第5話:天使エルミカ

「ほ、本当に……天使エルミカ様……」


「はい。エルミカです」


 思わず尋ねたが、目の前の存在が最初に名のった時点から、なぜか疑ってなどいなかった。

 スノピナは慌てて椅子から立ちあがり、その場に跪いて頭を垂れた。

 そして腕をクロスするように、右手で首の左、左手で首の右に触れるポーズをとる。

 横では、スタンレイも同じポーズを取っている。

 それは目の前の存在に、自らの首を捧げるという崇敬を表していた。


「我らが厳格なる父、慈愛に満ちた母、太陽たる天使エルミカ様にお目にかかれるなど光栄の至り」


「礼拝のお言葉はありがたいのですが、ここではおやめください」


「な、なにゆえ――」


「――今のわたくしは、現世に関与するため受肉した姿なのです。むしろ、天使より人間に近い存在と言えます。なにより、わたくしはこのキャンプ場の従業員で、あなた方はお客様です。いらっしゃいませと頭をさげるのは、わたくしの方なのですよ。というわけで、いらっしゃいませ」


 そう言ってエルミカが頭をさげる。

 その姿に、スノピナとスタンレイは顔を青ざめさせた。


「お、お許しください! 天使様に頭をさげさせるなど……畏れ多いことこの上ございません。この命をもって詫びても足らぬぐらいの大罪……」


 スノピナはどのように命を絶とうかと本気で考えてしまう。

 隣のスタンレイも悲愴感漂う表情をしていた。


「ほら、ご覧なさい。言ったとおりでしょう?」


 エルミカが苦笑しながらナイトに話しかける。


「わたくしの正体を知れば、エルミカーナの人々はこういう態度になってしまうのですよ」


「なるほど。確かにやりにくい」


「いくら言っても、あなたがわたくしの威厳を信じてくださらないから……」


「悪かった、悪かった。信じよう。……となると、やはり偽名のがいいのか」


 ナイトが小さなため息をついてから一拍おいて、言葉を続ける。


「では、エルミカだから……エル、ルミ、ミカ……エミ、ルカのどれかかな?」


「その中ですと、元の名前を連想させてないように並びが異なる、エミかルカがよろしいかと」


「では、エミでいいか」


「そうですね。いい名前だと思います」


「よし。というわけで、お客様方。彼女の名前は【エミ】。天使とかではなく、ただのここの従業員です」


「いえいえいえいえっ! 手遅れですから!」


 黙って事の成り行きを見守っていたスノピナは、話をふられて思い切りツッコミをいれてしまう。


「目の前で堂々と偽名を作られて、『天使じゃありません』などと言われても受けいれられません!」


「まったくです! あなたは天使様をいったいなんだと思っているのです!」


 スタンレイも興奮気味に抗議する。

 自分たちの崇拝の対象の呼び名を勝手に変えて、さらに「崇めるな」と言われるなど許せることではない。


「混乱させて御免なさいね、お二方」


 わずかな微笑を見せるエルミカの言葉に、スノピナとスタンレイは身が縮む思いでまた頭をさげる。


「と、とんでもございません」


「申し訳ないのですが、ここでのわたくしは【エミ】という人間として接していただけませんか」


「エルミカ様の願いとあれば……ただ、なにゆえなのかお教えいただけないでしょうか」


 スノピナにとって、天使たるエルミカが人の身に落ちる理由など想像もつかない。

 そもそも人の世を陰ながら支えるのがエルミカであり、直接関わることなどほとんどない。

 せいぜい年に2度ある各国の国儀【神託の儀】か、救世者たちが神術を授かるための【願いの儀】ぐらいである。


「あなた方の疑問ももっともです。わたくしとて、こんなことになるとは思いもしませんでした。これもすべてエルミカーナの人々を救うため……というか、ほぼ彼のせいです」


 そう言ったエルミカ改めエミは、ナイトの方に視線を向けた。

 彼は、いつの間にか会話からはずれて、新たに運んできた彼が抱えられるほどの大きさがある金属の箱に、脚を4本とりつけているところだった。

 それはどうやら、大きめの焚き火台かなにかのようで、脚をつけ終わると今度はその中に炭をいれ始める。


「ナイト様の……せい? そう言えば、ナイト様はすさまじい神術をお使いになっていました。魔王を退けるほどの……あれはいったい?」


「ええ。彼ならば、魔王を斃すこともたやすいでしょう。彼は、わたくしが神様に懇願して転生させていただいた、異世界の元救世主ですから。そして、この世界でも救世主として生きてもらうでした」


