第12話 幸せの湿原

 ヤマネの森を後にして、八島ヶ原湿原へ。


 件の小動物と同じくらい、今回のメインと言っていい場所だ。

「霧ヶ峰高原」といえば、通常、ここを指す。


 ここはヤマネの森のすぐそばにある、すぐに到着。


 気持ちいい、心地よい、美しい!

 草紅葉の広大な湿原に、無数のススキの穂が宝石のように、煌めいて揺れている。


 佑夏は、髪の白い貝殻に「一緒に見て」と言いたげに手をあてながら、

「ホントに綺麗、ホントに綺麗、ホントに綺麗!」と連発している。


 大学三年生の時に、男三人で、僕は群馬県の尾瀬湿原に行った。

 しかし、八島ヶ原湿原は、尾瀬よりずっと氣に入ってしまう。


 何より、道が平坦で、歩くのが楽である。


 そのせいか、小学生の子供がいる家族連れ、街デート感覚で軽装のカップル、ヨボヨボ歩きのお年寄りや、外国人の姿も多い。


 尾瀬は山あり谷ありで、疲労困憊してしまったものだった


 佑夏は、何だか子供の歌を口ずさみ、つられて水野さん、吉岡さん親子も歌いだして、見事にハモっている。

 すっごく、この美しい光景に似合う。


 本当の幸せとは、こういうことを言うんだな。


 そう言えば尾瀬では、本格的な登山装備に身を包んだ、本物の登山者ばかりだった。


 気軽に誰でも出かけられるのが、霧ヶ峰の大きな魅力だと思う。



 ちなみに、「八島ヶ原湿原」ではなく、「八島湿原」と書いてある看板がある。

 どっちが正式名称なのか、ちょっと分からない。


 ここでもアラン流に、東山さんが時々立ち止まりながら、説明してくれる。


 ”

 八島ヶ原湿原の広さは東京ドーム九個分で、誕生から12000年の歴史があります。


 ミズゴケの種類は18種類で、490倍も大きい北海道の釧路湿原と同じです。


 日本にある高層湿原の中では、最も南にあります。


 泥炭層が尾瀬よりも深く、学術的にも貴重です。”


 そして驚いた東山さんの解説は、

「最近、八島ヶ原湿原を舞台にした恋愛小説が出版されまして。

 出版社から”恋人の聖地”の一つに指定されたんです。」


 なんだって!?僕と佑夏じゃないか!!?


 その小説は、お互いが結ばれるハッピーエンドなんだろうか?

 ものすごく、氣になってしまう。


 僕達は小説通りになる運命なのか?


 僕の心配をよそに東山さん、

「尾瀬のように、湿原の真ん中に木道を通す計画があったんですが、我々が反対して止めました。」


 八島ヶ原湿原の木道は外周に設置されている。

 メンバー全員が、この方がいい、と頷く。


 この湿原は一周、90分くらいで歩いて回れる。

 時間的にも、楽なコースである。


 東京から来ている怪しげな参加者、山田さんを、僕は横目に見てみる。

 木道を真ん中に通したい推進派の回し者ではないか?と思ったからだ。


 しかし、山田さんでさえ、この湿原の美しさに、完全に心を奪われているように見えるのである。


 何しろ、湿原であるからして、八島ヶ原湿原には池も数多くある。


 そして、野鳥スポットでもあるのは、もちろんだ。

 大きなカメラなどの機材を背負ったバードウォッチャーの姿も多い。


「あ、鴨さんだ☆」


 後ろを歩いている佑夏の声が聞こえる。


 池には鴨の群れ、といっても、ほんの数羽程度の小さな群れが浮かんで泳いでいるのが見えて、

 先頭の東山さんが立ち止まると。


「あれ?こっちに来るで?」

 吉岡さん親子の言葉と共に、鴨達がこちらに向かって来る。

 そして、どんどん距離が縮まるのである。


 東山さんは、ひどく驚いて

「長年、霧ヶ峰で撮影してますが、こんなことは初めてです。

 普通は、人間の姿を見れば、鴨は逃げて行きます。」


 へぇ~!という反応。


 鴨の群れはさらに接近して陸地に上陸し、手を伸ばせば届きそうな所まで来ている。


 僕達はみんな、カメラやスマホを取り出し、夢中になって鴨の撮影に興じていたら、

 突如、先頭の鴨が「名探偵コロン」の声で喋り始めた!?


「人間の皆さん、こんにちは。


 僕は隊長のアッカです。


 あなた達がここに来るのを、ずっと待っていました。


 素晴らしい想い出を作って、これからも霧ヶ峰を大事にして下さい☆」


 まるで、鴨が本当に喋っているように、佑夏のこのセリフは鳥の動きにピッタリだった。


 全員がざわめき立って笑う。


 てゆうか、本当にそっくりだ!どこから、こんな声出してるんだ?


