第8話 衣食住はとっても大事!

 その日の夕方、冒険者用の宿を訪れた。

 元の世界で言うところの小綺麗なビジネスホテル並みのクオリティで、八畳ほどのワンルーム、風呂トイレは共有だが悪くない。


 ベッドも固すぎないし、シーツや掛け布団も石鹸のいい匂いがする。アイテム・ストレージに武器や装備品、日用品から衣服まで入るので荷物がない分部屋が広く感じられた。調度品はベッドに勉強机、椅子。入り口には鏡もある。


(藁とか硬いベッドを想像していたんだが、思ったよりちゃんとしている……)

「先輩、ご飯行きましょう!」

「ああ……って、部屋に入る前にノックしろ」


「えへへ」と誤魔化す陽菜乃が可愛いものの厳しく注意しようとしたが、お腹が鳴ったので中断。二人で食堂に向かうことにした。

 まったく陽菜乃は危機感がない。俺が紳士じゃなかったら、襲われたかもしれないだろうが。やっぱり食事が終わったら少し今後の話も詰めてしなければ。



 ***



 食堂は宿の一階にあり今日のおススメは一角兎ホーン・ラビットの肉で作った煮込みスープとララ麦パンで、足りなければ追加注文が可能だがその分料金はかかるという。

 俺と陽菜乃は提供された料理を見てホッとした。


(見た目は普通のビーフシチューに見える。パンも丸くて大きめな大麦のパンに似ている。だが肝心なのは味だよな)


 ごくりと、生唾を飲み込みいざ実食。口にした瞬間、あの懐かしいビーフシチューの味が口の中に広がっていく。


「美味い。濃厚なこの味、タマネギをよく煮込んで肉も思ったよりも柔らかくて美味しい」

「はい。ジャガイモもほくほくして美味しいですし、大きさもちょうど良いです!」


 お互いにこの世界の料理が美味しいことに安堵した。見た目が悪くても美味しいとか、それなりに作っているけれどクソ不味い――という展開は不要だと深々と頷いた。


「これで食事面に関しての不安は消えたな。これで飯が不味かったら死活問題だった……」

「そうなったら自分たちで料理の腕を磨かないといけませんね」


 嬉々として陽菜乃は煮込みスープに舌鼓を打っていた。パンもふわっとした食感がたまらない。こちらも二人で絶賛した。

 俺たちは二人でいることが多いが、他の《異世界転移》した同期の中でも、基礎スペックが一番高かったエージは前衛戦士アタッカー、熊人族で体格がよかったタカシは盾戦士タンク、猫人族でMPが一番多かったミーシャと、鬼人族のケンは支援職バファーを選び、早々にパーティーを組んでクエストを受けていた。俺と陽菜乃はペアを組んではいるがクエストに参加するには最低でもあと二人は必要だ。


 超ハイスペックだった森人族エルフの瀧月朗はソロで、常に訓練ばかりしている。あの南瓜頭の案山子は、ダリアに猛烈なアプローチをしてはボコボコにされて床や冒険者ギルドの前に転がっていた。

 未だこの状況について行けずにいるのは男女合わせて三人。まだ冒険者ギルドや職人ギルドに登録していないので名前は不明だ。


(パーティーを組むのは別に構わない。が――)


 暫くは食事を堪能したのち、俺はおもむろに尋ねた。


「なあ、陽菜乃。この世界に来る時に何かあったのか?」

「え」

「お前があそこまで離れたくないって言い出したんだ、何かあるって普通思うだろう」

「ふ・ふ・ふっ! 先輩よく気付かれまし」

「真面目な話だ」


 いつものおふざけた雰囲気ではなく、少し低いトーンで陽菜乃を見る。陽菜乃は何かあると隠そうとする節がある。だからこそ気付いたなら早めにその原因や悩みを確認しておきたい。でないとコイツは勝手に暴走して、自分を追い詰める。気遣いができる自慢のこい――後輩だが、自分には厳しすぎるのだ。

 陽菜乃は目を見開いて、そして困った顔で笑った。


「先輩っ。……なんと言えばいいのでしょう」


 上手く言葉にできないのか唸り声を上げつつ言語化しようと努力していた。その間に俺は答えを急がずに、食後のお茶を頼む。六花茶という六つの工程を行い酸化発酵させた飲み物らしい。色は紅茶に近くキツネ色で綺麗だ。柑橘系の香りがあり飲みやすい。

