第20話 逃げた先

(嘘だ……ろ? 決闘をするって言ったのか?)


 何とか決闘を避けられないか、避けなければ俺に先はない。最初はそんな不安に押し潰されそうであった。だが、自分の考えた竜族ドラゴニックの習性を逆手にとった威圧作戦は、思いの外に上手くはまる。バルカスは完全に怯え、全てが良い流れだと勘違いしていた。

 誤算であったのだ。ジャージェのラグディア公爵に対する忠誠心を、俺は甘く見すぎていた。


「総正監に正式な決闘を申請する。明日の午前10時だ。そこで貴様を殺す!! ルーリエ、お前達も覚悟しておくのだな」


 ジャージェ達は捨て台詞を吐くと、ズカズカと大足で帰っていった。ルーリエは怖じ気づくこともなく、腕を組んで睨みをきかす。なぜそんな自信に満ちているのか一瞬理解できなかったが、その理由は俺にあった。


「……あなたの策は、駄目だったみたいね。でも良いじゃない。そんな力を持っているなら、ジャージェ達にも余裕で勝てるんじゃないの? あんなに決闘を避けたがっていたから、てっきり弱いのかと思っていたわ」


 ルーリエは、俺の魔力のタネを知らない。確かに俺の作戦がブラフでないのなら、十分ジャージェ達に勝てる可能性はある。しかし、俺は足輪のセキュリティを一時的に解除して魔力を使っただけ。

 実際に戦闘なんてしたことがあるはずもないし、あんな鋭い爪や牙に襲われた経験もない。それでも想像するのは簡単だ。ジャージェやバルカスが本気で襲ってきたら、一瞬でお陀仏だろう。

 何か打開策はないのか。焦る気持ちが顔に出る。そんな俺の表情を、ルーリエは不思議そうに見つめてきた。


(違うんだよ。俺は強くなんてない、あんな奴らに勝てるわけがないんだよ!!)


 心の中で叫ぶも、その想いを口にすることができない。転生恩恵のことを話して、事情を説明するべきだろうか。それも確かに1つの打開策だ。ヨンヘルはルーリエとミルクが魔力を使えれば、竜族ドラゴニックにも勝てると言っていた。ならば、俺が2人の足輪を解除して前線で戦ってもらえば……。

 そんな他力本願な思考が頭を過ると、俺の体は芯から熱くなった。


(……俺はなに考えているんだよ。自分だけが逃げることを考えて、ルーリエとミルクに戦わせるだって? これじゃあ、転生する前より酷い人間だ)


 ──逃げる。それはとても緩やかな下り坂で、どんな道よりも楽だ。努力する人間は険しい山を登り、時には崖から転がり落ちる。そんな辛い道と比べたら、俺が普段から歩いている道は、とても安全で自堕落である。

 だけど、逃げた先に何があるのか。俺はそれを良く知っている。逃げた先にあるのは……いつも暗闇だ。光を求めて登ることを知らない人間は、ただひたすら少しずつ落ちていく。

 初めはそれに気づけない。少しずつ辺りが暗くなり、何も見えなくなってから自分の過ちに気づくのだ。そして俺は、その暗闇を嫌というほど体験してきたはずだ。


 転生前、異世界に行けたら生まれ変われると信じていた。物語はいつも都合良く動き、何をしても上手く立ち回れる。そんな夢物語を妄想し、そんな世界にひたすら憧れていた。

 だがどうだ。結局、俺の本質は何も変わってなどいない。嫌なこと、辛いこと、避けたいこと。何か不都合があれば、すぐにそこから逃げ出そうとする。


(何が生まれ変わるだ。こうやってまた逃げて、何が変われるっていうんだ。俺はもう、久瀬くぜ恭介きょうすけじゃない。オルディ=シュナウザーなんだ!)


 俯いた顔を上げ、ルーリエを真っ直ぐに見つめる。彼女は何を見ているんだと不満を言いたげであったが、そんなことは関係ない。彼女をしっかりと見つめることができるのは、今日が最後になるかもしれないのだ。

 竜族ドラゴニックとの決闘。死なずに帰る自信なんて全くない。だが、俺は決意した。この決闘は、俺1人でなんとかしてみせると。


「ルーリエ、房に帰ろう。決闘は、俺がなんとかするから」


 掠れるような強がりに、ルーリエは無言で首を傾げている。そんな姿も愛くるしいが、張りつめた俺には、それを堪能する余裕はなかった。


 房に帰ると、ヨンヘルが俺の顔色の変化にすぐ気づいた。何があったのか、それを俺に問いかけたそうに立ち上がる。しかし、ヨンヘルが俺に話かけるより早く、後ろから俺を呼ぶ声がした。


「オルディ。貴様に対し、ジャージェから決闘の申告があった。我輩にはそれを承認する義務があるのじゃ」


 さっそく、ナターリアが決闘の確認をするため俺の元にやって来たのだ。それを見るや、ヨンヘルはこめかみを押さえて呆れたようにため息を吐く。俺に策を託したのに、こうもあっさり決闘を申込まれたので失望したといったとこだろう。

