アイドル芸能事務所がイケメン講師揃いの予備校を始めたら、何も起きないはずがない! Girl's Side
八幡ヒビキ
第1話 鐘は高らかに鳴る――ただし脳内だけで
私の人生なんて平凡そのもので、きっと波乱なんて絶対に起きないんだろうな――となぎさはこれまでずっと思っていた。
そんな思い込みを今は馬鹿馬鹿しく思っている。
高校1年生の春休み、
「なぎさちゃん、久しぶり」
春休みの朝早い時間、自宅マンションの玄関に現れた運命――母方の従兄弟、
「――タスクくん……だよね?」
「何いってるのさ。そうだよ。僕だよ。タスクだよ」
冗談だと思ったのか、白い歯を見せてタスクは笑った。
7歳年上の従兄弟は確かに前からかわいかった。最後に会ったのは関西の難関国立大学に進学が決まったといって挨拶にきたときだったからもう4年も前になる。しかしたったの4年でこうも変わるだろうか。確かに受験勉強で運動不足だったのかもしれないが、少し太っていたし、ニキビも多かった。それでもなぎさにとっては初恋の人なので、ときめきを覚えたものだ。
しかし今はそれに比べて天と地の差がある。
髪型も、カットで毛先を柔らかくして、整髪剤で無造作に立ち上げている。少し脱色しているようで明るいイメージだ。また、昔のニキビだらけの肌から一変してきれいになり、なんなら自分よりも白くてきれいだ。メタルにダークブルーをあしらった細いフレームの眼鏡が知的で、レンズの奥に見える目も余分な肉がなくなったからか大きくなり、睫毛も驚くほど長い。ぶっちゃけ、海外アイドルみたいだ。
細身のスーツも着こなし、小さなビジネスバッグを持っている姿は新社会人風というよりももはや何かのロケですかという雰囲気である。
こんなに格好良くなっているなんて聞いてない!
そう叫びたいのをなぎさは必死で抑える。
「え~~と、聞いてるよね? 僕がこちらでごやっかいになるの」
タスクは何か間違いがあったのではと危惧しているようだった。あまりの衝撃になぎさが固まってしまっていたからだろう。声は確かに覚えがあるタスクのそれだ。
「う、うん。荷物、来てるよ。案内するね」
「求くんの部屋でしょ? 覚えてるよ。あがるね」
求はなぎさの兄で、今年、自衛隊に入隊し、しばらく家に帰ってこないことが確定している。そのため、就職して上京が決まったはいいものの、物件が見つからなかったタスクにしばらくの間、1部屋貸すことになっていたのだった。話が決まったとき、マンションのローンの足しになると父が喜んでいた。
タスクが靴を脱いで廊下にあがるとなぎさよりずいぶん背が高いのが分かる。なぎさも165センチと女子では身長がある方だが、その自分より20センチほど高いだろう。
そして今の自分の格好に気がつき、ハッとする。
量販チェーン店の激安ルームウェアのままである。髪も寝癖を水で治した程度でほぼ起き抜けの状態だ。
やばい、ヤバすぎる。
しかし案内しないわけにもいかない。詰んだ。
「ごめんね、こんな早い時間に着いちゃって。新幹線をやめて夜行バスできたから」
夜行バスにこの美形が乗って京都から上京してきただなんて、信じられない。隣の席が女子だったらその女子は眼福すぎて眠れなかったに違いない。
「お兄の部屋はそこ」
玄関入ってすぐの部屋だ。今はもう空の家具類とタスクが送ってきた荷物しかない。その荷物も大した量がないので寒々とした印象だ。
タスクは部屋の中を確認してバッグを置き、なぎさについてリビングに行く。
両親はもう出勤しており、在宅しているのはなぎさだけだ。
え、この美形と2人切りなわけ?
