兎の担架兵(4)

 兎獣人は四足で駆けるように姿勢を前傾へ倒す。それに伴って体に装着しているフレームによって体側に固定されているストックが、外装義手に導かれて地面に対する角度を浅くした。

 それを見て気づく。塹壕から飛び上るまでは持ち主の頭上を越えて長々と持たれていたそれは。


「内側へ縮小している?」


 シリンダの様に下部が上部の内側へと入り込んで短くなっている。そしてその先端は、のように円と支柱を備えた構造になっていて、泥に沈み込む事無く接地していた。

 そして変化がある機構はそれだけではない。

 脚部。

 獣脚の外面に合わせて存在するリンク機構の中ほどにホイール状の装置があり、それはスキーの最後尾にある棒状の機械に力を伝達させるフレームワークを形成していた。その形には見覚えがある。


「リニアアクチュエータだと」


 回転動力を縦方向の線系動力に変換する機構だ。つまり、スキー最後部にある棒状の機械は伸縮する。それは今、ガイドフレームの中にロッドが根元まで納まっていた。そしてそのリニア駆動部が地面に接する部分には、スパイクを付け地面に食い込む半月型の部品がある。それは自走砲が装備する、莫大な反動を抑制して地面に固定する駐鋤ちゅうじょに似ていた。

 それらの機構を認識したとき、音が響いた。戦場ではしばしば聞く、大口径砲の反動で固定脚が破断する寸前に鳴る、限界まで力を受け止めた鋼が響かせる音。

 獣人の巨体の自重に三人分の体重が加わった重力エネルギーを蓄えたストックと、獣人の脚力を受容した脚部の円盤型装置から、最大までエネルギーを蓄えた知らせである鋼の軋り声が漏れている。

 そして次の瞬間、その力は解放された。

 ストックと脚部のリニアアクチュエータが、同時に地面へエネルギーを打ち出す、その莫大なエネルギーの反作用は兎獣人とその積み荷を一瞬で加速させた。

 強力な加速度が肉体を襲う。


「――!!」


 速い。

 はやい。

 はやい。

 その走りはストックを地に打つ度、交互に足が後ろへ蹴り出される度、ますます速度を上げていく。車輪や無限軌道をぬかるみに沈める泥濘地を、飛翔するがごとく猛烈なスピードで駆け抜ける。


(これが……兎獣人の担架兵)


 中央の担架、彼の背に乗っている自分は驚愕と共に、その圧倒的な加速からくる慣性と風圧で上体を後ろへ煽られている。顔の肉が後頭部へ引っ張られ、内臓が背側へ押し付けられる感触がした。

 今までこの戦場で搭乗したどんな車両よりも速い速度だった。

 掴んでいた担架のベルトも、掴んでいる腕も伸び切り、精一杯握力を振り絞って振り落とされないようにする。すると、加速に突き上げられていた内臓がふと弛んだ。加速が終わり、速度が一定になったのだ。その隙を見て腕を全力で曲げて担架に全身でしがみ付く。

 安堵の息を吐いき、ようやく周囲を確認することが出来るようになった。


「これは、なんという……」


 言葉にならない。枯れ木が細々と立つ平野では自分の速度は感じにくい。しかしこれまでの戦闘で目印として地図に書き込んだ僅かな丘陵や窪地、まれに現れる朽ちた森林群が、瞬く間に通り過ぎていく。


「時速40キロ、いや、50キロは出てるぞ……!」


 機甲部隊や歩兵部隊の機動力を徹底的にそぎ落としていた泥濘地を、こんなにも速く移動することに賞賛を超えて畏怖を感じた。


「無駄口を叩くなと言ったはずだ」


 その畏怖の対象が注意を発してきた。


「す、すまない。ここに来れただけで凄いことだとは思ってたが、負傷者を乗せてなおこの速度で走れるとは。マリア、凄まじいな、あんた」

「この程度が出来ずして科学力が支配する現代の戦場に、今さら獣人の居場所があるものか」


 確かに獣人、亜人の牙や爪が猛威を振るっていた、中世の槍と弓の時代が終わり、先鋭的な火器や機甲兵器が陸上戦の主体となってから、ただ強靭な肉体を持つだけの彼らは戦場の主力からいなくなった。現代で彼らが戦場にいるのは、特殊な装備を使い、通常ではない任務にあたる場合だけである。逆に言えば現代的な装備が使えれば獣人や亜人でも軍人としての仕事ができる訳であるが、そうであってもこれほどの機動力を発揮できるものがこの世に二人といるであろうか。

 身に纏う装備と言い、本人の身体能力と言い、この兎獣人の担架兵は明らかに特別であった。


「いや、とにかく助かった。これならば敵部隊に追い付かれる心配も無い。ありが――」

「まだ任務中だ。避難先に着くまで礼はしまっておけ。それに……」


 彼は言葉の途中で右ストックを斜めに突き立て、スキー板の向きを左へ変え、進路を急転換させた。


「うおっ、どうしたんだ一体」

 彼は答えない。そして数秒の間がひらいてそれが来た。



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