第3話

「ジーナ、本当に歩いて行くの?スカルバ男爵様のご厚意に甘えてもいいんじゃないかしら?」

「大丈夫だよ。体力づくりの一環にもなるし、毎日のことになると流石に申し訳ないから」


心配そうな母を安心させるようにジーナは意識的に口角を上げる。

およそ二年前、ジーナはスカルバ男爵との交換条件を達成し後見人として面倒を見てくれることになった。事の経緯を説明し、両親と一緒に暮らしたいと告げた時はどこか嬉しそうでもあったが、自分たちがいるせいでジーナが遠慮して養女の申し出を断ったのではないかと罪悪感を覚えているらしい。


時折こうやってスカルバ男爵を頼るような提案をされるが、後見人とはいえあまり借りを作りたくないと言うのがジーナの本音だった。


(ようやく本がたくさん読める)


そう思えば片道小一時間程度の通学など何と言うこともなく、ジーナは期待を胸に学園へと向かった。


教室に入れば複数の視線が向けられたのが分かったが、ジーナは気にせず空いている席へと座った。席の指定などないため荷物がなく、授業が受けやすい前方を選んだが背後からの視線と囁き声は増したように感じる。

毛色の違う平民は貴族子女からすれば珍獣のようなものだろう。しばらくすれば気に留めなくなる。そんなジーナの予測が覆されたのは一週間後のことだった。



ジーナがテスト結果を見るため掲示板に向かえば、思った以上に人だかりが出来ていた。高い位置にあるため目を凝らして自分の順位を確認する。


(まあ、予想外の結果だわ……)


少し意外ではあったものの、後見人に恥を掻かせない結果に安堵して教室に戻りかけたところで不機嫌そうな声に呼び止められた。


「おい、そこの平民。一体どういう卑怯な手を使ったんだ」


無視しようかと迷ったのは一瞬で、どのみち難癖を付けられるならと振り返って小さく頭を下げた。


「申し訳ございませんがおっしゃる意味が分かりかねます、ガウディ・スカルバ様」


淡々と返せば露骨に嫌悪の表情を浮かべるガウディは後見人であるスカルバ男爵の一人息子だ。勉強嫌いのためお世辞にも優秀とは言えず、ジーナに劣等感を抱いているようでいつも攻撃的で何かと貶めるような言動をしてくる。


「平民風情が学年一位など取れるはずがないだろう。教師を誑かして不正でも働いたか」


人が密集している場所でこのような暴言を吐くのだから、何も考えていないのだろう。ガウディの発言はジーナだけでなく教師も侮辱しているし、学園内では平等を謳っているのに身分を貶すなど品性を疑われる振る舞いだ。


「その発言は何か根拠があってのことだろうか?」


決して大きな声ではなかったが、よく通る涼やかな声に周囲が静まり返った。その反応と瞬時に確認した声の持ち主が纏う雰囲気に、ジーナは深々と頭を下げた。

ガウディは突然の事態に反応できないのか、ただ驚愕の表情を浮かべたまま固まっているようだ。


「特待生なのだから優秀であることは当然だと思うが、何か彼女が不正を行った証拠でもあるのだろうか?」


再度の問いかけにようやく我に返ったガウディは、絞り出すような声で返答した。


「……いえ、証拠はありません、ヴィルヘルム殿下」

「であればそのような周囲に誤解を与えるような言動を慎むように。それから彼女に謝罪をすべきだな。ジーナ嬢、顔を上げていい」


容姿端麗、頭脳明晰、公明正大。非の打ちどころがない完璧な王子として有名なヴィルヘルム王子は噂通りの人物なのだろう。

こちらを窺う眼差しには僅かに同情の色があるが、過度に気遣う様子はない。唯一の王子でありながら未だ婚約者不在のため、誤解されるような行動を慎んでいるのだろうとジーナは推測した。


(それでも平民への対応としては十分過ぎたわ)


憂鬱な気持ちが増したが、その前に憎しみのこもった眼差しでジーナを睨みつけるガウディを何とかしなくてはならない。公衆の面前で平民に謝罪すれば、その屈辱に耐えられるはずもなく、これまで以上に嫌がらせをされる可能性がある。


「謝罪は不要です。次の授業の準備がありますので、失礼させていただきますわ」


三十六計逃げるに如かず。ジーナが留まればガウディは謝罪をせざるを得ないし、王子であるヴィルヘルムとこれ以上関わりたくはない。足早にその場を後にしたジーナだったが、その姿をヴィルヘルムが見つめていたことに気づくことはなかった。