「佑夏ちゃん、コロンそのものだよ!」

 僕も大笑いしてしまっている。


「上手いじゃない、演劇やってたの?」

 水野さんが笑いながら、佑夏に聞く。


「い~え~、私は卓球部です。アハッ!」

 僕の姫君は、小学校から、中、高、大学までずっと卓球部である。


 卓球といえば、「暗い」、「オタク」、「ダサい」、「陰キャのやること」といったように、普通はあまりいいイメージで言われないスポーツである。


 だが、自分が小学生の時に、既に小学校の先生を志した佑夏は卓球を選んだ。


 将来、教職に就いた時、子供達を怪我無く安全に遊ばせるのに適しているから、という理由である。


 卓球は屋内競技で、天候は関係無い。


 接触プレイが無く、回転レシーブもあり得ず、ケガが少ない。


 狭いスペースでやれて、場所を選ばない。


 卓球のラケットは、テニスラケットや、野球のバット、グローブに比べてずっと安く、手軽にできる。


 そう考えてのことだ。


 世間一般の負のイメージでなく、実用性を第一に考えるあたり、

 どこまでも生徒本位で、全てに偏見の無い佑夏らしい選択に思える。


 今ここ霧ヶ峰で、鴨の隊長「アッカ」は、そんな彼女をじっと見つめている。


 アッカとは、北欧の児童文学「アルスのゆかいな旅」に登場する雁のリーダーの名前だ。


 確か、雌だったと思ったが、僕には佑夏の言うことが真実になる。


 明日の今ごろは、もう教員採用試験の結果は出ているけど。


 佑夏の前にいるアッカは、合格を彼女に告げていると思いたい。


 一日目の日程は終了。


 僕達は、宿泊先の宿に戻って来た。


 いやー、見事だなー。


 夕暮れの霧ヶ峰高原は、夕陽でススキの穂が煌めきを増し、さらに美しい色に染まっている。

 ススキは風に揺れ、サラサラと心地よい音を出している。


 もちろん、高原の夕焼けに輝く佑夏も、普段よりもっと綺麗だ。

 夕陽は彼女の優しい内面さえ、美しく照らし出しているように見える。


 白い貝殻の髪飾りは、黄金色の絶景にもピッタリのアクセント。


 東山さんは一旦、帰宅。

 夕食後、夜の部の座談会に再び来てくれることに。

 全員で感謝を込めて挨拶を。


 ディーン・フジオカ添乗員の説明が


「皆さん、お疲れ様でした。


 この後、入浴後、18時半から夕食です。

 それまでは自由時間です。


 夕食の後、また自由時間を取り、東山先生がいらっしゃってから、ラウンジで先生にお話をいただきます。


 明日は午前中、車山山頂に登り、昼食後、解散となります。

 よろしくお願いします。」


 あ~!楽しかった!


 一人で回っても良かったと思うが、同じ自然を愛する仲間達と一緒で、その何倍も楽しさが増えた氣がする。


 その上、佑夏がいるから、数億倍の幸福だ。


 今日一日の佑夏のことを思い出してみる。


 マイクロバスで、僕を置き去りにしようとした、熊への絶叫、笹舟大増殖、ヤマネの物真似、幽霊ごっこ、高原でハミング、名探偵コロンの物真似と、ここでも、いつものように彼女はみんなを笑わせ、幸せな気分にしてくれた。


 あぁ、佑夏ちゃん、本当にケニアに行ってしまうのか?

 あの男に渡したくない。


 首相と交渉できるものなら、「この素晴らしい人材を海外流出させるのは国家の損失」と主張して、

 佑夏の海外渡航を禁止して欲しいとさえ思う。


 ナイロビの子供達には申し訳ないが、彼女は僕達、自国人に譲って欲しい。


 そして、夜の部に突入。


 この宿は、大して大きい建物ではない。

 二階建てではあるが、客室も多くないし。


 それぞれに個室が割り当てられ、男は一人だけということで、僕だけ二階の部屋になる。


 他の客は一階の部屋になり、佑夏とは離れてしまう。

 吉岡さん親子のみ、二人部屋のようだった。


 早々に風呂に入り、部屋に戻って来ると、下の階からカリンバの音色が聞こえて来る。

 水野さんが弾いているのだろう。


 いつの間にか、シーンと夜の帳が下りて、虫の声のする高原に合うな~。


 今夜は風も無い、綺麗な月夜。


 東山さんの写真集を見ながら、僕はカリンバの音色に耳を傾けている。

 すごく、幸せを感じる時間。


 僕は、酒もタバコもやらない。

 森の静寂とカリンバの調べに集中することができる。


 と、トントンと誰かがドアをノックする音が。

「お~い!中原くん、いる~?」


「佑夏ちゃん?どうしたの?」


「外で星空が見たいの~!ボディーガードして~!」


 もう一人、酒もタバコもやらない姫が、僕を呼んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る