第5話 ベーコンエッグ



「ふぅ……」



 寝起きでネバついた口をゆすいでから一息つく。

 精神的には落ち着いたが、未だ鎮まらない下半身を忌々しく思う。

 普段であればすぐに落ち着くハズなのだが、今日は妙にたかぶったままだ。

 柏木は実は起きていたと言うし、もしかしたら俺が目覚める前にナニかしたのかもしれない。



「一応確認するが、俺が目覚める前にナニか余計なことをしなかっただろうな?」


「残念ながらしてませんよ。だって、私が起きたのもついさっきでしたから」


「……ちょっと待て、柏木はさっき寝たふりをしていたと言っていただろう」


「はい。途中まではしっかり意識がありました。でも、鏑木先輩が本当に何もせず寝ちゃって、そしたら私もいつの間にか寝ちゃってて……」



 ずっと起きていて寝不足になってないかと少し心配していたのだが、どうやらそれも杞憂だったようだ。



「でも、これって本当に凄いことなんですよ。さっきも言いましたけど、私って男の人と一緒にいるときは絶対に意識を失うことがなかったんです。それなのに3時間以上も寝ちゃって……、私もビックリしています」



 つまり、3時間程の間は本当に無防備だったということだ。

 もし俺が先に目覚めていたら、悪戯をする最大のチャンスだったのかもしれない。

 ……まあ、しないが。



「つまり鏑木先輩は、私と初めて一緒に寝た男性ってことになります」


「おい、その言い方は語弊があるから決して外で言うんじゃないぞ」


「はーい♪」



 恐らく俺をからかって言っているんだと思うが、念を押しておかないとどこで失言されるかわからない恐ろしさがある。

 もし柏木の取り巻きに聞かれれば集団暴行される可能性もあるし、沼田の耳に入れば間違いなく投げ飛ばされるだろう。

 嶋崎先輩や渡瀬に聞かれるのもマズイ気がする。



「柏木は今日、講義はあるのか?」


「一限目からありますね」


「じゃあ、家に帰る時間は――」


「ありません。私、結構遠くから通っているんで。だから鏑木先輩、シャワー借りてもいいですか?」


「それは構わないが、下着の替えはあるのか?」


「ありませんが、一日くらいなんとかなりますよ! ……あ、もしかして、欲しかったですか?」


「いらん」



 見た目に気を遣っている柏木だからこそ、そういうことに抵抗があると思っていたのだが、意外と図太いところもあるようだ。

 最後のは流石に冗談だろうが、もし俺が冗談でも欲しいなどと言ったら本気で渡してきそうな気がする。

 柏木相手に迂闊な発言は禁物と心掛けておこう。



「じゃあ、入ってきちゃいますね~」


「おい、ここで脱ごうとするんじゃない!」


「いや~ん」



 幸いウチは安アパートながら脱衣室があるので、脱ぎかけの柏木を押し込んでおく。

 もし脱衣室がなかったら、柏木は平気な顔をして全裸になっていたかもしれない。

 全くもって恐ろしいヤツである。

 ……こっちは、それなりにギリギリだったというのに。



「……朝食でも作るか」







 ◇





「うわ~! 朝ごはんができてる~!」



 シャワーから出てきて早々、匂いを嗅ぎつけた柏木がテーブルに駆け寄ってくる。

 その姿を見て俺は目を見張った。



「おい、なんて恰好をしている……」


「だって~、風呂上りに窮屈なの嫌じゃないですか~」


「……せめて下くらい穿け」



 柏木は、一応キャミソールを着ているものの、下は完全に下着だけの状態であった。

 早朝とはいえ、九月はまだまだ暑いので気持ちはわからなくはないのだが、流石に男の前でする恰好ではないだろう。

 これでは、わざわざ脱衣室で着替えさせた意味が無い。



「あれ? ムラムラきませんか?」



 柏木は俺の股間を見ながら不思議そうに首をかしげる。

 幸い俺の下半身は既に鎮まっており、テントは折り畳まれている状態だ。



「ムラムラくるから下を穿けと言っているんだ」


「っ!? 良かった~、鏑木先輩でもちゃんとそういうことに興味あるんですね♪」



 俺をからかって満足したのか、柏木は脱衣室に戻り何事もなかったかのようにスカートを穿いてくる。



「鏑木先輩って、料理できるんですね~」


「料理なんて言えるレベルのものじゃない、このくらい、誰でもできるだろう」



 俺が作ったのは目玉焼きとベーコンを焼いた、ベーコンエッグと呼ばれるものだ。

 油を敷いて卵とベーコンを炒めるだけなので、謙遜でもなんでもなく本当に誰でも作れる代物である。



「そう思うじゃないですか! でも実際それもできない人って結構いるんですよ? 本当、久しぶりにまともな朝食食べるな~」


「……」



 柏木が言うと妙な説得力があるのは、やはり過去に男の影がチラつくからだろうか。

 処女だと言い張っていたが、一体どんな経験をしてきたのか……



「そういえば、鏑木先輩は今日講義あるんですか?」


「ある」


「何限からですか?」


「……一限からだ」


「へ~、三年でも一限から講義あったりするんですか~って、あ、そういえば鏑木先輩、体育も履修してましたね。そんなに単位危ないんですか?」



 ウチの大学は一年のときは体育が必修だが、二年以降は選択制になっている。

 体を動かすのが好きでもない限りは履修することのない科目だが、履修するにしても普通は二年の頃に済ますものだ。

 わざわざ三年になってまで履修するのは、大抵の場合単位が足りないなどの理由がある学生だけである。



「……俺は二年の頃休みが多かったんでな」


「もしかして、意外と遊び人だったり?」


「……バイトに熱中し過ぎただけだ」



 実際、俺は二年のときバイトの比率を増やすため履修科目を制限していた。

 ……まあ、ここまで単位が足らなくなったのは完全に計算外だったが。



「ふ~ん……。でも、そのお陰で一緒に学校に行けるんだから、私としては役得ですね♪」


「ちょっと待て、俺は一緒に行くなんて言ってないぞ」


「えぇっ!? なんでですか!?」



 柏木の中では俺と一緒に大学に行くことが確定事項だったらしく、心底驚いたような反応をする。



「当たり前だろう。柏木と一緒に登校なんかしたら、誰に何を言われるかわからん」



 というか、何をされるかわからん。

 最悪、呼び出されてリンチにあう可能性すらあり得る。



「いいじゃないですか~! 学園のミスコン一位を独り占めして登校できるんですよ!? きっとみんな羨ましがります!」


「それが嫌なんだ。わかれ」



 好んで羨望の的になりたがる者もいるが、俺は御免だ。

 人はときに嫉妬で殺人まで犯すこともあるので、そんなリスクは絶対に負いたくない。



「そう言わずに~、駅前まででもいいですから~」


「……とりあえず、俺もシャワーを浴びてくる」


「あ、それじゃあその間にメイクしちゃおっと♪」


「……」



 返事を保留にしたつもりだが、今ので柏木の中では一緒に行くことが確定したらしい。

 最早何も言う気になれず、俺は無言で脱衣室に向かった。



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