第46話 ハローワールド2

 




 久々に見る顔は随分と疲れていて、まるで初めて会った時のように顔色が落ち込んでいる。


「ど、どうしたの……?」


「うん、いやぁ、ちょっと……僕は嫌だったんだぁ……うん、はい、これ」


 い、嫌?

 嫌って、どういう……?

 どきりとうるさくなる心臓にほんの少し焦る。


 毎度のように、自分で椅子を引っ張り出し、帳簿台を挟んでドカリと座り込んだディオは、ヘナヘナと台の上へ倒れ込んだ。ぺたりと台にくっついたまま、ディオがはい、と差し出したのは1枚の手紙だった。


「え!!」


 ただの手紙ではなく、まさかの王家の紋章が刻印されたもので、一般人には目にかかれない代物である。それがなぜ私に?


 間違っているのでは、とくるりと手紙をひっくり返してみるが、そこにはしっかりと私の名前が書かれていた。


「悩んだんだよ、僕もね。君のさ、魔法を教えてしまったら、僕が困るんだよ……はぁ」



 ——僕が困る、ってどういう意味……?

 ソワソワとする心に、落ち着かない。


「ど、どういう事……?それって、私はもう必要ないって事じゃないの?」


「……ん?」


 顔を上げたディオは、きょとんとした顔で私を見つめる。


「だ、だってそうでしょ? 魔法がちゃんと使えるようになったら、必要なくなるって、ディオにとっては私の、私のポンコツな、ポンコツなままの魔法が良かったでしょう? それが治ったらもういらないって事じゃないの?」


 そんなの「当たり前だろ」って言われるのが怖くて、つい、俯いて矢継ぎに思っていた事が口からポロポロ溢れてしまう。言うつもりもなかった事まで飛び出した。


 元々ディオが私の毒魔法を気に入って、私は、魔法をうまく使えるように……ただそれだけ「そういう関係だった」とスッパリ切り替えるために用意していた言葉も、これで台無しだ。



「私の毒魔法だけがほしいって、そう、そう言ってたわ」


 自分で言っておいて

 何が違う?

 その通りじゃない……。

 何が気に入らなくてこんな問いかけを?

 自分でも、何を言いたいのかわからなくなってくる。



 顔が熱くなる。

 喉もグッと苦しくなって、目の周りがジクジク痛み出す。


 ぎゅっと膝の上で握りしめた手の上にボタボタと生温かなものが滑り落ちた。


 滲んだ世界の中で、服にシミができて行くのが朧げに見え、余計に恥ずかしくて仕方がない。




「ステラ、ちょっと待って」

「なっ……」


 ディオの声が、すぐ耳元で聞こえて、思わずビクリと肩が震えた。


 頬に触れる大きな手が、そっと涙を拭うと、ディオの黒い指先を伝って、彼の服にシミを作った。


「僕の指、触れてしまったけど、嫌だった?」


 言葉の真意まではわからないが、首を横に振れば、嬉しそうな音を乗せて「そっか」と呟いた。


 その声があまりにも嬉しそうに、詰まらせるように掠れて聞こえたので、それが不思議で顔を上げる。


 思っていたより随分近い距離にある顔が、はにかむように、まるでとても嬉しそうにクシャりと笑う。


「な、なんでディオがそんなに嬉しそうな顔するのよ……?」


 あまりに幸福そうに笑うので、訳がわからない驚きで涙が引いていく。


「やっぱり、君は僕の天使だなと思ってさ」


「あ、えって、てんし!?」


 今度こそ、恥ずかしさでぼんと顔が赤くなるのがわかった。


 何度か言われたことのある言葉だった。

 でも、なんだかこんなに幸せそうに言われたら、自分に対して言われているのじゃないかと思ってしまう。

 そう思ってもいいのだろうか?

 じゃあ、さっきの言葉は?「僕が困る」「嫌だった」それは私の魔法がもう必要なくなったからと言うことじゃなかった?



「可愛いね、ステラ。遠回りな言葉ばかりで困らせてしまった? 僕はね、ステラ。もちろん君の毒魔法は最高だし、僕の命の恩人だ」


 そうでしょ?と頬を撫でながら語りかけるディオは、先ほどの疲れた様子は見えない。

 むしろとても楽しそうに指を私の頬や首筋を這っていく。くすぐったくて身じろぐと、それすらも愛おしそうに眺めている。


「困ると思った理由は、たった一つだよ。いや、一つじゃない……、かな? 一つ、呪いで変な色の僕にも、偏見なく接してくれる、身分で人を見ない僕だけの『魔法が苦手な君』を独り占めできなくなりそうだから」


 少し、魔法が苦手、という言葉にムッとすると、楽しそうに「ごめんね」と言う言葉が飛んでくる。


「二つめ、君が遠くに行ってしまいそうだから」


「遠く?」


「……そうだよ。禁書の中に記載されていたんだけど、大昔に現れた本物の聖女様は、異界の方だったらしいんだ。異世界、といえばいいのかな。魔法があるんだ。そんなことがあっても不思議じゃない……うん、やっぱり、心当たりあるんだね」


「どうして、わたし」


「時々聞いたことのない言葉を話す事もあったしね。魔力が桁違いだから、少しでも体に浴びたらわかるよ。まぁ、浴びることができるのは今までは僕だけだったんだけどね!」


「それ、って……私が聖女って事?」

 

「そういうこと」


「そ、そんな、私そんな聖女様みたいになれないって…! そんな、あんなにすごい力もないし……!」


 あんなに綺麗でなんでもできる聖女様に私が……?そんなバカな。

 とんでもない、と手で拒否をするように、目の前に両方の手を出してぶんぶんと振れば、その手をパシリと掴まれる。


「じゃあ、試してみる?」


 にっこりと綺麗に微笑んだディオは、きゅっと私の手を握りしめた。



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