第10話 これが俺のお嫁さん(怪物伯side)


  ◆


 魔物とは、魔素という成分を大量に摂取したために突然変異した獣のことである。

 そのため、退治して魔素を輩出した後の死体のほとんどは元の獣姿へと戻り、むしろ魔物化していた影響で旨味や栄養価がぎゅっと濃縮されていたりしているなど、一部のジビエ愛好家から高い指示を得ている食材になったりしている。


「酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞー♪」


 なので、天空城に戻ったアイルはルンルンと厨房に立っていた。

 ユーリウスが用意していたピンクを基調としたチェック柄のエプロンを嫌がることなく着たアイルを、彼は厨房の入り口から見惚れている。


 あんなに可愛い女の子が、こんな嬉しそうに料理をするなんて。

 しかも、あのエプロンは自分と色違いのエプロン。まさにユーリウスが夢にまで見ていた光景だった。


 ふんふん楽しげに歌う彼女の右手には出刃包丁。左手で引き出すは亀の首。

 そして彼女は笑顔のまま包丁を振り下ろす。


 ズヂャッと噴きだす鮮血。鼻の奥を刺激する鉄の臭いがエプロンを真っ赤に染め上げても、彼女は顔についた汚れを腕で拭くだけで、嬉しそうに亀を吊るすべく紐で器用にくくっていく。


「おっさけー♪ おっさけー♪ ワインに入れたらトレビア~ン♪」


 本当にそんな文化があるのかとヴルムに資料を用意させたら、たしかに書物庫の奥に眠っていた文献に同じような記述があった。彼女の歌う『トレビアン』という言語の文化ではなく、正確にいえば亀の中でも特有の亀に限るようだが。


 だけど彼女はとても幸せそうな顔で、嬉しそうに首のとれた亀から滴り落ちる血を眺めているから。


 ユーリウスはそっと厨房の扉を閉める。

 すると、そばで控えていたリントが話しかけてきた。


「あるじ、現実はいつも残酷なものだわさ」

「別に落ち込んでなどいない」


 夫婦とて、すべてを共有する必要もない。

 むしろお互い一人の時間や趣味を持ってこそ良い関係を築けると、いつかどこかで誰かが言っていたような気がしないでもない。


 だけど、ユーリウスが扉に背を預けて物思いに耽っていると、すぐに扉がゴツゴツと音を立てる。急いで退けば、全身血まみれのアイルがひょっこり顔を出した。


「ここに閉じ込めて、私ごとお酒にする気?」

「どういう拷問だ?」


 その疑問に、アイルはまるで応える気がないらしい。


「血抜きができたら、黒焼きにした亀ごとお酒に漬けるんだ~。ドラゴンの炎ってやっぱり温度高い? 黒焼きにしたいんだよね」


 だから、ユーリウスはため息をついて現実的な提案のみすることにする。


「ドラゴンの炎で酒造りなんて前代未聞――の前に、風呂に入ってきたどうだ?」

「えっ?」


 目を丸くして、小首を傾げるアイルはとても可愛い。


 ――これが、自分のお嫁さん。


 その事実だけで、ユーリウスは至福を感じる。別に、血に塗れていることは百歩譲って問題ないのだ。冒険家なら魔物を倒すこともあるだろうし、それは自分も同様。それに過去三十連敗して女性に高望みをしなくなった結果、たとえお嫁さんが暗殺者だとしても、その罪ごと受け止める覚悟をしていた。別に暗殺者のお嫁さん候補なんていなかったけど。


 ――だけど、まさかお嫁さんが亀の血で染まるなんて思わなかった……。


 そんな愛らしいお嫁さんが、あっけらかんとお願いしてくる。


「それじゃあ身体を拭くお水をちょうだい?」

「は?」


 気が付けば、敬語もとれて気さくに話しかけてくれるようになった。たった数日の付き合いでそれは嬉しい……とても嬉しい変化だが……ユーリウスは初日の出来事を忘れていない。


「露天風呂……気に入ってくれたと思ってたんだが……」


 身体を拭くために冷水を所望した彼女を、無理やり自慢の露天風呂に連れて行ったのは紛れもないユーリウスである。しかも、その露天風呂を彼女は涙が出るほど気に入ってくれて。ユーリウス自身も、少しは受け入れてもらえたような気がして。


 ユーリウスが顔をしかめた途端、アイルはわざとらしいくらい大袈裟に両手を叩いた。


「あぁ、そうだったね! 露天風呂! えーと、どこだっけ?」

「リント、案内してやれ」


 すると、リントは主の命令を忠実に遂行してくれる。露天風呂への道中もアイルは亀の酒で頭がいっぱいのようで、黒焼きにできないかリントに尋ねているようだった。


「まぁ、広さだけあるしな」


 そんな(血まみれの)お嫁さんと(一見)幼女メイドの愛らしい背中を見送って。


 ――まぁ、色々なことが立て続けに起これば、うっかりの一つや二つあるだろ。


 ひとまず、ユーリウスは目先の問題に着手することにする。


「この厨房は誰が掃除するんだ?」

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