第22話 元服

 鵜丸とは、崇徳院の曽祖父・白河法皇以来秘蔵されてきた宝剣である。

 かつて法皇が大内裏の南にあたる神泉苑にて宴を催された時、鵜飼を御覧になった。

 すると、特に優れているという鵜が何かを咥えては落とし、ついには咥え上がったのを見ると一振りの短刀であった。

 法皇は不思議に思われ、「これは霊剣である。天下の至宝に違いない」として「鵜丸」と名付けられたという。

 天皇家には古来からの様々な名剣・利剣が伝わっているが、中でも特別の由来を持つ一口ひとくちである。

 そうした自らの守り刀を与えるとは、詫びの印というだけではなく、崇徳院は余程に八郎のことが気に入ったのであろう。


 院からしてみれば、八郎は自分を陥れた憎むべき妖婦・玉藻前の息子である。

 だが、親がどれほどの奸物であろうと、その子に罪はない。

 子供までを憎んでは、母の行いゆえに自分を憎んだ父・鳥羽帝と同じ過ちを犯すことになる。

 そう考えられたのであろうか。


 父・為義に疎まれているという。

 だが、父に憎まれる息子などというのはよくあることだ。

 親などというものは往々にして、おのれに似た子、従順な子ばかりを愛しく思い、自分とは面貌や気質の異なる子、違う考え方をする子を疎むものである。

 そんなありふれた話だけで八郎を気に入ったとは思えない。

 もちろん崇徳院は、為義が八郎の出生について抱いている疑念を知るはずはない。

 それは為義だけが心に抱く底暗い秘密である。

 だが八郎の境遇を聞き、実際に会ってみて、そこに何か自分に通じると感じるものがあったのか。


 その後も度々と功徳院を訪れ、八郎と親しく言葉を交わされることが多くなった。


「鵜丸を持っているか」

「はい。常に懐に入れております」

「では、取り出して、抜いてみよ」


 八郎はその言葉に従って鵜丸を抜き払う。

 長さは一尺弱。

 りは皆無、切先は峰にも刃のついた両刃造り。

 刃文には金筋、稲妻があらわれた見事な姿。

 最後の時に身を守るための刀として相応しい。


「どうだ」

「素晴らしい剣であると存じます」


 その返事に院は嬉しそうな顔を見せ、そして尋ねられた。


「八郎は、まさか僧の道に進むのではあるまい」


 即答する。


「学問を終えれば、いずれここを出て武の道に戻ります」

「では、源氏の棟梁を目指すのだな」


 これに八郎ははじけるように笑った。


「あっはっは! とんでもございません」

「ほう。では、どうするのじゃ」


 八郎は答えた。


「源家などには何の未練もございませぬ。別家を立て、ひとりの武将として我が名を世に知らしめ、邪や悪、姑息な妄念を抱く者たちを全て叩き潰すことを望むのみ」


 皇円や善弘を前にしての、寺にはあるまじき言葉である。

 そしてこれもまた、善弘の「一切衆生を救う」という志とは違う意味での大言壮語であろう。

 だが二人の顔は微笑をたたえている。

 院にもまた、八郎の言は壮と感じられた。


「その意気や良し!」


 その言葉には羨望の響きさえあった。

 それは天皇家という家に縛られ、運命を翻弄される我が身と比べての、八郎の自由奔放さに対する正直な感想であったろう。


 数か月後、年も明けて久安五年、八郎は叡山を下りることになる。

 院自らが為義に話され、堀川の源氏館に帰ることになったのだ。

 為義は頼長卿を通じて崇徳院に近づいており、そのお口利きであれば拒むことは叶わない。

 そしてまた、この少し前には四兄・頼賢が左衛門少尉に任じられ、かつて不祥事を起こして解官された義賢に代わる源家の嫡男の地位を固めていた。

 為義を安心させる慶事であり、そのことも八郎にとっては幸運だったろう。


 帰ってくるなり、八郎は為義に告げた。


「私はいずれこの家を去り、河内源氏の本家とは別に自らの家を起こしたいと考えております」


 実はこの宣言は重季の勧めによるものである。

 八郎の意を知り、ならば別家を立てるとはっきり言うことによって、源家の内紛を恐れる為義の警戒も解けるだろうと考えたのだ。

 重季の予想通り、為義は明らかな喜びと安堵の表情を見せた。


「そうか!」


 その内心は八郎には手に取るように分かった。

 ふん。新院のお口添えがあったので仕方なく俺を受け入れたが、本心では、あのまま坊主になってくれと願っておったのがあからさまな笑顔だな。

 相変わらず自分の小心な思惑を隠すのが下手なお人だ。

 これが棟梁とは、やはり河内源氏の将来は暗い。

 だが、そんなことは俺には関係のない、もはやどうでもいいことだ。


 すぐに八郎の思いは、自らが身を立てるべきまだ見ぬ地平へ飛ぶ。

 京などという狭い場所ではつまらぬ。

 長兄・義朝は坂東に下って勢力を築いたという。

 ならば俺は西国にでも行ってみようか。


