第14話

 佐世保の市街地には『夜店通り』と呼ばれる場所がある。そこは夜の飲み屋街となっていて、居酒屋やバーなどがあり、仕事帰りのサラリーマンなどはもちろん、少し歩けば外国人が集まる外人バーなどもあった。

 人の姿は少なくなっても、飲み屋の数が減ることはない。それもまた佐世保の不思議の一つだった。

 そんな街の一角にある居酒屋に結喜が来ていた。たくさんの料理が並ぶ机の前で、結喜が居心地悪そうな顔をしていた。

 彼女の周りには職場でよく見かける顔が集まっていて、それぞれ思い思いに談笑していた。そんな中、幹事と思われる女の子が立ち上がり、声を張り上げた。

「はーい! みなさんおつかれさまでーす! いつも仕事がんばってくれてありがとうございます! 今日はみなさんで楽しく飲んでってください!」

 幹事の言葉に周りからも声が上がる。それとは対照的に結喜は疲れたような顔を見せていた。



「あ、海さんちょっといい?」

 数日前、仕事を終えていつものように帰ろうとしていた結喜を宮島が呼び止めた。

「なんです? 宮島さん」

「うん。今度職場で飲み会することになったんだ。他の部署の子たちもやって来るから、海さんも一緒にどう?」

「……ああ」

 そういえば以前、そんなことを話していたなと結喜はぼんやりと思った。その時は考えておくと言っていたが、やはりお酒や飲み会が苦手な結喜は、今回も断ろうと考え始めていた。

「ほら。以前海さんも飲み会に参加を考えてるってみんなに伝えたら、海さんが来るなら行きたいってみんなも言ってるみたいでさ。いい機会だからみんなと話をしてほしいなって思うんだけど」

「……はい?」

 嬉しそうな宮島の言葉に、結喜は自分の耳を疑った。青ざめる結喜に対し、宮島がさらに続けた。

「海さんも来るって聞いたらみんな喜んでいたよ。私も一緒だし、何かあってもフォローしてあげるからさ」

「…………」

 最初から退路などなかった。どんな理論武装であっても、この包囲網を突破することはできそうになかった。何より恐ろしいのは、結喜を包囲しているのが善意の鎖だということだった。

 宮島が善意で武装した笑みを向けてくる。そんな顔を向けられて、結喜に断る選択肢などあろうはずがなかった。



 そうして迎えた飲み会。結喜の周りには宮島と同じデスクの同僚が数人。さらに周りには初めて見る顔や、話したことはないけど見かけたことのある人の姿もあった。

 居心地が悪い。そう思った。結喜のような人見知りには、知らない人間がいるというだけで相当なストレスなのだ。隣に宮島がいてくれるからまだ大丈夫だが、本当なら部屋の隅っこでじっとしていたいくらいだった。

「はい。海さん。カルピスサワーでよかった?」

「あ、はい。ありがとうございます……」

 宮島がカルピスサワーを結喜に手渡す。お酒が苦手な結喜が呑める、数少ないアルコールだった。目の前のテーブルには唐揚げや焼き鳥。それにお刺身などが並んでいるが、この状況で結喜に食欲が沸くこともなかった。

「あー。本当に海鳥さんが来てるー。こんにちはー」

 そんな結喜に聞き慣れない声がかけられた。結喜が振り向くと、初対面の女の子が二人くらい横に来ていた。

「はじめましてー。私、杉本って言います」

「私は筒井。はじめまして」

「え、えっと、その、は、はじめまして……」

 初対面二人にいきなり話しかけられて、挙動不審になる結喜。そんな彼女の様子をどう思ったのか、杉本たちが楽しそうに笑った。

「あれ? 海鳥さんチューハイですか? ビールとか飲まないんですか?」

 矢継ぎ早に話しかけてくる杉本たち。対して結喜は、混乱していた。

 普段はわからないが、彼女は人見知りのコミュ障なのだ。いつも宮島と普通に会話しているが、それはいつも一緒にいる宮島だからできるだけであって、慣れてない人相手だと彼女は大体こうだった。

 だから知らない人が集まる飲み会は避けていたのだ。

 知らない人に話しかけられるなんて、どうしたらいいんだろう? 彼女の中で問答が始まっていた。

 その時、様子を見ていた宮島が話に入ってきた。

「ごめんなさい。海ちゃん、お酒は苦手なんだ。チューハイで勘弁してあげてね」

「ああ、そうなんですね。ごめんなさい」

「はは、海鳥さん緊張してます? ちょっとイメージと違うかもー」

 宮島が助け舟を出したことで、変な空気は一掃された。宮島が向けてくる笑みに、結喜は心底感謝した。

「時々廊下で挨拶とかするけど、覚えてますー? 別のデスクだからあんまり会わないけど」

 杉本に言われて記憶の棚を漁る結喜。確かに時々、職場で見たことのある顔だった。だけどすれ違っても挨拶を交わすくらいで、特に親しいわけでもなかった。

「ど、どうも。なんか、すいません」

「いやいや、何を謝ってるんですかー」

 いつもの癖で謝罪してしまう結喜。それが彼女たちのツボに入ったのか、ますます楽しそうにしていた。

「でも、海鳥さんが来てくれてよかったー。気になっていたから、色々話とかしてみたかったんですよー」

 そんなことを言ってくる杉本。自分と話をしてみたかったという彼女の言葉に結喜が怪訝そうな顔をした。

「話って、どうして?」

「えー? だって海鳥さん気になりますもん。可愛くて美人だし。なのにいつも一人でいて何もわからないから、ミステリアスで謎な人だなって。海鳥さんと話したいって人、けっこういますよ。ねえ?」

