黒いお姉ちゃん

ワカナさん

 失礼を承知の上で、あえてストレートに言わせてもらおう。


 ボクは匂いが大好きだ。

 だけど、匂いは匂いでも、が大嫌いだ。

 例えば、生ごみとか。人間で言うなら、老人特有の臭さとか。汚いだけで、何の魅力もない、嫌悪感しかない臭みが、大嫌いだ。


 一方で、ボクは美女の体臭が大好きである。

 洗剤と混ざり合った体臭は、性的興奮だけではなく、気持ちが落ち着くのだ。何なら、相手が美少女や美女であるならば、多少の臭みは許容できるし、その人の匂いという事でボクは受け入れることができる。


 ボクの家の向かいには、ワカナさんがいる。

 ワカナさんは、色黒の姉御って感じの美人さんだ。

 思えば、姿が何も変わっていない事に気づいた。


 太陽に当たると色黒の肌は、眩しく輝いていた。


 黒いキャラメル菓子の表面に、薄めた金泥きんでいを塗ったように日光が反射し、汗を流すと唇や鼻だけではなく、胸の輪郭や筋肉の溝まで強調され、それが幼い頃のボクには初めて女性を意識させる要因として、思い出に記録されていた。


 海外では、肌がどうのとか、本当にくだらないことを言っている。

 もちろん、向こうには向こうの事情があるのだろう。


 でも、ボクからすれば、真っ白も好きで、真っ黒も好きで、中間も好き。そのどれもが、違う魅力がある事に、歳を重ねるごとにどんどん分かってきたため、くだらないという言葉が出てきてしまう。


 さて。匂いの話に戻るが、ワカナさんは体臭が濃い。

 幼い頃に嗅いだ汗の臭いは、お世辞にも良い匂いとは言えない。

 だが、ボクは心から好きで仕方なかった。


「スぅぅぅぅ、……はぁぁぁ……。たまんねぇ……」


 薬物中毒者並みにガンギマリしていたボクは、布団の中でハイになっていた。隣には、ワカナさんが寝ている。

 ボクに腕枕をしていて、脇ががら空きだった。

 なので、ボクは思わず、脇の下に鼻を突っ込み、自然と目玉が上を向く。


「臭い?」


 背中に抱き着いたリツがひそひそと聞いてくる。

 昨日の夜、戻ってきたワカナさんと一緒にお風呂を入り、ボクらは三人で眠ることになった。


 あと、玄関の扉が破壊されていたので、鍵を閉める事ができなかった。


「いや、……スゥゥウ……おぉ……。キモチ……イィ……」

「えぇー、わたしも嗅いじゃお」


 他から見たら、何とも馬鹿らしい光景である。

 一人の女の脇を若い男女が代わる代わる嗅いでいるのだ。

 本当に滑稽こっけいだし、変態的な景色であることは間違いない。


「ボクぅ、ワカナさんの匂い好きでさ」

「んぇー……」


 リツはなぜか舌を出した。

 舌先を脇の下でプラプラさせると、「あぁ」と独りでに頷いている。


「あっは。犬くさ~い」

「犬って。そこまで酷くないよ」


 獣臭じゃないか。

 まあ、愛犬家とかからすれば、そういう臭みもまた可愛くて仕方ないんだろうけど。

 生憎、ボクは犬を飼っていない。


「こいつ。サチコさんに助けられてから、べったりだよ」

「へえ」


 そういえば、とボクは思い出す。

 二人は互いの顔を見た時に、何の感動や驚きもなかった。

 同時に発した「やっぱり」が気に掛かっていたボクは、リツに聞いてみる。


「え、二人とも知り合い?」

「知ってるだけ」

「い、いつから?」

「わたしが神社で犬とか猫を丸のみにしてる時から」

「……物騒なんだよなぁ。いや、蛇だから飲むんだろうけど。怖いよ」


 というか、神社ってどこのだろう。

 ボクの地元は神社が結構ある。

 たぶん、10か所くらいはある。

 家の近くにも、3つあるから、どこの神社かまでは分からない。


「人間襲ってるクマ二頭とやり合っててさ。こいつ、ボロボロだったのよ」

「クマぁ?」

「神社の裏には、山があってさ。ずっと山続きで、緑しかないから。ま、わたしは、どっちの気持ちも分かるんだけどね」

「どういうこと?」

「クマは本来下りてこないのよ。滅多にいない。どこもそうよ。でも、山に食べ物がなかったら、そりゃ来るでしょ」


 昨今、クマの出没がすごいとかで、話題になっていた。

 まさか蛇の視点から話を聞けるとは思わなかったが、妙に納得してしまった。


 だって、人間がもしもクマの立場なら、同じことをするだろう。

 家に食べ物がないから、スーパーに買いに行く。

 でも、スーパーで買い物をするな、とか言われたら他を彷徨うか、暴れるかだろう。


「あー……。そういう事だったんだ」


 良いか悪いかはともかくとして。

 原因の所を探ると、薄っすらと見えてくるものがあった。


「こいつも同じよ。バカだから、みたい」

「ば、バカって」

「人間の事好きだものねぇ」


 そう言われると、ボクは寂しい気持ちが込み上げてしまう。

 ワカナさんが人外なのは察したけど。

 人間って、そんなに良い生き物じゃないから、キツい目に遭ってきたんじゃないかな、と心が苦しくなった。


「リツは、食べようとしたの?」

「できるなら、そうしたかったけど。無理よ。食事抜いても、食べれない」

「どうして?」

の」


 寝ながら、ワカナさんの身長を推測する。

 たぶん、女性でありながら2mはある。

 骨とか筋肉も厚いし、相当だろう。


「へぇ……」


 聞き流した後に、「ん?」とボクは固まった。


「それ、犬じゃなくね? え、待って。犬じゃないよ」


 イヌ科ではあったはずだけど。

 正確には、

 狼は、狼なのだそうだ。


「さっすがに、mは飲めないわよ」

「うわぁ。人間の単位使ってくれてるから、ものすっごい分かりやすいぃ。でけぇ。すっげぇ」


 ワカナさんは、狼だった。

 人の姿にもなれる彼女は、人狼という奴だろう。

 しかも、本来の大きさが人間サイズより桁違いだった。

 そりゃ、クマを2頭も相手取る事ができたはずだ。


 むしろ、クマにとっても脅威だったろう。


「んー……」


 ワカナさんが起きる前にボクは再び脇の下に顔を埋めた。

 寝たふりを決めながら、ワカナさんに甘えている。


「うぅ、体いってぇ」


 舌打ちをして起き上がると、ワカナさんはこう言った。


「聞こえてたからな」


 これも、当然。

 狼は耳がメチャクチャ良いのである。

 リツは何も言わずに布団の中へ潜り込み、ワカナさんに外へ放り出されるのであった。

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