色なき風


 ずっと、美人だと言われてきた。


 美人さん、美人だから、美人だね、美人だもんね、美人は得だよね・・・・

 でも、私がその称賛を望んだことは、一度だってなかった。

 この外見で、得をした記憶もない。いつだって、この目立つ外見が、なにかにつけて引っ掛かっただけだ。私を美人だという人間は、私の外側しか見てくれないから。私の中身は、どうだっていいのだ。

 この世の老若男女全ての人間が、私の見てくれという容器しか必要としていないのだと、やっと理解できてから、かれこれ二十年程。気付くと、五十が目前に迫ってきていた。

 もういい加減、色も艶も失ったのだから、美人とはおさらばできるだろうと思っているのに、今度は自分よりも年配の人間から言われることが多いのだ。まったくいつまで経っても、鬱陶しく纏わり付いてくる。人間なんて、みな同じ頭蓋骨から形成されている顔なのに。ただ単に肉付きとか、筋肉の発達具合とか、軟骨の多い少ないだけなんだ。誰だって、死ぬ時は鼻が高くなって顔つきがシャープになって、目が大きくなる。なのに、生きている間だけは、重力に抗う努力すらしないで、自然発生したかの如く美人を羨むのだ。阿呆らしい。

 私は美人なんかじゃない。本当の美人は、真の美人というものは、整った顔かたちじゃない。

 内面から滲み出るような人柄や性格がいい美人というのが、真の意味での美人なのだ。

 私の内面は荒れ果てている。

 いつも、自分なんか死ねばいいとすら思っている。

 先に死んで行った人達の代わりに自分が死ねばよかったのにとか、そんなことばかり思って生きてきた。理由なんてわからない。ただ、自分の人生は親や環境や立場に虐げられて逃避して逃避して、それでもバカにされながら、一生なんの価値もなく生きていくもの。うだつが上がらず、ポッカリ口を空ける虚無に怯えながら、不幸と隣り合わせの寂しいだけの意味のない人生なんだと思い続けていた。だから、病気になって死んでも、事故って死んでも、殺されてもどうでもいい。幸せなんて一瞬ですぐに終わってしまう短いもの。あとはずーーっと混沌とした薄暗がりしか待っていない。独りぼっちで誰にも看取られずに腐って死んでいく、それが、私。

 劣等感に支配されていて、被害者意識が強くて、臆病で、不審感に塗れていて、上手く笑えなくて、コミュニケーション下手で、だから孤立して、辛くなって・・それが、私。

 何十年経っても、汚い色をしたスライムみたいなものを抱え続けている私のどこが、美人?


「そのギャップが、いいじゃない。憂いを秘めた美人って感じでさ」


 だから、私は美人じゃないと怒るにも拘らず、彼はのらりくらりと笑って躱す。

「華やかさや色気のない枯れた女のほうが、安心する変わり者もいるってことよ」

「白髪のおばあさんと付き合えばいいじゃない」

「わかってないな。オレは色のあるものは飽き飽きなんだ。これからは、石膏像みたいな女と静かに過ごしたいね」

 彼は白髪混じりの無精髭をたんまり生やした口元を芋虫みたいに動かして、そんなプロポーズと勘違いされそうなことを平気で言う。とっくに閉経して生殖本能が塵と化しているこの歳になってプロポーズもなにもあるまい、と私は聞き流す。女として得るものなどないおばさんを今更、籍に入れたいなどと、そんなもの犯罪の臭いしかしない。私は警備会社の事務員。彼は日雇いの警備員。お互いに孤独死を免れようとして、なんとなく寄り合っているだけ。この歳のお一人様には、よっぽどお似合いの理由だろう。

 いつしか私の殺風景な生活に蔓延るようになった彼の存在は、男運のなかった今までの人生にささやかな幸せをもたらした。

「どこかで見たことがあるんだよな」

 ある時、食後のお茶を啜りながら、彼がぼそっと呟いた。

「三十年くらい前のクリスマスに、渋谷にいなかった?」

 二十代は、報われない相手に恋煩いしていたコールガールの時代だ。渋谷にある通販会社のコールセンターに勤めていたので、クリスマスだろうと週に五日は渋谷に通っていたし、彼氏だと思っていた男にクリスマスを予約できたとしても、その度にドタキャンされたり、会えてもすぐに別れたりしていた。その中には、当然クリスマスに渋谷にいたこともあるだろう。

「渋谷駅で、飛び込もうとしてたろ?」

 ぎくっとした。

 男に振り回されることが、男から曖昧な対応をされてストックの扱いを受け続けなければいけないことが、『おまえは見た目がいいから、ちょっとしたステータス』なんて平気で豪語できる最低な男に惚れてしまっている自分に、心底疲れたのだ。確か、その時も、約束をしていたのに男が待ち合わせに現れなかったのだ。