 そしてまた館での生活が始まる。

 しかし今度は以前のような窮屈なものではない。

 八郎の言葉に為義が安堵したこともあったが、何よりも八郎自身の変貌に皆が目を見張ったからである。

 比叡での学問、思索、人々との出会いがまた八郎を変えたのだ。

 話しぶりと一挙一動が、以前とは別人のように落ち着いたものになっている。


「新院様に気に入られたらしいぞ」

「なんでも秘蔵の守り刀を賜ったとか」


 そんな話が館の中に知れ渡ったことも好都合であった。

 八郎と重季は誰にも遠慮することなく、今こそ思いのままに武芸の鍛錬に励むことができた。

 機会を見ては叡山を訪れる。

 師と善弘に会い、狩りをして獲物を孤児たちの下に届ける。

 稀には京で手に入れた高価な食材や玩具などを土産とすることもあった。


「俺がいなくなったせいで、あいつらが飢えて恨まれたら困るからな」


 そう言われると、同行する重季も何も言い返せない。

 八郎にとっては自立のための力を養う時期であった。


 この間にも世上は再び騒然とする。

 久安六年九月、摂政・藤原忠通と父・忠実、弟・頼長の対立がついに一つの頂点に達し、忠通は父に義絶され、氏の長者の地位と摂関家の正邸である東三条殿が頼長に与えられる騒ぎとなったのだ。

 為義もまた、四男・頼賢と共に、東三条殿と宝物の朱器台盤の接収に出動した。


 この対立は根が深い。

 忠通には当初、家を継ぐべき男子がおらず、歳の離れた弟である頼長を養子にしていたのだが、後に基実をはじめとして次々と実子に恵まれたため、頼長との縁組を破棄した。

 頼長を溺愛する父・忠実は当然に怒り、これが不仲の発端となった。

 その後、頼長はまだ若輩ながら一ノ上卿いちのしょうけいとなり、その怜悧さを武器に政務を掌握して、兄である摂政をも圧倒した。

 頼長の強権的な手法には反発を抱く者も多い。


 そうしたところに、今度は兄弟間でそれぞれの娘を入内させんとする競争が起こる。

 頼長が養女・多子を入内させ皇后とせんとしたのに対し、なんと兄・忠通が法皇に奏上して異議を唱えた。

 摂関以外の家の娘を立后することは過去に例がないというのである。

 つまり、頼長はこのとき左大臣であり、同じ藤原北家ではあるが、長年に渡って摂政・関白を務めてきた自分とは別家であると主張したのだ。

 そしてまた忠通も自身の養女・呈子を入内させる。

 藤原家の権力の基盤は、娘を天皇の嫁として男子をもうけ、その外祖父となることにある。

 弟がそれを成し遂げようとしたところに兄の横槍が入ったのであるから、もはや両者の関係は修復不能な事態に陥ったと言ってよい。

 結局、多子を皇后に、呈子を中宮にという中途半端な裁定がなされたが、この件は兄弟の間に決定的な遺恨を残した。

 今回の騒動は父・忠実が、そんな忠通のやり方に激怒して義絶、氏の長者の地位を剥奪するに至ったものである。


 こんな時節、八郎の元服の日が決められ、準備が始められた。

 八郎はこのとき十二歳であり、まだ元服には少し早いように思われる。

 しかし、為義の強い勧めであった。

 烏帽子親は藤原頼長。

 話を伝え聞いた崇徳院のたっての要望である。

 院からすれば本当は自分が務めたいところだが、そんなことをすれば公卿や武家のそねみを買い、却って八郎のためにならぬだろう、そう考えて源家の長年の主筋にあたる藤原家の頼長を指名されたのだ。


 八郎の元服の日、六条堀川館の広間で儀を見守る源氏の一族郎党を前に、頼長は明らかに不満そうであった。


(何故この自分が、一介の武士の子ごときの元服に烏帽子親を務めなくてはならないのだ)


 名門意識の強い男であるから当然にそう思っている。

 しかし新院のお言葉とあれば拒むわけにはいかない。

 渋面でなんとか加冠の儀を終え、そして投げやりに言った。


「これからは源八郎為朝と名乗るがよい」


 ふつうは烏帽子親の名から一字を貰うものだが、頼長は勿論そのようなことはしない。


(自分の名の一字を下賤な武士などに与えてたまるものか)


 この名を聞いて八郎は内心で苦笑する。

 なんといい加減な名付け親であることよ。

 自分の名をくれぬのはまだしも、「為朝」とは。

 父の名の「為」に長兄・義朝の「朝」をくっつけただけではないか。

 しかもその長兄は父と不仲のため、この場に出席も許されていないとくる。

 まあよい。名前などは所詮、記号や符丁のようなものに過ぎぬからな。

 問題はその「八郎為朝」とやらがこれから何を成すかだ。


 いっぽう為義は極めて上機嫌であった。

 これでまた八郎が家を去る日が着実に一歩近づいたからである。


 その日は意外な形でやって来た。

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