第4話  華麗なるデブ猫

 山梨県都・甲府駅で大きな乗客の出入りがあった後、あずさはいよいよ長野県に向かう。


 目的地、霧ヶ峰高原まで70キロを切った。


 動物写真家、東山大悟氏、作者本人のガイドで写真集の撮影場所を回る今回のツアー。


 今日を入れて、たった二日間の日程だが、貧乏学生の僕にはちょうどいい。


「王子様、どうしてるかな~。」


 ついに現れてきた日本アルプスの山々に、うっとりした視線を送りながら、佑夏が呟く。


「母さんがみてる。アイツはいつだって、元気だよ。」


 王子様。


 時々、あの怪物(そう言って差し支えないと思う。)を佑夏はそう呼ぶ。


 出発前、僕はその化け物と口論してきた。


 そもそも、佑夏と知り合えたのは、彼女が保護したその存在を、僕の家で預かることになったからだ。


 この人の実家は山の温泉街にあり、ニジマスの養殖をやっている。


 実家には、既に犬も猫も限界MAXで、これ以上、増やすことはできない。


 かといって、現在の佑夏はアパート暮らしでペット不可。


「中原なら、何とかしてくれる。」


 途方に暮れていた彼女を、僕達の共通の友達が仲介し、怪猫「ぽん太」は僕の家にやって来た。


 自分で言うのも何だが、生き物に優しい僕は、保護団体と協力して、行き場の無い犬猫の世話などもしている。


 現在、犬一頭、猫二匹が我が家で暮らしていて。


 その内の一匹が、このモンスター、ぽん太だ。


 今、あずさの車内で、佑夏がおごってくれた車内売りの「信玄餅アイス」を二人で食べつつ、僕は置いて来た犬猫達のことを思い出す。


 留守中は、母が世話をしてくれている。


 しかし、信玄餅アイスは美味い。


 東北地方だと10月はもう、アイスのシーズンは終わりだが、関東はまだ全然いける。


 アイスを食べながら、日本アルプスの風景を観賞し、その上で楽しむ佑夏との会話は、また格別だ。


「中原くん、ゴメンね~。ぽん太をずっと押し付けて。」


「いや、氣にしないでよ。何度も言ってるじゃないか、俺は前より助かってるんだ。」


「ありがと。あの子、あんなにカワイイから、私なんかといるより、中原くんも嬉しーよね?」


 カワイイ。


 これが、終始一貫した、彼女のぽん太評である。


 状況を整理しようと思う。


 まず、佑夏は芸能界でも、十分やっていけそうな美女だ。


 教師なんかにしてしまうのは、ハッキリ言って、もったいない。


 この子が街を歩けば、男はもちろん、女性でさえ、ふり返って佑夏を見る。


 事実、高校時代、「同性から」愛の告白をされたことが何度もある、と言ってこの人は大笑いしていた。


 本人曰く、「私のどこがいいのか、分からない」そうだが、自分の美形ぶりを全く理解できないあたりが、彼女の美的感覚の異常性を物語っている。


 そして、認めたくはないが、このケースでは、本人が美形である分、他者への美的感覚および、異性の好みが逆転しているとしか、説明がつかない。


 何しろ、容姿的には見るべきものの無い、この僕ともう三年以上も交流(交際ではない)を続け、誰もが悲鳴を上げるブサイクな猫、あの、ぽん太を「カワイイ」と言って溺愛してやまないのだから。


 本当に認めたくないが、ブサイクが好みだから、僕と今、一緒に特急に乗ってくれているのか?佑夏ちゃん?


 ぽん太は、猫離れした巨大な体躯を持つ、もちろん、雄の猫。


 年齢は不明。


「一体どこを見てるんだ?」というくらいの、極端なヨリ目。

 ヨリ目の猫が存在すること自体、驚きだ。


 狸、それもリアル狸でなく、マンガに出てくる狸に酷似していることから、僕が出会った時、既に佑夏によって「ぽん太」と名付けられていた。


 元野良猫の分際で、丸々と太っている。


 佑夏は、しばらくの間、アパートの部屋で、ぽん太をケージ飼いして、好きなだけ、食べさせていたのだ。


 当初、僕は、彼女も、ぽん太を僕に押し付けたら、それで終わりだろうと思っていたけど。


 今まで、僕の元に犬や猫を持ち込んで来た人達は、みんなそうだったから。


 だが、違った。


 佑夏は、本当に優しい心の持ち主だった。


 大学一年の梅雨の時期から、今までずっと、この人は、ぽん太の世話をしに、僕の家に通い続けてくれている。

 それも毎週のように。


 掃除も完璧にしていってくれるから、ぽん太が来る前より、かえって部屋が綺麗になってしまった。


 あずさは山梨県を抜けようか、というところまで、来ている。


 車内では、あの五歳くらいの女の子がまだ乗っていて、両親の膝の上ではしゃいでいる。


 従妹の苺奈子もなこちゃんと同じくらいだな。


 苺奈子ちゃんは、僕の家で預かることが多い。


 母親である僕の伯母に持病があり、通院を続けているからだ。


 佑夏と苺奈子ちゃんは何度も顔を合わせ、あの子は佑夏にすっかり懐いている。


「二人きりで旅行」、「従妹の女の子が懐いている」。


 こう言うと、僕と佑夏は、ただならぬ関係のようだ。


 しかし、彼女とはキスどころか、手を握ったことすらない。

 つまり、恋人同士ではない。


 それをいいことに、出発前、ぽん太は言いたい放題。


 それでつい、怪物だの、モンスターだの、キツメの紹介となってしまった。


 猫が言いたい放題?


