契約交渉

 翌日。昨晩さくばんは、あれこれ考えすぎて、なかなか寝付けなかった。朝食を食べてすぐ、クローゼットを開いた。真面目な話をしにいくんだから、きちんとした格好を着ていこう。フェミニンな……フォーマルな格好がいいだろう。大人なきっちりめの……。

 トップスには、ブラウス、派手はでなフリルとかついていないもの。

 アウターには、チョコレートカラーのテーラードジャケット。

 ボトムスには、学校の制服に使われるような、チェック柄の茶色いプリーツスカート、ロングたけバージョン。靴下くつしたは、いつも学校にいていくやつ。

 髪はブラシでといて、ハーフアップにする。

 これで、だいたいOK。

 コーデをキメた私に、お兄ちゃんは「気合入ってるね」と言った。当たり前だ。第一印象は大事だ。

 お兄ちゃんに用意してもらったお弁当を持って、いざ、さっちゃんのお宅へ! 



 れた場所ではあるけれど、今日は特段とくだん緊張きんちょうする。まあ、「娘さんをボクにください!」と言いに来たようなものだ。いや、ほぼそれなんだけど。


 ピンポーン。


 ドアが開いて、出てきたのは、大人の女性。さっちゃんのお母さんだ。

「はじめまして。天田あまた礼蘭れいらです。本日は、お時間を頂戴ちょうだいいただき、心より御礼おんれいもうげます」

 私は挨拶あいさつをして一礼いちれいをする。

 お母さんは、ずいぶんと若い人だった。私のパパの二回りも年下だろう。しかし、顔はやつれて、さっちゃんに似て野暮やぼったい雰囲気ふんいきがあった。

幸巴さちは梅巴うめはの母の愛子あいこです。いつも娘がお世話になっております。どうぞ、中へ」

「お邪魔じゃまします」

 中に入り、くついで、くつの向きをそろえて、家の中へ。

「あー、れいらちゃーん!」

「れいらーん!」

 梅巴ちゃんとさっちゃんがよってきた。……どうしよう。お母さんがいる以上、いつもの「ヤッホー!」なテンションでいくわけにはいかない。

「わー、お弁当だ〜」

 困っていると、梅巴ちゃんが手土産てみやげとして持っているお弁当を目にし、私の手からかっさらった。あ……お土産が……。

「どうしたん、れいらん。今日、すっごうおかたいけど」

 さっちゃんには言おう。

「今日は、お母さんと大事なお話をするんだからね。いつもの感じでいくわけにはいかないんだよ」

「別にいいのに。ねっ、お母ちゃん!」

 お母さんは、こまり顔だ。

「入って、入って」

 さっちゃんに引っ張られ、私は家の奥に入って行く。

「……失礼します」

 ジャパニーズマナーの流れがぶちこわされてしまった。


「お弁当、いつもありがとうね。本当に助かります」

 お母さんの口調もほぐれていた。

「いえ、うちはかなり恵まれた環境にいますから、何か支援しえんがしたいと。私の兄は、うですぐれた料理人りょうりにんなので、たのんで作ってもらっています」

「それで、昨日、幸巴さちはに聞いた話なんだけど……」

「あ……メイドの話ですよね。きゅうな話ですみません」

 愛子さんは、苦笑いをして言った。

「メイドなんて、今の時代にはなかなか聞かないもの」

 そう、メイド(使用人)をやとうという文化は、今の日本には馴染なじみがない(ポップカルチャーのメイドはのぞいて)。それも、まだ成人年齢に満たない娘を雇うのだ。子をおもう親なら、そう簡単にみとめられるものじゃないだろう。

 私の考えは、軽率けいそつだったかな。

天田あまたさんには、娘たちがお世話になっています。人柄も、悪い人ではないと思っております。ですが、中身までは、わかりません。表面上では、良い人でも、その中身は不誠実で人をあざこうとしているかもしれない」

 そう思ってしまうのも無理はない。愛子さんが、そうやって何度もだまされていたい目を見てきたことは、さっちゃんに聞いた話だ。

「幸巴をあなたにあずけて、危険きけんなことをさせられないかとか、危ない目にわないかとか、そういうのがよぎってしまって、不信になってしまいます」

「ご安心ください。それが普通の親の気持ちだと思います。不安は、生物が野生やせいで生き残る上でなくてはならないものですから、悪いものではありません」

 私は、カバンから、一冊の冊子さっし本を取り出した。

「では、あらためて、さっちゃんのお仕事に関する説明せつめいをさせていただきます」

 昨日作成した、さっちゃんのメイドの仕事の、仕事内容、形態けいたい、時間、お給料の詳細しょうさいと、さっちゃんをやとう上での約束事やくそくごとしるした資料をもとに、説明をした。


 ちなみに、さっちゃんと梅巴ちゃんは、別の部屋で遊んでいた。


「こんなに丁寧ていねいに」

「人の未来を大きく変えるもので、お金もからんでいますから、こういうのはしっかりしておかなければ」

「……どうして、そこまでして幸巴さちはをメイドに?」

「さっちゃんの夢を応援おうえんしたいからです」

「夢?」

 お母さんには言ってないのか。さっちゃんが、誰にも言わずむねうちめていた夢。

 私は一瞬、口をためらったけれど、話すことにした。さっちゃんと出会ったあの日、さっちゃんが、神様にかっていのっていた、あのゆめを。

「私がさっちゃんと出会ったのは、山の中にある神社で、さっちゃんは『お金持ちになりたい』と祈っていました。私は、ごえんもとめていたので、運命だと思いました」

 

