ホムラ!
界外煙
第1話 社畜と炎
「おい!燃え移るぞ!早く消火を!」
「駄目だ、消えない!他の隊員にも連絡しろ!早く!」
真夜中の閑静な住宅街が真っ赤な色に包まれ、けたたましくサイレンが鳴り響く。
俺はただ、ただ赤く燃えるその家を、ただただ見つめていた。
「何してるの、こっちへいらっしゃい!巻き込まれるわよ!」
向いの家のおばさんのヒステリックな声がすると、俺の体は力強く引き寄せられた。その瞬間、家はたちまちみしみしと音を立てて、やがて。
「崩れるぞ!みんなもっと退がれ!!」
消防隊の男が叫ぶと家は焼け落ち、積み木のおもちゃのように簡単に崩れた。
炎に包まれながら崩れていく家。
あの日、俺は燃え上がる炎の中に、何かを見た。
「...ノキ!おいマツノキ!」
「あ...?」
ふと、頭上でじりじりとした怒鳴り声が響いた。我に帰った俺は、数回瞬きをして目を擦ると顔を上に向けた。
「マツノキ!お前何しとるんだ!仕事中だぞ仕事中!」
俺の頭上に、でっぷりした課長の二重顎があった。課長は顰めっ面で俺の後ろに立って、俺の顔を覗き込んでいたのだ。辺りを見回すと、社員がそれぞれのデスクに向かって仕事をしているのが見えた。
そうだ、ここは会社だった。
「あ、あー...すいません課長。ちょっとなんか...睡眠不足?で、ボケてたっていうか...」
「仕事中に何をぼんやりしとる!ここは会社だぞ!分かっとるのか!分かったらシャキッと目を覚ませ!」
俺はボケた頭で謝ったが、課長の怒りはとどまる事を知らず、人差し指で俺を指差しながらぐちぐちと怒鳴り続けた。
俺は少し黙って半笑いになりながら、課長の頭をゆっくりと見上げて呟いた。
「あー...目は覚めてますよ。課長の頭に反射する光のおかげで」
俺が言った途端、社内が一瞬にして静まり返った。凍りつく社員たち。課長の顔は、たちまち梅干しのように真っ赤になった。
「あ、やば」
赤くなった課長の顔を見て事の状態に気づいた俺は、咄嗟に口を押さえた。が、時はすでに遅し。
「こんのっ.....礼儀のなってない若造があぁっ!!!」
怒りが最高潮まで達した課長の怒鳴り声が、しんとしていた社内に力強く響いた。
俺はマツノキ。社会に出たばかりのただの平凡な21歳の男だ。小と中と高と楽々な学校生活を終えたかと思えば就職活動にあれやこれやと苦戦し続け、やっと就職が決まったは良いものの。
「マツノキ君!遅すぎるぞ!早く終わらせないかね!」
「マツノキー、これもよろしく。新人のやる仕事なんだよ」
次から次へと押し迫る激務。
「は.....はいただいま...」
俺はロボットのように返事をして、ロボットのように無感情なまま仕事をこなす毎日を送っている。
遅くまでの残業は当たり前、上司に怒鳴られる日々、"新人の仕事"だと言われて与えられるものが全部"ただのパシリ"だという事も理解した上でやっている。
まあ簡潔に平たく言えば、ブラック企業に勤めているのだ。
それでも俺は生きるため、金を稼ぐため、めげずに一生懸命働く。嘘です、正直やってられねえよ。早くニートになりたい。
でも、避けて通れないものがあるのが人生だ。甘えっぱなしの楽な人生なんてない。嫌なものにも耐えて努力し続けるのが人生だ。そうわかってるけど、わかってるんだけど、難しいんだよな。
そんな慌ただしい俺の日常で、唯一の楽しみであり癒しの存在がある。
それは。
「よし...!ついにレンタルできた!話題の最新作!」
そう、紛れもない、映画だ。
映画は嫌な現実から俺を引き離して夢の旅に連れて行ってくれる、癒しのオアシスのような存在。アニメーション、恋愛、SF、非現実的でファンタジーな物語であればあるほど俺の心は躍る。
やっとの事仕事から解放されて帰宅した俺は、ビールとポテトチップスを床に広げて映画に没頭した。
この映画は、主人公と病にかかった友人が不思議な力で病を治す話だと巷で聞いた。非現実的な内容。これだ、たまらなく興味が湧いていた。人気な作品だったため何度DVD屋に行っても売り切れていたが、幸いな事に今日は貸し出しをされていた。俺は時間を忘れて、ただそのファンタジーな物語に没頭していた。
その時だった。
「お母さん!!お父さん!!誰かっ誰か助けて!!死んじゃ嫌だよおぉ!!!」
主人公の過去の回想シーンで、家が炎に包まれ燃え上がっている様子が映し出された。幼い頃の主人公は悲痛な声で泣き叫びながら、届くはずのない炎に向かって手を伸ばしている。
「.....っ!!」
俺は足元にあったリモコンを咄嗟に握ると、画面から目を逸らして電源のボタンを押した。カチカチカチカチ。画面が消えているテレビの画面に向かって、何度も何度もボタンを押した。
「.........駄目だ、やっぱり」
俺は溜息をついた。途端に、今日会社で脳内に浮かび上がったあの日の出来事がまた浮かぶ。
俺は1年前、家事で両親を亡くした。
原因不明の火事だった。両親は自身を顧みずに俺を外へと追いやると、激しく燃え盛る家から二度と出てこなかった。
その時の俺は涙も出ず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「...明日も早いんだった、もう寝よう」
