映る影、変わる時(一)

 打倒ミスミ洋菓子店を決意した薫子は、秩父から離れ東京へやって来ていた。

 手には秩父という片田舎の人間にも分かりやすく西洋文化を特集している雑誌と、東京の地図を握っている。渡り合う気合として、愛用の着物と草履ではなくワンピースとパンプスを買って挑みに来た。


「まずは敵を知る! それからミスミ洋菓子店に対抗できる商品を見つける!」


 無策で一年を過ごしても意味がないし、赤字に陥った日々と同じ営業をするのは成果が見込めない。

 そこで薫子は桐島駄菓子店の新たな武器を得ることにしたのだ。


「一年じゃ一から自分でやるのは無理だもの。まずは商品を卸してもらって、そこからうち独自の商品にしていく。その間にお客さんを取り返せばいいわ」


 桐島駄菓子店の商品は父が自分で作る団子類と卸業者から仕入れた量産品の二種類だ。父も一年間は新しい商品開発に挑戦すると言ったので薫子は仕入れ先の新規開拓をすることになった。

 薫子は雑誌で特集されている《ミスミ洋菓子店本店》の住所を地図で探し、午前十時を過ぎた頃になってようやく到着した。

 きっと秩父の店と似たような雰囲気だろうとは思っていた。そしてやはり雰囲気は当然同じようだったが、薫子は驚き立ち尽くしてしまった。


「で、っか!」


 本店は三階建ての白い洋館で、秩父の店よりもはるかに大きかった。

 薫子と父の住むこぢんまりとした家はすっぽりと収まるだろう。


「こんな大きい店が何であんな田舎に出しゃばって来たのよ。いい迷惑だわ」


 どう考えても経営難ではない。拡大するのならもっと都心に近い別の場所でもよかっただろう。だが雑誌を見ると支店の名がずらりと並んでいる。

 きっと都心には出店しつくしたのだろう。

 ここまでくると悔しさも対抗心もへし折られる。薫子は鼻息荒く雑誌のページを捲り、他のお店を調べた。


「お菓子店と喫茶店を回ろう。ミスミの近くにあるミスミじゃない店に入ってやる」


 ミスミ洋菓子店には蚊ほども痛くないであろう抵抗をし、薫子は雑誌と地図を握りしめて歩き始めた。

 休日なので人通りが多い。洋装が浸透しきっていないから着物の人もいる。

 薫子には馴染み深い光景で安心するが、洋風の建物が増えている街中で『古き良き日本』にこだわる姿は薫子でも滑稽に思えた。

 薫子は慣れないパンプスをかつかつと鳴らして街を駆け抜ける。

 歩けばあちらこちらに洋風の喫茶店があったけれど、その全てに入店し飲食するほどのお金は無い。

 外から見える範囲で店内を観察し、雑誌で気になっていた数店だけ入ってお菓子を食べてみたがどれもこれもミスミ洋菓子店を彷彿して美味しいとは思えなかった。


「変わり種の店とかないかな。あ、ここは……本日十二時から……?」


 似たり寄ったりの看板だが、休日の午前中に営業しないとは恐れ入る。


「東京ってこんな舐めた営業でもやってけるの? 恐ろしい街だわ……」


 毎日店を開けても赤字の薫子からしたら信じられない経営だ。

 すっかり感覚がついていけず、それでも負けじと歩き続けて十二時を回った頃、いつの間にかミスミ洋菓子店本店の前に戻って来ていた。


「どこも西洋菓子を並べてるだけだったわ。うちにも置けばやっていけるのかもしれないけど、それもなんだかな……」


 初日で成果が出るとは思っていないけれど、想像以上に西洋菓子が並んでいるだけだった東京に早くもげんなりし始めた。

 自然豊かな秩父の地が懐かしくなり、まだ二時間だけどもう帰りたい。

 足が駅に向いたが、かかとに激しい痛みが走った。


「痛っ! 何⁉」


 かかとをみると、白いパンプスが赤く染まっていた。慣れない靴をを履いたせいか皮膚が擦れ血が滲んでいる。


「新品の鼻緒みたいなことが起きるのね、靴って……」


 西洋から入って来た靴には馴染みがないのでそんな現象があるとは思いもしなかった。


「まったく。西洋文化ごと憎く思えてきたわ。薬局あるかしら」


 このまま歩くことはとてもできない。薫子はきょろりと辺りを見回したが、ふいに水滴が頬を濡らした。


「うわ、雨?」


 空を見上げるとわずかに黒い雲が流れていて、しとしとと小雨が降り始めている。

 まるでミスミ洋菓子店が追い詰めにかかってるような気になった。薫子は背を丸めて肩を落とす。


「喫茶店でも入って休憩しよう。確か十二時開店の喫茶店があったわよね」


 とにかく今すぐ入れるところを見つけたいが歩くことはできない。

 薫子は歩き回った経過で見かけた喫茶店を思い出し、路面電車が通り過ぎるのを見送ると今来た路地を戻った。

 路地に入ると煉瓦作りの小ぢんまりとした洋館が見えてきた。さっき通り過ぎた時は準備中だったので通り過ぎたのだ。


「休日の午前に営業しないってどんな店なのかしら。一番やるべき日なのに」


 仕事が無い休日はどんな店でも一番の売り上げを立てる日だ。経営者なら休日に閉店などあり得ないが、それだけにどんな店か気にはなる。

