第十五話 朝食 上


 悪夢で目が覚めたホノカは、しばらくはベッドで横になっていたものの、再び眠る事は出来なかった。しばらくベッドの上でごろごろしてみたが、そうしている内にすっかり目も覚めてしまった。

 とりあえず、起きよう。そう思って身体を起し着替えると、眠っている黒猫を起さないように、そっと部屋を出た。

 時間は四時前くらいだ。

 桜花寮内は、当然ではあるが、まだ誰も起きてないようで、とても静かだった。


 音を立てないように足音に気を付けながら、ホノカが向かったのは食堂だ。

 酷く喉が渇いていたので、水でも飲もうと思ったのである。

 適当なグラスを手に取ると、蛇口から水を注ぎ、一気に飲み干した。

 冷たくて美味しい。

 はあ、とホノカは息を吐いた。


「…………」


 あの夢を見た時は、いつも、全力で走った後のような疲労感がある。

 六年前に父の命が奪われてからずっと、ホノカはたびたびあの夢を見ていた。

 それはまるであの時の自分が「忘れるな」とホノカに言い聞かせているようだ。


 最初の頃は、夢を見てホノカがうなされていると、ヒノカやミロク、シノブがそっと傍について手を握ってくれていたものだ。当時、恐怖と心細さでボロボロだったホノカにとって、三人の存在が何よりも済苦になった。


