第8話 ぼったくり、仕事にかかる

 貴族が頭を下げるなんて言う異常事態にあっけにとられた俺達は、朝食を急いで平らげてから、食堂に横付けされた馬車に乗り込んだ。

 黒塗りに金縁。家紋こそ確認できなかったが、内装を見れば高位貴族のそれだとすぐにわかった。

 面倒な厄介ごとに首を突っ込んだらしいと理解した俺は、隣に座るアルをちらりと見る。


 初めての旅行、初めての途中下車、初めてのイムシティだというのに、貴重な時間をトラブルに取られて、どうにも申し訳ない気持ちだ。

 かと言って、先に客室に戻っていろというのも突き放したようで悪いし、何より貴族に頭を下げさせた以上は無関係という訳にもいくまい。


「大丈夫ッスよ。こういうのも、旅の醍醐味ッス」


 視線に気が付いたらしいアルが、にこりと笑って俺の手をにぎにぎと弄る。

 弟子に気を遣われるなど、少しばかり情けない。

 とはいえ、それならそれでさっさと片付けることを考えよう。


「それで? まだ何も聞かされてないわけだが?」

「詳しくは到着してから説明しようと思うのだが、とある方が倒れられてな……それを助けるために高位の魔法使いを探していた」

「誤解があるようだが、俺は魔法使いじゃない。武装商人だ」


 俺の言葉に、貴族風の男が驚いたように口を開ける。

 まあ、専門家だと思って連れてきたのだから驚きもすればがっかりもするだろうさ。


「第六階梯の魔法を使う武装商人なんて、見たことも聞いたこともないぞ?」

「そうか? 俺は何人か知ってるけどな」


 アラニスの迷宮には、〝治癒屋〟と呼ばれる強力な治癒魔法の使い手や、〝転移屋〟と呼ばれる第七階梯魔法〈転移テレポート〉を使いこなす魔法使い兼武装商人が存在している。

 いずれも道楽でやっている様で、俺ほどには迷宮ダンジョンで出会うことはないが。


「いや、ここに至っては素性のことは気にすまい。腕のいい回復魔法の使い手ということが大事なのだ」

「あんた、見たところ高位貴族か、その従者だろ? 俺みたいな胡乱な人間よりも信用できる魔法使いがいるんじゃないのか?」

「それがいれば苦労しない。できるだけ内密に頼みたいのだ」


 その割にあんな風に人探しをするなんて、少し抜けてるんじゃないか、こいつ。

 いや、それほどまでに事態が切迫してるってことかも知れない。


「まあ、いい。ただ、さっきも言ったが、俺は武装商人で魔法の専門家じゃない。あまり大きな期待をしないでくれよ」

「……その上で、お頼み申し上げる」


 そう言ってまた頭を下げる男。

 貴族様に二回も頭を下げさせたとなると、ヘタを打てば首を落とされかねない。

 やれやれ、何がどうなっているやら。


「……師匠、お屋敷っス」

「ん?」


 馬車に備え付けられた小さな窓の隙間から、大きな屋敷が見えた。

 どうやら、通りを抜けて敷地内に入ったらしい。


「イムシティの貴族つったら、イム公しかいないわけだが?」

「その通り。これはイム伯爵閣下のご要望です」


 

 貴族風の男が、馬車の扉を開けて飛び出すように出て行く。

 ここで焦っても仕方あるまいと思いつつ、先に出てアルに手を差し出した。


「自分で降りれるッスよ?」

「貴族の領域だ。エスコートの一つもしないと、お前の格が下がる」

「意味わかんないっスね……!」


 そう口にしつつも、どこか嬉しそな表情で手を取るアル。

 スタっと見事に着地してしまったのはご愛敬だが。


「まさか、イム公に何かあったのか?」

「いいえ。まずはこちらへどうぞ」


 男の後に続いて、足早に屋敷の中へと足を踏み入れる。

 カーペットの敷かれたホールを抜けて奥へと進みながらも、俺は少しばかり感心していた。

 さすが穀倉貴族の屋敷だ。なかなかにいい屋敷を構えている。


「こちらです」


 かちゃりと扉が開いた瞬間、独特の匂いが鼻をついた。

 嗅ぎ慣れたものではないが、この特有の匂いは知ったものだ。


「アル、手拭いでマスクしろ。おい、あんた……何だってこんなことになっている?」

「数日前、何か虫に刺されたとおっしゃられてからこのように」

「医者は? 治癒術士は?」

「呼びました。しかし、自分達ではどうしようもないと……」


 しどろもどろに答える男に「くそ」と悪態をついて、俺は腰の魔法の鞄マジックバッグに手を突っ込む。

 これに対処できるようなブツは、鞄に入っていただろうか。


「師匠、説明してくださいっス」

「対象者は『腐り病』に侵されてる。しかも、かなり進行しているようだ」

「……まずいっスね。感染系っスか? それとも毒疫系っスか?」

「それもわからん。部屋を密閉してたのは正解だな。他の対処は全部ダメだが!」


 ちらりと男を振り返る。


「そろそろあんたの正体を聞いていいかい?」

「私はイム家の家令、トーラスです」

「屋敷の人間に感染うつってないか、すぐ調べろ! 伯爵殿は?」

「旦那様と奥方様は、現在王都に出向いておられまして……」

「なら、ここにいるのはご令嬢か。ああ、何でもっと早く治療を開始しなかったんだ」


 イム伯爵令嬢と言えば、素朴ながら美しいと東部では評判の美人だ。

 実際に顔を見たことはないが、アラニスにも何度か来ていると聞いた。

 それが『腐れ病』に罹るなんて、不幸にもほどがある。


「アル、客室から俺のトランクを丸ごと持ってきてくれ」

「了解っス!」

「トーラスって言ったか、あんたは町の薬屋からこの紙に書いた薬を頼む」

「治療できるのですか!?」

「知るか。だが、日が傾くまでで、できるだけのことはする! あと、アラニスに向けて『手紙鳥メールバード』を飛ばせ。冒険者ギルド宛で〝治癒屋〟を寄越せと書くんだ」


 矢継ぎ早に指示を飛ばして、俺自身は腐臭漂う部屋に足を踏み入れる。

 ただの腐敗臭とは違う、独特な甘さと酸っぱさの混じった臭い。

 おそらく、虫──の魔物モンスターによる毒疫性。


 感染性は低いが、この腐臭に釣られて同種の魔物モンスターが集まってくる可能性がある。

 迷宮ダンジョンの8階層で同じ手を使う、虻型の魔物モンスターがいたはずだ。

 何人か、迷宮ダンジョンの中で治療したことがある。

 ただ、ここまでひどくなると同じ手が通用するかわからないが。


「あなたは……どなた……?」

「通りすがりの武装商人ですよ、お嬢さん。少しだけ触れても?」

「あなたまで、病気になってしまうわ」


 体を腐らせても、涼やかな声。

 こちらを心配させまいと冷静さを装っている。

 年端もいかない小娘が、気丈なことだ。


「俺は大丈夫。まずは、触診……それから、治癒魔法をかけます。痛むかもしれませんが、我慢できますか?」

「……はい、おまかせいたします」


 なんともまぁ、素直なこと。

 迷宮ダンジョンでやせ我慢する冒険者どもよりは、ずっとやりやすい。


「それじゃ、いきますよ」


 小さく指を振って自らに防護魔法を施しつつ、俺は腐ったご令嬢の腹部にそっと指を触れさせた。

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