 こんな時、ミルクの明るさが欲しくなる。彼女は午後の刑務作業でここにはいない。彼女がここにいれば、こんな時でも笑って場を盛り上げてくれるはずだ。


「ジャージェの房からは、バルカスと蜘蛛族スパイディーのシャルディネ。合わせて3人が決闘に参加する。オルディ、分かっておるな? 貴様にも同部屋の仲間を連れてこれる権利があるのじゃが、どうするのじゃ?」


 ナターリアは俺よりも、ヨンヘルに冷たい視線を送る。これがヨンヘルの言っていたことなんだろう。ここで決闘の参加を拒否することは、同じ房内の囚人を見捨てることと同意になる。それは立派な規律違反だ。

 命を賭ける戦い。味方の多いほうが良いに決まっている。ヨンヘル達の戦闘力は未知数だが、決闘に参加して欲しいのが本音だ。だけど、俺の答えは既に決まっていた。


「決闘は……俺1人で大丈夫です」


 ナターリアは俺の回答を鼻で笑った。仲間にも頼れず、1人で何とかすると力のない言葉。ナターリアはそんな俺の心象を、軽く見透かしているようであった。


「なにを言っておるのじゃ。それは貴様の強がりじゃろうて。ヨンヘル達のことを思うてかもしれんがのぅ、竜族ドラゴニック相手に、魔力の使えない人族ヒューマンが立ち向かうなど無謀以外のなにものでもないぞ。貴様が房内の者に頼ることは、恥でも何でもない。良く考えて回答しろ」


 哀れむようなナターリアの言葉。少し前の俺だったら、素直に受け入れていたかもしれない。

 だが、俺はもう覚悟を決めたんだ。ここで死ぬことになったとしても、己の生死を他者に押しつけたりはしない。


「お言葉ですが、なにも分かっていないのは総監様ですよ。俺って、案外強いんですよ。逆にヨンヘル達がいたら足手まといって言うんですかね? 戦いにくくて仕方ないですよ」

「貴様が強い? とんだ笑い話じゃな。貴様がそういうならヨンヘル達を咎めはせんが、本当に良いのじゃな?」


 俺が強がっていることを、ナターリアは見抜いている。今からでも皆に助けを求めたい。自らが吐いた虚言を、今すぐにでも訂正したい。


(クソッ……クソッ、クソッ!! 何でこんな嘘を……)


 足が震える。手先が恐怖に汗ばんでいる。

 それでも……俺は自分の意思で決めた。


(震えるな、俺の体!! 俺の決闘にヨンヘル達を巻き込むなんて、出来るわけない!! 決めたんだろ?! 俺は、ここで生まれ変わるんだ!!)


 爪が手の平にくい込むほど拳を強く握る。こうして力を入れ続けなければ、体を駆ける震えを抑えることができない。決して皆の前で格好をつけたいからではない。俺の身勝手で、ヨンヘル達に罪悪感を与えるわけにはいかない。だから、俺はここで必死に強がる必要があるのだ。


「私が付き合うわ。それで充分でしょ」


 ──それは突然であった。

 ナターリアが呆れ顔で事を決定しようとした時、ルーリエが俺の隣に並び、決闘への参加を表明した。


「別にあなたのためじゃないわよ。私は個人的にジャージェとバルカスが気に入らないだけ。私が参加するのだから、ヨンヘルとミルクがわざわざ参加する必要なんてない」


 開いた口が閉じなかった。何故ルーリエが突然こんなことを言い出したのか、意味が分からなかったからだ。個人的に気にいらない。そんな理由で勝ち目のない決闘に参加をすると言うのだ。


「……ルーリエ、お主が参加じゃと? 分かっておるのか? お主は素手なのじゃぞ?」

「……私は、総監様が考えているほど無感情ではありませんので」


 ナターリアは、ルーリエの言葉に顔を歪ませた。それも良く理由が分からない。さっきまで、俺に1人でいいのかと散々焦らしてきた。それなのに、ルーリエが参加すると言った途端、露骨に眉をしかめたのだ。

 もしかすると、ルーリエの性格を見越していたのかもしれない。規律がある以上、ナターリアは俺に選択の余地を与えなければいけない。そこにルーリエが自ら絡んでくることを、予測していなかった。

 ナターリアの反応は、明らかにルーリエの参加を望んでいない感じだ。思えば、さっき圧力をかけるように冷たい視線を送ったのは、ヨンヘルに対してだけである。あれの真意がルーリエを参加させるな。だとすれば、その態度にも納得がいく。


 俺の考えすぎかもしれないが、このやり取りにそれだけの違和感を受け取ったのだ。考えてみれば、ナターリアとルーリエは同じ妖精族エルフィ。その辺りが関係しているのかもしれない。


「……ルーリエ、本当に参加するつもりなのか? 死ぬかも……」


 死ぬかもしれない。そう俺が言葉を続けようとすると、それよりも早くルーリエはそっぽを向き、俺のことを無視した。

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