第44話 目覚めし神獣オネイロス

 俺達の目の前で咀嚼を繰り返すオネイロス。操られていたときとは違い、思うがままに行動をしていた。器用に首だけを動かし人だった肉塊を溢さぬように何度も咥え直している。


「ヒュノ!!」

「うん、任せて~!」


 呆気に取られはしたが、俺達の策はまだ続いていた。親父のお手製爆弾は何も神獣の体勢を崩す為だけに使用したのではない。ヒュノが神獣に近づく為でもあった。奴の気がヒュノ以外に逸れていてくれば御の字であった。


 神獣の意識を操作していた首輪が取れれば、真っ先に狙われるのはファゼックだと思っていたからだ。だが、幸か不幸かはわからないが、犠牲者は俺達ではなくオクトーだった。


 俺達の予想以上の好条件となった為、ヒュノが移動するのは容易だった。


「お願い、また眠ってね」


 発動可能な有効圏内まで近づけたヒュノは神獣を眠らせる為詠唱を行った。誰に邪魔されることなく、完璧な位置で完全なタイミングで発動に成功した。


『神獣を眠らせて悪夢のような惨事は終わる』


 この場にいた誰もが、何も疑わずにその結末を静かに願っていた。


 しかし……

 願いは叶うことはなかった。


「グルォォォオオ」


 神獣の低い唸りが俺達の身体にまで伝わってくる。ゴロゴロと響く音は恐怖を加速させた。


「あれ……どうして?」


 立ち竦むヒュノ。何も武装せず何も構えずに祈りを捧げた彼女に残されていた選択肢はなかった。神獣オネイロスは身体を回転させ、長い尻尾を鞭のようにしならせていた。その光景まで俺は憶えていた。


 それからは時間が止まったかのようにゆっくり感じた。色も喪い、聴こえていた音さえいつしか消えていた。無我夢中でヒュノに近づき、彼女の身体を全力で押し出すことに成功した段階で……


 俺の視界は遮断した。


「ライ……くん?」


 いつもだったら私が呼びかけてに直ぐに反応してくれる。『作って』とお願いすれば売り物になる商品も生産してくれるし、美味しいご飯だって作ってくれる。


 温かい人。


 身寄りのない私を匿ってくれた。ドルミーラ教だということに対して嫌悪感を見せずに普通の人の様に対等に接してくれた。


 最初は不思議だった。


 宗派が違う人からは敬遠されてきた。それが当たり前であり普通であった。


 私もそれで良いと思っていた。想うこと、心の支えにしたいモノ、考え方に住みたいところ。誰かに強制されるのではなくて自分で見つけて選んでほしい。その一つとして、ドルミーラ教を選んでくれたら嬉しいなと思う程度だ。


 だから人は皆違う。ドルミーラ教じゃない人は、ドルミーラ教が嫌いか無関心かのいずれかだ。


 だけど、ライくんは違った。


 困っていた私なんかを助けてくれた。過去にも同じような不思議な経験をしたことが1度だけある。それは、私がまだ4歳だった頃。神獣を鎮める祈りを村の人がしていた時に、違う神獣が私達を襲ってきた事があった。村の実力者は多数犠牲になった事件。


 その時に突如現れ、村の人間を助けてくれようと加勢してくれた旅の方が何人かいた。私達は、勇敢な彼等も失いたくなかった為、残ったメンバーで彼等を護る事に専念した。結果、村を襲った神獣は追い返す事に成功し、闘ってくれたメンバーの方も1人だけ救うことにも成功した。


 幼かった私には何も出来なかったが、ドルミーラ教徒ではない方が私達を護ろうと懸命に闘ってくれたのはわかった。


 まるで、ライくんのような人達だった。


「ライくん!ライくん!!」


 私を全力で護ってくれたライくんを私が助けてなきゃ……


「駄目よ、退きな……」


 つくもんに説得されていたときもオネイロスの攻撃は続いていた。ファゼックさんの助けもあり、なんとか神獣との距離を取ることができた私達。かすり傷とはいえ、多くの体力が削られる形となっていしまった。


「無事か嬢ちゃん達?」

「ありがとうございます。あの、ライくんを早く……」


「助けたいのだが、神獣とライザの距離が近すぎる。神獣の野郎、わざとライザから離れないでいやがる。恐らく死にかけのライザを餌に俺達が近づいた時を狙うつもりだろう……」

「それより、どうして神獣を眠らせられなかったのよ?」


「わからない……信者がいないから眠りの加護が弱まっているのかも」


 スルスルと溶け出すかのように、私の身体は徐々に脱力していっている。私の眠りの力は信者と密接な関係がある。一緒に願い、眠りの力を信じることで私の身体に宿る眠りの加護を発動することができた。


 村が無くなり信者もいなくなったことで、私の力も気づかないうちに弱体化してた……


 信者もいない、眠りの力さえ無くなる。

 私は無力で、大切にしたい人さえ救えない。全ての景色が悪夢かのように感じ、眼を覆ったとき、

 私の心に声が響いた。


【諦めるなヒュノ】


 ライくんの声?!


