姉弟

天野 心月

一つ葉 初恋


「ねぇ、りょう! 私の靴下知らない?

 ないんだけど!」


 俺の朝はいきなりドアを思いっきり開けられる。

 寝てようが、お構いなしに来て、何かなくなったけど知らないか? と問いかけることから始まる。


 毎日なんでそんな物がなくなるのが不思議だ。


「そんなん知らないし」


「えー! どこー?」


 俺がそっけなく返すとすぐ部屋から出て、慌ただしく下へ降りていった。

 あのまま探し回れば間違いなくお母さんに怒られるだろう。


 そんなことを思ってると、俺の勘が当たり、お母さんの怒った声が家中に響いた。


さくら! 毎朝同じことして、整理整頓くらいちゃんとしなさい!」


「したんだよ、でも勝手になくなっちゃって!」


「物は勝手になくなりません。少しは弟の涼くんを見習ったら?」


 いや、姉が弟を見習うのは逆だろ。

 部屋の中でふたりの会話に耳を傾けながら思う。


 俺と桜は姉弟である。

 桜は今年から高3で、俺はふたつ年下の弟だ。

 でも、ほんとは親同士の再婚で姉弟になったため血の繋がりはない他人。



 俺は弟になんかなりたくなかった。


 だって俺はひとりの人として桜のことが好きだ。

 俺にとって桜は初恋の人だった。

 この想いはまだ決して言えないけど、いつかは伝えたい。


 義理の姉弟は法律上結婚だってできる。

 でも、それはあくまで不可能ではないということで可能というのは少し違う気がする。





「先行くね?」


 身支度を整えた桜が、また俺の部屋に入ってきた。


「わかった」


 返事をして桜に行ってらっしゃいと手を振る。

 

 いつも俺の方が少し遅く家を出る。

 通ってる高校は同じだけど、姉弟だからって一緒に行くわけではない。

 


 時計を見てみるともう8時を指していた。

 早く準備しなければ隣の家に住んでいる同級生であり、親友の春樹はるきが迎えに来てしまう。


 中学とあまり変わらない制服を身にまとい、最近おろしたばかりの新しいスニーカーを履く。

 そして「行ってきます!」と声をかけて家を出た。


 玄関を開けると、すぐそこに春樹の姿が見えてすかさず声をかける。


「おはよ。いつも思うけど早いな」


 春樹が遅れたことはいままで一度もない。

 雨の日も傘をさして玄関の先で待っている。

 チャイムを鳴らしてくれれば家の中にいれるのに。


「約束の10分前から待つのが俺のモットーだから」


 得意げに言う。


 でも、俺はそれが理由だけじゃないのを知っている。

 俺の10分前ぐらいに桜は家を出てるからちょうどあって声をかけれるのだろう。


「そんなこと言って、桜にあいたいだけだろ?」


 からかうような口調で言うと、春樹はすごい慌てぶりを見せる。


「ち、ちがうから!」


 必死で否定されてもな。

 こういうわかりやすいとこも春樹のいいとこなんだろうけど。


 春樹は桜のことが好きだ。

 いつからかは詳しく知らないけど、気づいたら好きになってたらしい。

 俺はちょっと、いやかなり複雑な気持ちだ。





「では、この前の小テスト返します!」


 担任の先生の一言で教室中の空気が変わる。



「涼、テストどーだった?」


 春樹はテストを返されるとすぐ俺のところに来る。

 にこにこしてるから、きっと点数は今回もよかったのだろう。

 春樹はたくさん努力してる。

 だから、いつも俺よりいい点数だ。


「……いつも通り」


 ほら、とテスト用紙を見せる。


「勉強しないでそれなら勉強してもっといい点数取ればいいのに!」


「俺は……これでいい」


 だって、頑張りたくないから。


 頑張ったら頑張った分だけ報われればいいのに。

 そんな世界だったら、俺は何もかも頑張るだろう。

 でも、この世界はそんな甘くない。


 努力しても報われないことだってある。


 そんなの辛いだけじゃん。

 だから、俺は頑張らない。

 勉強も運動も。それに恋だって。



「……俺は頑張ったことに意味があると思う。だから、桜ちゃんのことも頑張る!」


 まっすぐな瞳でこちらを捉える。


 そんなこと言える春樹は時々ちょっと眩しい。

 そして、ちょっと羨ましいのかもしれない。




 朝、いや、もう昼過ぎだ。

 休日だったからよかったけど、平日なら間違いなく遅刻していた。

 そう思いながら、リビングへ行く。


 珍しくだれもいなくてシーンとしていた。



「今日はあの日だからふたりともいないよ!」


「わっ! いたの?」


 突然ソファーから顔を出した桜に驚く。


 そっか。今日はお母さんと父さんの結婚記念日。

 いつも記念日にはふたりでどこかへ出かけている。

 詳しくは知らないが、いつも桜が提案してるらしい。




「ねぇ、お昼ご飯まだー?」


 はやくはやく、と急かしてくる。


「えっ、俺が?」


「私が料理できないの知ってるでしょ!」


「そうでしたね」


 たしかにいつも俺が料理をしていた。

 どうやら頭の中はまだ眠ってるみたいで、冴えていない。


「なにその言い方!」


 軽くあしらうと、頬を膨らませて少し拗ねた顔をつくっていた。

 



 俺はキッチンへ行き、何を作ろうか考える。

 でも、その思考は桜の声によって遮られた。


「ねぇ、初めてあったときのこと覚えてる?」


 桜がイスに座ってこっちを窺う。


「……忘れるわけないじゃん」




 中学一年生のとき俺たちは初めて出会った。

 でも、意識的にあったわけじゃない。偶然だ。


 その日は、すごく雨が降っていた。


 走って帰るべきか、小雨になるまで待つか。

 そんな中、傘を差し出してくれたのは桜だった。


「あの、これよかったら使ってください」


 控えめな声と共にピンクの傘を差し出してくれた。

 でも、初対面の人に傘を借りるわけにもいかないよな、と戸惑う。


「え、でも……」


 それに、この人の傘がなくなってしまう。

 すると、考えが読めたのか後押しをしてきた。


「あ、私は折り畳みあるので大丈夫です」


「……じゃあ、ありがとうございます」


 せっかく親切にしてくれたのに断るわけにもいかず、ありがたく傘を受け取って家へ帰った。





【傘がないので持ってきてください】


 家でテレビを見ていると、父さんからメッセージがきた。


 親子そろって傘を持っていかなかったようだ。


 傘立てにはさっき貸してもらったピンクの傘。

 どこかでまたあえたら返さないと。

 


 駅に着くとその光景にひどく喫驚きっきょうした。

 まだあの子が駅にいたから。

 折り畳み傘あるんじゃなかったのか?

 少し遠くから見ていると彼女がだれかに手を振った。


「お母さん!」


「桜? どうしたの? 傘持たせたでしょ?」


「うん。どっかで忘れてきちゃって!」


「また? しょうがないな、一緒に帰ろ」


「うん!」


 会話が終わると、お母さんとふたりで仲良く傘を差しながら帰って行った。


 俺に気を遣わせないようにするために、折り畳み傘があるなんて嘘をついたんだ。

 なんて、優しい人だろうと思った。


 そのきっかけがあったからこそ桜のこと好きになったんだと思う。


 それからその人とすぐ家族になるなんてその頃の俺は思いもしなかった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る