第1章 終わりの始まり

第2話 異世界転移転生

 闇がどこまでも広がっていた。

 それ以外に何もない。

 意識が浮かび上がる瞬間、四方から様々な声が響く。

 ノイズと共に嗤い声、狂ったかのように発する言葉は聞き取れず、声の濁流に呑まれる。

 途中でその声が自分の声だと気づいた。そしてその笑い声には底知れぬ怒りがあった。「許せない」と悲鳴を上げている。


 ここで、ふと思う。


 俺は何に怒っているのだろう。

 悶々と考えているうちに、笑い声は消えて代わりに複数人の息遣いと衣擦れ、さまざまな声が耳に入る。

 徐々に意識は覚醒していき、重たげな瞼を開いた。



 ***



「──っ」


 あまりの眩しさに、目が慣れるまで少しかかった。

 細めていた目を開くと、その光景に息を呑む。


「なっ、は?」


 岩で作られた神殿内に、物理法則を無視した蝋燭の灯りが浮遊しており、半透明の小魚たちは青い燐光を発しながら空中を悠々と泳いでいる。アニメや映画でしか見たことのないファンタジーな光景。

 白を基調とした広い礼拝堂は円状になっており、ステンドグラスに似た窓から七色の光が差す。その眩さ、光の熱量、頬に当たる風もリアルだ。


(夢──にしてはリアルすぎる。だが、この違和感はなんだ?)


 俺は慌てて上半身を起こし、自分の身体に異変が起きていないか手を当てて確認する。鏡がないので分からないが、腕や足に怪我や変化はない。


 服装は上下ともに寝間着に近い白の長袖長ズボンで、革のサンダルを履いている。立ち上がって体を動かすが肉体的に変わった様子はない。強いてあげるとしたら服装が変わっていることだろうか。覚えている限り高校の制服を着ていたはずだ。


「んん。ここは?」「なにここ?」「どうなっているの?」ふと聞こえる声に改めて周りを見渡す。


(は?)


 俺と同じように昏倒していた人たちがいたのだが、耳がやけに長い美形の美男美女の森人族エルフや、頭に獣の耳が生えた獣人族ケモノビト。小学生ぐらいの背丈に立派な顎髭を携えた矮人族ドワーフ、人外というかカボチャ顔で黒マントの案山子らしきものまで転がっている。その数は十人ぐらいだろうか。

 見る限り見知った顔はない。


(ここに来る前は……確か……)


 想起したのは、断片的な映像だった。


 ──赤紫色の夕暮れ。穏やかな時間。

 ──紺色のブレザー制服、学校からの帰り道。

 ──《行方不明者》、《神隠し》そんな話を誰かとした気がする。

 ──手を繋いで一緒に帰った少女。傍に居る存在に何度も救われた。

 ――彼女の名前は――。


『──煌月先輩』

「煌月先輩?」


 過去の声と耳元で聞こえた声が重なった。


「陽菜乃!?」

「は、はい!」


 声のほうへ振り向いた瞬間、俺の顔を覗き込む美少女がいた。さらさらの長いブロンドの髪がステンドグラスの光に反射して煌めいた。小顔で人懐っこい笑顔に、宝石のような濃褐色、目鼻立ちが整った美少女は、眉を八の字にして小首を傾げている。


(同じ服装なのに、美人だと着こなしている感が半端ない……じゃなくて、陽菜乃と容姿が別人じゃないか!?)


 まじまじと彼女を見つめるが──やっぱり別人だ。陽菜乃の面影がまったくない。


「本当に陽菜乃……、なのか?」

「そうですよ! 朝鳥陽菜乃です。た、たしかに髪型とか顔とか雰囲気がちょっと違いますが、先輩のことを大好きな、あの陽菜乃です!」

(ち、近い!)


 鼻息荒く答えるのだが、どうにも見た目が違い過ぎて完全に信じ切れない。あとどさくさに紛れて告白してきた。


(これ以上、情報量を多くするな!)


 心の中でツッコミつつ、まずは彼女が陽菜乃本人かの確認が重要だと結論付ける。


「陽菜乃。日本で怖いとされている古典を三つあげよ」

「日本霊異記、今昔物語集、雨月物語もいいですが、宇治拾遺物語の三つで!」

「本物か」

「そうだって言ったじゃないですか! というか、その確認方法はなんなんですか!? こうもっと煌月先輩の好きな食べ物とか、口癖とか、私の大好きなセリフランキングとか、いろいろ考えていたのに!」

「うん、間違いない。陽菜乃だ(なんだろう、ホッとするな)」


 こんな珍妙な質問に対して即座に返せるのは、彼女ぐらいだろう。一喜一憂する陽菜乃が微笑ましくも、愛おしい。

 しかしこんな状況で「好き」とか言い出すような奴だっただろうか、とやっぱり不安になった。


(陽菜乃の俺に接する雰囲気が違うような……? いや、以前からこのぐらい積極的だったような?)

