第4話



何度『離婚しちゃえよ』と言いかけたか分からない。心の中では何度も言っている。だけど実際に声に出しては言ってない。言えるはずがない。それを言ったら兄が不幸になるかもしれない可能性があるから。


もしかしたら離婚によって不幸を断ち切り幸せになる未来があるかもしれない。だけどその反対もまた然り。確率は五分五分。半々だ。0.1%でも不幸になる可能性があるかもしれない選択肢を口には出せない。


「ちゃんと話し合ったら改善するかもしれないよ」


何を言えば兄を傷つけないかを考えながら慎重に言葉を吐く。


「もう何度も話し合ったよ」

「……うん」

「だけどもうすっかり疑心暗鬼に陥ってて……埒が明かない」

「……」

「なんか俺、そんなに信用ないのかってへこみまくってさ……苦しいよ」

「……兄さん」


こんな風に弱々しい兄の姿を見るのは初めてだった。兄をこんな風に追い詰めた千夏さんのことを憎く思うと同時に、こんな風に弱いところを見せてくれる兄の無謀さに密かにときめいてしまっている僕がいた。


(……最低だ)


そう思っても決して千夏さんの悪口は言わない。ただ黙って兄の愚痴りを訊くだけだった。


しばし無音の空間が広がった。時折兄が総菜を咀嚼する音だけが響いた。


「……お腹、空かない?」

「ん?」

「総菜だけじゃお腹、満たされないんじゃない?」

「……まぁ」

「食べたいものがあったら作るよ」


この気まずい雰囲気を断ち切る気持ちで話を振った。そんな僕の心情を察したのか兄はぎこちなく笑った。


「具沢山うどん、作れるか?」

「作れるよ。ってかそんなのでいいの? ご飯ものも作れるよ」

「いや、うどんがいい」

「……そう」


その会話の流れからまたしても兄の今の気持ちが解ってしまった。


(相当まいっているな)


兄がリクエストした具沢山うどんは僕が兄に初めて作った料理だった。


僕が小6の時、大学生だった兄が酷い風邪で寝込んでいた時に『うどんが食べたい』と言われて作ったのが具沢山うどんだった。


買い置きの冷凍うどんには麵と汁しか入っていなくて、何か栄養のあるものを入れなくてはいけないと考えた末、冷蔵庫の中にあった胡瓜や大根、人参なんかを切り刻んで投入して作った。


形も大きさもバラバラな上に大して煮込んでいないから野菜はどれも硬いままで決して美味しいものではなかった。


それなのに兄は『美味しいよ』と言って残さずに汁まで全部飲み干してくれた。




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