「杉の言う通りですよ。海鳥さん、みんなに人気ですよ」

 杉本と筒井が顔を見合わせて頷いていた。

 対して結喜は、ほとんど疑いの思いで聞いていた。自分が人気だなんて、結喜には信じられなかった。

「あ、そうだ。海鳥さんに訊いてみたいことがあったんですけど」

 その時、筒井がスマホを取り出すと、その画面を結喜に向けてきた。

「これって、海鳥さんのアカウントですよね?」

 そう言って示されたページを見て、結喜が息を飲んだ。筒井のスマホには、フォットネットのページが表示されていた。

 それは結喜が開設したフォットネットのアカウントだった。

「ほらここ。海鳥さんの名前が乗っていて、もしかしてって思ってたんですけど、やっぱりこれって海鳥さんのアカウントですか?」

 アカウントのプロフィールのところに表示された『海鳥 結喜』の名前。急ぎで作ったものだから、名前を変更するのを忘れてしまっていた。さすがにこんな珍しい名前で誤魔化せるはずもなく、結喜は恐る恐る頷いた。

「あ、はい……私のアカウントです」

「やっぱり! これって世知原ですか? すっごく綺麗ですよね!」

「えー。私にも見せてよ」

 そう言って杉本たちが結喜の写真を見てキャッキャとはしゃぎ出す。自分の写真を見て色々と語り合っていた。

「へー。海さんフォトネやってるんだ。知らなかった」

 宮島も話に入ってきた。結喜がフォトネをやっていることを知らない宮島も筒井のスマホを覗き込んだ。

「そうなんですよー。ほらこれ。世知原と烏帽子岳の写真なんですけど、すっごくいい写真なんですよ」

「へえ。どれどれ」

 そう言って筒井のスマホを覗き込む宮島。三人が結喜の撮った写真を見て感心したように笑った。

「へえ、本当にいい写真だね。海さん、これっていつ撮ったの?」

「えっと、先月ドライブに行った時に……フォットネットもその時に始めました」

「そうなんだ。海さんドライブに行くんだ。意外かもー」

 宮島が意外そうな顔をして見せた。結喜をよく知る人間なら、彼女がドライブに行くようなことはないとわかっていた。そんな結喜がドライブに行くという事実に宮島が驚いていた。

「まあ……自分でもそう思います。ドライブもその写真を撮った時が初めてですし」

「そうなんだ。あとで私もフォローしようっと。でも、本当にいい写真だと思うよ」

「ですよね! 烏帽子岳も綺麗だし、世知原の写真、私も好きなんですよ」

 そんな風に結喜の写真を誉めてくれる三人。そんな三人を見て、結喜が静かに照れていた。

 自分の写真を誉めてくれる。もちろんそれも嬉しかった。だけどそれ以上に結喜が嬉しいのは、自分が見た佐世保の光景が綺麗だと言ってくれたことだった。

「ねえねえ! 海鳥さんって他には何か趣味とかある? いつもは何をして過ごしてるの?」

 結喜の写真でテンションが上がったのか、杉本がさらに詰め寄ってきた。結喜のことをさらに知りたいと顔が語っていた。

「あ、えっと……普段はインドアで、家で本を読んだりしてます」

 そんな話を杉本たちは楽しそうに聞いていた。その後、杉本以外にも結喜のところに人が集まり、結喜を中心に飲み会は盛り上がっていった。

 自分が中心になるという、かつてない減少に面食らう結喜。そんな様子を宮島が面白そうに眺めていた。





「……うあ」

 結喜が気が付くと、そこはベッドの上だった。見慣れた天上にいつも感じる空気が、そこが結喜の部屋であることを告げていた。

 昨晩の記憶を引き起こす。昨日は職場の飲み会に出て、たくさんの人と話した。初めて会う人たちばかりで、とても疲れたのを思い出した。

 飲み会の空気も苦手だが、知らない人たちに囲まれるというのは、結喜にとってはストレスが溜まることだった。

 そんなものだから、結喜は帰宅するとそのままベッドに沈み込んでしまったのだ。それくらいに昨日は疲れていたのだと結喜は思い知った。

 だけど、昨日は写真を誉めてくれたり、楽しそうに話してくれたりして、結喜も悪い気はしなかった。

 飲み会も悪くないかも。そんな風に思い始めていた。

 結喜が体を起こす。時刻は朝の六時を過ぎたばかりだった。

 この日は休日だった。昼まで寝たとしても怒られないのだが、身体が勝手に起きてしまっていた。

 どれだけ疲れていても、結喜の身体はこの時間に起きるように設定されているようだった。そのことには結喜自身も呆れてしまうのだった。

 一度起きてしまえば、再び寝るのは難しかった。完全に意識が覚醒した結喜は立ち上がり、窓から外を眺めた。

 いつもの朝の光景が目に映った。いつもと変わりのない、よく見る朝の光景だった。

 その時、結喜が思い出したように手を叩いた。

「……そうだ。せっかくだから、あそこ行ってみよう」

 彼女はそう呟くと、すぐに着替えてから部屋を出た。

 居間に行くと、すでに起きていた父親が新聞を読んでいるのが見えた。彼が結喜を見ると不思議そうな顔をした。

「おはよう。どうした? 今日は休みだったんじゃないか?」

「おはよう。目が覚めちゃった。ごめんだけど、ちょっと今から出かけるから」

 そう言って、結喜は答えを聞く前にその場を飛び出した。そんな娘の姿を父親はなお不思議そうに見送るのだった。

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