「ところで煌月先輩は、どこまで記憶が残っています?」


 そう言われて、はたと考える。

 記憶を遡って思い出すのは、いつもの学校帰り。歩道の傍には銀杏木が見える、季節は秋──だったか。


「下校だったことぐらいか。……そこから先が思い出せない。陽菜乃はどうだ?」

「私ですか。私は──」


 陽菜乃は切羽詰まったような声だったが続く言葉は、唐突に鳴り響いた鐘の音にかき消された。

 鐘の音は三度鳴り響き、閉じていた重厚な扉が開いた。どよめきこそあったものの、ここにいる全員、この状況を打破できる人物の登場を期待していた。かくゆう俺もその一人だったが――現れた女性の外見に、まず固まった。

 優雅な足取りで現れた彼女は、笑顔でこう言ったのだ。


「はーい、異世界転移転生者のみなさんー! 《レーヴ・ログ大国》のアルヒ村へようこそ。私はここの村の冒険者ギルドのマスター、略してギルマスのダリア・クランドールよ。よろしくねー♪」

(はい?)


 緊迫した空気をぶち壊す自己紹介は、お天気お姉さん並みの明るさと、目を惹く容姿のせいでここに居た全員が、絶句したのは言うまでもない。


(容姿のせいで、何一つ大事なワードが頭に入ってこない!)


 推定年齢は二十代後半、長身かつ筋骨隆々と鍛え上げられた肉体に、豊満な胸。これだけでもかなりインパクトがあるのだが、極め付きは頭に生えた黒いうさ耳に(よく動く)、肩出しでレースをふんだんに使った黒と赤のワンピース姿に、黒のヒールの高い靴を履いているのだ。


 こう言う異世界転移物の場合、大抵は王族か神官が出迎えるのがセオリーなのだが、どう考えても違う。というか人族なのかも不明だ。

 それでなくとも情報量が多すぎるのに、この女性の登場に、パワーワードすら右から左に通過して行った。


「なんか予想以上にパンチの効いた人が来ちゃった!?」と、この場に居た全員が思ったに違いない。あまりにも視界から入る情報量の多さに思考がまとまらない。


「クソッ、情報量多さで、俺たちを攪乱するつもりか。さすが異世界」

「初対面で君は随分と失礼だな。これは私の趣味だ!」

(おいおい、聴覚まで良いとか反則だろうが。あと趣味なのか……そうか)


 隣に座り込んでいた陽菜乃は「あの割れた腹筋、鍛え方が違うのでしょうか」と零しているのが聞こえたが、気になったのはそこなのか。そこでいいのか。


「もう、反応が悪いわね。起きたばかりで困惑しているだろうから、優しいお姉さんが説明してあ・げ・る♪」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

(ん?)


 唐突にカボチャ頭の案山子が俊敏な動きで、ダリアと名乗る女性に飛び掛かっていった。その光景に、俺は心底驚いた。


「一本足しかないというのに、どうやって走っているんだ?」

「先輩、そんなこと言っている場合じゃないです!」


 カボチャ頭の案山子は、あの巨体──失礼、筋骨隆々のダリアの豊満に飛び込んだ。なんという蛮行、いや勇気。両手を広げて抱き着く算段だったのだろう。


「ハニー! 会いたかったよぉおおおお! 愛しているぅううううううううう」

「誰がハニーよ!」


 強靭な脚による一撃でカボチャ頭の案山子は、「ぴぎゃ」と潰れた声と共に、床へと叩き潰された。


「瞬殺……ん?」


 床に突っ伏しているカボチャの頭上に誰もが目を見開き、凝視する。

 それはゲーム世界では見覚えのある緑色の横線だ。しかも緑色の横線が僅かに減った。今の打撃によるダメージを意味しているとしたら自分たちの命の残量を視覚化しているHPライフポイントゲージということだろうか。


(ゲーム? 仮想世界? いやだが──)


 ダリアはざわつく声が広がる前に、パンパンと手を叩いて視線を集めた。


「はいはい。私が知っている範囲で簡単に説明するから、静かに」


 聞き分けのない子供を叱るように、彼女は場の空気を変えた。ざわめきはすぐに沈黙へと変わる。


「うん、うん。いい子ね。最初に言っておくけれど、ここはゲームの世界でもなければ、君たちのいた元の世界とは違うわ。だから無茶な冒険をしたら確実に死ぬから、その辺は勘違いしないでね♪」

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