 陽菜乃も六花茶を口にするとホッとしたのか表情が緩み、それからポツポツと心情を語った。


「……私の体感だとずっと暗闇の中にいて、先輩の姿も声も聞こえなくて『もう会えないかもしれない』って思ったら怖くて悲しくて──だからあの場所でもう一度先輩の姿が見えたとき、すっごく嬉しかったんです。もう離れ離れにならないで良いんだ、って。でも安心すればするほど、この世界では何が起こるか分からないと思ったら、一瞬でも離れるが怖くなってしまったんです……」


 異世界に召喚されて、膨大な情報量を整理することばかりで、陽菜乃の機微に何となく違和感はあったけれど後回しにしていたことを後悔する。

 俺も陽菜乃も、元の世界で当たり前だった日常が崩壊した経験者だ。


 陽菜乃の母親は中学に入る頃に事故で亡くなった。よそ見運転で巻き込まれたという。父親は妻の死が受け入れられず酒を浴びるように飲み、いつしか娘に罵倒と暴力を振るうようになった。陽菜乃は逃げるように寮制の高校に進学。

 スポーツ特待生枠だったので親戚に頭を下げて工面して貰ったらしい。代わりに今後は関わらないと念書を書いたと言っていた。けれど高校一年の夏、試合中に左足を怪我して陸上部を引退。


 そして入院していた時に俺と出会ったのだ。

 俺は姉の見舞いで病院にはよく通っていたから、たびたび陽菜乃を見つけていた。リハビリにいそしむ彼女、友人に囲まれて笑っている顔がなんだか嘘くさかったのを覚えている。


 姉が亡くなった日。

 現実味がなくて病院をふらふらしていたら、日の当たらない隅で声を押し殺して泣いていた陽菜乃を偶然見てしまった。感情を抑えていながらも涙を流す陽菜乃が何だか羨ましくて――愛おしくて、気付けば彼女の閉じかけた将来を変える手伝いをしていた。

 俺の空いた穴を埋めてくれているのは陽菜乃だ。だがそれを認めたらまた目の前から消えてしまう気がして――踏み出せない。


「そうだな、俺も陽菜乃も『ある日突然』ってことがあり得るのだと知っている。それが異世界ともなれば余計に敏感になるよな。気付かなくてすまなかった」

「先輩が謝ることなんて一つもないです!」

「いや俺の配慮が足りなかった。ただ訓練に関してはお互いに職業が違うからな。どうしたものか……」

「そ、その……。訓練も大事なのですが、暫くは煌月先輩と一緒にいる時間を作ってくれませんか?」

「ん?」


 訓練に出る時間を削ればクエストを受けられる日が遠のくが、三カ月は衣食住の心配もないのなら休息を最長一カ月と設定しても問題はないだろう。むしろ陽菜乃の精神的な負荷を初期段階で軽減させるほうがいい。

 別に魔王が攻めてくるとか、今の所目的もないのなら――。

 のんびりスローライフも悪くない。


「そうだな。それなら村の探索をしつつ、この世界のことを二人で調べないか? 違和感って程でも何だが気になっていることもあるし……」


 俺の提案に陽菜乃は嬉しそうにしつつも、申し訳ないと言った顔を見せる。


「先輩。……すみません、我儘なことを言って」

「いいさ。どうせ冒険者ギルドじゃFランクまでの情報しか出してくれないのは実証済みだ」


 この世界の情報を得るにはレベルを上げる必要がある。クエストだけがレベル上げなのかも検討すべきだろうし、どちらにしてもこの世界のことを調べる時間は確保しようと考えていたので陽菜乃の提案は悪くない。

 あと陽菜乃が俺にべったりなので、カップル認定されているのも有り難かった。実際は付き合っていないが。


(いやまあ、さっさと告白すれば済む話なんだが……)


 異世界に来てもなお俺の決意は定まらない。本当に中途半端で、格好がつかない。いい加減腹を括るべきだ。


「先輩。……それじゃあ今日から一緒のベッドで寝起きできるのですね。嬉しいです」

「ん、ああ、そうだな。今日から一緒に──!?」


 思わず途中まで口走ってから、陽菜乃の言葉が脳味噌に届いた。

 困惑と衝撃のダブルパンチを喰らった気分だ。


「え、は? ちょっと待て」

「寝ている時が一番不安だったので、今日は安眠できそうです!」


 陽菜乃は満面の笑みを浮かべており、すでに決定事項になっている。


「いや、待て。異世界という非日常で心細い──って、そうだったとして色々駄目だろう!」

「だめ……ですか?」

(クソッ。か、可愛い……! 天使か! いや、だが……!)


「もういっそ非常事態なので告白して正式に付き合うという段階を踏むべきでは?」とすら自分の中で思ってしまった。

 それでも踏み出せない自分はヘタレの称号を甘んじて受けようと思う。言いたければ好きに言えばいいのさ!(ヤケクソ)


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