「うおおおおお!!」

 気がつけば街の人達が武器になりそうな物を握りしめてオネイロスに向かって威嚇していた。


 オネイロスに襲撃され、人の気配すら感じなかった街から人が溢れ出てきた。


「どうして……」

「あんた、不定期市でブレスレットを売ってくれた姉ちゃん達だよな?」


「貴方は確か……」


 男性の顔を見て思い出した私。彼は不定期市でライくんの商品を買ってくれたうちの1人だった。彼の左腕には今も『ふにゃん』が装着されていた。


「俺は農作業中の事故で左腕に重い障害が残っていた。寝るときも激痛が走ってまともに寝られたこともなかった。あんたらが市場で怪しい商品を売っていたから注意しようとしたら、気づいたら買わされていたんだ」


 あははは……。私の無自覚スキルで錯乱してから購入させちゃったのだろう。


「すみません、お代をお返し……」

「お返し? 何言っているんだ!! 返せと言われても返さないからな。このブレスレットを装着してから腕の古傷は治るし、夜は安眠できるから驚いている」


 彼の言葉を聞いて気づいた。この方が購入してくれたのは、ふにゃんと、オートヒール効果があるシャツだということを。そして、私から直接渡した事で精神操作が発動し昏睡状態にしちゃったことも。


「ごめんなさい……眠ったのは私のせいなんです。私、実は……」


 謝ると男性は私にこう言ってきた。


「知っているよ。あんた、あの眠りの力を操るドルミーラ教の人なんだってな」

「はい……」


「ありがとう」

「へっ?」


 ありがとう。彼から感謝の言葉をもらうとは思っていなかったので私は自分の耳を疑った。


「君達がこれを売ってくれたおかげで悪夢のような日々から解放された。それだけじゃない。神獣が家を壊した事で瓦礫の中に埋もれた。俺は死ぬだけだと諦めかけたが、身体が徐々に回復したんだ。こんな奇跡、夢みたいだぜ。なっみんな?!」


 この場所に集まった人々は、ブレスレットにシャツなどライくんが作ってくれた商品ばかりを身につけてくれていた。口々に浴びる感謝の声。ライくんの商品を装備していた人達はオートヒールの効果で一命を取り留めてくれたんだ。


 彼の商品で救われた命があったんだ。ライくんに今すぐ伝えたいけれど、私の替わりに神獣の攻撃をまともに喰らった。絶命は免れない。神獣の攻撃を受けて生きている人間なんている筈がない。


「あんた、ドルミーラ教なんだって?! 眠りの力であの馬鹿デカイ神獣を鎮めてくれ!! 俺達が時間を稼ぐから」


 街の人達は持ち合わせの武器で神獣の動きを止めようと必死に闘ってくれていた。死人が次々と現れても不思議ではないギリギリの状況が続く。


「駄目なんです、私……」


 私を信じないで。私には皆さんの期待に応えられるような力はもう……


 私なんかの為に誰かが傷つくのは心が千切れそうになる。ライくんを喪った今、私は生かされる人間でいていい筈がない。信者はおらず、眠りの力も殆ど喪った私に神獣を鎮める力なんて……ない。


【だから諦めるなって】


 声だ。僅かな声。


 確かに聞こえた。耳で聞こえたんじゃない。心に届いた気がする。発言しなくても私は言葉を通わせる方法がある。それは、眠らせた相手を『夢』を通じて働きかける方法だ。


 ライくんは以前から眠らせたことがある。今彼は死んでいるのではなく、ただ気絶して意識を失っている状態だとすれば……


 私から働きかければ……


『ライくんは起きる』


 神獣が駄目でも、ライくんだったら起こせそうな気がする。私は全ての力を結集させ、ライくんを目覚めさせることだけを考えた。


「お願い、起きてライくんっ!」


 ライくんを起こしてそのまま生きている皆と一緒に逃げても良いじゃない。1人でも多くの生命を救いたいし、ライくんがいない生活だなんて悪夢そのものだ。


 祈りは結集し彼へと届く。


「俺を殺せたと錯覚したよな? すまないが、あれは嘘だ」


 神獣の背後からゆっくりと立つ姿が。嘘つきライザと呼ばれている彼がそこには確かにいた。


「やっとお前の背後が取れたぜ」


 ライくんは神獣オネイロスの背後で仁王立ちしながら嬉しそうに睨んでいる。オネイロスもまた理解し難い状況を堪能しているかのようにライくんの存在を意識していた。


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