 怪訝に思われるだろう。


 しかし、このところ、ぽん太はその思念を僕の頭の中に、直接送ってくるのである。


 そこで、僕も言葉を使わず、思念をぽん太に返す。


 なんと、会話が成立してしまう。


 最初は、僕は自分で考えてることを、自ら脳内再生してるだけだと思っていた。


 ところが、それにしては、あまりに、ぽん太の以心伝心が生々しい。

 ほとんど、肉声と言っていいくらいだ。


 僕が家を出る前に、妖怪・ぽん太と交わした会話は次のようなものである。


 秋の花、紫色の萩の咲く庭をバックに、ぽん太はヨリ目で僕を見つめ、含み笑いさえ浮かべてのたまう。

(だからよ。佑夏のことは諦めろ。もう、お前の出る幕じゃねぇよ。)


 なんだと?!このスーパーデブが!

(二人だけで旅行に行くのにか?)


 ふふん、とぽん太は笑う

(どこまでも能天気な奴だ。ジンスケ、長野まで何で佑夏がついて行くか、考えたことあるのか?)


(写真集の表紙見て、大喜びしてたぞ。)


 ぽん太は「こりゃダメだ。」と言いたげに、尻尾を右に左に振る。

(佑夏は今、大変なんだろ?)


(ああ、卒論もあるし、卒業間際でスゲー忙しい。

 そんな時に、大事な合格発表の日に、わざわざ霧ヶ峰まで、俺と一緒に来てくれるんだ。)


(だから何だ?)


(佑夏ちゃんだって·········、俺を特別に想ってくれてんだろ?)


 ぽん太は一つ、大きく伸びをする。

(あめーな。お別れを言う為かも知れねえぜ。試験に落ちりゃ、佑夏はアフリカに行っちまうんだよ。)


(!!)


 ぽん太、鋭いことを言う。


 確かに、教員採用試験に不合格なら、佑夏はケニアに渡る可能性が極めて高い。


 まさか、二次試験の手応えが良くなくて?

 彼女は僕に別離を告げる為に、この多忙な時期に、遠い長野まで来てくれるのか?


 あの男の元に行くと決めて、僕には最後のサービスを?


 だが、心優しいあの子なら、そこまでやってもおかしくはない。


 理想の女性、白沢佑夏に、まだ想いさえ告げていないのに、僕はここで終わるのか?


 ちなみに、「別れ」というと、付き合っていて関係解消するようだ。


 彼女とは、そういう仲ではない。


 この場合、「別離」だろう。


 ぽん太は、喉をゴロゴロ鳴らしている。

 猫飼いなら分かるが、これは猫の機嫌のいい時のサインだ。


 人を散々、不安にさせて、アランか?こやつは?


(ジンスケ、あんなモテ要素が服着てる奴に、お前がかなうかって。勝ち目ねぇな。)


(佑夏ちゃんは、教育大生だ。サーフィンより、合氣道だ!)


(何で教育大だとアイキドウなんだ?お前はバカか?)


(俺だって、教員免許を取ったぞ。)


 中学社会。

 佑夏の影響で、僕も教育実習に行った。


 昔流行ったヤンキー教師のマンガを読んでからだったが、おもしろくて、止まらなくなった。


(佑夏について行くつもりか?アフリカで日本の社会教えて何になるんだっつーの。せめて、理科、数学、英語でなきゃ役に立たねえよ。)


 ぽん太は、大あくびをして続ける。

(あの男は一流の大学出てる。何ヵ国語できるんだっけな?おまけに音楽まで教えられるんだ。お前の負けだ、終わったな、ジンスケ。 )


 うぐっ!

 ぽん太の言う通り、あれ以上、魅力のある男は、世界中探しても、そう多くはないだろう。


 あの男の前では、さすがの佑夏も、完全に「目がハート」になってしまう。


 うちひしがれる僕に、さらに、ぽん太は容赦ない。

(まあ、そうガッカリするなよ。オレが言うのもなんだか、お前は悪くねぇぜ。見た目も並よりゃずっといいしな。性格も優しくて、アイキドウが上手え。)


 僕はやっと口を利くことができた。

(ぽん太に誉められても、嬉しくないよ。)


 にゃ~ん、と一声鳴いた後、ぽん太はなおも追い討ちを止めない。

(ニャハハハハ!そう言うなって。ジンスケの身のこなし見りゃ分かる。

 お前はアイキドウの達人だ。優しくて強えお前は、女にしてみりゃ、最高のボディーガードだぜ。)


 ん?立ったままの足元に、柔らかい感触を感じる。


 見てみると、もう一匹の猫。

 三毛猫の「楓」が、心配そうに僕を見上げている。


「楓、ありがとう。」


 僕は、楓を抱き上げて、頭を撫でる。

 楓は、ぽん太とは正反対の優等生、美少女猫だ。


(おい、ジンスケ。まだオレの話は終わってねぇぜ。お前なら、すぐ他の女が見つかるって。それこそ、お前の好きな馬で見つけりゃいいじゃねぇか?馬に乗る奴ぁ、女の方が多いんだろ?)