「い、異世界の元救世主なんて初めて聞きました。それに、とは?」


 神は多くの世界を創った。

 そして、その世界ごとに天使を配して管理することにしていると言われている。

 だから異世界があること自体は、スノピナにとって不思議なことでもなんでもない。

 しかし別の世界に魂が渡るという話は、聞いたことがない。


「彼は例外中の例外なのです。稀に発生する陰陽の歪みで、我が世界エルミカーナには魔王が12体も同時に生まれてしまいました。わたくしも対抗すべく、なるべく多くの救世者が、この時代に生まれるようにしましたが、十二魔王に対抗できるほどではありません」


「はい」


 その状況は、スノピナとて痛感している。


「そこでわたくしは神様に十二魔王に対抗できる救魂力をもつ魂をお預けいただけないかと懇願したのです。それが彼の魂でした。彼は自分の世界で、その星に住む全人類を救ったと神に認められた救世主で、その人生は波瀾万丈、戦いの道でした」


 スノピナがエミの語りに固唾を呑んで聞き入っていると、横からスタンレイが口をだす。


「戦いの道ならば、オレ……我もそれなりに戦いに身を置いていました。それでも我はまだ英雄級です」


「そうですね。ただ、戦いの数という単純な話では量れないのです。彼の戦いは、千種万様。そして規模も違う」


「…………」


「彼もまた、あなたのように幼い頃からヒーロー……救世主になろうと憧れ努力していました。そして40代半ばでその夢を果たし、同時に仲間のために命を落としました」


「高潔な方なのですね、ナイト様は……」


「ええ。ただ、彼は多くの人々を助ける救世主となる夢を叶えてしまった。多くの戦いの中に身を置き、最後に殺されても、彼は全力を尽くしたと前世に満足しているのです」


「なるほど……」


 スノピナには、まだ話が見えない。

 ここからなぜ、天使エルミカが人間エミとして生きていかなければならないのか、話が繋がらない。


「そんな彼に、わたくしは転生して、今度はエルミカーナの救世主になってほしいと願った。前世での善行を力に、また戦ってほしいと」


「……あ。もしかして彼は……」


「そう。彼は、そんな来世を望んではいなかった。人々のために十分戦い、夢を叶えて満足した彼が、もう一度同じ人生を歩みたいなど思うはずもなかったのです。そして彼が望んだ今世が……」


「このキャンプ場という場所の経営だった……と?」


「そのとおりです。彼はキャンプ場経営というもうひとつの夢を叶え、戦いとは無縁の穏やかな人生を歩みたかった」


「人々の夢を守るべきエルミカ様が、そんな彼の夢を正面から否定することは……」


「はい。あなたもわかっていると思いますが、天使といえど誰かの人生を思い通りにすることはできません。神術を与える【救世の福音】とて、本人が望む力しか与えられません」


 それはわかっている。

 スノピナもまた、望んで【救世の巫女姫】として適した力を望んだのだ。


「だからわたくしは、天使という立場をひととき捨てることにしました。そしてこの世に関与できる人間として、時間をかけても彼を説得することにしたのです」


「そ、それは『あり』なのですか?」


「そうですね。かなり危うい裏技ですが、四の五の言っていられません。十二魔王を斃すため、彼の強大な力を有効活用していただかなければなりませんから」


 そう言うと、エミはナイトの方に顔を向ける。

 釣られるように、スノピナもそちらを向いた。

 とたん、その先から食欲をそそる香りが漂ってくる。


「はい。お2人の分も肉が焼けましたよ」


 そこではいつの間にかナイトが、炭火で肉をたくさん焼いていた。

 横では、ちゃっかりとスタンレイが皿を片手に、すでに肉を食べ始めている。


「ず……ずいぶんと、炭に火をつけるのが早いのですね、ナイト様」


「ええ。神術を使って火を回しました。便利ですね、神術というのは」


「…………」


 思わずスノピナは、エミを見つめる。

 対して、エミは視線をそらす。


「ナイト様、しっかりと強大な力を有効活用しているようで……」


「ええ、まあ……使いこなしてはいるんです……けどね……」


「…………」


 エミの心痛を察するスノピナであった。

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