俺はその時の記憶を忘れるように被りを振ると、重たい足取りでベッドへ向かった。温かい布団の中、足先だけがただ震えていた。
いい加減あの日の事はもう忘れろ。
忘れろ、忘れろと頭の中で繰り返していると、俺はいつしか眠りについていた。
「...おい!おいてめぇ!」
明け方。俺の上で、何やら怒鳴り声がしている。体が重い。誰かが俺の上に乗っているのか。
「てめぇ!早く起きろってんだ!」
上司の夢でも見ているのか?そう思ったが、明らかに声が違う。今聞こえている声の方が、もっと高くて幼くて。
「ん.....?」
俺はうっすらと瞼を開けて、声のする目の前を見た。
そこには。
「おい!何だらだら寝てやがんだよ」
目の前に、真っ赤な頭の人らしき者の顔があった。
「おわああぁぁ!!!」
部屋の中に、俺の情けない叫び声がこだました。
「なに何!?何だよあんた!!悪霊!?悪霊だあぁ退散退散退散!!!」
俺はすぐさま飛び上がり部屋の明かりをつけると、テレビのリモコンを武器にぶんぶんと振って抵抗した。
「って!おい何しやがる!おれぁ悪霊なんかじゃねぇよ!....いってえぇっ!!」
何者かの叫び声が鼓膜をじりじりと刺激する。目を閉じたままリモコンを振っているので前が見えないが、カツンといい音がした。リモコンが命中したとわかった俺は、恐る恐る動きを止めて目を開けた。
「あーちくしょう...!血ぃ出てんじゃねぇのかこれ...!」
そこにいたのは、頭を抱えて項垂れているただの子供だった。
歳は15歳ほどに見える、赤と黒のツートンの髪の毛に褐色肌、金色の耳飾りがきらりと光っていた。
「だ、だ、誰だよあんた...いや、キミ?キミの方がいいかな...」
俺は拍子抜けした。悪霊じゃない、のか?本当にただの子供に見える。俺はリモコンを片手に、懐柔の笑顔を作ってゆっくりと近づいた。
「た、叩いちゃってごめんねー...?ケガはない?大丈.....ぶッ!?」
「大丈夫なわけあるかってんだこのやろー!!」
子供は勢いよく飛びかかると、俺の顔面に強烈なパンチを繰り出した。俺は床に倒れ込み、赤くなった頬を押さえて睨み返した。
「いって...!何すんだよガキ!」
「何すんだぁこっちのセリフだ!!急に悪霊扱いしてぶん殴りやがって、何様のつもりだ!!あ゛!?」
俺は言い返そうとしたが、その子供とは思えない凄みのあるがなり声に言葉も出ず、ただ壁に背をつけて怯えていた。
「ふん、このポンチ野郎が」
子供は両腕を組み、仁王立ちで俺を見下ろした。歳下の子供に偉そうに見下されるのは最高に気分が悪い。が、そんな事はさておき気になっていた事がある。
「あ、あんた、誰なんだよ?なんで俺の家にいるんだよ...?」
俺はがたがたと震える唇で問いかけた。子供は再度ふん、と鼻を鳴らすと、途端にしゃがみ込んで俺の顔を覗き込んだ。
「腹減った、なんか飯くれ」
「.....はい?」
鋭い目つきで突然すぎる事を言われ、俺はただぽかんと首を傾げた。
「んぐ、んまい。んまいなこれ」
子供はあぐらをかいた姿勢で両手に俺の握ったおにぎりを持ち、それを口いっぱいに頬張っていた。
「ベッドの上で食うなよ...」
俺の呟きに聞く耳を持たず、子供はリスのように頬袋を膨らませておにぎりを食べた。俺はただ床に正座をしながら、子供がおにぎりを食べている様子を見ていた。いやいや、冷静に考えてどういう絵面だよ。
「...ぷはっ、んまかった。ごちそうさん」
子供は満足したようにお腹をさすると、鋭い目で俺を見た。その目つきに、俺の心臓は怯えるように跳ねた。
「オレぁホムラだ。勘違いされっと困るから言うけど、オレぁ人間じゃねぇ。炎の精だ」
「炎の、精...?」
その非現実的な言葉に、俺は息を呑んだ。確かにこの赤黒い肌、炎みたいに真っ赤な髪の毛、普通に生きていて見た事がない。ホムラはベッドから軽々と身を下ろすと、俺の前に立ち見下ろした。
「タダ飯をもらいに来たんじゃねぇよ。てめぇに用があって来たんだ、マツノキ」
「俺に...?って、なんで俺の名前知ってるんだよ!?」
「ったく、いちいちうるせぇな...」
俺の名前を知っている事に、俺は驚きを隠せなかった。俺、こいつと面識あったかな?いや、なかったはずだ。こんな奴、今まで会った事_。
「1年前の"あの日"、オレたち会ってるぜ」
ホムラはしゃがみ込むと、俺の顔を見つめて静かに言った。その言葉を聞いて、俺の中にはっきりとあの時の情景が浮かび上がった。
炎に包まれながら崩れていく家。
あの日、俺は燃え上がる炎の中に。
ホムラの影を見ていた。
「あの時見えた...あれって、あんただったのか...?」
信じられない気持ちでいっぱいの俺が問いかけると、ホムラはこくりと頷いた。
「あの日、オレたちに謎の契約が結ばれた。どんなか知りてぇか?」
そう言うと、ホムラは勢いよく右手を突き出して俺のみぞおちを狙った。
「は?ちょ、待っ.....!!」
俺は頭の中が真っ白になった。殺される?何もしてないのに、急にこんな事ってあるのかよ?