 乗馬人口の七割は女性。


(俺はまだ、佑夏ちゃんに想いも伝えていない。)


 僕の中で、彼女への特別な想いが生まれて久しい。


 しかし、教員採用試験に全力投球しているあの子に、余計な負担はかけたくない。


 自分の気持ちを告白するのは、せめて合格発表の後にしようとずっと思っている。


 それも、いよいよ明日だ。


(どうして、佑夏じゃなきゃダメなんだ?あの、アイキドウの女だっているじゃねぇか?)


鈴村すずむらさんのことか?あの子は俺の生徒だ。手を出すつもりはない)


(へっ!カッコつけやがって。そうだよ、その鈴村千尋すずむらちひろのことだ。千尋でいいじゃねぇか。大学も同じなんだろ?)


 抗議するように、楓が低い唸り声を上げるが、ぽん太は無視して

(大学も、学部も学科もみんな同じ、トドメに趣味まで同じアイキドウときてる。話も合うんだろ?言うことねぇじゃねぇか。それともジンスケ、千尋は嫌なのか?)


(嫌だなんて、言ってないだろ。)


(決まりだな!千尋だよ!いいか、ジンスケ、仮に佑夏が試験に合格したとしてもだ。

 先生は先生とケッコンすると決まってるもんだよ。

 お前とは住む世界が違う。

 人間、自分と同じような奴と一緒になるのが一番だって!)


(ぽん太!お前なー!佑夏ちゃんの前で、俺が鈴村さんの話したら、俺の顔、思いっきり引っ掻いたろうが!忘れたとは言わせんぞ!)

 僕は頬に手をあて、ぽん太に引っ掻れた辺りを触ってみた。

 あれは、マジで痛かった。


(そいつは、まだ佑夏がアフリカに行ってくる前の話だ。もう、ジンスケはお役ごめんだ。

❨お前はすでに死んでいる❩んだよ。)


(オヤジギャグぬかすなー!)


 だが、まだ言う、ぽん太

(この期に及んで、それでも、アイツと張り合うつもりか?やめとけ、勝目ねえって。もしかして、本気でアフリカまで、佑夏について行こうってのか?アイキドウで外国、行けんだろ?あれ、なんつった?)


(青年海外協力隊。)


(それで、アフリカに行くのか?)


(さあな。)

 実は、ぽん太に言われるまでもなく、青年海外協力隊の合氣道部門で、ケニア赴任の募集について、僕は時々、調べている。


(オレは千尋にゃ会ったことないがな、千尋に会った後の佑夏の顔と「妖力」で分かる。あの女はいいぜ。佑夏より聡明だ。)


(多分、鈴村さんは、佑夏ほど、お前みたいな野良猫風情に優しくはないぞ。)


(オレは、このまま、ここでジンスケのおふくろさんに世話になるよ。千尋と幸せにな。たまにゃ、顔見せに来てくれよ。)


 こ·······の!

(俺と佑夏ちゃんだって、似たようなところはあるぞ。だから、もう三年半もずっと仲がいいんだ。)


(服の趣味、飯の好みが似てる。オレ達、動物に優しい、酒もタバコもやらねえ、、お前達はどっちもそうだな。

 まてよ、酒タバコは千尋もやらねえだろ?

 まあ、いいさ。

 せいぜい、キリガミネで、合格発表の後、佑夏に告って玉砕してくるこった。健闘を祈るぜ!)


(祈ってないだろ!?このデブ!)


 ニャハハハハハハハ!




「中原くん!中原くん!起きて!、中原くん!」


「え?」


「どーしたの?汗びっしょりよ。すごくうなされてた。」


「佑夏·········ちゃん?」


 あずさの車内。五歳の女の子の笑い声が聞こえる。


 夢·········?


「ゴメンなさい。起こしたら悪いと思ったんだけど、あんまりうなされてたから。♠」


「佑夏ちゃん。俺、どのくらい眠ってた?」


「う~ん。ほんの5分くらいかな?」


 5分?とてつもなく長い時間に感じられた。


「ねえ、見て見て!さっき、長野に入ったのよ☆」


「あ、ホントだ。」


 あずさは、山梨県、甲斐路を抜け、ついに目的地である長野県、信濃路に入っている。


 ぽん太め!いいところを邪魔しおって!


 本州の三分の一もの距離から、思念を送って僕を眠らせ、出発前のあの口論を再び見せたのか?


 本当に恐ろしい妖猫だ。


 僕は何で、あんなのと一緒に暮らしているのだろう?




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