 たぶん今日見たのは、切り裂き男の話がでたせいだろう。


「……私もまだまだ」


 強くならなければ。

 そんな事を呟いて食堂を眺めていると、ふと壁に貼られた食事当番表が目に入った。

 そう言えばシノブから、


「桜花寮の朝と夜は、隊員達が交代で食事を作っているんですよ」


 と聞いた気がする。

 ホノカとヒノカにはまだ割り振られていないが、その内ここへ名前が入るだろう。

 近づいて今日の当番を確認すると、トウノとヒビキの名前が書かれていた。

 組み合わせても問題が起きなさそうな二人だな、とホノカは思った。


「それにしても不思議ですね。仲が悪くても、一緒に食事を作るんですから」


 それこそ、別れて準備や食事をしていそうなものだが。

 ホノカは、何か理由でもあるのだろうかと考えながら、今度は壁にかけられた時計の目を遣った。

 四時は回った。

 十人分の食事を作るなら、トウノ達は早めに起きてくるだろうが、それでもまだ時間が早い。

 ふむ、と小さく呟いて、ホノカはグラスを洗って片付けた後、近くにある冷蔵庫を開けて中を見た。そして入っている食材の量や種類を確認する。

 内容を見た限り、味噌汁と焼き魚あたりが、今日の朝食のメニューだろうか。


「……時間もあるし、作ってしまっても良いでしょうかね」


 この時間から何かする事もないし、それなら朝食を作ってしまったらどうかとホノカは考えた。

 もし仮に、朝食が違うメニューで、余計に食材を消費しまっていたら、後で補充をしてくれば良い。どの道、この冷蔵庫の量では買い出しは必須だろう。

 よし、と言うと、ホノカは朝食作りを始める事にした。


 袖をまくり、手を洗い、まずはとお米を研ぐ。十人分なんて量を炊いた事は今までにないので、これで良いのか少々戸惑うが、多ければお昼用かもしくは夕食で利用しよう。

 しゃ、しゃ、とお米を研ぎながら、ホノカは朝食の内容を考える。


「お味噌汁は、豆腐とワカメ。それから塩鮭を焼いたのと、あときゅうりの浅漬けかしら。今から漬ければ間に合うでしょうし」


 考えながら、研いだお米を炊き始めて、


「あ。……あと、卵焼き」


 ふと、甘い卵焼きが食べたくなった。ホノカの父、御桜ミハヤがよく作ってくれた料理だ。

 ホノカはしっとりとして甘くて美味しいあの卵焼きが大好きだった。ヒノカの好物でもある。

 そうしよう、と思って、冷蔵庫から卵も取り出した。


 そんな調子でのんびりと料理をしていると、しばらくして足音が聞こえて来た。

 足音は二つ。たぶんトウノとヒビキだろう。


「あれ? ホノカ隊長?」


 食堂に入って来た彼女達は、ホノカがいるのを見て少し驚いている様子だった。

 そんな二人にホノカは、


「おはようございます」


 と挨拶をする。


「おはようございます、ホノカ隊長」


「ええと、何を……?」


「朝食のお手伝いをと。早くに目が覚めてしまったもので」


 そう答えると、トウノとヒビキは目を瞬いた後、顔を見合わせる。

 それから直ぐに自分達も、と加わった。


「わあ! ホノカ隊長、お上手ですね!」


「ありがとうございます。うちではいつも作っていたので」


 褒められて、少し嬉しくなる。

 トントン、と包丁の音を響かせながら食材を切り、それを鍋に入れる。

 調理を続けながらホノカは、そうだ、と二人を見た。


「昨日は少し言い過ぎました。申し訳ありません」


 そして謝罪する。

 昨日の歓迎会で、ホノカ達が「最低だ」と言った辺りの発言についてだ。

 トウノとヒビキは「え?」と目を瞬く。


「知らない相手を、見たまま談ずるな。それが私達の父の、御桜ミハヤがよく言っていた言葉でした」


「いいえ、そんな! ……私達こそ、すみません。御桜隊長のご家族が来てくれたんじゃないかって、嬉しくなってしまって……」


「僕達もです。……失礼な態度を取りました」


 二人はぶんぶん首を横に振ると、申し訳なさそうにそう言った。

 それからヒビキは、恐る恐ると言った様子で、


「……やはり御桜隊長の御家族だったのですね」


 と言った。ホノカは彼の問いに「ええ」と頷く。

 会話はそこで途切れた。何か気の利いた返しが出来れば良かったのだがと、ホノカは少し後悔する。


――――ヒノカなら、もっと上手くやれたのでしょうけれど。


 本当に、まだまだだ。

 そのあとは料理について少し話すくらいで、時間が過ぎて行った。


 朝食の一品、また一品完成していくと、良い香りが桜花寮に広がる。

 それにつられたように、隊員達が集まって来た。

 彼らは眠そうな顔で食堂へ入ってきて、そこでトウノとヒビキと一緒に朝食を並べているホノカを見て目を丸くしていた。


「あれ? ホノカ隊長?」


「ああ、皆さん。おはようございます」


「お、おはようございます……?」


 ホノカが挨拶をすると、きょとんとした顔で、同じ言葉が返ってきた。

 ウツギはそのまま、不思議そうな顔で、トウノの方を向いて、


「えーと、トウノさん。これは一体何事で?」


 と聞いた。トウノは微笑んで、


「今日は私とヒビキ君が食事当番だったでしょう? でも私達より早く、ホノカ隊長が起きてらっしゃっていて」


「ちょっと目が覚めてしまって。朝食の用意は隊員で行っていると伺っていたので、お手伝いをと思いまして」


「と言いつつ、ほとんどホノカ隊長が作ってくれたんですよ、これ」


 ヒビキもそう言って、テーブルの上の料理に手を向けた。

 並んでいるのは白飯に豆腐とワカメの味噌汁。焼いた塩鮭に、甘い卵焼きときゅうりの漬物だ。

 それを見てウツギが「うまそ……」と呟く。ホノカは、ふふ、と微笑んだ。

 そんな話をしていると、ヒノカが元気よく「たっだいまー!」と入って来た。


「みんな、おはよう」


「おはようございます、ヒノカ隊長。お出かけでしたか?」


「うん、ちょっと見回りがてらに、軽く走って来たとこ。お、卵焼き! 甘い奴? 辛い奴?」


「甘い奴ですよ」


 ホノカがそう答えると、ヒノカは目を瞬いて「そっか」と小さく呟く。

 それからすぐに満面の笑顔になって「好物!」と笑った。


「それでは皆揃ったので、食べましょうか!」


 ぽん、と手を鳴らしてトウノはそう言った。少し楽しそうな雰囲気だ。

 彼女の言葉に、隊員達はそれぞれの席についていく。

 ホノカとヒノカの席は「こちらです」とヒビキが案内してくれる。

 席につくと、トウノの「いただきます」の言葉に全員が続き、食事を始めた。

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