が。
「.....え?」
強く瞼を閉じていた俺は、違和感に気づき目を開けた。ホムラの右手が、俺の体をすり抜けているのだった。
「ほら、見たらわかんだろ。謎の契約を結ばれたオレたちぁ互いに死ねねぇようになってる。要ぁ不死身ってこったな」
俺は呆然とした。全く痛くない。血も出ていないし傷もない。本当に俺、不死身なのか?
「.....や....や.......」
俺は俯き、ぷるぷると震えた。そして勢いよく顔を上げて叫んだ。
「やったああぁーー!!不死身なんだ、不死身なんだ俺!もう死について考えなくてもいい!怖くない!無敵だ!いやっほうぅ!!」
「話ぁ最後まで聞けってんだポンチ野郎」
歓喜の涙を浮かべる俺に、ホムラは冷静に突っ込んだ。
「チッ...いいか?不死身になったのぁ嬉しいだろうけど、今度ぁオレが困るんだぜ。例えば...」
ホムラはそう言うと、息を深く吸い込んで力強く吐き出した。
「...けほっ」
が、ホムラからは小さな咳しか出ない。ホムラはもう一度息を吸い、吐き出す。しかし咳しか出ない。俺はただその様子を眺めているだけだった。
「...こんな感じだ、炎が全く使えねぇ。これじゃ炎の精の名が廃れるぜ」
「意外と咳は可愛いんだな」
俺が何気なく言うと、ホムラは岩のように固まった。
次の瞬間。
「るっっせーよ可愛いって言うんじゃねぇこのポンチ野郎...!!」
「あだだだだごめんなさいごめんなさい...」
ホムラは俺の首を腕で絞め上げた。腕は細いが、その尋常じゃない力に俺はギブアップ寸前だった。
「とにかく、オレぁ炎が使えなくなっちまった。炎を使えんのぁてめぇだ、マツノキ」
「えっ俺!?」
ホムラの言葉に、俺は動揺した。炎を使える?俺が?どういう事なのか全く理解できない。
するとホムラは俺の手を掴み、そのまま俺の胸へと持って行った。
「胸に手を当ててオレの名前を叫べ」
ホムラの鋭い目つきに逆らえる訳もない。胸に手を当てて名前を叫ぶ?アニメーション映画で見たような流れに俺は急に気恥ずかしくなったが、被りを振って目を瞑った。
「ほ...ホムラ!」
「おうよ」
俺が叫んだ次の瞬間。体の中が熱くなり、ふわふわと浮いているような感覚になった。自分の体を確認しても、特に変わった所はなかった。
「手ぇ出してみろ」
ホムラが言う。俺は目を瞑ったままその通りに従って、恐る恐る右手を出した。
すると。
ボンッ、という音がして、俺は思わず目を開けてしまった。が、目を閉じる事ができなかった。俺の視界には、俺の手から真っ赤な炎がゆらゆらと動いている様子がはっきりと映っていたのだ。
「てめぇが名前を呼んだから、今オレの魂ぁてめぇん中にある。そしたらオレの炎ぁ、一時的にてめぇのもんになるんだ」
ホムラの話を聞きながら、俺は自分の手から出ている炎をただ見つめた。こんな映画みたいな事が本当に起こるだなんて、信じられない。
「オレが炎を使えなくなったのぁ、たぶんオレに必要な炎の魔力が散らばっちまったからだ。オレの魂ぁ魔力の場所がわかる。契約を解くにぁ、散らばった魔力を集めなきゃならねぇんだよ」
俺の手から炎が消えるのを見たホムラはそう話すと、身を乗り出して俺に顔を近づけた。
「オレの力を貸すから一緒に魔力を集めろ。この契約を解くための"契約"だ」
俺は生唾を飲み込んだ。目の前にあるホムラの目は、熱い信念が籠った真っ直ぐな瞳をしていた。
「...その契約、乗った」
俺は笑いながら頷き、右手を差し出した。ホムラは俺と同じように左手を差し出し、二人握手を交わした。
ホムラの手のひらは、炎のように熱かった。
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