第29話 竜狂化

 周囲が真っ赤に染まって、視界が狭まる。

 体が熱く、形容しがたい憤怒が全身を駆け巡った。


(……陽菜乃が、彼女が死ぬ!? いや死んだ? 嘘だ。そんなの耐えられない――――ッ!)


 気づけば俺は《竜狂化》を起動させていた。

 興奮状態と、生きるか死ぬかの瀬戸際だったのもあるだろう。何より陽菜乃が――死ぬかもしれないという状況にリミッターが砕け散った。

 ステータス画面を開いていないのに突如『《竜狂化》強制発動を確認しました』と赤文字のテロップが表示された。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 全身を激痛が襲い、神経が沸騰して焼き切れる寸前だった。

 レベルが足りない代償か激痛に苛まれながらも硬化していく拳を握りしめ、守護戦士に殴りかかる。


(壊れろ、壊れろ、壊れろ!)


 盾でガードされたが構わずに殴り続け、盾が俺の血で赤銅色に染まっても拳を突き続けた。


(弱いままでは何も守れない。強く、世界を滅ぼすほどの力がほしい。いや、よこせ!)


『■■っ、起動率35.587……889……40を超えましたので、両腕竜鋼化を発動』とテロップが上書きされる。

 するとガンガンと殴り続けていた拳の威力が徐々に上がり、盾がぐにゃりと歪み始め──盾ごと守護戦士の顔面を殴り飛ばした。

 直後、ドスドスッ、と鈍い音がした。


「──っ、あ」


 背中に何かが刺さり、振り返ると弓使いが矢を放っていた。背中は鱗が生じ硬化したことで大して痛くはない。

『68.476……肉体硬化、武力増加、武力超増加……』と更なるポップアップが表示された。


 さっきまで体を動かすだけで痛かったのに、途端に痛みが消えた。

 平坦な声も遠くに聞こえる。

 走って口から血が飛び散っても、矢を受けても痛みはない。


 ただ俺の脳裏に過る彼女の笑顔が──。

 陽菜乃の死が、目の前から消えることが、どうしようもなく耐えられなかった。


「ひゅっ……奪わせるか」


 地を這う声が漏れた。自分の声とは思えないほど、低くしゃがれた声だった。

 度し難い感情が噴き出す。どうしてここまでの思いを今まで忘れていられたのだろうか。


 全てを焼き尽くすほどの殺意。激情。

 弓使いの放った矢を素手で掴み、投げ返した。頭に当たったのか弓使いは破損した肉体を修復しようとする。黒魔獣は漆黒花である核を破壊しなければならない。


(破壊、しないと、陽菜乃が殺される。この一帯全てを灰にすれば安全だろうか)


 物騒な考えだけがぐるぐると思考がまとまらない。もっと大事なことがあるはずなのに、思い出せない。


『××の聖剣も、××の体もなくなったんです。これで私たちが殺し合う理由はありません。そうでしょ、先輩』


 所々ノイズが入るものの、彼女の声が脳内でリピートされる。

 あまりにも強烈な言葉に衝撃を受けた。

 忘れていた記憶。──


? 俺と──陽菜乃が?)


 俺の攻撃が止まった刹那、狙っていたのか守護戦士が笑った気がした。


「■■■■っああああああああああ!」


 千載一遇ともいえる数秒を無為に過ごし、守護戦士は肉体の修復を終えてしまった。


「しまっ……!」


 体を動かそうにも息をするのがやっとで、忘れていた激痛が今になってやってくる。

 守護戦士は荒い息を吐き、一直線に突っ込んできた。


(間に合わな──)


 刹那、ブレスレットから青白い光と共に魔法陣が生じた。あまりにも眩い光に目を細める。


(あれは──転送魔法)


 ふわり、と甘い香りがした。

 長い黒髪を靡かせ、美女が突如目の前に飛びこむ。

 彼女は──。


「サカモトさん……、シロさん、ムラサキさん。すみません」

(なんで……)


 彼女は巨大な手甲ガントレットで守護戦士に寄生した漆黒花の核を飴細工のように砕き、弓使いとの間合いを一瞬で詰め――突き一つで核を粉砕。空間に溶け込んで背後に立ち回った暗殺者も巨大な手甲の一撃で砕け散った。


 シュウウ、と手甲の関節部分から水蒸気が漏れる。

 あまりにも一瞬で現実味が感じられなかった。

 振り返った彼女は──今にも泣きそうな顔をしている。


(なんで陽菜乃が……)

「先輩っ、煌月先輩!」


 これは夢なのだろうか。

 真っ白な騎士服に身を包み、肩や太ももなど露出の高い姿は、自身のプロポーションを誇るかのようだ。両腕の巨大な手甲は物々しいもののよく似合っている。。今まで一緒にいた陽菜乃とは全く違う姿なのに、意志の強い漆黒の瞳を俺はよく知っていた。

 元の世界の陽菜乃の姿。

 なぜ、どうして。そんなのはどうでもよかった。


「陽菜乃」


 彼女が生きている。その事実に《竜狂化》の暴走が解除された。

 膝に力が入らず崩れ落ちた俺を彼女は受け止める。


「先輩――、私は――っ」


 陽菜乃が耳元で何か言っているが、聞こえない。

 ただ肌に感じる温もりは本物で、彼女が生きていると思うと、泣きそうなほど嬉しくて──安堵した瞬間、意識が途切れた。

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