第26話 その魔物の名は2 (ディオ視点)



 距離にして約50メール先。


 その魔物はそこに現れた。


 距離が十分あるため、まだ気が付かれてはいない様子だった。



 ゆっくりと、大きな音を立てないように近づいてゆく。


 目を細めて見ると、ずるずると布を引きずるように現れた魔物は、人の形をしているようだった。ぬぼう、と立ち尽くす魔物はゆらゆらと揺らめきながらただただ立ち尽くしている。


 こうして遠目から見ていると、疲れ果てた婦人がその命の行方を考えて立ちすくむような、そんな光景に見える。


 魔物に良く遭遇する職についていなければ亡霊か、はたまた隣国から逃れた奴隷とでも思い自ら近づいてしまう事だろう。


 人が通るのを待っているのか、道の端に立ち、ただ道を見ている。


 もう少しよく見ようと近づけば、頭から被った布が体の皮膚に同化したような形をしていて、両目は布が張り付き窪んで見え、鼻の穴は布に覆われてすぐに口元まで視線がいった。

 口元はぽっかり穴が空いたような黒い空洞がのぞいて見えた。

 その姿はあまりにも現実離れしていて、ゾッとするような悍(おぞ)ましい姿だった。

 思わずぞわりと背中が震えた。


 じっとその場を動かない様子を見ると、動きは鈍いのかもしれない。



 ————人ではなく、魔物であることは確かだな……向こうから仕掛けられる前に……! ここは一気に……!————


 


 一気に距離を詰め、腕の中に溜めた魔力を、腰に差した剣に込める。

 抜いて振り上げた剣に一定の魔力を籠ると、バチバチと光が走る。

 

 暗い空間に、鋭い光が走る。

 

 地を蹴り、足元に風を纏わせれば、ぐんと体が軽くなる。勢いをつけて剣を振り下ろした。



 ようやく刃先が届く……! そう思った瞬間、グルンと魔物の顔がこちらを向いた。


 口と思わしき場所がハクハクと痙攣し始める。


 瞬間、音のない何かが、空気を暴力的に震わせた。


 グルンと視界がひっくり返り、鈍く派手な音が鳴り、地面に叩きつけられた。

 剣は衝撃でどこかに飛んでいき、草むらに姿を消した。


 頭をぶつけたのか、脳が揺れ、視界がブレる。幸い石にぶつかったわけではないようで、添えた手は濡れる様子はない。

 霞む目で魔物の位置を確認するも、ぼやけた視界では不鮮明で視界にとらえるまで時間がかかる。


 ようやく魔物の姿を見つけた頃には、左右にガクガクとよろめきながらゆっくりとこちらへ向かってきていた。


 剣が魔物に到達はしたものの、一撃で真っ二つとはいかなかったようで、ボロ雑巾が胸の辺りから縦に引き裂かれ、さらにズタズタな状態だった。


 よろめきながらも、魔物はまた口をパクパクとさせている。


————さっきと同じ攻撃なら避けれる。先に攻撃すれば倒せる。


 そう判断し、ぐらつく体を無理矢理起こした。


 手のひらに魔力を溜め込み、それをすぐさま魔物に向かって投げた。


 投げた魔法が魔物に届き、爆発する瞬間、ボロ雑巾の口がパッカリと大きく開いた。

 その瞬間、今まで何も発しなかった魔物が、一際ひときわ大きな、悲鳴じみたギャアギャアと喚くような音を叫ぶ。

 驚いて逃げる間も無く、魔物が覆っていた布がこちらに向かって物凄い速度で近寄り、巻き付くように覆い被さってきた。しがみつくように、纏わり付くように。


 ひどい腐敗臭と、顔を覆った膜で何も見えない。


 苦しい。


 しかしそれよりも、さっきの魔法は魔物にぶつかったか、魔物自体がまだ生きているか、どこにいるかを把握しなければならない。このまま息が途絶え、1人死ぬのはまだ良い。相打ちにもならず、まだ解明されていない新種の魔物に喰われたとなれば死んでも死にきれない。

 万一にもこの魔物が騎士たちが寄ってたかっても勝てない魔物に変化を遂げてしまったら......そうさせるわけにはいかない。


 顔に覆い被さった布を引き千切ろうと、爪を立てて思い切り引き剥がす。肌に爪が刺さり、肉がえぐれるのを感じるが、そんなことは問題にはならなかった。


 踠きながらも、顔に張り付く布を剥がせた時、すでに目の前に今にでも食らいつこうと大口を開けて迫る魔物が迫っていた。


「! こいっ……!」


 魔力を飛ばし、合図を送る。

 脳天に魔物が喰らいつくまであと数センチ。



 ビュン、と風を切る音と共に、剣が草むらから飛び出し、目の前の魔物に突き刺さり、バシュっと音を立て黒い飛沫を上げながら弾け飛んだ。


 体液のような液体は僕に覆い被さるように降りかかり、しばらくボタボタボタとどこからともなく振り続けた。

 異様に、不自然に暗かった林道も、日が差し込み、キラキラと葉の隙間を縫って地面に降り注ぐ。その光景にしばらく目を細めた。


 スン、と鼻を鳴らすも、降り注ぐ液体から毒のような匂いはしない。脳がくらりとするほどの甘い香りだけがそこに残った。


 何とも不釣り合いな香り。


「はぁ、何だったんだこいつ……」


 こべりついた甘い香りを拭おうと、袖で顔を拭う。ついでにベタつく手も拭うが、一向に黒が落ちない。


 拭いても、拭いても拭いても。


 ポケットにしまっていた小瓶を取り出し、中身を床にこぼした。いつも携帯している回復薬だ。幸い割れてはおらず、どれも綺麗に形を保っていた。

 

 3つほど、封を切り、飲み口を床へ向ける。

 床に流せば、小さな水たまりができるからだ。

 空を写す水の塊は木の影と空の青を写した。


「……は?」


 そこを覗き込むと、映り込んだのは、真っ黒な染みができた自分の姿だった。



◆◆◆



ケース1109

個体番号001

名称「魔女」




◆◆◆



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