒に――』
進級を控えた2月の末。胸の内に秘めたひとつの決意。存続の願い破れてなお、交通部としてできることがあるのなら――部長も北竜も去り、東別高校交通部に一人残された俺の、部としての最後の仕事になるだろう。
「行かなくなって、二か月ぶりか……。」
もちろん駅自体は毎朝使っている。脇目を逸らすことはなく、まっすぐと改札を通り抜けるだけだ。無意識に避けていたんだろう。こんな時間に帰るのも久しぶりだ。
窓に手を置いて眺める車窓は遠く、どこまでも一面の雪原だ。この雪が融けたあとに、桜が咲くころに終わりが来るというのならば、中途半端なのは嫌だ。せめて毅然と、けじめをつけたいのだ。
『まもなく石狩月潟です。お降りの方は前のほうにお進みになり……』
席から立ちあがると、定期をポケットから出して前のドアへと進む。ブレーキを利かせて汽車が止まると運転手が振り返る。
「……久しぶりだね」
「?」
「その瞳の色をした君は、久しぶりだ」
一両ぽっちの汽車で、降りるのは俺ひとり。顔見知り程度の関係でしかない。
「何かいいこと、あったかい?」
「……というよりは、気づけた、ですかね」
「そうかい」
それ以上は何も言わず、彼は前へ、線路の先へと向き直る。俺も軽く会釈だけして、プラットホームに降り立った。
ガラガラガラ、とエンジンを唸らせて汽車は滑り出す。それを見送りながら白い息を吐く瞬間が俺は好きだ。踏み込まないし、踏み込ませない。この程度の距離感が、一番落ち着くんだ。
「でも……それじゃ、ダメなんだよな」
都合の良すぎた願いだ。わかっている。人間は貪欲で、関われば関わるほどに、互いの内側に踏み込みたがる。それを押し殺して、理性で踏みとどまろうとしたって決壊してしまう。感情という濁流に呑まれて、いずれ制御が利かなくなる。
そのタイミングが人それぞれに違うから、すれ違うんだ。
すれ違って、嚙み合わなくなって、破綻する。
「だったら、一人でやってやる」
けじめなんかどこまでいっても自己満足でしかない。いい機会だ。どのみち誰も残っていやしないし、二か月放置された部室はきっと埃だらけだろう。
(はっ、掃除班の出番だな)
あの日々の残りかすを全部清算して、終わらせる。次へ進むために、ここでケリをつける。札沼線と共に――締めるのだ、この交通部を。
あぁそうだとも、これは俺のための大掃除だ。
(俺にしかできない仕事なんだ)
プラットホームを降りて、駅舎に続く踏切を渡る。奇妙な緑色の踏み板を伝って、二本の線路を踏み越えて、あの硝子戸を引いて、改札を抜ける。そうしてあの部屋の前に立ち、ひとつ深呼吸をした。
鍵を差し込む。
「?」
逆の方向に回って、ドアノブが開かない。どうしたものかと鍵を捻って元に戻せば、キィィ、と扉が開いた。
(開いてる……?)
埃は舞わない。
代わりに、とても見慣れた位置に、見慣れた姿勢で、まったく似つかわしくないやつが転がっていた。
「にゃむ……」
床にひっくり返って、一冊のノートを顔に被って。
セロテープで継ぎ接ぎされた『
「だ……れ?」
ノートを置いて、むくりと起き上がる華奢な影。
俺は目を見張る。
「あぁ――……おかえり」
「な、なんで、お前……」
あれから間もなく一年。まだ雪の降りしきる外景に、可憐な顔が淡く照らされる。ほのかに暖かいこの部屋にひとり、眼鏡をかけた少女は、たおやかに横たわっていた。
「待ってたよ、中ノ岱くん」
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