 薫子は少しだけわくわくして向かうと、扉の上には《黒田彩菓茶房》という看板が掲げられている。


「洋菓子店ではないのね。和菓子屋って雰囲気でもないけど」


 窓から見える店内の内装は洋風に見えた。だが古めかしい雰囲気もあり、最先端の西洋文化というわけでもなさそうだ。

 他の気取った店よりは幾分か入りやすく、薫子は黒田彩菓茶房の扉を開いた。

 店内は抑制された洋風の装飾と日本の伝統が融合した空間が広がっていた。

 柱には美しい彫刻と装飾が施されている。華やかで洗練された雰囲気の内装だ。穏やかなクラシックが流れていてとてもお洒落な空間だった。


「結構早くから西洋文化を取り入れてたのかしら。不思議な店だわ」


 一体どんなお菓子があるのか客をちらりと見ると、薫子の体は衝撃で震えた。

 手前に座っているぱりっとしたシャツを着ている男性が食べているのは丸い小さな生クリームのケーキだ。だがこれはただのケーキではなかった。


「素敵! 宝石で細工したようだわ!」


 林檎に蜜柑、さくらんぼ、宝石のような果実が彩り鮮やかに盛り付けられている。

 ケーキの形はとても華やかで、ショーケースに並ぶケーキはどれも美しい芸術品のようだった。店名の『彩菓』のなんと相応しいことか。


「凄いわ。こんな綺麗なお菓子見たこと無い。博物館だわ。ケーキの博物館」


 一体どんな人が作っているのか気になり店内をきょろきょろと見回した。

 奥のキッチンに一人の青年が立っていた。洋菓子職人だろうか、深い眼差しと優雅な手つきでケーキを丹念に作り上げている。

 青年の細く長い指は魔法使いの杖のようだった。

 あらゆる果物を芸術品に変え、林檎の皮は虹の一筋に姿を変える。

 バタークリームの花は時に非現実的な色をしていたけれど、それはまるで果てしない夢や望みが閉じ込められた瞬間のように感じられた。

 それを頬張るたびに、客の顔は喜怒哀楽がはじけて輝いていく。

 薫子は案内されるのを待っていられず、ふらふらとケーキが間近で見れるショーケース近くのカウンター席へ腰かけた。

 薫子に気付いた店の青年はにこりと微笑みこちらへやって来た。


「いらっしゃいませ。こちらをご覧になってお待ち下さい」


 青年はウェイターも兼任しているのか、メニューを置くとミルフィーユと生クリームの入った小鉢、果物をたくさん持ってスーツを着た男性客の席に立った。


「お待たせしました。『時を刻むミルフィーユ』でございます」


 耳をそばだてていた私は眉をひそめた。


(……時? ただのミルフィーユじゃないの?)


 薫子は思わず男性客の方をちらりと見ると、彼も私と同じように困惑している。


「注文したのフルーツセットだけですけど……」

「はい。ですが働きながら転職活動は疲れるでしょう。不採用続きならなおのこと」

「え、あの、どうして転職しようとしてるって知ってるんです。不採用続きなのも」

「一か月ほど平日の日中にスーツでお越しです。自己紹介を繰り返し練習し数日すると悲しそうな顔をなさっている。夜は使い込んだ書類をお持ちで、一昨日は『課長にどやされる』と呟いてらした。それで今のお勤め先から転職をお考えなのだろうと」

「……そうです。よく見てるんですね」

「何度も来て下さっていますから」


 青年は何の飾りもされていないミルフィーユを差し出した。何層にも重ねられた生地が見えるが、それだけだ。他の美しいケーキには見劣りがする。


「人生は岐路の積み重ねです。まるでミルフィーユのようじゃありませんか?」


 青年は穏やかにほほ笑みながら、生クリームを添えカットした林檎を添え、蜜柑、葡萄と果物をどんどん乗せていく。

 少しずつだがショーケースに並ぶ宝石のようなケーキに近づいている。


「あと一層で完成するかもしれません。その先には新しい出会いがあるでしょう」


 重ねられていく果物はいつの間にか美しい花と葉のようになっていた。色とりどりのそれは見たこともない形で、それは男性客の新たな出会いを予感させた。

 そして最後に丸いクッキーを生クリームの横に沿えた。

 表面には美しいデコレーションがされていて、時計のような柄だった。チョコレートと金粉だろうか。離れたこの場所からでも艶やかで美しいことが見て取れる。


(転職と新たな出会いは私でも手にできるのかしら。そのミルフィーユがぽんと差し出されたように)


 薫子の目はミルフィーユに釘付けになった。

 あれほど貧相だったミルフィーユは青年の手により宝石へと姿を変えている。


「転職が決まったらお祝いのケーキを作らせて下さい。いつもの珈琲を飲み放題で」

「……はい。有難うございます」


 そうして男性客は少しだけ涙ぐむと、生クリームたっぷりのミルフィーユと果物をあっという間に食べきって、最後は穏やかな笑顔で店を出て行った。

 青年は男性が笑顔で帰って行くのを見送ると、ようやく私の元にやってきた。

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