「ここ、いいかな?」


断られることなど想定していない問いかけに、ジーナもまた定型通りの答えを返す。


「勿論ですわ」


本音を言えば別の場所に座って欲しかったが、王族相手にそんな返答が出来るはずもない。いくら学園内が平等を謳っていたとしても、それを主張できるのは高位貴族だけであり平民であるジーナがそんなことを言えば、眉をひそめられるだけである。


入学してから毎日かかさずに足を運んでいる図書室が平穏だったのは最初だけで、テスト結果が発表された翌々日から、ヴィルヘルムが訪れるようになった。それだけならまだしもジーナの傍に座ろうとするのだから、日に日に増えていく令嬢たちの視線が痛い。


(ゆっくり読みたいのに煩わしいわね)


特に会話を交わすわけでもなく、ヴィルヘルムが滞在する時間もそう長くはない。それなのに律義にジーナの傍に来て本を読む意図が分からなかった。


(生徒会長として配慮しているつもりなのかしら)


だとすれば逆効果であったが、どのような目的があったとしてもジーナがヴィルヘルムの行動に口出しするわけにもいかない。無駄な思考を切り替えて本の内容に集中すれば雑音も気にならなくなった。

これまでの渇望を満たすように本にのめり込むジーナは、その喜びに輝く瞳をヴィルヘルムが柔らかい表情で見ていることにも気づかない。



だからこそジーナにとってそれは青天の霹靂であった。


「どんな手段を使ってヴィルヘルム殿下にすり寄ったものか知らないけれど、学園の品位を下げるようなみっともない真似を止めてちょうだい」


見知らぬ女子生徒から呼びだされたところ、ジーナは数人の女子生徒に囲まれた。そのうちの一人であるブリュンヒルト・ミネッテ侯爵令嬢は王子の婚約者候補として名前が挙がっており、汚いものを見るかのような眼差しを向けている。


「……ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」


身に覚えのない叱責であっても、高位貴族相手に頭を下げるほかない。あっさりと謝罪をしたジーナだが、それが余計に気に食わなかったのか不満そうな溜息が落ちると、令嬢たちは口々にジーナをあげつらう。

生まれや育ち、容姿などよくそんなにレパートリーあるなと感心するほどだったが、ジーナは無言で頭を下げて聞き流す。


早く終わってくれないかなと思っていると、場違いな声が落ちた。


「寄ってたかってみっともない。これだから女は嫌なんだ」

「――シスト様!」


狼狽する空気の中、僅かに顔を上げると不機嫌そうな青年の姿が目に入る。


「貴族社会に不慣れなご様子だったので、ご忠告差し上げたまでですわ」


冷ややかな口調のブリュンヒルトがそう言って立ち去れば、他の令嬢たちもそれに続く。残されたジーナは一つ溜息を吐いて、こちらを見ていたシストに一礼してその場を離れようとしたが、声を掛けられてしまった。


「おい、助けてやったのに感謝の言葉もないのか。成績は優秀だが、さっきの女たちが言うように礼儀知らずだったようだな」


一学年上のシストがジーナの成績を知っていることは意外だったが、礼儀知らずと思われたままでは後見人の評判に傷が付く。


「申し訳ございません。シスト・ラトルテ侯爵令息様の行動が私を助けるためだったと思いもしなかったものですから。お心遣いに感謝いたしますわ」

「は、どういう意味だ?」


説明してしまえばシストの機嫌を損ねてしまいかねないが、答えないのも失礼である。余計な言葉だったと反省しながら、ジーナは正直に伝えることにした。


「シスト・ラトルテ侯爵令息様はご令嬢方に人気がおありですわ。助けてくださったことで、お近づきになりたいと思っている方々の反感を買ってしまうことになりましたから嫌がらせの一環かと思ってしまいました」


「……そんな面倒なことをするわけないだろう」

「浅慮でございました。重ね重ね申し訳ございません」


頭を下げるジーナだが、内心は早くこの場から去ってくれることばかり願っていた。相手の許可なく立ち去ることも非礼に当たるため、図書館で過ごす時間がどんどん削られてしまうのだ。


「……もしこのことで他の女たちから何か言われたら俺に言え」


それはそれで面倒なことになると思ったが、ジーナが返事をする前にシストはその場から立ち去ってしまった。

女嫌いと言われているが、フォローしてくれようとする辺りそれほど悪い人ではないのかもしれない。


そう思ったものの、図書館へ向かう間にジーナはシストのことなどすっかり忘れてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る