第三十話


 広い木製のテーブルの上に、慎ましやかな朝餉あさげが並んで香りを立てている。熱い味噌汁の湯気は顔にのぼりたち、だし巻き卵は製品の様に綺麗に形が整っていて、光り輝いた米は粒が立っていた。小鉢の中には大豆と昆布の煮物まである。フーリの料理の腕前が一級品だという事が、この見事な食卓の光景から既に伺い知れる様だった。急須に淹れた熱い玉露の宇治茶を先に一口すすり、皆で手を合わせて食べ始める。


「美味しい……一体なんなんですか、フーリさんの時折見せるそのギャップは。まだ色々と隠していそうですね」


「ギャップってなんだよ? どういう意味だ」


「当の本人が知覚してないならこっちで勝手に探すしか無さそうですね」


 するとそこで安城が、小鉢の中の大豆を華麗に掴んだその所作をツユに見せつけながら眉を上げてくる。


「最近豆を一粒ずつ摘める様になったんだ、見てくれジョウロちゃん、この安城廻の美しい箸の持ち方を。狸と違ってボクの方には品格があってイメージ通りだろう?」


「安城さんは逆にその一挙手一投足を重ねる度にイメージダウンしています」


 それで……とツユが本題に切り込もうとすると、いつの間にやら居住まいを正していた安城がトボトボと話し始める所だった。


「あの時ボクが、お塚に眠った狐の怪異を引き寄せてキミへと差し向けたのは、事実だ……」


 はい、と頷くツユの態度を認めてから安城は続けていった。


「でも本当に、あそこまでやるつもりは無かったんだ。キミを神隠しに遭わせるという状況を利用して、ボクはこの狸との交渉を試みようとしていたんだ」


 ――交渉? と繰り返してツユが戸惑っていると、ツユが神隠しに遭っているその間の事をメザメは説明し始めた。


『何者にも縛られるべきでは無いこのボクを縛り上げる、あのシライちゃん呪物を渡せ。そしてこの件からはもう手を引くと誓え……そんな所だったな安城?』


 箸を起き、正座をしながら安城は深く頷いていた。


「けれどそこで誤算が生じた。キミを人質にして交渉しようと試みているのに、そこのバカ狸が構わずにボクをぶん殴って来たんだ」


 痛そうに右の頬をさすった安城は非難めいた視線でフーリを見るが、彼は山盛りになった茶碗の米を口一杯に詰め込むのに夢中だった。


「だからキミの事を予想よりも長くあの時空に留めてしまった。するといつしか深い所にまで到ってしまって……それにあの神霊の力も予想以上に強まってしまって、恥ずかしながら、ボク一人の力ではどうする事も出来なくなってしまったんだ」


 ――本当にすまなかった。と安城は深く頭を下げる。

 少し考え込む様に視線を膝に落としたツユ。すると外野が騒ぎ始める。


「ごめんで済んだら警察はいらねぇんだよぉ! 清水寺からダイブする位の気概で頭を床に擦り付けやがれ!」


『ははァ。本当はこうする筈だったなどいくらでもうそぶける。この様なゲスに手解きなど必要ない。裸に剥いて人力車に括り付けて、世間様への見世物にしながら嵐山を引き摺り回してやればいい』


 恐ろしい提案に安城はブルブルと恐怖で震え始めていた。どうしてこの人達はこういう恐ろしい事を言うのだろうと思いながら、ツユは鼻から息を吐いて腕を組んだ。


「わかりました。許しますよ」


「マジかよジョウロちゃん!」


「何か事情があったとお見受けしますし……」


『過度なお人好しは身を滅ぼすぞ』


 非難轟々としたギャラリー。その中でツユを見上げた安城の瞳には、逆に戸惑いの色が見え隠れしていた。いっその事なら責め立てて貰った方が楽だった。そう言いたげにした瞳は依然とツユを見上げ続ける。


「あんな事をしたボクを、キミは許してくれるって言うのかい? キミをあと少しで殺してしまう所だったって言うのに?」


「事情は全て聞かせて貰いますからね」そうツユは付け足すのだった。


 残念そうに舌を突き出しながらテレビを気にし始めたフーリを横目に、ツユは安城への質問を続けた。


「安城さん、あの時言っていましたよね。――って。あれは一体どう言う意味で、どうして安城さんはこの一件から私に手を引かせようとしたんですか?」


 何を言いあぐねているのか、安城はしばし間を置いてから、熱いお茶を喉に流し込む様にした。


「実はこの安城廻にも、妹がいたんだ」

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