「私は、さっちゃんに、幸せになってもらいたいと思います。そして、もっとずっとそばにいて、もっと身近な存在でいたいとも思います」

 それはつまり、一言でいうと “さっちゃんが好き” ということなんだろう。


「私は、さっちゃんが好きなんです」


「だから、さっちゃんには幸せでいてほしい。さっちゃんの、元気に笑う顔が見たい」


「それは、さっちゃん本人はもちろん、さっちゃんが大切に想う、梅巴うめはちゃんや、お母さんにもです」

「私も?」

 私の言葉に、なみだを流していた愛子さんは、ぎょっとおどろいていた。

「さっちゃんから聞きました。ここずっと、仕事ばかりして、全然家に帰ってこないと。働きすぎは、身体からだどくです。どうか、ご自身の身体を大切になさってください」

 愛子さんは、首を大きく横に振った。

「ダメです。私は……大きなつみをたくさんしてしまい、幸巴さちはにも迷惑めいわくかけっぱなしで……もう私に自由な時間なんてゆるされません。たくさん仕事をして、少しでも多く、幸巴にお金をのこせれば、私の身なんて……」


「だめっ!」


 そうさけんで、飛び出してきたのは、梅巴ちゃんだった。さっちゃんも、そのあとを追う。

 梅巴ちゃんは、愛子さんのうでをぎゅっと抱きしめた。

「おかあちゃん、しんじゃいや! もっと、うめはとあそんでよ!」

 梅巴ちゃんのけなげな必死ひっしうったえに、私の涙腺るいせん崩壊ほうかい寸前すんぜんだ。

「お母ちゃん、罪とか迷惑とか、どうでもええから、もっと休んで! さちたちともっとずっと、一緒にいて!」

「梅巴……幸巴……」

 二人とも、お母さんが大好きなんだなぁ。いいなぁ……。

「愛子さん、大好きな母親をくした子どもの悲しみは、計り知れません。私は、幼い頃に母が病気で亡くなり、死ぬほど悲しみました」

 そう、ママへの恋しい気持ちは、いまだに消えない。さっちゃんたちには、こんな思いはして欲しくない。

「二人のためにも、どうか生きていてください。生命いのちつづかぎり、ずっと」

 愛子さんは、ボロボロなみだあふれていた。

「……ありがとう」

 素敵な家族愛だ。私は、こんな素敵な家族から娘を取ってしまうのは、残酷ざんこくなことに思えた。

「すみません。やっぱり、この話は……」

「れいらん」

「……さっちゃん。……やっぱりやめといた方が」

「ううん、やりたい。れいらんのメイドさん」

「……でも、住み込みだし、一日中家をけることになるし……」

「そんでも、好きな時に帰れんでしょ?」

「そうだけど……」

「さちは、お母ちゃんも梅巴も大事やけど、やりたいことをあきらめたくもない。メイドやれる機会きかいなんて、そうないし。ええでしょ、お母ちゃん!」

 さっちゃんの問いかけに、愛子さんは涙をいて答えた。

「いいよ。いっぱい、経験けいけんしときな。梅巴のことは、母ちゃんが見とくから」

「ありがと!」

 お母さんのゆるしがりた。

「では、こちらの書類しょるいにサインをおねがいします」

 説明の資料と共に作った、契約書けいやくしょだ。ちゃんと法定代理人ほうていだいりにんであるパパの許可もている。

 愛子さんは、契約書にサインをした。

 これで、契約けいやく成立せいりつした。

「やったー! 契約成立!」

 さっちゃんはよろこんで、私にきついた。

礼蘭れいらさん、幸巴さちはをよろしく」

 まるでこれから、結婚けっこんするかのようだけど、あくまでメイドだ。メイド。

「じゃあ、さっちゃん、さっそく明日あしたからよろしく」

「うん。準備じゅんびできたら、今晩こんばんには行くよ」

「OK。あともう一つ、来週の休みに、神社に参拝さんぱいにいきませんか? さっちゃん家族と私の家族で」

 のろいの邪神じゃしん御祓おはらいするために。それに、私の家族はお兄ちゃんだけだけど、匠悟しょうごくんもさそってみよう。確率かくりつひくいけど。

「いいね!」

「いくー!」

 こうして、私の用事はんだので、おいとまさせていただく。

「お邪魔じゃましました」


 さっちゃんたくを出て、数歩歩いたところで、さっちゃんが追ってきた。何か、忘れものでもあったかな?

「どうしたの?」

「忘れ物」

 なんだろう。

「ちょいとかがんで」

 何故なぜ。言われるがままに、少しこしを低くする。すると、さっちゃんは、私のほほをつかんで、私の口に、口をかさねた。

「ありがと、れいらん」

 口をはなすと、さっちゃんは言った。そして、「またね」と手をって、家に戻って行った。


 私はしばらく呆然ぼうぜんとしていた。


 その後、電車にゆられながら、爆発ばくはつしてしまいそうな感情をグッとこらえていた。

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