なぎさは意味不明の状況に軽くめまいを覚えた。しかもそれがただの美形ではなく、初恋の美形、ではなく初恋の人なのだ。ただでさえ漠然と楽しみにしていたのにこんなサプライズ、神様は何を考えているのだろうとなぎさは思う。
「夜行バスじゃ疲れてるでしょ? 何か飲む?」
「ありがとう。なぎさちゃんは今でもコーヒー入れるの上手なのかな?」
「ばっちり上達してますよ」
「じゃあ、是非、確かめたいな」
自分がコーヒーを入れるのが上手なことを覚えていてくれていたことが嬉しい。
鼻歌でも歌いたい気分でなぎさはコーヒーポットをガスレンジにかける。
なぎさの家のリビングはこたつと座椅子に少々の壁面収納があるくらいのシンプルさだ。その壁面収納も古いオーディオシステムが大半を占めている。
タスクはこたつに入らず、リビングのカーテンを開けて朝陽を浴びた。
神々しい。
コーヒーポットのお湯が沸騰しているのにもなぎさが気づかないくらいだった。
いかんいかん。
なぎさはタスクの分と自分の分、2杯をドリップする。
粉にお湯を落とした瞬間のコーヒーの匂いが好きだ。それはいつもどおり心地よく、なぎさは官能すら覚える。お湯とコーヒー豆の分量はいつも通りの自分の好みだ。そしていつもどおり入れられたのが分かる。美味しいと言って貰いたい。
なぎさがドリップし終えた頃、タスクはキッチンのカウンター前の作業椅子に腰掛けていた。
「ブラックがオススメです」
なぎさはコーヒーカップをカウンターに置く。
「もちろん、ブラックだよ。僕の好み、覚えていてくれたんだね」
笑顔で応え、タスクは笑う。その笑顔になぎさはとろけそうになる。
カップに口をつけ、一言。
「美味しい。お店で出せそう」
「いや、それほどでも」
なぎさは頭をかく。
「あ、ごめんなさい。少しゆっくりしてて」
なぎさは古いオーディオシステムのターンテーブルにLPレコードを置き、針を落とす。
始まりはビートルズの『Love Me Do』だ。
いわゆる赤版で、父のコレクションの1枚になる。
「いいね」
タスクは目を閉じ、コーヒーと音楽を愉しんでいる様子だった。
3分。
そう。許されるのは3分だと思う。
部屋に戻ってゆったり目のグレーのコットンパンツに履き替え、上は洗いざらしの蒼いコットンシャツを緩く着る。意識しているのがバレないよう、気合いを入れてはならない。しかしみっともないのはNGだ。
1分で着替え、洗面所でブラシと整髪剤を手に、無謀な試みに挑戦する。髪を整え、整髪剤で整え、ロングボブにした髪をまとめる。ぎりぎりOKかと思う。
リビングに戻ると『Please Please Me』が始まったところだった。だいたい3分。不自然ではないだろう。
リビングに戻ってきたなぎさに気づき、タスクは申し訳なさげな顔をした。
「えーっと、気を遣わせてしまってごめんね」
「初恋の人の前だもん……」
気持ちが萎んでいくのが分かる。それでもカウンターの椅子になぎさも座る。
タスクは笑顔で言う。
「よく覚えてるよ~ 君が9歳の時だったよね~」
「わすれて~」
「忘れないよ。だって生まれて初めて女の子に好きって言って貰ったんだもの。すごくかわいくなったね、なぎさちゃん」
そしてタスクは真っ直ぐすぎる目でなぎさを見つめ、なぎさは自分が真っ赤になるのが分かる。その視線はもはや精神攻撃魔法の類いだ。
「タスクくんの格好良さには負けます」
「なんか僕、格好良くなったみたいだね。自分ではよく分からなくって」
彼女が出来て変わったのだろうかと直感的に思ったのだが、ちょっと違うようだ。彼女のためにか彼女に変身させられたのかとまで考えたのだが。
「格好いいです」
そして視線を避けるためになぎさもコーヒーカップに口をつける。
「ありがとう」
タスクのコーヒーカップはもう空になっていた。
「でもどうもそのお陰で就職できたみたいなんだよね」
「そのお陰って?」
「僕が格好良くなったお陰。まあ、僕自身は何もしていないんだけど」
いや、嘘だ。この美形に何もしないでなれるはずがない。いやいやそうじゃない。
「それで就職できたって、詳しくは聞いていないんだけど、結構お堅い仕事だったと聞いたような気がする」
「うん。予備校に就職したんだ」
「予備校――」
「
「――知ってる」
なるほど、そういうことか。
勉強に余り関心がないなぎさでもその名は知っている。
「この春からの新人です。講師になりました。山峯タスクです!」
そして口の端を上げて笑うと、眼鏡の奥にあるタスクの目が細くなる。
その笑顔もやっぱり精神攻撃魔法だ。
「って挨拶しようと思っているんだけど……なぎさちゃん?」
あまりの衝撃に固まってしまった。
この美形が予備校の講師なんかした日には教室が女子だらけになってしまうに違いない。それは数多の肉食獣の中に放たれる子羊のようなものだ。
しかもそのアルフヘイムという予備校はアイドルみたいな講師ばかりを揃えているというかなり特殊な方針と独自のやる気向上メソッドで有名なのである。
「タスクくん、何を教えるの?」
「日本史」
ぐっ、となぎさは拳を固める。幸い、2年生から日本史を選択する予定だ。
「私、タスクくんの授業、とる。アルフヘイムに行くよ!」
脳内で鳴った鐘の音を本物の鐘の音にするために、なぎさは戦闘開始ののろしを上げたのだった。
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