 寒空の下、ハチ公前で、耳に当てた携帯電話から延々と留守番のアナウンスを聞きながら、三時間も待っていたあの時。寒さで感覚がなくなった手足と頭には、もういいや死のうという言葉しか浮かばなかったのだ。

「それ、オレが引き止めたんだぜ」

 嘘だ。その時は、飛び込もうとして踏み出した足元が滑って、転倒したんだ。それで、電車が一時停止した。ただ、それだけ。誰かに引き止められた覚えなんてない。大方、彼はその一部始終を見ていただけなのだろう。なんだって、そんな嘘をつかなきゃいけないのだ。

「オレが念じたんだ。美人だったから」

 やっぱりあんたも、私を外っ面で見ていたのかと、腹立たしくなってきた。

「それで、思い止まっただろ」

 違う。思い止まったわけじゃない。事故だった。その後にも、私は自殺未遂を何度もしている。それなのに、死に切れなかった。どうしても死に切れなかった。死に損ないってだけ。

「だからさ、こうして会えたわけ」

 それを運命だとでも言いたいのか。だいぶ無理がある結論だし、だいぶくだらない。けど、

 ご機嫌そうな彼を見ていると、まあいっかと思えてくる。勝手にそう思ってくれてればいいし、よくわからないが、この歳になって運命の出会い的な気分を味わわせようとしてくれている彼の優しさが身に滲みる。そうだ。年齢を重ねるほどに、人からのアクションに優しさや思いやりを感じたり、ちょっとした日常の出来事がいちいち滲みるようになった。それが、幸せなのだと気付いて、自殺しようと思わなくなった。分相応。やっと。

 1人でいることになれたわけではないし、温もりを欲しなくなったわけではない。

 失恋する度に私は怒りっぽくなって、今までずっとみっともないと思っていた言葉を人に対して吐くようになった。自制ができなくなったのだ。我慢することに意味があるのか、わからなくなったから。簡単に取り乱したりするようになった。全てがどうでもよくなったのだ。常にどうしてこんなに辛いのかと答えの出ない自問自答を繰り返していた。それで、辛くてどうしようもなくて、藁をも掴む思いで訪れたメンタルクリニックで、自分の人生が、自分が我慢して生きてきたことに対しての問題行動なのだと知った。己自身を痛めつける選択をしてしまう業。だからこその最低な相手達だったのかとも腑に落ちた。

 だから、止めた。全部。

 それが四十代になってから。そうしたら、寂しさや怖さが少なくなった。もう自分でいていいんだと認められるようになった。憎しみや殺意に飲み込まれずに済んでいる。いや、前よりも楽に生きられている気がする。歳のせいかもしれないけれど。

「ずっと、そのままでいなよ。なにが起きても、そのままでいなよ」

 いるでしょうよ。いさせて頂きますよ。私は私で。

 だけど、私はすっかり油断してたのだ。彼の不偏ない雰囲気や物言いに、すっかり騙されていたのだと思う。


 ある秋の昼過ぎだった。

 休日に彼と二人で、紅葉した公園を散歩していた。

 ひんやりとした風が吹く度に、紅葉やイチョウが舞い落ちる。

 ふと、向かい側から親子連れが歩いてくるのが目に留まった。

 同い年くらいの神経質そうな母親と、三歳くらいの女の子。私が終ぞ経験することができなかった女としての役割と幸せを、その親子にぼんやりと重ねた。

 隣を歩く彼が立ち止まる。

 女の子が手を振り始めた。誰に向かって? 彼を振り返ると、泣き出しそうな顔。

 ああ、そうか。そうなのか。一瞬で理解してしまった自分。

 そうだよな。運命の出会いなんて、1人につき一つって決まってないんだ。二つのことだってあるし、ない場合だってある。いい加減なものなんだ。占い師が、希望を持たせるためだけに言い出したもの。根拠なんてない。少なくとも、

 私には、ない。

「行きなよ」

 バイバイと言って、立ち竦む彼に背を向けた。

 別に悲しくなんてない。死に別れたと、思えばいいだけ。この世界のどこにもいないのだと思えばいいだけ。色なき風が、落ち葉によって束の間の色を得たように錯覚しただけ。

 悲しくなんて、ない。

 拭っても拭ってもぼやけてくる視界。

 何度も味わったしょっぱさはけれど、やっぱり変わらなかった。この歳になっても涙の味は変わらないらしい。

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