第15話

 凛之助と坂口が話をしていたのと、同じ時分。


『幸子~、遊びに来たのじゃ~!』


「あら、戌子さん。いらっしゃいませ」


 戌子と幸子のほうでも似た会話が二人の間に起こっていた。


『のーのー、幸子。幸子は、凛之助のことをどう思っているのじゃ?』


「どう、とは?」


 荷解きをしている狩ヶ瀬を他所にして、戌子が幸子へ話を切り出す。


『ほれ、わしってばちょ~かわいいうえにちょ~優秀な凛之助のお嫁さんじゃろ? じゃから、もし幸子が凛之助のことを好きなら諦めたほうがよかろうって云いに来たのじゃ』


「まあ! ふ、ふふっ。なんですかそれ」


『笑うとは何事じゃ! これでもわしな、おぬしのことを心配していっとるんじゃぞ!』


「ふふふっ。はい、お気遣いありがとうございます。でも、心配しなくてもそんなことは思っていませんよ」 


 空中でかわいらしくふんぞり返る姿と、まるで唯我独尊な云い方をする戌子がおかしくて吹き出した幸子には本当に凛之助に対する恋慕の情なんてなかった。今は、まだ。


『凛之助のこと、好きじゃないのじゃ?』


「いえ、嫌いではありませんよ。ただ……似てると思って」


『……?」


「まるで、自分はそうあるべきなんだと型に嵌めて、その生き方しかできない。誰かに示されたひとつの道、それだけを信じてひたすらに歩んでいる。そんな不器用な人……」


 思い出されるのは、襲撃の夜に彼が見せたかすかな眉の動きだ。今思えばそれは、恐怖で震える姿を哀れと慮り、けれどそれを顔や口に出すのを躊躇った末に漏れた感情の発露なんだと幸子には感じられた。

 感情を見せたくない、弱みを見せたくない人間の仕草はよくわかる。自分がそうだから。言葉家の女として恥ずかしくないように立派に振舞い続けなければならないと、他者に心を見せず、開かずに過ごしてきたから、似た気配の人間はどうしてもわかってしまうのだ。


『まあ、確かに凛之助は不器用じゃからのぉ。人付き合いも苦手で友達もおらんし、怪異を倒すことばっかり考えてるのじゃ』


「……そうなんですね」


 帝都守護任陰陽師の役職に囚われて……いや、そもそも陰陽師というひとつの道だけに囚われて、本来ならばもっと違う生き方ができるはずなのに、誰かから示された道を辿ることしかできない哀れな人。赤城凛之助とはそういう人物だと、幸子は感じた。

 自分と同じだ、と思った。自分と同じ、籠の中にいる鳥そのものだと思った。他から望まれて籠にはいっているか、自ら望んで籠にはいっているかの違いはあれど、周りから望まれたように振る舞おうとする彼の姿は、確かに自身の境遇と重なるところがあった。身勝手な認識だと自重しつつも、心の底では彼に同族意識を抱いてしまった。


『うむ。じゃからの、凛之助とは仲良くしてやってほしいのじゃ。とっつきにくい奴とは思うが、根はとってもいい子なんじゃ。じゃから、頼む』


「戌子様……わかりました。私でよければ、赤城様と仲良くさせていただきたいと思います。……お恥ずかしながら、私も気の置ける友人がおらず……この機会に、お友達になれたら嬉しいです」


『おお、ありがとうなのじゃ! いやぁ、これでわしも安心じゃ、ワハハ!』


「それにしても、戌子様は本当に凛之助さんのことが好きなんですね」


『うむ! なにせ正妻じゃからな!』


「ふふっ、いつか三人で一緒に、お出かけできたら良いですね」


『おお~! 良いことじゃ、良いことじゃ! いつかみんなで、いっぱい食べていっぱい遊ぶのじゃ!』


「はい! 狩ヶ瀬、いいでしょう?」


「おふたりの御心のままに」


 手を止めた狩ヶ瀬が恭しく礼をする。令嬢が年頃の少年と仲を深めるのは外聞が悪いところだが、幸子に限ってその心配はないだろうと判断しているらしかった。


「では、これからよろしくお願いしますね。戌子”さん”」


『よろしく頼むのじゃ! フフーン! これで凛之助ももうぼっちじゃないの! きっとわしに感謝して、いっぱい毛づくろいしてくれるに違いないのじゃ!』


 にこりと頷いた幸子に、戌子が両手をめいっぱい広げて喜びを露わにする。女子ふたりの密やかな、微笑ましい光景。


「失礼、少々よろしいでしょうか」


 と、ここで扉を四度叩く音が部屋に響いた。


「はい、なんでしょう」


 扉に近寄った狩ヶ瀬を手で制して幸子が扉を開けると、変わらずの無表情で見下ろす凛之助がいた。


『おお、凛之助! なんじゃなんじゃ、どうしたのじゃ?』


「……提案、というほどでもありませんが。外出をされてはどうでしょう」


 坂口に促されてきたは良いものの、どうもうまい言葉が思い浮かばなかった凛之助は、戌子をちらと見てから云いにくそうに口を開く。


「自分が傍にいることに慣れていただくためにも、実際に外出して周辺の地理の把握などに努めることが必要と愚考します。ゆえに、外出の提案です。どうしますか。どこか行きたいところがあるのでしたら、そちらを優先いたしますが」


「……行きたい、ところ……ですか」


 急に云われた幸子は、困った顔を浮かべてしまう。

 外出なんてしかとこがないから、どう答えたら良いのかわからなかった。幸子は家から出る機会が滅多にない箱入りであった。元々が大きな家に住んでいたため、欲しい物があればすぐに入れられたし、そも習い事が多くて遊びたくとも遊べない環境に置かれていた。幼少の頃に誘拐にあったこともあってか、外出なんて家の用事以外でしようと思ったことがなかった。

 とはいえ。戌子と話をした手前、誘いを断る選択肢はない。幸子だって凛之助と仲良くなりたいし、これを機に外の世界を見てみたい気持ちはある。この機会をみすみす逃すことはしたくはなかった。


「それとも、今日はお休みになられますか」


「い、いえ! ただ、急に外出と云われても、どこへ行ったら良いのか……」


 結局、考えてはみたが生粋世間知らずな幸子はどこへ行けばいいのか、どこへ行けるのかもわからず、自分が行きたいところなんて見当もつかなかった。


「そうですか」


 ふむと凛之助は顎に手を当てる。

 彼としては無理強いをするつもりはないが、周辺地理や危険な場所を覚えてもらうためにも、幸子には積極的に外出して欲しいのが本音だ。目的もなくフラフラと散歩するだけでも十分なのだが、このお嬢様にはそんな器用なことはできなさそうである。


(そうだな……庶民の味を知らなそうだし、食べ歩きでもしてみれば喜びそうだ)


 ちょっと考えた凛之助は、自身の好みを基準にして幸子へこんな提案した。


「わかりました。では、食べ歩きをしましょう」


「食べ歩き、ですか?」


 そうですと瞬きをした凛之助は、一瞬だけどこか遠くを見つめるような眼をして幸子に語る。


「これから新しい環境に身を置くのです、自身では正常に思っても浮足立っている部分はございましょう。ですから、落ち着かせるためにも美味しいものを食べて英気を養うのです。食べることは生きること、腹が減っては戦ができぬとも云いますから」


 さきほどの団子の山で削がれていた食欲を思い出して、幸子は腹の虫が控えめにくぅっと鳴いたのを自覚した。そういえば昼食を食べていなかった。


「満足させてくださいね?」


 面白そうな提案に、幸子が冗談ぽく笑顔で問いかける。「あれほど食べたのにまだ食べる気ですか?」と云いかけたのは内緒だ。


「自分が贔屓にしている店を、余すところなく紹介いたしましょう」


 相変わらずの無表情ながら、自信ありと云わんばかりに凛之助は答えた。提案した時点ですでに行く店を決めている、案内に迷うはずもない。


「満腹で動けなくなるまで食べないでください、幸子お嬢様」


「ぜ、善処します」


 狩ヶ瀬の言葉に、幸子は曖昧な笑みで返した。

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